ドラゴン坊ちゃんのかわいいメイドさん

あきのみどり

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ドラゴン坊ちゃんのかわいいメイドさん

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 令息シトリン・レイモンド・グランドランドは、ある日ドラゴンになった。

 いつも通りの平穏な──いや、気だるい普通の朝のことである。
 朝起きたら寝台の上にまるまっていただけのはずの身体が真っ白。背には大きな羽があって、振り返って背中をのぞくと、下のほうにトカゲのような尾あった。

「………………」

 そんな自分に。寝ぼけ眼のシトリンは無言。
 ひとまず彼は軽くしっぽをふってみた。
 長い尾は、ふると鱗が朝日を浴びて虹色に光る。ふり心地も悪くない。

(……おもしろい……)

 生来、低空飛行気味で生きている青年は、まずはそう思った。
 シトリンは現在十八歳だが、何事にも無感動な性質たち
 真面目な兄などからは、『おまえはいつも眠そうだな……』なんて呆れられたりする。
 そんな彼ゆえに、まだ寝起きであることも手伝って、この驚くべき自身の変貌にも、特に動揺はなかったようである。
 ただ、この世界には魔法使いもいて、変身魔法も存在する。魔法使いになるには金がかかるから、巷にあふれているわけではないが、どこだかには、女神も魔王だって実在するという。
 まあ、それにくらべればドラゴンなんて……と、シトリンが思ったかどうかは不明だが、それよりも。
 シトリンは新しい自分の姿に興味深々。
 彼は慣れぬ身体でのそのそと寝台から降りた。
 ミシミシ悲鳴をあげる寝台を見て、シトリンは生まれてはじめて自分が貴族の生まれでよかったと思った。
 こんな幾人も眠れそうな寝床は無駄だなぁと思っていたが、こんな巨体になってしまった今ではありがたい。
 これが庶民サイズの寝台などであったら、きっと彼の重みに耐えられず速攻でつぶれてしまったに違いない。
 寝台を破壊することなく無事に床におりることができた彼は、鏡の前で長い首を傾けたり、羽を広げてみたり、くるりとまわってみたり……。まあ、のんきなのである。

(僕、ホワイトドラゴンなんだな……、……髪が白かったから?)

 しかしこうしてよくよく見ると、全身が鱗でおおわれているわけではなさそうだ。
 ウロコがあるのは主に頭から首、そして尾。
 胸元から四肢にかけては羽毛なのか、なんだかもふもふしている。
 形状はトカゲだが、パーツそれぞれを見るとどちらかというと鳥のような姿。
 のんきなシトリンは、ふーん、あんがい可愛いかもしれない、なぁんてことをやっていた、そのときのことだった。

「ぎゃああああ!?」

 突然私室に大きな悲鳴。おや? と思って長い首をそちらへ向けると、寝室の戸口に見慣れたメイド。
 ドラゴン姿のシトリンが、鏡の前でくるくるしていたのがそんなに衝撃だったか。若いその娘は、持ってきたものをすべて床に落とし、驚きすぎて腰が抜けたのか扉にすがりつくような形で、彼を凝視していた。

『ベリル、おはよう』

 しかしマイペースなシトリンは、彼女にいつも通りに呼び掛ける。と、まるで幽霊にでも遭遇したかのように蒼白になっていた彼女の瞳が、あらんかぎりに見開かれた。青りんごのような色の瞳が、今にも床に転がり落ちてしまいそうで。シトリンはいたずらが成功したときのように愉快な気持ち。
 と、ベリルが叫ぶ。

「ぼ、坊ちゃま⁉」

 ベリルの様子にシトリンは、心のなかで(さすが)と、嬉しい。
 彼女とは小さな頃からの付き合い。ドラゴンの姿で話しかけても、ベリルは声をすぐに聴き分けた。
 顔を青くした娘はそれが主だと知ると、すぐさま彼のほうにはいよってきて。人の姿の時よりは一回りも二回りもおおきくなった彼の周りでおろおろしはじめる。

