141 / 195
140 メントライン家の兄妹喧嘩
「……悪かったな……ヘルムート……」
「あ……いえ……フリード様のご心配も当然のことかと……」
ハンナバルト家の馬車の中に、微妙な空気が漂っている。
謝ったはずの男の顔には不満がダダ漏れだし、謝られたほうの青年も少々当惑気味。
その原因は、彼が心配そうに見つめる──大男の横に、何やら不穏な空気をただよわせて鎮座する娘のせいだった。
大男こと、フリードは、他家の馬車の中であるにも関わらず、座席の中央で腕を組んでふんぞりかえっているのだが……。
その頬を、不穏な娘こと、グステルが、微笑みながら思い切りつねり上げているのである。
人差し指と親指で、ほとんどつまむところのなさそうな兄のシャープな頬を、ぐいっと無理やりはさんで引っ張って。彼女は薄寒い笑顔でいった。
「……お兄様? もっとちゃんと謝って」
つい先ほどの路地裏でのこと。兄はいきなりやってきたかと思ったら、闘牛かと見紛うほどの勢いでヘルムートに詰め寄った。そして有無をいわさず彼からグステルをひっぺがして大騒ぎ。
『俺様のかわいい妹に触れるな!』だの、『き、き、貴様っ! まさか……こんな場所で不埒なことを⁉︎ 純情(?)な妹になんということを……⁉︎ 許さん!』……などと。
絶妙に恥ずかしいことを兄に散々喚かれたグステルは──げっそり。
ヘルムートと再会を喜ぶ暇もない。まさに、野獣の暴れる流血騒動一歩手前、だったのである。
その事態に、もちろん二人は慌てて兄に事情を話したが、それに兄がなんとか耳を貸してくれた頃にはもう、その大声は近隣に響き渡りつくしていた。
狭い路地裏には野次馬が大勢集まってきてしまい……。
幸いなことに、この騒ぎは王国兵らの耳には入らなかったようだが、ヘルムートは、集まった町民たちに危うく犯罪者扱いされかけて、それでグステルは今怒っているのである。
沸々としたものが底に感じられる鋭い眼差しで、妹は兄をたしなめる。
「……お兄様……腕組みはおやめなさい。顎を上げて威圧するのもいけません。そんな謝罪の仕方がありますか」
グステルが厳しい口調でいうと、フリードは、『お前のせいだ』といわんばかりの顔でヘルムートを睨む。そして、また妹に怒られる……という、キリのないループ。
まったくこれではどちらが兄だか姉だかわからないが、兄は兄で頑固者なので、これがなかなか収まらない。
フリードからしてみると、誤解だとは説明されようとも、そこにいる男が彼に無断で妹を抱きしめていたのは事実であって、本当は何一つ謝りたくないのである。
しかし、可愛い妹に「……お兄様」と、目を細めて睨めつけられればいつまでも意地を張っているのも分が悪い。
いくら腹を立てようとも、妹には嫌われたくない。フリードは、やっと投げやりに吐き捨てた。
「ぅおのれぇ……グステル、貴様卑怯だぞ! 兄の愛を笠に足元を見おって! くっっっ、悪かったっっっ!」
「…………お兄様……誠意をどこに置いてきましたか……」
今すぐ拾ってこいと、怒りの滲む笑顔で馬車の扉を開けようとするグステル、を、ヘルムートが止める。
「グステル様、もうそろそろ……私ならば大丈夫ですし、兄上様もあなたを心配なさってのことです。こうして無事再会できたことですし、それでよしとしませんか……?」
青年はそういって。もし、今、彼の家の者たちが見たら仰天するような柔らかな微笑みをグステルに向けた。
彼の青紫の瞳は、言葉通り含みもなく落ち着いていて優しい。
スッと伸びてきた指がグステルの頬にかかった髪をそっと指でよけていき、うながすように微笑まれると彼女も弱かった。
本当は、兄に襟元をつかまれたうえ怒鳴られて、さらに町民たちにも白い目で見られていた彼の姿を思い出すととても心が痛んだが。自分のためにその被害にあった彼自身にこうして諭されると、彼女も申し訳なくて怒っていられなかった。
グステルは、どうあっても高慢な態度を崩さない兄にまだまだ不服そうではあったが、しぶしぶ頷いた。
「…………ヘルムート様がそうおっしゃるのなら……」
そういって兄の頬と扉から手を離した娘を見て、ヘルムートはホッとする。
彼としては、同じ女性を心配していた者として、フリードにはとても気を遣っている。
それに、公爵家の跡取りたる彼女の兄が、グステルにとって強力な守護者であることは確かで。できれば、あまり兄妹喧嘩をしてほしくなかった。(※おそらく、無理)
──が。
青年のそんな気遣いも知らず……こんなわずかな二人のやりとりにすら苛立つのが、フリードという男。
