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4. ジョナとモーリッツ②
しおりを挟むモーリッツはつい笑顔が出てしまう自分に戸惑っている。
「浮かれている。浮かれすぎだぞ、モーリッツ」
自分で自分を戒めるものの、あまり効果がない。それはそうだろう。十年もずっと遠くから見つめ続けてきたジョナと、やっと結婚できることになったのだ。しかも、明日は初めてのデート。
「空にも上る心地とはこのことか」
今すぐにでも、空に駆けあがっていけそうなほど、心が高ぶっている。
「ジョナが、はいと言ったぞ」
王国中に馬を駆け、叫び、民に知らせたいぐらいの吉報。オレンジとクッキーしか送ることのできない、遠い存在の王子。ジョナは待っていてくれるだろうか。結婚適齢期の少女に、好きのひとことも言うことのできない、不甲斐ない男。ただ、ジョナの心が自分に向いていることを祈るしかない、情けない立場。
「だが、ジョナは待っていてくれた」
おお、神よ。モーリッツは神に祈りを捧げる。神の慈悲と、ジョナの忍耐にすがって生きてきた。これからは、今まで以上に神に感謝をし、民のために尽くそう。そして、ジョナに愛を捧げよう。モーリッツは静かに誓う。
「明日のデートが、王宮というのは味気ないが」
本当は、ジョナと街歩きなどをしてみたかった。もしくは、湖に行って船に乗るのもいい。ジョナは乗馬もできるから、ふたりで遠駆けという手もある。
「ニコラウスが強情だからな。我が義理の父君は、まだ気にしているようだ」
ニコラウスからは、王家への絶対の忠誠と、義理の息子になる自分への複雑な心境が、振り子のように揺れて入れ替わっているのが見て取れる。
「無理もない。あのように愛らしい娘を、苦労することが目に見えている王族に嫁がせるのだ。僕は、ジョナとの娘を誰かに嫁がせられるだろうか。相手を滅ぼしてしまうかもしれない」
モーリッツは気が早いのもほどがありすぎることを考えている。
明日はきっちり人払いして、ジョナと王宮デートを楽しもう。王家秘蔵の絵と本を見ながら語り合い、庭園に行って花を愛で、そのあとガゼボでお茶を飲もうか。ジョナの好きな紅茶とクッキーは手配済みだし」
モーリッツはジョナの好きなことは調べつくしている。何せ、王家に忠実な影を使える立場にいるのだ。使わない理由はない。
「影の長、ニコラウスに娘であるジョナについて聞くのだ。なにひとつ問題はない」
ニコラウスは、事務的に娘の情報を横流ししてくれた。内心ではイヤだったかもしれないが、表情には出さなかった。
「ニコラウスのおかげで、ジョナの好むものは把握しているはずだ。でも、明日しっかりと確認してこよう」
モーリッツは、聞き忘れないよう、手帳に書きつける。
「新婚旅行に望むこと。今まで贈れなかった誕生日プレゼントの埋め合わせは何がいいか。ニコラウスの許可が出たあと、どこにデートに行きたいか。結婚式の規模と時期。ふたりの部屋の内装」
ジョナと歩む輝かしい未来。一点の曇りも、わずかな不安もないよう、完璧に準備したい。ジョナが安心して隣に立っていられるように。
何事もきちんと計画し、段取りを組みたいモーリッツ。考えすぎて、眠れぬまま朝を迎えてしまった。
「なんてことだ。目が赤い。僕の魅力の大半は、目の色かもしれないというのに」
モーリッツはガックリとうなだれる。
「殿下のいいところは、まだまだたくさんございますよ」
子どもの時からついていてくれた侍従が、苦笑しながら慰めてくれるが、少しも心が軽くならない。なんとか見た目を整え、心臓がうるさいほどに鳴り響く中、ジョナが私室に入って来た。
「ジョナ、好きだ」
寝不足と興奮と、そして自分の瞳の色をまとったジョナに、モーリッツの理性は吹き飛んだ。挨拶をする前に、告白をし、その勢いでジョナを抱きしめてしまう。護衛に侍女、侍従がいるというのに。
「モーリッツ、私も好きです」
ジョナは頬をバラ色に染めて、嬉しそうに笑った。あらゆる段取りはモーリッツの頭から消し飛び、グダグダの行き当たりばったり。
かっこよく絵の説明をしようと思って、絵について勉強したというのに。
「春の風景においては右に出るものがいないと言われている画家の絵だよ。画家と絵の名は、失念してしまったが。まあ、どのような美しい絵画も、ジョナの前では色を失うのだね。僕にはジョナしか見えない」
「まあ、モーリッツったら」
王家秘蔵の門外不出の奇書をふたりでそっとめくりながら。
「異世界の者が記したとされる錬金術の書だよ」
「まあ、これがヴォイニヘクセ手稿ですのね。まさか、実在するとは思っておりませんでした」
「解読できれば、あらゆる奇跡を実現できるらしい。僕にとっての奇跡は、ジョナと巡り合え、思いが通じ合ったことだ。これ以上の奇跡は必要ないのだ」
「まあ、モーリッツったら」
ヴォイニヘクセ手稿はそっちのけで、ふたりは見つめ合う。
モーリッツはジョナの手をしっかり握り、庭園をそぞろ歩く。
「ジョナは花が好きだと聞いてね。一緒に花を見ながら散歩したいと思っていたのだ」
「とってもキレイね。それに、いい香り」
「どのようなかぐわしい花の芳香も、ジョナの髪には遠く及ばない。ああ、ジョナ」
「まあ、モーリッツったら」
護衛たちが真顔を保とうと必死に唇を噛みしめていることも、ふたりは気づかない。
柔らかな日差しを浴びながらガゼボに入り、ピッタリ寄り添って座る。
「ジョナが好きな紅茶とクッキーを取り寄せたのだ。気に入ってもらえるといいのだが。ジョナ、ひとつお願いを聞いてくれないだろうか」
「あら、何かしら?」
小首を傾げたジョナの口元に、モーリッツは小さなクッキーを近づけた。
「恋人にはこうするものだと、本で読んだのだ。いいだろうか」
ジョナは真っ赤になりながら、口を開く。モーリッツはそうっと、優しく、ジョナの口にクッキーを入れた。
「もっと食べる?」
モーリッツは期待に満ちた目でジョナを見るが、ジョナは消えそうな声で言った。
「恥ずかしくて、食べた気がしないので、もう……」
「そう。では、また次回の楽しみに取っておこう。次回、次回は、明日でどうだろうか?」
「いいですわ」
ふたりとも、予定は詰まっているはずだが、あらゆる予定はすっ飛ばすことになった。侍従が速やかに、関係各所に通達をしに行く。
「一か月、殿下の予定は全て白紙に戻します。そして、ジョナ様の契約結婚相手には、ジョナ様は急病と連絡を」
こうして、十年の空白を埋めるように、ジョナとモーリッツは連日のデートを満喫したのであった。
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