「ど、ど、ど……どうなさったんですかこのお姿は!」

 そこでシトリンは、素直に朝起きたらこの有様だったことを伝える。
 するとベリルは泣きそうな顔で当事者である彼の何倍も慌てる。

「そ、そんな……ど、どうしたら……」

 今にも気絶してしまいそうなほどに慌てた彼女がかわいそうになって。シトリンは、いつものように彼女を慰めようと、彼女の亜麻色の髪に手を伸ばす。しかし、自分の大きな手が視界に入って気がついた。
 そういえば、いつもと手が違うのである。
 ドラゴン青年は、これは困ったと思った。
 もふもふしているとはいえ、この手は硬そうだ。鋭い爪を備えた手で彼女に触れてしまっては、ベリルを傷つけてしまうかもしれない。

『えーと……』

 彼はそこで仕方なしに彼女のきっちり結われた髪に、そっと自分の白い額を寄せた。

『大丈夫だから、落ち着いて』

 言いながら、すりすりとなだめるように彼女に顔をすりつけると、ベリルは目をまるくして黙り込む。
 しかし落ち着いたのかといえば、そうでもなかったようで。
 身を固くした彼女は、瞳を見開いて彼を凝視していた。

「ぼ、坊ちゃま……あ、あの……」

 凝視されたシトリンは、(あ、怖かったのだろうか)と思って、スッと彼女から身を離す。
 心なしか、彼女の頬が赤かったが、ベリルは冷静で物静かな彼とは違って、彼の周りでいつでも走り回り、顔を真っ赤にして一生懸命仕事をするような娘だったので、彼はあまり気にとめなかった。
 代わりに、ひとまず落ち着くように彼女に告げようと大きな口を開く、と。
 同時に、コンコンと、軽い音が私室に響く。途端、耳のいいベリルがビクッと身を跳ねさせる。
 どうやら音は私室の出入り口のほうから聞こえるノック音。
 途端、ベリルが主を悲壮な顔で見る。

「坊ちゃま! あ、あのノックの仕方はローランさんです! 大変だっ……このお姿が見つかってしまいます!」

 ローランとは、この家の厳格な執事で、使用人たちにはとても厳しい。どうやらベリルの悲鳴を聞いて駆けつけてきたようであった。
 ドラゴン姿のままのシトリンは、レモン色の瞳を輝かせて感嘆。

『すごいベリル、よく聞き分けられるね』

 彼は素直な感動を口にしただけだが、ベリルは大慌てである。

「そ、そんなことおっしゃっている場合ですか⁉ ローランさんが坊ちゃんのこのお姿を見たら卒倒しちゃいますよ⁉」

 屋敷の平安を守るローランは非常に物事の変化に神経質である。きっと、主の息子がドラゴンになってしまったなんてことをしったら、大騒ぎするに違いない、とベリル。

「た、大変だ!」
『ベリル?』

 慌てたメイドは、なぜだかシトリンの寝台のほうに駆けていき、そこからためらいなくリネンをひっぺがしはじめる。

『え……何してるのベリル……』

 ベッドスローや、まさかの天蓋用のカーテンまでを取り外し。自分のほうへ掛布団やシーツと共に、ひぃひぃ言いながらひきずってくる娘に。シトリンは、キョトン。いったい何がはじまるのだろうかと見守っていると、そんな彼の頭に、ベリルはそれらを豪快にぶちまけた。

『……、……、……ベリル?』

 バサバサと折り重なるように自分のうえにかぶせられるリネンたちにポカンとしていると。その外側から、泣きそうなベリルの声。

「し! じっとしてください坊ちゃま!」

 ……どうやら、ベリルは、やってきたローランに彼が見つからぬよう隠してくれるつもりらしい。

『……えーと……』

 どうしようとシトリン。
 あの目ざといローランが、令息の寝室にいきなりこんなリネンの山ができていたら間違いなくつっこんでくるとおもうのだが……。
 しかも、彼がチラリと視線を落とすと、彼の長いしっぽは布団やリネンからはみ出している。

『………………』

 あれはいいのだろうか、と、思ったが。
 しっぽを中に入れようと身動きすると、ベリルが震える小声で「ぼっちゃまじっとしてください!」と、こうくる。

(……困ったな……)

