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二章

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 執事と銀髪の魔女は見つめ合う。

「もう本当に最悪。次から次へと……」

 視線を外さず睨みつけたまま、魔女は自身の姿を執事へ指し示した。

「この姿、執事様にも効くと思ったんだけど。案外淡泊なのね、少しも動揺していないみたい」

 あざけるように、言葉で執事を刺してみる。その額には薄っすらと汗が滲んでいた。

「そう言われましても。私には最初から、貴女が黒髪のお嬢さんにしか視えておりません」

 その言葉に魔女は目眩を覚える。

 こんなのあんまりよ。認識阻害も誤認も効いていない。この姿が唯一の切り札だったのに――。

「――ふざけないで。まさか執事様、故意に彼女の記録を封じてる?」

 その言葉に執事は頷いた。

「そうですな、既に私めは」

 執事は己の胸部に手を当てる。

「あのお方のお名前、お姿をこの内部装置に走らせるだけで――安全装置が落ちますゆえ」

 微笑むそれを見、魔女は一瞬言葉を失った。図らずも目を伏せる。それはきっと――胸に響く悲痛な告白だった。

「そう、そうだったの。貴方はもう、思い出すことすら叶わないの……」

 魔女は執事にだけ視える本当の瞳を瞬かせ困り顔で笑う。

「――お互い厄介なやつに想いを寄せたものね」

 魔女の告白は意外だったのだろう。執事は少しだけ気の抜けた表情をすると、すぐに理解したと快活に笑った。

「ほほっ! そのようですな」

 銀髪の魔女を縁取る後光、色とりどりのステンドグラスの光。その目の前には出口を背中に一礼し、頭を上げる執事がいる。

 二人の視線が交錯し、命を賭けた追走劇が始まった。

「今出来ることはもうない! 全力で逃げるわよ!」

 銀髪をなびかせて魔女は飛んだ。礼拝堂全体に黒霧を撒き散らし出口へ向かう。

「ふむ。お嬢さん、それは悪手です」

 執事は一瞬で横を過ぎ去る魔女をわざと見送って、黒霧を握り込み呟く。

「しっかりして頂きたいものだ。貴女はあのお方に繋がる唯一の糸でしょう」

※※※

「外に出た! 速度を上げて、早く早く!」

 影を叱咤激励する魔女は、目の前の光景に叫ぶ。

「嘘!?」

 それもそのはず、広がっていたのは青空ではない。青みがかった茶色の瞳が金色に染まる理由、執事の活動可能域全域に、障壁がぐるりと張り巡らされていた。

「お嬢さん、希望はありますよ。礼拝堂の障壁よりこれはレベルが落ちます、時間を掛ければ破壊可能でしょう。正し、そこまで貴女がもつかはわかりませんが」

 背後から怖気が走る追跡者の声がする。

「無駄って言ってるのと同じじゃない! 手加減してよ、彼女に会いたいでしょ!?」

「申し上げたはずです。“次は容赦無く殺す”と。もしかしてその稚拙な擬態があのお方に会わせる、ということだったのでしょうか」

 殺気が魔女の背中を軽く撫でた。

 ――少しでも動くのをやめたら殺される!

「バ、バカ、そんなはずないじゃない! 本当に会わせてあげる、執事様は約束を守ってくれたもの。私も守るわ!」

「で、あれば実力でここからお逃げなさい。私は手伝えません。これでも期待しているのですよ、貴女に」

 言葉とは裏腹に、殺気がどんどん魔女の正気と精神を削っていく。

「うぅぅ! 退散しようよ! ここならもう干渉は無いでしょ!?」

 影が蠢いて、銀髪の魔女の表情が絶望に染まった。

「それは無理です。お嬢さんのその退去術、悪魔の体内収納でしょう。それは身体の一部が欠けていると中身の安全が保障できないのです」

 執事は魔女を追いかけながら握り締めた拳を突き出し顎をしゃくる。

「こちらにその悪魔の一部が。これを取り返さない限り使えませんなぁ」

「そんなの知らない!!」

 魔女は周辺を見渡しながら飛ぶ。執事は王城や御殿の屋根を跳ねながら付いていく。

「私は貴女ほど悪魔を自在に使役している魔女を見たことがありません。その退去術でさえ、悪魔の独断使用しか見たことがない。契約者の要望に応じておこなうなどと」

 執事が影を握り込んだのとは逆の手で、魔女に小石を投げつけた。影は魔女の代わりに蠢いてそれを跳ね返す。

「ふむ、随分と気に入られておりますな。主従がどちらなのか勘違いする程に。あのお方でさえそこまでの使役は適わなかった」

「ベラベラと煩いわね!!」

「ほほっ! 私の独り言です。お気になさらず」

 執事は暇でも潰すようにもう三つ四つ小石を投げつけた。ジグザグに飛び回るまとに器用に当てていき、影は必死に魔女を護る。

「疑問はまだあります。貴女自身からは殆ど魔力を感じません。全てはその悪魔由来。つまりその契約は奇跡だ、誇ってよろしい。よほど上質な餌、もしくは身体、全てを捧げて何を願ったのです」

「言うはずないでしょ!」

「さようでございますか。悪魔との契約にはどんな願いを込めようとも、結果的に大量の血が流れる。これが魔女が忌み嫌われる理由です。お嬢さんはこの国に存在しているだけで悪だ」

 執事の小石が魔女を掠めた。

「そして今までの言動から察するに。――?」

「――!」

 魔女は答えない代わりに肩越しに振り返り、その瞳に狂気を孕んで笑ってみせる。執事は頷いた。

「これまた不思議なことがあるものです。悪魔が相容れぬ魔力もない人間に――それも時間移動を。私が知るかぎりそんなことを成功させた人間は一人もおりません」

「知らないわ。こいつが勝手に私を選んだのよ!」

「選ばれた?」

 またもや複数投げつけられた内の小石の一つが、小突くように魔女の額に当たる。

「ぐうぅぅ!! 人を弄びやがって!! 本当にしつこい、うるさい! こうなったらここに居る王族全員殺してやろうか!!」

「忠告しましょう。悪手です」

「うるさあああああい!!!」

 魔女から針のように薄く引き伸ばされた影が散って、騒ぎに群がる野次馬へ向かった。

 執事はため息をつくとその瞳を青く輝かせ始める。

『全機同時接続』

 その一言で舞踏会会場、調理場、客室など敷地内にいる全ての自動人形の瞳に青く光が灯った。

『同調開始』

 そしてそれらが蠢いて瞬時に王族一人ひとりの前に陣取り、降ってきた影の針をその身に受ける。

「嘘でしょ!?」

「少し考えればわかることです。私単機で王族の皆様をお護りすることは不可能だ。……またザック工場長に発注をかけねばなりませんなぁ」

 執事は顎をさする。

「あ、あれだけの数を同時に……!? 何で処理落ちしないのよ! この化け物ぉ!!」

 魔女の声は震えていた。
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