わたしの正体不明の甘党文通相手が、全員溺愛王子様だった件

あきのみどり

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王家の食卓の珍事 1

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 ──時は少しだけ巻き戻り、こちらは王家の食堂。
 
 豪華絢爛な空間に、パリンと軽い音が響き渡った。

 朝餉の食卓に着いていた、国王、王妃、それに側妃と王太子ら。テーブル周りにいた給仕係たちは、反射的に音をしたほうを見た。
 すると、食卓のなかほどの席に着席した第三王子ウルツが、真顔のまま、右手を胸の高さに掲げて動きを停止させている。
 その姿に、まわりはギョッとし、食堂は水をうったように静まり返る。

 ウルツの手には、血が滲んでいた。
 その手の下には割れたらしきグラスの破片。そこにあった料理はもちろんガラスの破片と、グラスに満たされていたらしい水を浴びて無残なありさま。宮廷料理人の仕上げた料理は美しく、とても美味そうではあったが……あれではとてもではないが、もう食すことはできそうにない。
 ただ、そんな料理の憐れな様子よりも皆を戸惑わせたのは、その惨状に目をくれることもなく、いかめしい顔で身動きもしないウルツ。
 掲げたまま固まった手からは、赤い雫がしたたっているにもかかわらず、王子は無表情のままピクリとも動かない。
 まっすぐに前を見据えた視線がなんとも不気味。

 その光景の不可解さに、一瞬沈黙に満たされていた食堂は。しかし次の瞬間、焦燥が噴き出すように広がった。

「ウ──ウルツ? いかがした⁉ 早う……早う手当をせぬか!」

 最奥の君主の席にいた父王が、困惑の声を上げると、まわりで身を凍らせていたほかの者たちも、やっとオロオロと行動再開。
 けれども当のウルツはといえば、普段となんら変わらぬ無感情な目で、父を見る。

「……はい、申し訳ありません」

 そして彼は、一見何ごともなかったかのような素振りで食卓を立つが。その進む先に、父王は慌てて椅子から腰を浮かす。

「お、おいどこへいく⁉ ウルツ! おぬし……そっちは壁だ!」

 とまれ! と、命じられたが遅かった。次の瞬間にはガツンと痛そうな音がして。見ていた者たちがギョッと首をすくめる。
 ……ちなみに本日の朝餉のメンバーは、国王夫妻とイアンガード。王太子とフォンジー、そしてウルツである。
 もうひとりの側妃リオニーは謹慎中。第四王子ロスウェルは、体調不良で欠席。まあ、これはいつものこと。つまりが二日酔いである。

 さて、景気よく顔面を壁で強打した息子に、国王は唖然。
 その息子が、彼の王子の中では特に冷静な性質であることもあって、王の驚きは大きかった。

「ウルツ⁉」
「……は、」
「は、ではない! な、何をやっている!?」

 父王の叱咤と共に、王に急かされた侍従らが慌てたようにウルツのそばに集まる。
 だが、ウルツはそれを手を振って制止。「問題ない」と言い切るその顔は、まったくもって、キリリと整っているが……。
 そうは言っても顔面は打撲で赤くなっているし、平然と持ち上げた手のひらには、グラスを握りつぶしてできた傷が痛々しく走る。
 父王はまったく意味が分からな過ぎて。
 ……おまけになぜか、そばの席でとまどう王妃の向こうでは、ウルツの母、側妃イアンガードが、着席したままテーブルに身を折って身を震わせている。
 ……どう見ても、笑いをかみ殺しているのである。

 謎が過ぎる状況であった……。

 食堂には困惑が広がったが。と、片手で腹を押さえながら身を起こしたイアンガードは、わざとらしく楚々としたしぐさで涙をぬぐいながら王に言う。

「ほほほ陛下……ご心配には及びませぬ。すぐ侍医が参りますし、その者はそうやわではありませぬ。多少壁に激突しようとも、血が流れようとも平気でございますゆえ」
「し、しかし……」
「イアンガード、あの子なにかあったのではなくて?」

 心配そうな国王と王妃にも、イアンガードは、いえいえと首をふり、にっこり。

「もとよりこの者は、そつがなさすぎるのです。多少はこうして面白い姿をさら──いえ、ほどよく感情をかき乱すようなことでも経験せねば、人間味が育ちませぬ。どうぞ、あたたかく見守ってやってくださいませ」