 だが、ベリルはあまりにも必死。
 おそらく外側から見たら小山のようになっているだろう彼のドラゴン体を、リネン越しに守るように抱きしめて。

「安心してくださいね! ぜったいに……ぜったいにわたくしめがお守りいたします!」

 リネン越しにもその身の震えるような緊張が伝わってきて、シトリンはなんとも言えない複雑な気持ち。
 普段からベリルは忠義だが、身体が小さいこともあってあまり頼りがいがあるとはいいがたい。
 しかし、こうして変わり果てた自分でも、必死に尽くそうとしてくれることが嬉しくてならなかった。
 貴族の令息なんてものをやっていると、まわりに人は多いようで、案外孤独。
 きっと、ベリルからして見れば、こんな姿になった自分は恐ろしいはずなのに。
 あまり物事には心を動かされずに生きてきた彼ではあったが、自分を必死で守ろうとする彼女があまりにも愛しくて。
 シトリンはとりあえず、言われたとおりにリネンの中でじっとして。こんな姿になった自分を必死に抱きしめてくれるベリルのぬくもりにそっと目を細めていた。


 この時ベリルは泣きそうになりながら、必死で主を守っていた。
 彼女は幼い頃からこの邸で暮らしている。
 孤児院で暮らしていたところを、この広い広い屋敷にもらわれてきて下働きになった。
 あまり、外のことは知らない。興味もない。
 彼女が知るべきは、孤児院暮らしに比べれば天国のような今の暮らしを自分に与えてくれたこの、グランドランド家の家族たちが、どうすれば心地よく日々過ごしてくれるかということだけ。
 特に、自分に目をかけてくれているシトリンが、安心安全、快適のんびりに過ごしていけるようにつくすこと。
 だから、要するに──……。
 日永シトリンのことばかりを考えているベリルは、結構な世間知らず。
 シトリンのお世話のことなら満点がとれるかもしれないが、お勉強、しかもファンタジーな生物についてなんて、なんにも知らなかった。
 洗濯のために石けんをよく泡立てる方法は知っていても、ドラゴンのことなんて。だって、シトリンのお世話に関係ないのである。

 そんな彼女が、今朝もいつも通りに寝坊助な主のために部屋に着替えを届けに来たら。その大好きな主が寝台の上で大きな羽のあるトカゲに代わっていたものだから、ベリルは泣きたくてしょうがない。

(どうしたらいいの⁉ あ、あれじゃあ大きすぎて、シトリン様のお身体にお洋服が入らないわ!)

 坊ちゃまは、肌が弱くていらっしゃるから、既製品はお嫌いなのに──! と。

 ……いや──まったくもってそんな問題ではないのだが。
 ドラゴンの“ド”の字も知らないベリルにとってはそこが大問題。心底途方に暮れていた。
 頭の中は、身体のサイズも、体質すらも変わってしまっていそうな主の世話を、これからどうやってしたらいいのかでいっぱいで。
 ドラゴン姿のシトリンが怖いかなんてことは、微塵も考えやしなかった。

 けれども、そんなことだから。
 主の私室に、屋敷一厳しいローランがやってきたときも、とにかく変わり果てた姿の主を彼から隠すことしか彼女は思いつかなかったのである。


 そして、そんなメイドを令息の部屋で見つけた執事ローランは呆れた。
 目の前で、彼が勤めるグランドランド家の三男に仕えるメイドが、なにやら布団類の小山を抱きしめて必死の形相。

「ロロロ、ローランさん、あ、あの、えっと、坊ちゃまなら……もうお出かけになりました!」
「……嘘をつくな」

 叫ぶような申告を、ローランは即刻斬った。

「低血圧のシトリン様が、こんなに早くおめざめになるわけがないだろう」
「うっ⁉」

 冷たく指摘すると、侍女ベリルは、わかりやすくギクリとしたが。彼女はそれでも負けじと返してくる。

「そ、その……坊ちゃまは……ええと、ほら、食いしん坊でいらっしゃいますから……昨日お屋敷に届いた高級フルーツを朝からおなか一杯食べたいからって……そ、そうです! おなかをすかせるために朝稽古にいくと……言っておられました!」

