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143 痛感
しおりを挟むしかし次の瞬間、扉の向こうに、べしぃっ! と大きな音が響き渡る。
鈍くて、痛そうな音であった。
「⁉」
「ちょっと! アンタ落ち着きなさいよ!」
続けて轟いたのは、覚えのある喚き声。唖然としていると、グステルの前には、戸板がぐっと押し戻されてきた。
「病人がいる部屋の前でそんなにオロオロされたら迷惑なのよ!」
——と、病人のいる部屋の前で躊躇なく怒鳴った娘は、もちろんイザベル嬢である。
グステルが心配で、ずっと廊下をウロウロしていたヘルムートと同じく。友が心配すぎて暗い廊下をイライラしながら徘徊していた令嬢が、この事態に気が付いて駆けつけた瞬間であった。
イザベルは、焦って扉を開けようとしていた青年の頭に、思い切り手のひらを叩きつけた。
いきなりぶたれた男は正直痛くもかゆくもなかったが……思わぬところからの衝撃に、つい手が止まる。
その隙に、イザベルが戸に身をあてるようにして脱衣室の入り口を閉めた。
開きかけた扉がしっかり閉じられたのを見たグステルは、大きく息を吐いて安堵。驚きすぎて、まだ動悸が鳴りやまない。
「そもそもいきなり開けるなんてマナー違反よ! ここをどこだと思ってるの⁉ 浴室よ!」
令嬢は思い切りあごを上げて青年を睨む。それはまったく令嬢らしからぬ振る舞いではあったが、彼女にいわせれば、無礼者には遠慮は無用。
そして子爵家の娘に思い切りどつかれた令息は、オロオロしすぎていていて彼女の乱暴を咎めている暇はなさそうだった。
「し、しかし、今中から大きな声が……もしかしたらまたステラに何かあったのでは!?」
そう主張するヘルムートの顔は真っ青。
そもそも彼はこの日、グステルの到着前から彼女をずっと心配している。
王国兵に追われていると聞いてひどく驚いたし、やっと再会が叶ったと思ったら、今度は自分が不用意にユキらと彼女を引き合わせたことが引き金となり、グステルは貧血でダウン。
もちろん貧血は彼のせいではないが、ヘルムートとしては配慮が足りなかったと悔いているわけである。
グステルが倒れた時の真っ白な顔色を思い出すと、ヘルムートは死にそうな気分になった。
「や、やはり医者を……」
と、冷や汗を滴らせながら、もう一度よろよろと扉に手を伸ばそうとする青年に。イザベルは、厳しい。
「うるさい! あんたはそこで指をくわえて待ってなさい! 私が見てくるったら! ほら! さっさとあっちへいって! 邪魔よ!」
イザベルは、扉の前を占領していた男を押しのけて廊下の隅へ追いやった。
青年の身体は令嬢よりもかなり立派だが、彼女の横柄さを使えば、グステルへの心痛で弱っている男など楽にあしらうことができた。自己中心的な彼女には、同じ娘を心配する男への慈悲などない。
「!?」
そうして再び開いた扉に、グステルはつい、びくりと身構える。
だが、今度は先ほどとは違い、戸はゆっくり慎重に開けられて。細く開けられた扉の隙間にひょっこりのぞいたのは、イザベルのしかめっ面。
令嬢は室内をのぞくなり、さらに眉間にしわを深める。
扉の前には、半裸でへたりこみ、ぽかんと自分を見上げているグステル。
その顔色が、思ったよりもずいぶんいいのを見て、イザベルは「まったく……!」と毒々しく吐き捨てた。
「あんた、なんでそんな恰好で冷たい床に座り込んでるの⁉ 早くきれいにしてもらいなさいよ! しっし!」
イザベルはまるで猫を追い払うようにいって。それから婦人たちに命じる。
「もうしっかり目が覚めたみたいだし、どうせなら湯につっこんで身体を温めさせて! ……まったく、本当に世話が焼ける針子ね!」
吐き捨てると、イザベルは不機嫌そうに頭を引っ込め、扉をバンッと荒々しく閉じていった。
──途端、再び廊下から聞こえてくる口論。
「っどうでしたか⁉ ステラは無事ですか⁉ いったい何があったのですか⁉ 医師は必要ですか⁉」
「あんた……もし今中に入ってたら、張り倒してたわよ……!」
「ですから! ステラは!?」
「ちょ……あ、あんた必死すぎて怖いんだけど!」
……そのやりとりを。部屋のなかで聞きながら、グステルは一気に脱力。
胸の中では心臓が、まだ激しく暴れている。
「び、びっくりした……」
ああいうハプニングは物語ではありがちかもしれないが、こうして実際にそのピンチにみまわれると、非常に慌てる。
なんだか顔はやけ暑いし、動悸は激しいし。グステルは、こんな自分に驚いた。
精神年齢還暦過ぎを自負する自分が、このくらいのことでこんなに動揺するなんて、思ってもみなかったのである。
グステルは、自分がヘルムートにひたすら弱くなっていることを痛感。
なんだかそれがとても恥ずかしかった。
「イ、イザベル様ありがとう……こ、恋って怖い……」
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