偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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二章

27 イグナーツの叫び

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「母上……」

 己の直ぐ後ろをついてくる母にヴォルデマーは眉間に皺を寄せて立ち止まった。

「一体何処まで着いて御出でになるのですか……?」

 険しいその視線の先には、アデリナとウラ、そしてそれに付き従う数人の人狼兵の姿がある。
 母が砦についてからというもの、夜間を除くほぼ全ての時間をヴォルデマーはこうしてアデリナとウラをつれていなければならなかった。そして必ずそこには実家の私兵が着いてくる。
 ある程度は耐え忍ぶ覚悟のヴォルデマーだが、アデリナの強硬な態度には早くも辟易気味である。あれから職務の間を縫って、何度も母の説得を試みたがまるで取り付く島が無いのである。

 そして今も、アデリナはつんと鼻先を上げ冷淡な顔を作る。

「あら情け無い。母が傍にいることがそんなに気になりますか? 精進が足りません。お鍛えなさい」

 その言葉にヴォルデマーが頭痛を耐えるような表情になった。

「そうではありません……私だけなら幾らでも耐えましょう。しかし此度は隊士達に影響があるのです。訓練に領主の夫人たる母上が御出でになれば、隊士達は何事かと身構えるでしょう」
「何を馬鹿な……訓練は遊びの為ではないのです。襲い来る脅威に立ち向かう為のものでしょう? 私が見ているくらいで調子を崩していてどうします」
「母上……本日の訓練は馬術です。しかも受けるのは見習い達です。ただでさえ集中力もまだ未熟な者達で、緊張すればそれは馬にも伝わります。どうか、ご遠慮を」

 そう言って丁寧に頭を下げる息子に、アデリナは疑いの眼差しを向ける。

「……そんな事を言って……お前この母を撒こうなどと考えていないでしょうね……女に会いに行くのは許しませんよ……」
「……母上。砦長たる私が、訓練を放り出してまで逢瀬に行くと……?」

 ヴォルデマーは厳しい顔つきで母に対峙した。アデリナも睨み返している。
 と、そこへウラが進み出た。

「アデリナ様、私が残ります」
「ウラ」
「私がアデリナ様の代わりにしっかりヴォルデマー様を見ていますわ」

 ウラはにっこりと不敵に笑う。

「私は足も速いですし、嗅覚も抜群ですわ。わたくしなら絶対にヴォルデマー様を逃がしません。ですからアデリナ様はお休みになられて下さい」
「……分りました、ではウラに任せることにします。ウラ、良く見張っていなさい。あの使用人が姿を見せても必ず追い払いなさい」
「かしこまりました、アデリナ様。未来の伴侶として、旦那様をしっかりお守りしますわ」
「……」

 アデリナはウラが念押しに頷いたのを確認すると、身を翻し颯爽と廊下を戻って行った。姿が消える直前に、息子を睨むのを忘れなかった。


「…………行かれ、ましたね……」
「……」

 夫人が去るとヴォルデマーの傍で息を潜めるように控えていたイグナーツがほっと肩から力を抜く。彼は昨日から夫人に良いように使い倒されていて、ヴォルデマー以上にゲッソリしている。ウラと兵はまだ其処にいるのだが、やはりアデリナの威圧感に比べると幾らかましだと顔に書いてあった。
 ヴォルデマーもやっとやれやれと息を吐く。

「あの、大丈夫ですかヴォルデマー様……」
「……ああ……」
「今のうちに……ミリヤムを連れてきましょうか……?」

 イグナーツはウラ達の方を気にしながら、声をひそめ、長の耳元でささやく。しかしヴォルデマーは首を振った。

「いや……下手に騙し討ちのような事をして後々あの者の立場が悪くなるようなことは避けたい。母は頭が私以上に硬いからな……卑怯な手を使われたと感じさせてしまうと、態度がより強固になってしまう。私は……あの者にきちんと当家の中に居場所を用意してやりたい」
「しかし……」

 イグナーツはヴォルデマーの静かな様子を案じた。自身でどう思っているのかは不明だが、イグナーツから見る砦長の様子は明らかに気落ちして気力を削がれている。
 昨夜の晩餐の前までは、ミリヤムから届けられる食事をとっていたヴォルデマーだが……昨夜の晩餐、そして今朝と、続けてそれは届かなかった。
 届けられなかった理由がアデリナである事はイグナーツにも何となく分ってはいるが、それはつまり、それを支えにしているヴォルデマーに影響があるという事である。二人の仲睦まじい食卓の様子を知るだけに……イグナーツは非常にはらはらしていた。空腹が、というよりも、精神面が心配だった。

「……本当に、本当に大丈夫なのですかヴォルデマー様……?」
「……」

 重ね重ね案じられて。ヴォルデマーは側近に薄く苦笑する。

「……そうだな……母にはああ言ったが……正直……今すぐ捕まえに行きたい」

 どこか遠くを見るような、何かを探すような金の目に、イグナーツが泣きそうである。

「ヴォ、ヴォルデマー様……」
「……」

 側近の様子にヴォルデマーもため息をつく。
 本当はずっと、何故彼女が顔を見せなくなったのか、そればかりが気になっている。
 苦しいほどに逢いたいし、職務も放り出したいくらいだった。
 しかし、それを押し留めているのは、やはり先程彼が口にした点だ。己の生まれ育った家に、ミリヤムを正式な形で迎え入れること。
 それが叶わなかった時、様々なものを捨てる覚悟は彼の中に既にある。しかしそうするのは、まず、より良い状態で事が進むように挑んだ後だとヴォルデマーは考えていた。
 だから今、彼は耐えている。少なくともミリヤムが自ら顔を見せるまでは、母に二人の仲を反対させる口実をこれ以上作らぬように。
 しかし、とヴォルデマーは漏らす。

「……恐ろしいな」
「恐ろ、しい?」

 首を傾げるイグナーツにヴォルデマーは呟く。

「自分が、恐ろしい。……こんなに抑圧されていると感じたのは初めてだ」

 戦場も、盗賊らとの死闘も潜り抜けた。何ヶ月と続く戦も経験したことがある。それなのに、今はある意味それ以上の苦しさを感じていた。たった数日会えないだけで、その心が窺い知れないというだけで、その忍耐が擦り切れそうな自分をヴォルデマーは笑った。
 
「……今、ミリヤムに会ってしまったら……滅茶苦茶にしてしまいそうだ」
「……っ!? ヴォっ……」
「……冗談だ」

 一瞬ギョッとしたように目を剥いた側近に、ヴォルデマーは再び苦笑を漏らす。
 しかしその笑みを見たイグナーツは余計に恐れおののいた。心配性の白豹は、毛皮の下の顔色を青くする。

(じょ、冗談……? 今のあれは本当に冗談か……? い、や……あ、あの目……あの目はやばい……ミ、ミリヤムやばいぞ……)

 イグナーツは狼狽して右往左往した。長の為にはミリヤムに会わせてやりたい。しかし長の様子を見ると今は物凄くまずいような気もする。

「ミ、ミリヤムは大丈夫なのか!? お、俺はどうしたらいいんだ!? く、ミリヤムの阿呆め!!!」 

 イグナーツは頭を抱えて呻くしかなかった。その、最早顰められてもいない叫びに、ウラと人狼兵が奇妙なものを見る目で彼を見ている。
 その側近に、ヴォルデマーは冷静に「行くぞイグナーツ」と、声を掛けるのだった……






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