 ……ベリル……その言い訳はどうなの……? と、思ったが。
 シトリンは、ひとまず自分の侍女が、必死でひねり出したであろう言い訳をリネンの中で黙って聞いた。
 なんにせよ。自分のために懸命な娘があまりにかわいい。
 だが、嘘八百が明らかな言い訳を聞いて、執事はやはり厳しい。

「……ベリル……とにかく、このリネンと布団をいますぐに片付けなさい」
「だ、ダメですダメです! そんなことできません!」

 命じるローランに、ベリルはリネンの小山に抱き着いたまま、力いっぱい首を振る。

「そんなことしたら! はだかんぼうの坊ちゃまがお風邪を! ──あ……」

 言ってしまってから、ベリルはあからさまにしまったという顔。
 そこでリネンの中のシトリンは気が付く。
 そう言われれば確かにドラゴンの姿の彼は服らしい服を着ていない。

(ん? え? それで守ろうとしてくれていたの……?)

 なんてことを彼が考えている間にも、リネンの外では攻防戦。
 令息が裸だと聞いては、執事のローランだってだまってはいられない。

「……ベリル、シトリン様は、お着換え中なのか? ならばなぜそのようなところに閉じ込めている? 服をお召しでないのなら、お前は外に出ていなさい。私がお世話を──」
「だ、ダメですダメです! シトリン様のお世話は私がいたします!」
「何を言っている……お着換えのお世話は、男性侍従の仕事だ!」
「そ、そうですが……今日は、ダメったらダメなんです!」
『……あの、ふたりとも……』

 言い争う二人の声を聞いて。
 シトリンは、リネンの中から声をかける。このままではいずれ怒ったローランに、引かないベリルが首根っこをつかまれて部屋をつまみだされる。

『あのさ、僕、自分で着替えるから。ベリル? ね、大丈夫だから、君はとりあえず、を探してきてくれない? このままだと僕、風邪ひくかも……』
「! はい!」

 シトリンがそういうと、彼の身体にしがみついていたベリルは飛び上がって返事をし、転がるように部屋を出て行った。
 どうやら……忠義な彼女は、シトリンが風邪をひくといったことが余程効いたらしく。
 彼のドラゴン姿がローランに見られてはならないと必死になっていたことは、うっかり忘れてしまったらしい。
 その後ろ姿を見て、ローランが腹立たし気にため息を吐く。

「まったくあの娘は……!」

 そして執事は表情を収めると、リネンの中に埋もれたシトリンに向きなおって深々と一礼。

「──お祝い申し上げますシトリン様。無事、竜のお姿になられたようで」

 顔を嬉しそうにほころばせた執事の視線の先には、リネンの下からはみ出た白いしっぽが。
 ローランに頭を下げられたシトリンは、ためらいなくリネンから頭を出して瞳を細める。

『ありがとうローラン』

 ドラゴンの顔で笑う令息を見た、ローランはいっそう相好を崩した。

「ご立派なお姿、私も嬉しゅうございます。あの……ベリルの粗相は、どうかお許しくださると……」

 ベリルには厳しく接しておきながら、心配そうに願い出てくる執事にシトリンは苦笑。
 その瞬間、彼の姿はもとにもどって。ローランの目の前には、リネンを肩に羽織った、雪のようなプラチナブロンドに印象的な黄色の瞳の立派な青年が立っていた。
 しかし、その姿は、ベリルが危ぶんだような一糸まとわぬような姿ではなく。彼が昨日寝台に入ったときのまま。きちんと寝巻を身に着けている。
 黄水晶の瞳の彼は、微笑んでローランを見る。