 そう恭しく述べる側妃は、明らかにこの珍事の理由を知っているのだろう。
 国王夫妻は、心配そうな顔を見合わせる。
 イアンガードの言葉もわからぬではないし、この側妃がとても信頼のおける人物であることもわかってはいるが……本当に、それでいいのだろうかという表情である。
 なぜならば彼女は今、自分の息子に、明らかに『面白い姿をさらさねば、』などと言いかけたのである。なんだか、生真面目な王子が弄ばれているような気配を察し、夫妻はまだ何か言いたげであったが。そこに侍医が到着したことでその議論は一時中断となった。



 侍医の手当てを受けながら。
 ひたすら無言のウルツは、表情もなく、考え続けていた。

 ……昨夜のショックが抜けきらない。

 頭に浮かぶのは、あの、ロアナを抱き留めた時、頬をかすっていった感触と、彼女の驚いたような顔。
 そして、動揺した自分をなだめてくれた、優しい声……。

 それらの映像と音声は、彼の中でエンドレスに流れ続け、止めようとしても止まってくれない。
 この現象は昨晩からずっとで。つまり、彼は昨日一睡もできなかった。

 昨夜、彼はロアナらと別れたあと、ロスウェルを問答無用で部屋に放り込んでから自室に戻った。
 面倒極まりない弟から解放されて、自分のテリトリーにたどり着くと、そこが彼の活動限界だった。
 とりあえず機械的に、侍従の世話を断り、寝室まで歩いたことは覚えているが……。
 一人になったとたん、頭によみがえったのは、つい先ほど起こってしまったアクシデント。どっと汗が噴き出した。
 つい今しがた、珍妙な魔法で身を冷やしたはずが、頭は顔面から耳の先までが真っ赤になり、体温も異常に高まった。

 もちろんそんな状態では、どんなに疲れていても、安らかに眠れようはずがない。
 なんとか濡れた服は着替えて、寝台にたどりついたが。そのあとも、この男は横たわることすら忘れ、動揺は収まらず。結局、そのまま夜を明かしてしまった。

 こんな有様であったのだから。その朝の彼がまったくふぬけた状態であったのは仕方のないこと。
 まだ、立ち直っていないのである。

 それでもさすが、王国一生真面目と謳われるだけはある。長年の習慣のたまものか、朝の支度や、朝稽古、父王らとの朝食の席には機械的に向かうことはできた。
 ただ……普段通りの顔を装ってはいても、実は動揺を引きずり続けている彼は、歩いていても目の前の壁や人物すらうっかり見損ねる始末。
 相手が人であれば、いかめしい顔で突っ込んでくる王子を驚きつつもよけてくれるのだが……これが無機物ともなるとそうもいかない。
 ウルツは何度も壁や柱、石像にぶつかり、足元に置いてある荷物につまずいて転倒した。
 幾度も転んでは、表情も変えずに起き上がり、歩き続け、さらにその先でまた柱で顔面を強打しているという……この有様には、当然まわりは困惑。

 誰もがおそれるほどに規律に厳しい男が、いつもに増していかめしい顔をしていつつも、そこらの子供でもぶつからぬような物に派手に激突し、わんぱくな小姓でも及ばぬほどに、こけまくる。
 それなのに、その転倒のことなど微塵も気にする様子はなく、もくもくと前進だけは続けるという奇妙さ。
 このようすには、いつもは彼を恐れて遠巻きにしている侍従や補佐官たちも戸惑わずにはいられない。
 幸いなことに、身体能力が高いせいかウルツに怪我はなかったが……。

 しかし朝食の席では、向かい側に座ったフォンジーの気まずそうな固い顔を見て、つい、その手に力がこもってしまった。割れたグラスは彼の手を傷つけ、鮮血が散った。
 とっさに思い出したのだ。昨晩から、ずっと彼の頭を占領し続けている娘とその弟が、実に仲がよさげであったことを。
 すると、複雑な羞恥と焦がれに満ちていた彼の精神に、さっと口惜しい感情が射しこまれる。──グラスはその瞬間に握りつぶしていた。


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