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後日談

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「……」
 ミリヤム達は何とも言えない気持ちでその──茶色のふさふさの尻を見ていた。大きくて丸い、少し固そうな毛がふさふさの、尻。
 ミリヤムが辺境伯にベアエールデ行きを直訴してから数日、彼女とヴォルデマー、そしてミリヤムのお目付け役兼護衛のルカスは彼の地に立っていた。
 雪の無くなった旅道は長閑にミリヤム達を迎え入れ、彼女達は無事にベアエールデに到着したのだが……
 その砦門に辿り着いたかと思ったら、この、ずらりと並んだ尻の歓迎にあい──……今に至る。
 その主──茶色の巨体の熊の門番達は、ふるふると小刻みに震えながらミリヤム達にこんもり丸い尻をこちらに向けてうずくまっていた。その幾人分もの、ちょこんと可愛らしい尻尾つきの尻を冷静に見ながらミリヤムは壮観だなあ、と思った。泥がついてる風呂に入れたい、とも。
「……」
「す、すみませんでしたヴォルデマー様……!!」
「お、俺達悪かったと思ってるんだ……だって、あの時はアデリナ様に逆らう勇気が無くて……」
 ミリヤムらが無言でいると、熊の門番達は巨体の震えを徐々に増して行った。
 そんな彼らにミリヤムは、本当は無言、真顔の下で、なんと愉快なと思っていたのだが……熊達があまりにも真剣に怯えているので黙っておいた。
 彼らがどうしてこうもミリヤムとヴォルデマーに謝っているのかと言えば……先だって、ギズルフが砦からミリヤムを攫い、その行き先が知れた時、アデリナに命じられた彼らがヴォルデマーの行く手を阻んだことに原因があるようだった。
 熊達はぶるぶるしている。ぶるぶる大きな身体を震わせて許してくれと言い募る。
 そんな彼らの出迎えに驚いていたヴォルデマーも、「そうか、お前達それを気にしていて様子がおかしかったのか」と苦笑を漏らす。彼は婚約式以前にも何度かベアエールデに戻っており、この門を通る度、彼らが巨体をこそこそと物陰に隠し、じっと自分を窺ってくるのを不思議に思っていた。
 ヴォルデマーはやれやれと笑い、ミリヤムに向き直る。
「如何する? 許してやるか?」
 その穏やかな瞳には門番達に対する明らかな親愛が篭っていて。その時の出来事を既にサラ達に聞いて知っていたミリヤムは、彼の微笑みに笑顔を返す。
「ええ。あの怖厳しいアデリナ様に命じられたらそりゃあ熊も怯みますよ。ええ、ええ。私めは全然気にしておりません」
 そう言うと、ヴォルデマーは小さく愉快そうに笑って。嬉しそうにさらりとミリヤムの頬を撫でてから門番達に向き直る。
「もうよい。お前達が悪いのではない」
「!! も、申し訳ありませんでした、ヴォルデマー様ああああ!!」
 途端一斉にヴォルデマーに縋りつく巨体達を眺めながら、ミリヤムはここは相変わらず熱血だなあ、としみじみ思った。ヴォルデマーはあっという間に熊団子の中に閉じ込められていた。
 ──と、気がつけばそれとは別の熊達が涙目でミリヤムを見ていた。
「ミリヤム……ごめんな……」
 しかしミリヤムは容易く首を振る。生来の使用人気質のミリヤムは命じられるということがどういうことかよく分かっていた。上の者に命じられたことを、下の者がそう簡単に断れるわけがない。
「いえいえ仕方のないことです。私達はそうしてご飯を食べているのですか……ら……?」
 そう返すと、目の前にうるうるしたつぶらな瞳がぬっと迫ってきた。そうして再び気がついた時には──……ミリヤムは門番達の茶毛(短毛。ちくちくする)の渦に埋もれていた。
「!?」
「ミ、ミ、みりやむっ!!」
「お、お前はなんて心の広いやつなんだ!!」
 うぉおおおおお!! ……という男泣きの渦の中で目を回すミリヤム。
「ひぃいいいいい!? なん、なんたるゴワゴワ感!! あんたらさてはちゃんと風呂に入ってないなああああああ!?」
「ミリヤム!?」
 それに気がついたヴォルデマーは慌てて縋りつく熊の門番達を押し退けて、熊に溺れそうなミリヤムをその中から引っ張り出そうと、渦から突き出したその手に腕を伸ばす、が──……

