偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい。後日談

あきのみどり

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後日談

1-3

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 辺境伯アタウルフの執務室で、彼の息子ヴォルデマーは重苦しい表情をしてそこに座っていた。
 そんな彼に伯はもふりもふりと首を振りながら告げる。
「……やはりお前をベアエールデ隊長の任から解くのは難しかろう」
 その父の言葉にヴォルデマーが目線を上げる。
「砦の隊士達もお前の復帰を望んでいる。見よ、この嘆願書の数を」
 そう言ってアタウルフが示すのは、テーブルの上に置かれたこんもりとした手紙の小山だ。それは両手の指の数ではとても足りない枚数だった。それを改めて見たヴォルデマーの口からは細いため息が零れる。
「……」
「私も婚約し立てのお前達を引き離すのは心苦しいが、当家としてもあの拠点の長は我が一族の者が治めるべきと感じる。適任者はお前しかいない……戻ってはくれぬかヴォルデマー」
「……」
 父の言葉にヴォルデマーは押し黙った。彼がベアエールデ砦に復帰するということは、この領都を離れ、ミリヤムの下から離れるという事を意味する。
 砦と領都では、彼ら獣人族にとっては然程の距離でもない。彼らの足であれば行き来も容易い。
 だが、隊長の座に戻るとなればそう砦を空けておく事は出来ないのだ。婚約者に会いたいが為に頻繁に砦を空け、領都に戻るなどということは、隊にも示しがつかなかった。かと言って……現状ミリヤムを以前の様に砦に連れて行くことも難しい。
 婚約公示期間というものは、婚約した同士が同じ屋根の下で眠る事は基本禁止されている。
 ベアエールデの、あの広い砦内であれば、多少距離を取ればそれも言い訳が立つかもしれない。
 しかしミリヤムは今や隣領の侯爵家に連なる身分の娘である。
 彼女の義父となった侯爵家のフロリアン・リヒターは引き続きベアエールデに留まってくれてはいるが、それでも粗野な“獣砦”と名高い場所に、名家リヒター家の若い娘を連れて行くというのは風評的に見てもかんばしくない。
 ゆえに、彼らはリヒター家がミリヤムを砦に連れて行くことを良しとしないのではないかと案じているのだ。
 今後の二人の事を考えても、両家の間にヒビを入れるわけにはいかなかった。
「……私は……」
 ぽつりと口を開いた息子にアタウルフが視線をやる。
 ヴォルデマーはそんな父の瞳を真っ直ぐに見て言った。
「もう……あの者を離す気はありません」
 静かだが、きっぱりとした言い方だった。それを聞いた父は苦く笑う。彼にはその寡黙な息子の言いたい事が良く分かった。
 息子はついこの間まで自らの母にその婚姻を認められず、長く彼の娘と引き離されるという憂き目にあっている。今はその傍を離れる気にはとてもなれないのだろう。
 アタウルフはため息をついて、長椅子の背もたれに身を沈めた。
「……まあ、私も侯爵家に伺いを立てよう。冬季も明け気候も穏やかになりつつあるゆえ、ある程度の行き来はあちらもならぬとは仰らぬだろう。お前としては──砦の方も案じている。そうだろう?」
「…………ええ」
 指摘されたヴォルデマーは痛いところを突かれたという風に重く渋い顔で頷く。
 長く人員不足に喘いでいたベアエールデ。彼が不在となった今、後を任されたイグナーツ達の負担は相当なものだと彼にも分かっていた。
 だが幸いな事に、今回、長くその砦を守護してきたヴォルデマーがその座を退いた事で、領都の人々の目にも砦と国境線の不安定さが鮮明に映る事となった。ベアエールデに対する世間の関心も高まり、隣国には最早力なし、と悠長に構えていた彼の政敵達も、その妨害を緩めざるを得なかった。
 そうして、やっと砦の人員増強が決議され……は、したのだが、未だヴォルデマーの帰還を望む声は多い。
 ヴォルデマーの脳裏にはおんおん泣くイグナーツや隊士達の姿が思い浮かんだ。その表情は変わらなかったが三角の耳が僅かに萎れている。
 ヴォルデマーとしても、長年共に勤め、寝食訓練の苦楽を分かち合ってきた者達を放り出した形になったことはとても心苦しかった。
「……」
 そんな彼の様子を見て伯も大きくため息をついた。さてどうしたものか、と彼は呟いて、そうしてから思い出したように身を起こす。
「ああ、そういえば……城下の屋敷にも使いを出した」
「屋敷……ミリヤムですか?」
 ヴォルデマーの表情が少し明るくなる。
 その彼に父は頷いて、「あの者の希望も──」
 と、伯が言いかけた時だった。
 急に扉の外の廊下が賑やかになって。その声音を捉えた親子の耳が揃ってそちらに向く──と、