(な──なんだその従順さは⁉︎)
(グステルよ……まさか……唯一の兄である俺様より、そいつが大事なのか⁉︎)
そんなバカな! と、フリードは愕然。
彼の可愛い妹は、少し気まずそうに顔を伏せつつも、頬を赤らめて青年を上目遣いに見ている。そこに覗く、照れと、明らかなる情。
そして、その視線を向けられている青年も、幸福そうに妹に微笑みかけているとあって──……。
この瞬間、フリードは、途方もない疎外感を感じた。
そして思い切り、妹の視線を独占している男をひがんだ。
自分には冷たい妹が、青年の言葉には素直に従うのが非常に納得がいかない。
けれども、あれだけ騒いでおいて、この上ここでこれ以上の文句をいってしまっては、本気で妹に嫌われるかもしれない。
フリードは死ぬほど悔しかったが、歯噛みしながら嫉妬を堪える。
……どうやら天のありがたき采配によって、この高慢な兄も、この歳になって初めて我慢を覚えはじめているようである。
「っええい、それで⁉︎ この馬車は今どこへ向かっている⁉︎」
見つめ合う二人に、悔し紛れに割り込むように荒々しく問うと。グステルの呆れ顔がやっと彼に戻ってくる。
「……お兄様……ですから、出立前に説明しましたよ? まずは街の宿屋に参りますと。メントライン家の町屋敷には、例のお嬢さんがいるので、私は滞在できないでしょう?」
“例のお嬢さん”とは、つまり偽物の“グステル・メントライン”のこと。
いくら長旅で疲れ切っているとはいえ、彼女や叔母のいる邸にグステルたちがいきなり乗り込むのは無謀な話。
ならば、滞在先の選択肢は限られる。
が、その言葉には、兄が再びムッとする。
「お前が遠慮する道理がどこにある! あそこはお前の家でもあるのだぞ!」
「いえ、遠慮がどうという問題ではですね……」
憤る兄に、グステルは違うと手のひらを持ち上げる。
兄としては、正統なる者が不当な扱いを受けているようで腹が立つのだろう。その気持ちはきっと彼女を思ってのことで、有り難くはあるのだが……。
現状のグステルには、今から邸に乗り込んで、偽物たちとやりあう元気などあろうはずもない……。
長旅疲れに、兄のお守り。そして王太子や、真の悪役令嬢らしき精神との邂逅と……早い話、疲れ切っているのである。
どう考えても、まずは落ち着ける場所で体制を整えるほうが先である。
グステルはそれを兄に説明しようとする、が。
ここで、二人の話を聞いていたヘルムートが首を横に振った。
「いえ、グステル様。残念ですが、宿屋もやめたほうがよろしいかと」
「え……?」
神妙な顔で指摘されて、グステルはハッとした。
先ほどの城壁門前での騒動で、彼女は現在王国兵に追われる身。
「……王太子が関わる問題ですから、兵らもそう簡単には諦めません。宿屋街にも手が回っている可能性があります」
「あ……そ、そうでした……」
これにはグステルも、消沈する。
「も、申し訳ありません……私のせいで……」
考えてみれば、厄介な問題を引き起こしてしまったものである。
グステルは肩を落として、どうしたらいいだろうと不安げに考え込む。だが、そんな彼女の手をヘルムートがそっと握った。
「大丈夫です。私に、お任せください」
「?」
落ち着いた様子で請け負う青年に、グステルは不思議そうに瞬く。
……そんな二人を、フリードが悪鬼の形相で睨んでいた……。
あなたにおすすめの小説
転生したら乙女ゲームの主人公の友達になったんですが、なぜか私がモテてるんですが?
山下小枝子
恋愛
田舎に住むごく普通のアラサー社畜の私は車で帰宅中に、
飛び出してきた猫かたぬきを避けようとしてトラックにぶつかりお陀仏したらしく、
気付くと、最近ハマっていた乙女ゲームの世界の『主人公の友達』に転生していたんだけど、
まぁ、友達でも二次元女子高生になれたし、
推しキャラやイケメンキャラやイケオジも見れるし!楽しく過ごそう!と、
思ってたらなぜか主人公を押し退け、
攻略対象キャラからモテまくる事態に・・・・
ちょ、え、これどうしたらいいの!!!嬉しいけど!!!
目覚めたら大好きなアニメの悪役令嬢でしたが、嫌われないようにしただけなのに全員から溺愛されています
月影みるく
恋愛
目を覚ましたら、大好きだったアニメの世界。
しかも私は、未来で断罪される運命の悪役令嬢になっていた。
破滅を回避するために決めたことはただ一つ――
嫌われないように生きること。
原作知識を頼りに穏やかに過ごしていたはずなのに、
なぜか王族や騎士、同年代の男女から次々と好意を向けられ、
気づけば全員から溺愛される状況に……?