「大丈夫、わかってるよローラン。あんなにかわいいベリルに罰なんかあたえやしないよ……でも……」

 ここで終始淡々としていたシトリンが、心配そうに彼のメイドが出て行った扉のほうを見る。

「ねえ……もしかしてベリルは……僕の母上が竜族だって、知らないの?」

 その疑問をぶつけると、とたん、こちらもなかなかに見目のいいローランが痛恨という顔。

「……も……申し訳ありません……まさか、あの者がそんなことすら理解していないとは…………」

 言って執事は胃が痛そうに絶句した。
 そう、実は、シトリンの母は、人族の父に輿入れした、竜族の姫。
 すなわち、彼は半分竜族なのである。
 そして彼の二人いる兄のうち長男も、ドラゴンの姿を持つ。
 シトリンは、(胃が痛そうな)ローランに言った。

「あのさ、ローラン。このことは……しばらく皆には伏せておいてくれない?」

 すると執事は、おや、という顔。

「なぜでしょう。お知らせすれば、アリアネル様がたいそう喜ばれますのに……」

 アリアネルとは彼の母。
 怪訝な顔をする執事に、シトリンは困ったように笑った。

「……僕が先にドラゴンの姿を手に入れたと知ったら……きっと兄上が気にする」
「……オブシディアン様、ですか……」

 シトリンの言葉に、ローランも眉尻を下げる。
 グランドランド家の兄弟は、長兄が二十五歳のカーネリアン、十九歳の次兄がオブシディアン。シトリンは十八歳で、三男にあたる。
 すでに長兄カーネリアンは二十歳の時にドラゴンの姿を手に入れているが、次兄のオブシディアンは、まだその姿を手に入れていない。
 周りからは、おそらく兄と同じように二十歳になればと目されているが……。
 そこへきて、弟であるシトリンが先にドラゴンの姿を手に入れたと次兄が知ったら。
 きっと、貴族としての立場に真面目で、誇り高い兄はとても傷ついてしまう。

「……だから、兄上がその姿を手に入れるまでは、僕の竜化は伏せておきたいと思う」

 そう、決意の固いまなざしで告げられたローランは。ため息をひとつ。だがすぐに分かりましたと頷いた。

「シトリン様がそうお望みでしたらそのようにいたします。……非常に、残念ですが……」

 強いドラゴンの姿を手に入れることは、武門グランドランド家では慶事として扱われている。
 だが、主の三男が、次兄を思いやる気持ちもよく分かった。
 次兄のオブシディアンは長い黒髪が美しい青年だが、強く堂々とした長兄と、優秀だがマイペースな三男に挟まれて、真面目な彼はなにかと苦労している。それを、ローランも、シトリンも、よくわかっていた。
 しっかりとうなずいた執事が、自分の気持ちを汲んでくれたのを察し、シトリンはにっこり。

「ありがとう、ローラン。助かるよ」
「いえ、当然のことでございます」
「ふふ、ありがとう。──ところで──ローラン」

 ここで、微笑んでいた令息が表情を曇らせた。
 青年は、なんだか心配そうな、複雑そうな顔で言った。

「あのさ、ベリルのことなんだけど……ちょっと、あの子……ものを知らなすぎじゃない?」

 先ほど、ドラゴンというものの存在すらよく分かっていなさそうだった娘のことを思い出すと、シトリンは非常に不安。
 あれは大丈夫なのだろうかとローランを見ると、すっと視線の温度を下げた執事は容赦ない。

「シトリン様……はっきり無知とおっしゃってください」
「……ええと……でも、あれは……雇い主である僕らにも責任があると思うんだ……」

 きっぱりあれは『ものを知らない』というレベルでないと断じた執事に、シトリンがやんわりそう返すと、ローランは「わかりました」と強く請け負った。

「それでは今後、あの者の無知を改善すべく、これまで以上にわたくしめが付きっきりで教育に励まさせていただきましょう」
「いや、あの……」

 前のめりのローランにシトリンが若干引いたとき、再び私室の扉が大きく開いた。

「シトリン様! シトリン様‼ ご無事ですか⁉」

 泣きながら部屋に駆けこんできたベリルは、悲痛な声を上げている。
 どうやら、ドラゴン体に見合うような大きな服を普通に見つけられず。途方に暮れた挙句、いったん不安になって主の様子を見に戻ってきたらしい。