「あれ? ミリ、熊さん達と遊んでるの?」
 楽しそうだねえ、と、場に朗らかな声が響いた。
「! フロリアン様!」
 その声を聞いて、それまで渦に巻き込まれるミリヤムを冷淡な目で見守っていたルカスが嬉しそうな声を出す。と、
「!!」
 途端ミリヤムの目がカッと輝き──……その姿が熊の渦の中から忽然と消えた。その腕を掴もうとうしていたヴォルデマーは瞳を見開いて驚いている。
「!?」
 ……かと思うと、のんびり優雅にそこへ歩いて来た美貌の青年に駆け寄ろうとしたルカスを阻み、その傍で瞳を輝かせるミリヤムの姿が。
「坊っっっちゃまっっっ!!」
「よく来たねミリ」飛んで来たミリヤムにフロリアンがにっこりと微笑む。
「でも駄目だよ。私は君のなんだっけ?」
「お、父様ああああ!!」
 眩い! と、ミリヤムはその場にひざまずいた。
「…………」
「…………」
 その背後ではヴォルデマーが非常に複雑そうな顔をしている。
 邪魔されたルカスは壮絶に苛立った顔つきをしていた。
 そんな彼らに苦笑混じりの微笑みを向けてから、フロリアンはもう一度ミリヤムに向き直った。
「ミリー、元気そうで良かった。領都では毎日ギズルフ様の婚約者のご令嬢を追いかけ回してるんだって? 程ほどにするんだよ」
「!? さすが我が天使……何故ご存知なのですか!?」
 ミリヤムがギョッと仰け反ると、フロリアンは絹糸のような金の髪を揺らして笑う。
「毎日ルカスが報告の手紙をよこすんだよ。殆どがミリの観察日記だね、ふふふ、とっても面白いよ、後で見せてあげようね」と、微笑むフロリアンに、ミリヤムは「謹んでご辞退申し上げます」と、真顔で首を振る。どうせ、小言ばかりに違いなかった。
 あいつ余計な事を、とルカスを睨んでいると、フロリアンが言った。
「それで──どうして我が愛しの娘はここにいるのかな? 君の義父は確か君に領都で花嫁修行をさせて貰うようにと言っておいた筈なんだけど」
 にっこり言われてミリヤムがギクリとする。
「え、えーと、手、手紙がですね……ローラント坊ちゃんの春毛が……」
「ミリ?」
 心なしか深まった笑顔は、言いようのない迫力に満ちていて。
 ミリヤムは顔汗をかきながらあわあわと青ざめる。
「も、申し訳ありませんっっ!!」
 容易くその青年に降伏の意を示し懺悔し始めた娘に──……ヴォルデマーは、がっくりとため息をついていた。
 己と婚約してもまだ、ミリヤムの中では、そこで微笑を絶やすことなく立っている青年の威光が強いことを思い知り……正直悔しかった。
「………………」
 そうして若干項垂れる人狼を、ルカスが隣でおろおろと気遣わしげに見ている。
 ルカスはキッと未だフロリアンに懺悔しているミリヤムを睨むと、鬼の形相でそこへ駆け寄り、栗色の頭を背後から両の手でわしっと挟む。
「!? 、!?」
「い、い、加、減、に……しろっ!! この!! 阿呆娘めっ!!」
 場にはぎゃーと、叫ぶミリヤムの怒声と、フロリアンのころころ笑う涼やかな声が響いていた。


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