世界に一人しかいない光属性を持つ悪役令嬢が、
無自覚のまま運命と恋を変えていく、
溺愛必至の異世界転生ラブファンタジー。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
毒状態の悪役令嬢は内緒の王太子に優しく治療(キス)されてます
娯遊戯空現
恋愛
ハイタッド公爵家の令嬢・セラフィン=ハイタッドは悪人だった……。
第二王子・アエルバートの婚約者の座を手に入れたセラフィンはゆくゆくは王妃となり国を牛耳るつもりでいた。しかし伯爵令嬢・ブレアナ=シュレイムの登場により、事態は一変する。
アエルバートがブレアナを気に入ってしまい、それに焦ったセラフィンが二人の仲を妨害した。
そんな折、セラフィンは自分が転生者であることとここが乙女ゲーム『治癒能力者(ヒーラー)の選ぶ未来』の世界であることを思い出す。
自分の行く末が破滅であることに気付くもすで事態は動き出した後で、婚約破棄&処刑を言い渡される。
処刑時に逃げようとしたセラフィンは命は助かったものの毒に冒されてしまった。
そこに謎の美形男性が現れ、いきなり唇を奪われて……。
幼馴染みが描いた悪役令嬢ものの世界に「メイド」として転生したので、6年後の断罪イベントをどうにか回避したい
ゆずまめ鯉
恋愛
通勤途中、猫好きではないのに轢かれそうな黒猫をうっかり助けてしまい、死んでしまった主人公──水縞あいり(26)
鳥の囀りで目を覚ますとそこは天国……ではなく知らない天井だった。
狭い個室にはメイド服がかかっている。
とりあえず着替えて備えつけの鏡を見ると、そこには十代前半くらいの子どもの姿があった。
「この顔……どこか見覚えが……」
幼馴染みで漫画家、ミツルギサイチ(御剣才知)が描く、人気漫画「悪役令嬢が断罪されるまで」の登場人物だということに気がつく。
名前はミレア・ホルダー(本名はミレア・ウィン・ティルベリー)
没落貴族の令嬢で、現在、仕えているフランドル侯爵によって領地と洋館を奪われ、復讐のために、フランドル侯爵の長女イザベラが悪役令嬢になるのを止めず、むしろ後押しして見事断罪されてしまうキャラだった。
原作は未完だが、相談を受けていたのでどういう結末を迎えるのか知っている。
「二期アニメもまだ見てないし、どうせ転生するなら村人Aとかヒロインの母親がよかった……!!」
幼馴染みの描く世界に転生してしまった水縞あいり=ミレアが、フランドル侯爵家で断罪回避するべく、イザベラをどうにかお淑やかな女性になるように導いている途中。
病弱で原作だと生死不明になる、イザベラの腹違いの兄エミールに、協力してもらっているうちに求愛されていることに気づいてしまい──。
エミール・ディ・フランドル(20)×ミレア・ウィン・ティルベリー(18)
全30話の予定で現在、執筆中です。2月下旬に完結予定です。
タイトルや内容が変更になる場合もあります。ご了承ください。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
悪役令嬢になったようなので、婚約者の為に身を引きます!!!
夕香里
恋愛
王子に婚約破棄され牢屋行き。
挙句の果てには獄中死になることを思い出した悪役令嬢のアタナシアは、家族と王子のために自分の心に蓋をして身を引くことにした。
だが、アタナシアに甦った記憶と少しずつ違う部分が出始めて……?
酷い結末を迎えるくらいなら自分から身を引こうと決めたアタナシアと王子の話。
※小説家になろうでも投稿しています
乙女ゲームのモブに転生していると断罪イベント当日に自覚した者ですが、ようやく再会できた初恋の男の子が悪役令嬢に攻略され済みなんてあんまりだ
弥生 真由
恋愛
『貴女との婚約は今夜を持って破棄させて貰おう!』
学園卒業祝いの夜会の場に、凛と響いた王太子殿下の一声。
その瞬間、私は全てを思い出した。
私が前世ではただの手芸とゲームが好きなインドア派女子大生だったこと。そして、ゲーム世界に転生して尚も趣味は変わらず、ライバルキャラですらないモブになってしまっていたことを。
幼い頃に一度出会ったきりの初恋の彼と学園で再会出来たらなぁ、なんて淡い期待を抱いて通っていたのに、道理で卒業式までなんにも起きなかったわけだ。
ーーなんて、ひとり納得していたら。
何故だが私が悪役令嬢の断罪イベントの目撃者として名指しされ、一気に渦中の人物に!?
更に、王太子以外の男性陣は皆様悪役令嬢に骨抜き。なので自然と私には、彼女の潔白に繋がる証言が求められる。
しかしながら、私は肝心の事件の日の記憶が訳あって曖昧だったので、致し方なく記憶を呼び覚ます治療を受けさせられる羽目に。
タイムリミットは1年間。
その1年間の私への護衛につけられたのは、悪役令嬢に心奪われた初恋の彼でした。