7 / 11
第一章
第七話
しおりを挟む
町は、闇夜の中で淡く赤く輝いていた。その光は実に暖かい。
そして、私達はその街を見下ろしながら上空を浮遊していた。その超常的な現象を前にして、この世界の常識という物を私は改めて実感した。
しかし、私の左には人間が居る。ローディアーエナ、彼女が居れば、私は不思議と恐ろしくはなかった。
「町の紹介をしてなかったっすね。ここは、香環っていう町っす」
その光景に見とれていた私に向かって、ローディアはそう言った。
「綺麗な街ですね……」
私は感嘆の声を漏らす。しかし、帰ってきたのは予想外の返答。
「そうっすか? ここはただの田舎町っすよ」
「あれ、ここは田舎なんですね」
「はい、自治体も小規模ですし、交易もあまり」
なるほど。このような価値観の差異からも、この世界の常識が伺える。科学技術は躍進してはいないが、街造りについてはかなり先進的な価値観を持っているようである。
「今から行くのは、梵戔っていう、ここら辺では割と大きめの都市っすよ。ほら、あそこになんか大きい町が見えるっすよね? あれっす」
ローディアが指を指した先には、暗闇の森の中に点在する町の中で、特に大きな町が見えた。
「ああ、なるほど、あれですか。そういえば、この世界の町は、広範囲に続くってよりは、点在している感じなんですね」
「そうっす。この町の一つ一つに自治体があって、区って言われてます。独立して政治を行っていて、香環とか梵戔も区の一つっす。ただ、一つの区が持つ力は小さいので、同じ言語や思想を持った区が集まって、国ができる事があります。香環と梵戔は、昼憲っていう国の一部っす」
見たこともない町の在り方に、私は驚きながらも少し感心していた。こうして聞くと、この世界もなかなか面白いものだ。
「さあ、腹も減りましたし、少し飛ばしますか。ちょっと寒くなるっすよ!」
そう言うと、ローディアは目を閉じて、作ったままだった合掌の手を額に近づけ、何かを唱えた。
私はまた、それを聞き取ることはできなかったが、彼女がそれを終えると、私達が前進する速度は上がり、風景はより速く過ぎるようになった。
香環を過ぎたと思えば、今度は次々と別の区を過ぎていった。動いている途中は大いに寒かったが、私は身震いをしながらも何とか耐えていた。
そして、5分程進むと、私達は梵戔の上空に入った。そこは、実に明るい町であった。中心には高い塔や、縦長の楼閣のような建築物も見え、他にも繁華街や宿場町のような場所も賑わっていた。
それに、街自体の規模も非常に大きかった。先程通ってきたいくつかの区の数倍は大きいように見え、明るい町並みはその街の隅までずっと続いている。まさに都市と呼ぶのに相応しい。
「アルトさん、ここが梵戔っす。今降りますね」
梵戔の中心程の位置に差し掛かった時に、ローディアは私にそう告げた。すると私達は高度を下げ、どんどん都市に近付いていった。向かう先を見ると、彼女は繁華街に向かっていることが分かった。
しばらくすると街は目前にまで迫り、私達は街の中で、静かに着地した。すると、彼女は結んでいた合掌の手を放し、地面に屈みこんだ。
「はあ…… 着いたっす……」
するとローディアはそう言ったのだが、何故かひどく息切れしていた。
「ちょっと、大丈夫ですか?」
「うん…… 心配は要らないっす…… 浮遊する術の対価っす…… 体力が持っていかれるんすよ……」
魎靈術の利用には対価が必要だという話を聞いたが、このような対価もあるという訳か。私は内心で理解したが、それよりもローディアに対する心配の方が大きかった。
