偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

文字の大きさ
29 / 94
二章

19 覇気のない文字

しおりを挟む
 
 その日の夜、ミリヤムはヴォルデマーとの食事を辞退した。

 その報せを執務室で受けたヴォルデマーは、一瞬落胆したように耳の先を倒したが。伝言を寄越したカーヤが、彼女がとても疲れているようだ、と言葉を添えた事から、ヴォルデマーは案じながらもそれを承諾する。
 最近色々な事があって、彼女も気苦労が耐えないのだろう、と。
 そんなヴォルデマーに、カーヤは言付けと共に食事の膳を運び込んで来て、そこには「申し訳ありません」と一言だけ書かれた紙が添えられていた。そこに名は無かったが、それが誰の字なのかは明らかだった。
 
「……」

 カーヤが退室した後、一人になったヴォルデマーは一抹の寂しさを覚えてその紙を手に取った。

「……いかんな……」

 ヴォルデマーは、苦笑した。ミリヤムと出会うまでは、一人の食事を寂しいと感じたことはなかった。以前なら、ただの補給と位置づけられた食事は、彼の部屋へ持ち込まれるとすぐに脇に除けられて。いつ手がつけられるのかも分らぬままに、サイドテーブルの上で干からびていくのもしばしばだった。
 しかし今や、彼女と囲める一食の機会が失われただけで、こんなにも落胆する自分がいる。それが可笑しくて、何故か幸せだった。
 ヴォルデマーはやれやれと、彼女が用意してくれただろう食事の膳に目をやる。
 さして食欲がある訳でもなかったが、ミリヤムの手紙が添えられていた以上、それは食さない訳にはいかなかない。「ご飯様になんという仕打ち……」「我等が豚帝王(フーゴ)様の尊いお働きの結晶が……」と、眉間に皺をよせる娘の姿が思い出されて、ヴォルデマーはもう一度笑った。
 ヴォルデマーは食事に手を伸ばす。
 お互い忙しいとは言え、ミリヤムは容態が落ち着いてからは、再び隣の部屋を使うようになっていた。いつでも会うことが出来る。夜になれば彼女は帰ってくるだろうし、明日の朝になればいつも通り朝食を共に囲めるだろう。
 そう、思っていた。


 その期待が裏切られる事になると彼が知るのは、明くる日の事だった。
 ヴォルデマーの予想とは裏腹に、ミリヤムの食事の辞退は翌日の朝、昼と繰り返される事となる。
 三度目の伝言を困り顔のイグナーツが伝えに来た時、ヴォルデマーは流石におかしいと眉間に皺を寄せた。昨夜もヴォルデマーは一晩中部屋で仕事に取り組んでいたが、隣の部屋にミリヤムが戻って来た気配は一度も感じられなかった。彼はその事だけでも気を揉んでいたのだが……
 運び込まれた膳に添えられた短い手紙の文字も、どこか覇気が無い気がして。
 ヴォルデマーはそれを目にした瞬間、矢も盾もたまらずに、無言で執務机の上に読みかけの書類を放り出した。それを傍で見ていたイグナーツも、長の耳がすっかり倒れきっているのを見て、流石に行くなとは言えなかった。

 足早に部屋を出たヴォルデマーが向かったのは、使用人達の食堂だ。使用人の規則に煩いミリヤムが、一人で食事をとるならばそれはきっとこの場所であるはずだった。

「あら……」

 ヴォルデマーが其処へ訪れると、足を負傷したサラが椅子に腰掛けて繕い物をしていた。皆早々に食事をしていったのか、他には誰の姿も無い。勿論、そこにはミリヤムの姿もない。
 それを確認したヴォルデマーは、直ちにその場を後にしようとしたが、その後姿にサラが言葉を放る。

「ミリーちゃんなら、ちゃんとご飯は食べてましたよ……」

 静かな食堂に響く、その少ししわがれた声にヴォルデマーは足を止め、尖った耳だけを僅かに其方へ向ける。

「……」
「食欲は無かったようだけど……カーヤに叱られながらなんとか。でも働く気力だけは衰えないの。あの子は本当に傑物ね……」

 サラは繕い物に目をやったまま、ふふふ、と笑った。

「……そうですか……」

 呟くように応じたヴォルデマーに、サラはちらりと視線を寄越す。彼女の目にも、ヴォルデマーが沈んでいるのはよく分った。

「余計なことかもしれないけれど……今はそっとしておいた方が良いんじゃないかしら……」

 サラの言葉を聞いて、ヴォルデマーは静かに老女に向き直る。

「……何か、ご存知なのですか?」

 自分を含める様々な問題で、ミリヤムが頭を悩ませているのは勿論ヴォルデマーも重々承知だ。
 しかし、昨日の昼に顔を合わせた時は、彼女はそれでも楽しそうにしていたのだ。
 真正面に座ると視線が気になるというので、真横に座ったヴォルデマーがその横顔を見つめながら食事をとると、「料理を見ろ」と赤い顔で怒られた。
 だが、ヴォルデマーが請うと、顔汗を搔きながらも自分の話をしてくれて。チーズが好きなのは、昔祭りで振舞われたのが切っ掛けだとか、自分で作るならパンを焼くのが好きだとか、そんな他愛の無い話を恥ずかしそうにしてくれた。
 ヴォルデマーは、その表情から、少しずつ素直な感情が零れ出すようになったことが心から嬉しかったのだか……
 
 サラは首を振る。

「いいえ、私は何も」
「……」
「……もしかして貴方とのことで何か思い悩んでいるのかとも思ったんだけど……それだけでは無さそうね、まるで天地が引っくり返ったような血相で……」
「天地が……?」

 その言葉にヴォルデマーの頭には、彼女の主、フロリアン・リヒターの顔が思い浮かぶ。ミリヤムを長きに渡って照らした“天”と言われれば、その人物の他にない。ヴォルデマーは心に広がる焦燥に目を細めた。

「……」
「何があったかは分らないけど……支えが欲しいなら、あの子はきっとそう言うと思うの。でも、昨日今日と、あの子は貴方に会う事を避けた。つまり……」
「……私には、会いたく無いと……?」

 一瞬、表情に苦さを走らせた男の顔に、サラはあらあらと笑う。

「急いて早合点しては駄目ですよ。私が言いたいのは、今はその時ではないと言う事です。誰だってかまわれたくない時や、独りで考えたい事があるものよ。あの子は天地が引っくり返ったような悩みに苛まれても、貴方に食事を用意し、届けさせた。貴方を忘れず、放ってはおかなかった。それがあの子の気持ちだと思うわ」
「…………ええ、」

 そうですね、と呟きながら握り締められる拳に、サラは微笑ましそうな表情を浮かべた。

「心配なのは分るけど、多分、ミリーちゃんは今、甘やかされたくないんだと思うの。女は感情の生き物ですよ。大切ならば女心に寄り添ってあげなければ……その潮目を読みお間違えになりませんように」

 老女の目は優しく、穏やかで、その身に刻んだ時の深みを思わせた。宥められたヴォルデマーはため息を落す。感情の乱れを均すような、そのため息のやるせなさに、サラはくすりと笑った。

「まあまあ……隊長様、そんなに余裕が無いなんて随分貴方らしくない。そんな事ではあの美しい青年にミリーちゃんを連れて行かれちゃいますよ。うふふ……本当にあの子は傑物だわあ」
「…………」

 転じて愉快そうに笑い始めた老女に、ヴォルデマーは押し黙る。だが、サラは軽やかに笑うのだった。

「心配しなくても、女には、必ず甘えたい時もあるものよ」

 


しおりを挟む
感想 152

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。