「え? 何故ですか? クローディア様はお肉がお好きだって仰ったじゃないですか!? 今更そんな……もう既にしこたま貢ぎ上げたこの私めに言います!? 今!?」
「だから……クローディアは濃い味付けは駄目と言っただろう!? 薄味でないと、と!」
「……ほう……成程……糖分塩分控えめがお好み……美容と健康に気を使っていらっしゃるのですね……あの美貌にしてその弛まぬ努力……さすが我が女神……」
「おい、いつクローディアがお前のになった!?」(ここでべしっと音がする)
「げぇほっ!?」
「ひっ!? 、!? ば、馬鹿者!! 叩いてしまったではないか!! くっ、首は、首は大丈夫かっ!?」
「はぁあああ……ええ、ええ痛かったですけども大丈夫でございますよ。ミリは嬉しゅうございます……若様も段々手加減を覚えて……でも、幾らか脳細胞は死んだ気が致しますね」
 ひぃいいいいい!?(ギズルフ)

 ……と、言う駄々漏れの会話に室内の二人の親子が無言になる。
「…………」
「…………あの者は……まだクローディアを追いかけまわしていたのだな……やれやれ」
 廊下の間抜けなやり取りを聞きながら、伯は無言を苦笑に変えて、ヴォルデマーはため息をついた。ギズルフを後でしめようとか思いながら。
 そこでやっと言い争いに決着がついたのか、ようやく扉が静かに開かれる。
「失礼いたします。お呼びでしょうか、閣下」
 会話が駄々漏れであったなどとは思いもよらぬのだろう。しおらしい様子で入って来た娘は丁寧なお辞儀をして見せる。アタウルフはくつくつと笑いながら二人に中に入るように促した。
「お前にベアエールでの事で相談があるのだが……」
 と、アタウルフが言葉を区切ったところで、ミリヤムがぱっと瞳孔の開いた真顔で彼を凝視した。
(「きもっ」(ギズルフ)←ヴォルデマーに無言で殴られる)
 ミリヤムはその顔のまま短く言った。
「出張希望!!」
「……ん?」
 その台詞に皆がきょとんとその顔を注視する。と、ミリヤムは平坦な顔のまま、すっとポケットから一枚の紙を取り出して見せた。何かの手紙のようだった。
「……ベアエールデのぽっちゃり大将から手紙が届いたんでございます閣下。あの愛しきもっふり様は私めにこう報せてお寄こしになりました」
 だんだんとその表情が憎々しげになって行くのを、三人の人狼達は無言で見ている。
 ミリヤムはカッと目を見開く。
「あぁの、白豹坊ちゃんと来たら! また、無入浴期間更新記録などという若気の至り的なものに絶賛挑戦中らしくてですね! おまけにそろそろ冬も終わるから春毛の僕を見に来てね♪……て……て!? 気温が上がったら雑菌が繁殖しやすくなるって言うのに!? あぁのケサランパサラン坊ちゃんと来たら!!」
 ミリヤムは手紙を握り締めてわなわなしている。そしてキッと顔を上げた。
「ゆえに出張希望です」
「……」
「……」
「……(クローディアどうなったんだろう……)」
 男達は黙り込んでいる。
 ミリヤムはそんな三人にじりじりと詰め寄った。
「今度ヴォルデマー様がベアエールデに行かれる折には、是非私めもお連れ下さい。このままではローラント坊ちゃんの白き毛並みから泥汚れが落ちなくなってしまう……汚れは時間を置くと取れなくなるんですよ閣下!!」
「…………そうか、しかしリヒター家が何と言うか……」と、言いかけたアタウルフの前にミリヤムは転がるように平伏した。その挙動には、普段は些細なことには動じない小さき辺境伯様も若干引き気味だ。
「ミリヤム……」
 転がったミリヤムをヴォルデマーが冷静な顔で半ばぶら下げるようにして立ち上がらせ──と、ミリヤムはそのままの体勢できっぱり叫んだ。
「大丈夫でございます!! そんなの!! お懐かしき侯爵邸の皆様は!! どうせ、あいつまたやらかしてるな……、くらいにしかお思いにならないに決まっております!!」
 ミリヤムはかつてない程にそのドングリ眼をカッと見開いている。
 そのきっぱりした言い切りように、アタウルフとヴォルデマーが押し黙っている。
 そのしんとした空気の中で──「だろうな」と、呆れたように言ったのは──ギズルフだった。



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