「いや、本当に大丈夫……? 無理しないでいいですよ、全然」
「いえ…… もう直ってきたっす」
私はローディアが無理しているようで実に心配であったが、ここは彼女の言うことに従ったほうが良いであろう。適度に心配はしながらも、これ以上口に出すのはよしておいた。
「さて、私が行きたかったのはあそこです。あの店」
彼女は何とか落ち着いた様子で立ち上がり、私の右上を指差してそう言った。
ローディアが指差した先を見ると、少し高いところにあまり目立たない建物があった。この繁華街の一角は、山の斜面に沿って建物が段のようになって並んでいたのだが、その下から2段目のところにその店はあった。
木造で、少し古い建物なのか木材が黒ずんでおり、山の木々の間に建っているのもあり、やや暗い印象を持った。
「あれは…… 料理店か何か?」
「はい、何の変哲もないごく普通のただの一般的な料理屋っす」
そう言うと彼女は歩き出し、階段を上って行ったので、私もそれについて行った。
「なんか、もうちょっと良い言い方は無かったんですか?」
「ははっ、まあ、あそこの店は普通の料理屋だけど、味は良いっすから。楓っていう店で、私は仕事の時に、よくここで飯を食ってます」
「へえ、行きつけなんですね」
「はい、なんか最近は店主と仲良くなってる感じっす」
そんな話をしている間に階段を上り、店の入り口に来た。店の中からは、香ばしい香辛料などの匂いが漂ってくる。
するとローディアは勢いよく扉を開けて、威勢のいい声で言った。
「店主ー! 今日も来たっすよー!」
「おお、いらっしゃーい、って、その人は?」
「ああ、新しいダチ。アルトっつうの」
「なんでまた友達出来てんの? しかも外人さんみたいだし」
「ああ、引っ越してきて仲良くなったの」
「あ、どうも」
私もそう軽く返事をしておいた。
店主は小柄な女性で、決して年老いてはいないが、若いという程でもないという見た目であった。髪は繊細で美しい茶色で、肩にかかる程。やや鋭い目つきをしていたが、落ち着いた声をしていて、厨房で調理器具の整理をしていた。
恐らくは、家計で経営していた店を引き継いだのだろう。店内にはあまり人はおらず、内装もカウンターが10席程と奥に机がある位の席に私達以外に3人が座っていた。
しかし、まったく人気がないという訳ではなさそうである。今でもローディアなどの常連客にきっと愛されているのだろう。
私達はカウンター席に座って料理を待つことにした。
「店主、今日は…… じゃあ、鱒塩カブトガニ芋汁と米で頼んます」
ローディアが早口で注文を済ます。
「あいよ」
店長はそれに応え、テキパキと調理を始めた。
「今の、何ですか?」
「メニュー見ればわかるっすよ。はい」
そう言ってローディアは私に品書を手渡した。
私は疲れて腹が減っていたこともあり、早く注文しようとそれを見た。
ところが、そこに書かれていたのは、食べたこともないような食材ばかりであった。ローディアが先程注文した、鱒とカブトガニな、そして芋の汁物、それから米など、多種多様である。
米があるのは幸いだが、それ以外は未知である。昆虫食がないだけまだ良いと捉えるべきか……
いや、でも、こういう偏見は良くない。なにせ、ここは別世界である。私がまだ味わったことのない美味が、この料理の中にあるという可能性は、十分にある。
未知を恐れるな。私の取り柄というのは、その飽くなき探求心と、無駄に大きい好奇心であっただろう。
食べるぞ。私は。そして美味という栄光を勝ち取ってみせる。
「店主!」
私は威勢よく店主を呼んだ。彼女が私の方を見る。
行け! エーレルト。今こそ注文の時!