(こうなったらもう、なんとかしてわたしがシトリン様のお洋服を縫うしかないわ!) ──と。そう考えた彼女の両腕には、大量の布とメジャーとはさみ。

「シトリン様! そのお身体採寸させてくださ──!」

 しかし、シトリンの部屋に飛び込んだ瞬間、ベリルはギョッとした。
 そこでは、泣くほど心配していた主シトリンが、ローランと向かい合って立っている。ベリルは、慌てて悲鳴を上げた。

「シ、シトリン様っ⁉ だめ! ロ、ローランさん! ローランさん! シトリン様を見ちゃダメです!」

 ベリルは、泡を食った様子で駆け込んできたかと思うと、その場に荷物を放り出して。何を思ったか──唖然とする執事に向かって、とびかかった。

「⁉」
「⁉ ベリル⁉」

 上等のじゅうたんの敷かれたの床を蹴り、ポカンとするイケおじの顔に向かって思い切りよく抱き着いた、メイド服の娘、ベリル。
 その顔は、真っ赤で、必死。
 いきなりすぎる、突飛で大胆な娘の行動には。とび掛かられたローランも、それを目撃したシトリンも呆然。

「シトリン様! シトリン様隠れて‼」
「あ、あのね、ベリル……ベルこっち見て?」

 ローランの頭にしっかりしがみついた娘の背を、シトリンがおずおずとつつく。
 どうやらベリルは、慌てすぎてシトリンがドラゴンの姿から人の姿にもどったことにすら気が付いていない。

「ベル、ベル! そのままじゃ、ローランが窒息するよ⁉」
「⁉ ⁉」※ベリル
「…………(苦しい……)」※ローラン

 しかし混乱したベリルは、ローランの黒髪をきっちり抱きしめていて離れない。
 こうなっては仕方なし、と、シトリンは思い切って、直立不動のローランからベリルを引っぺがす。と、彼は、その反動で、ベリルを抱いたまま後ろにひっくり返ってしまった。
 これには、気が付いたベリルが慌てる。

「シトリン様!」

 主がしりもちをついたのを見て、ベリルは血相を変えて彼に向きなおる。

「だ、大丈夫ですか⁉ お怪我はありませんか⁉ ──あれ!? シ──トリンさ、ま……?」

 ここでベリルはやっとシトリンが人の姿であることに気が付いた。

「お、お姿、お戻りに……なられた、ん、ですか……?」

 ハッと瞠られた黄緑色の瞳を見て、シトロンも、ああ、と、ほっとした。
 しかし安心したのも束の間。次の瞬間、彼の顔が驚きに染まる。
 彼の目の前で、ベリルが大きな瞳を彼以上にまんまるにして、どっと涙をあふれさせた。
 その怒涛の勢いに、シトリンが怯む。

「べ、ベリル……?」
「よ……よかった……よかったですシトリン様……」

 ベリルは、安心してどっと疲れたのか、顔を朽ちた木の実のようにしおれさせて、そのまま灰になったような顔で涙する。
 そのまま身体を傾かせて、どうやらそれ以上言葉が出てこないらしい彼女を見て。
 ベリルが、本当に心底自分を心配していたことがわかって。マイペースで無感動気味の彼も、さすがに胸が痛む。
 シトリンは、なんとか彼女に泣き止んでほしくて。
 その細い肩に、手を伸ばす──……が。

「あ」

 とたん、彼の姿が再びポンッとドラゴンに。

「ぎゃぁあああああ!?」
「ぐっふっ⁉」

 瞬間、ベリルがまた、真っ青な顔でローランに突っ込んでいった。
 おそらく、またその男の視界を封じようとしてのことだとは思われるが……咄嗟のことだったせいか、目測を誤った彼女の亜麻色の頭は、イケオジ執事のわきっぱらに見事に突っ込む。
 そのあとは、もう……カオスであった。

「……ベリル……お前、この石頭…………」

 鬼顔の執事は、脇腹を抑えて苦悶。その前で土下座で謝るベリル。

「ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいローランさんっ!」
「………………」※シトリン

 ローランに必死に謝るベリルを見て、シトリンは。
 とりあえず、今後はベリルを特別待遇でしっかり教育しなければと深く心に誓った。

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