「ウミネコ炒めとトカゲ蒲焼と菜花汁と米を頼みます!」
言い切った。そうだ。これが私の食事。私の食べ方。私の人生。
ウミネコとトカゲは食べたことがない。菜花汁に関してはよく分からない。ただ、それで良いのである。これで、私は新しい物を食べ、新たに人間として躍進するのだ。
すると、店主は鍋を片手に、目で私を見て少し笑いを浮かべて言った。
「ほう…… アルトさん。君、分かってるじゃないか……」
キマった……
私はその一心であった。
「いや何この微妙なノリ!」
ローディアが言う。いや、本当その通りだよ。
料理が来るまで、私はローディアと話をしたり、指先を弄っていたりしたが、案外料理は早く出てきた。
「あい、カブトガニね」
店長がローディアの前に料理を出す。そこには、丸々一匹のカブトガニが皿の上に横たわっていた。
続いて菜汁、ウミネコ、鱒と料理が出され、最後には私のトカゲが出された。どれも非常に威力のある見た目をしている。
「いただきまーす!」
真っ先にローディアが声を上げる。
「いただきます」
私も合わせて言う。
「あいよ」
店長は少し微笑みながらそう返す。
ところが、いざ目の前に料理を出されると、その見た目にやはり少し抵抗を感じる。見たこともない食材に、見たこともない調味料。これを食べても私は大丈夫なのだろうかとやや感じてしまう。
しかし、隣のローディアは勢いよく、美味しそうに料理を頬張っている。そして何より、店主の微笑んだ顔が脳裏に焼き付いている。
私は意を決して、まずは焼いたトカゲに手をつけ、口にした。
すると、淡白な肉の食感と風味が口内に広がった。しかし、それは決して悪い味ではない。濃厚で鮮明な旨味なのである。
味付けの仕方が実に工夫されており、淡水魚の特徴的な悪い味わいを消し、良い旨味だけを引き出しているのである。
これには私も感服し、感嘆の声を漏らした。
「んん…… これは……」
「どうだい? アルトさん、私の料理」
「これは、凄いです。工夫された味付け、これは絶品です……」
「そう。そりゃあ嬉しいなあ」
店主が笑みを浮かべる。なんだか私もとても幸せになってきた。
私は、今度は菜花汁にも手をつけてみた。どうやら、菜花の茎や葉を使った汁物のようであったが、これも絶品であった。スープの味付けだけでなく、菜の食感を最大限に生かした調理がされている。
まさに至高の料理。一度食べると、この味の虜になる。この世界の料理の水準は知らないが、それでもなぜ人気が出ないのか不思議に思う程だ。
そして、私の思った通り、未知の料理というのもとても美味しい物であった。
「いやあ、これも美味しいです。店主、本当に凄い腕前ですね」
「いやあ、そんな褒めても何も出ないって」
店主が顔を赤らめて言う。
「食材はどこから手に入れてるんですか?」
「ああ、えっと、釣りとか狩とかの業者が居る感じで、ちょくちょく仕入れてる。それで、保存は塩漬けとか、氷漬けとかにしてやってるんだ」
「へえ、そうなんですね。あ、あとそういえば、店主の名前を聞いてなかったです」
「あ、私? えっと、ティレータファイっていう。呼びたきゃティレータって呼ぶといいと思う」
「分かりました」
そう返事して、私は再びティレータの料理を頬張った。手が止まらない。どんどん皿の上の料理が減っていく。
しかし、私はまた一つの疑問が浮かんだので、ティレータに聞くことにした。
「あ、もう一ついいですか? この世界の名前の名字ってどうなっているんですかね?」
「え? この世界?」
「あっ……」
咄嗟に失言したと思い、私は声を漏らした。
「ああ、店主。この子ちょっと訳ありなんだ。気にしないで? ね?」
ローディアが必死に弁解しようとする。弁解にはなっていないが……
「ええ……? なに? 異世界から来たっていうの? そんな事ある訳ないじゃん」
ティレータは眉間に皺を寄せてそう答える。
「いや、それがどうも…… あ、とにかく! 名字だよ! 名字!」
「え? ああ…… 普通に、例えばこいつの『ローディアーエナ』だったら、『ローディア』の部分が名前で、『エナ』の部分が名字って感じ。私の場合は、『ティレータ』が名前、『ファイ』の部分が苗字…… でいい?」
「ああ、はい、どうも」
私の返事はぎこちないものであった。店主に何か変な事を疑われてしまった。でも、どうせ後で話すのだから良いだろう。
その後、私達はティレータの料理を堪能しながら、たわいもない話を楽しんだ。
ここで私の思った事を述べさせてもらうと、この二人は、やけに人との距離感が近い気がした。アグロノスの人が冷たいのかは知らないが、この二人は少なくとも、初対面の人とも気兼ねなく接し、気付けば仲良くなっているのである。
そして、こんな楽しい時間を過ごすことができる。人の心を暖かく照らしてくれる。私はローディアとティレータの二人としか話した事はないが、そんな気がしたのである。
「さあ、本題っすよ。アルトさん」
ある程度話も煮詰まった所で、ローディアが切り出した。
「本題?」
「はい。アルトさんが前居た世界の話を聞かせてください」
「え? 本当なの?」
ティレータが不審がる。
「多分、本当っすよ」
ローディアが曖昧に返答する。
「ああ、では、いいですか? 私の居た世界は――」
そんな面白い二人に、私は話を始めた。
そして、私達はその街を見下ろしながら上空を浮遊していた。その超常的な現象を前にして、この世界の常識という物を私は改めて実感した。
しかし、私の左には人間が居る。ローディアーエナ、彼女が居れば、私は不思議と恐ろしくはなかった。
「町の紹介をしてなかったっすね。ここは、香環っていう町っす」
その光景に見とれていた私に向かって、ローディアはそう言った。
「綺麗な街ですね……」
私は感嘆の声を漏らす。しかし、帰ってきたのは予想外の返答。
「そうっすか? ここはただの田舎町っすよ」
「あれ、ここは田舎なんですね」
「はい、自治体も小規模ですし、交易もあまり」
なるほど。このような価値観の差異からも、この世界の常識が伺える。科学技術は躍進してはいないが、街造りについてはかなり先進的な価値観を持っているようである。
「今から行くのは、梵戔っていう、ここら辺では割と大きめの都市っすよ。ほら、あそこになんか大きい町が見えるっすよね? あれっす」
ローディアが指を指した先には、暗闇の森の中に点在する町の中で、特に大きな町が見えた。
「ああ、なるほど、あれですか。そういえば、この世界の町は、広範囲に続くってよりは、点在している感じなんですね」
「そうっす。この町の一つ一つに自治体があって、区って言われてます。独立して政治を行っていて、香環とか梵戔も区の一つっす。ただ、一つの区が持つ力は小さいので、同じ言語や思想を持った区が集まって、国ができる事があります。香環と梵戔は、昼憲っていう国の一部っす」
見たこともない町の在り方に、私は驚きながらも少し感心していた。こうして聞くと、この世界もなかなか面白いものだ。
「さあ、腹も減りましたし、少し飛ばしますか。ちょっと寒くなるっすよ!」
そう言うと、ローディアは目を閉じて、作ったままだった合掌の手を額に近づけ、何かを唱えた。
私はまた、それを聞き取ることはできなかったが、彼女がそれを終えると、私達が前進する速度は上がり、風景はより速く過ぎるようになった。
香環を過ぎたと思えば、今度は次々と別の区を過ぎていった。動いている途中は大いに寒かったが、私は身震いをしながらも何とか耐えていた。
そして、5分程進むと、私達は梵戔の上空に入った。そこは、実に明るい町であった。中心には高い塔や、縦長の楼閣のような建築物も見え、他にも繁華街や宿場町のような場所も賑わっていた。
それに、街自体の規模も非常に大きかった。先程通ってきたいくつかの区の数倍は大きいように見え、明るい町並みはその街の隅までずっと続いている。まさに都市と呼ぶのに相応しい。
「アルトさん、ここが梵戔っす。今降りますね」
梵戔の中心程の位置に差し掛かった時に、ローディアは私にそう告げた。すると私達は高度を下げ、どんどん都市に近付いていった。向かう先を見ると、彼女は繁華街に向かっていることが分かった。
しばらくすると街は目前にまで迫り、私達は街の中で、静かに着地した。すると、彼女は結んでいた合掌の手を放し、地面に屈みこんだ。
「はあ…… 着いたっす……」
するとローディアはそう言ったのだが、何故かひどく息切れしていた。
「ちょっと、大丈夫ですか?」
「うん…… 心配は要らないっす…… 浮遊する術の対価っす…… 体力が持っていかれるんすよ……」
魎靈術の利用には対価が必要だという話を聞いたが、このような対価もあるという訳か。私は内心で理解したが、それよりもローディアに対する心配の方が大きかった。
「いや、本当に大丈夫……? 無理しないでいいですよ、全然」
「いえ…… もう直ってきたっす」
私はローディアが無理しているようで実に心配であったが、ここは彼女の言うことに従ったほうが良いであろう。適度に心配はしながらも、これ以上口に出すのはよしておいた。
「さて、私が行きたかったのはあそこです。あの店」
彼女は何とか落ち着いた様子で立ち上がり、私の右上を指差してそう言った。
ローディアが指差した先を見ると、少し高いところにあまり目立たない建物があった。この繁華街の一角は、山の斜面に沿って建物が段のようになって並んでいたのだが、その下から2段目のところにその店はあった。
木造で、少し古い建物なのか木材が黒ずんでおり、山の木々の間に建っているのもあり、やや暗い印象を持った。
「あれは…… 料理店か何か?」
「はい、何の変哲もないごく普通のただの一般的な料理屋っす」
そう言うと彼女は歩き出し、階段を上って行ったので、私もそれについて行った。
「なんか、もうちょっと良い言い方は無かったんですか?」
「ははっ、まあ、あそこの店は普通の料理屋だけど、味は良いっすから。楓っていう店で、私は仕事の時に、よくここで飯を食ってます」
「へえ、行きつけなんですね」
「はい、なんか最近は店主と仲良くなってる感じっす」
そんな話をしている間に階段を上り、店の入り口に来た。店の中からは、香ばしい香辛料などの匂いが漂ってくる。
するとローディアは勢いよく扉を開けて、威勢のいい声で言った。
「店主ー! 今日も来たっすよー!」
「おお、いらっしゃーい、って、その人は?」
「ああ、新しいダチ。アルトっつうの」
「なんでまた友達出来てんの? しかも外人さんみたいだし」
「ああ、引っ越してきて仲良くなったの」
「あ、どうも」
私もそう軽く返事をしておいた。
店主は小柄な女性で、決して年老いてはいないが、若いという程でもないという見た目であった。髪は繊細で美しい茶色で、肩にかかる程。やや鋭い目つきをしていたが、落ち着いた声をしていて、厨房で調理器具の整理をしていた。
恐らくは、家計で経営していた店を引き継いだのだろう。店内にはあまり人はおらず、内装もカウンターが10席程と奥に机がある位の席に私達以外に3人が座っていた。
しかし、まったく人気がないという訳ではなさそうである。今でもローディアなどの常連客にきっと愛されているのだろう。
私達はカウンター席に座って料理を待つことにした。
「店主、今日は…… じゃあ、鱒塩カブトガニ芋汁と米で頼んます」
ローディアが早口で注文を済ます。
「あいよ」
店長はそれに応え、テキパキと調理を始めた。
「今の、何ですか?」
「メニュー見ればわかるっすよ。はい」
そう言ってローディアは私に品書を手渡した。
私は疲れて腹が減っていたこともあり、早く注文しようとそれを見た。
ところが、そこに書かれていたのは、食べたこともないような食材ばかりであった。ローディアが先程注文した、鱒とカブトガニな、そして芋の汁物、それから米など、多種多様である。
米があるのは幸いだが、それ以外は未知である。昆虫食がないだけまだ良いと捉えるべきか……
いや、でも、こういう偏見は良くない。なにせ、ここは別世界である。私がまだ味わったことのない美味が、この料理の中にあるという可能性は、十分にある。
未知を恐れるな。私の取り柄というのは、その飽くなき探求心と、無駄に大きい好奇心であっただろう。
食べるぞ。私は。そして美味という栄光を勝ち取ってみせる。
「店主!」
私は威勢よく店主を呼んだ。彼女が私の方を見る。
行け! エーレルト。今こそ注文の時!
「ウミネコ炒めとトカゲ蒲焼と菜花汁と米を頼みます!」
言い切った。そうだ。これが私の食事。私の食べ方。私の人生。
ウミネコとトカゲは食べたことがない。菜花汁に関してはよく分からない。ただ、それで良いのである。これで、私は新しい物を食べ、新たに人間として躍進するのだ。
すると、店主は鍋を片手に、目で私を見て少し笑いを浮かべて言った。
「ほう…… アルトさん。君、分かってるじゃないか……」
キマった……
私はその一心であった。
「いや何この微妙なノリ!」
ローディアが言う。いや、本当その通りだよ。
料理が来るまで、私はローディアと話をしたり、指先を弄っていたりしたが、案外料理は早く出てきた。
「あい、カブトガニね」
店長がローディアの前に料理を出す。そこには、丸々一匹のカブトガニが皿の上に横たわっていた。
続いて菜汁、ウミネコ、鱒と料理が出され、最後には私のトカゲが出された。どれも非常に威力のある見た目をしている。
「いただきまーす!」
真っ先にローディアが声を上げる。
「いただきます」
私も合わせて言う。
「あいよ」
店長は少し微笑みながらそう返す。
ところが、いざ目の前に料理を出されると、その見た目にやはり少し抵抗を感じる。見たこともない食材に、見たこともない調味料。これを食べても私は大丈夫なのだろうかとやや感じてしまう。
しかし、隣のローディアは勢いよく、美味しそうに料理を頬張っている。そして何より、店主の微笑んだ顔が脳裏に焼き付いている。
私は意を決して、まずは焼いたトカゲに手をつけ、口にした。
すると、淡白な肉の食感と風味が口内に広がった。しかし、それは決して悪い味ではない。濃厚で鮮明な旨味なのである。
味付けの仕方が実に工夫されており、淡水魚の特徴的な悪い味わいを消し、良い旨味だけを引き出しているのである。
これには私も感服し、感嘆の声を漏らした。
「んん…… これは……」
「どうだい? アルトさん、私の料理」
「これは、凄いです。工夫された味付け、これは絶品です……」
「そう。そりゃあ嬉しいなあ」
店主が笑みを浮かべる。なんだか私もとても幸せになってきた。
私は、今度は菜花汁にも手をつけてみた。どうやら、菜花の茎や葉を使った汁物のようであったが、これも絶品であった。スープの味付けだけでなく、菜の食感を最大限に生かした調理がされている。
まさに至高の料理。一度食べると、この味の虜になる。この世界の料理の水準は知らないが、それでもなぜ人気が出ないのか不思議に思う程だ。
そして、私の思った通り、未知の料理というのもとても美味しい物であった。
「いやあ、これも美味しいです。店主、本当に凄い腕前ですね」
「いやあ、そんな褒めても何も出ないって」
店主が顔を赤らめて言う。
「食材はどこから手に入れてるんですか?」
「ああ、えっと、釣りとか狩とかの業者が居る感じで、ちょくちょく仕入れてる。それで、保存は塩漬けとか、氷漬けとかにしてやってるんだ」
「へえ、そうなんですね。あ、あとそういえば、店主の名前を聞いてなかったです」
「あ、私? えっと、ティレータファイっていう。呼びたきゃティレータって呼ぶといいと思う」
「分かりました」
そう返事して、私は再びティレータの料理を頬張った。手が止まらない。どんどん皿の上の料理が減っていく。
しかし、私はまた一つの疑問が浮かんだので、ティレータに聞くことにした。
「あ、もう一ついいですか? この世界の名前の名字ってどうなっているんですかね?」
「え? この世界?」
「あっ……」
咄嗟に失言したと思い、私は声を漏らした。
「ああ、店主。この子ちょっと訳ありなんだ。気にしないで? ね?」
ローディアが必死に弁解しようとする。弁解にはなっていないが……
「ええ……? なに? 異世界から来たっていうの? そんな事ある訳ないじゃん」
ティレータは眉間に皺を寄せてそう答える。
「いや、それがどうも…… あ、とにかく! 名字だよ! 名字!」
「え? ああ…… 普通に、例えばこいつの『ローディアーエナ』だったら、『ローディア』の部分が名前で、『エナ』の部分が名字って感じ。私の場合は、『ティレータ』が名前、『ファイ』の部分が苗字…… でいい?」
「ああ、はい、どうも」
私の返事はぎこちないものであった。店主に何か変な事を疑われてしまった。でも、どうせ後で話すのだから良いだろう。
その後、私達はティレータの料理を堪能しながら、たわいもない話を楽しんだ。
ここで私の思った事を述べさせてもらうと、この二人は、やけに人との距離感が近い気がした。アグロノスの人が冷たいのかは知らないが、この二人は少なくとも、初対面の人とも気兼ねなく接し、気付けば仲良くなっているのである。
そして、こんな楽しい時間を過ごすことができる。人の心を暖かく照らしてくれる。私はローディアとティレータの二人としか話した事はないが、そんな気がしたのである。
「さあ、本題っすよ。アルトさん」
ある程度話も煮詰まった所で、ローディアが切り出した。
「本題?」
「はい。アルトさんが前居た世界の話を聞かせてください」
「え? 本当なの?」
ティレータが不審がる。
「多分、本当っすよ」
ローディアが曖昧に返答する。
「ああ、では、いいですか? 私の居た世界は――」
そんな面白い二人に、私は話を始めた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる