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後日談
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ギズルフを探して、今にも寝落ちしそうなミリヤムを背負い廊下を小走りに駆けていたイグナーツ。
頼りの娘が己の背でうつらうつら、時折「おえ」などと不穏な声を出すもので……彼の耳はすっかり後ろ向きに倒れている。
「……お前、もう部屋に戻ったほうがいいんじゃねぇの……?」
イグナーツは己の足が城の広間に差し掛かった時、足を止めて背中の娘にそう言った。
しかし背に張り付く娘は首を振る。
「何をおっしゃいますか、イグナーツ様……お二人の挙式はもう目前ですよ? 今何とかしておかずしていつすると?」
そう言うミリヤムを、イグナーツはじろりと睨む。
「……おい、正直に言えよ……連れて行ってくれそうな奴がいないんだろう!? こんな馬鹿な用事に付き合う奴が俺くらいしか!?」
「!?」
「分かってんだぞ! こんな阿呆な事にお前はヴォルデマーをお誘いできない! ルカス殿も当然付き合ってくれない! 俺が領都に来たからこれ幸いこいつなら絶対馬鹿だから付き合うとか思ってんだろお前!!」
イグナーツは細めのしっぽをぶんぶん振って不愉快そうだ。しかし、ミリヤムは心外だ! と眉間に深い皺を作る。
「何をおっしゃいますか!! そりゃ……人が青い顔していたらいちいち背負って下さるイグナーツ様は物凄くお人がいいとは思っておりますが……」
「やっぱりか!!」
「いいえ、違いますって!! ですから……」
と……憤慨するイグナーツに、ミリヤムが首を振ろうとした、その時……
広間に物凄い地響きが轟いた。
「っ!? なんだ!?」
「ぅ、お!? ぉおおおっ!? ぅ、ぅおぇ……」
咄嗟に後ろに飛びずさるイグナーツの背中で、ミリヤムがその首に必死でつかまり、えずいている。
だが、イグナーツがそれに嫌な顔をする暇はなかった。警戒した顔つきで身構えるイグナーツの視線の先には、もうもうと煙が立ち上っていた。
広間は二階までが吹き抜けの高い天井で、それぞれの階層に回廊が巡らされている。その、二階部分の回廊から広間に向かって、何か──誰かが二人の前に飛び降りてきたのだ。
その何者かは着地すると同時に広間の頑丈そうな石造りの床を踏み割った。その衝撃で辺りには砂埃が舞い、石の欠片が勢いよく吹き飛んでいく。綺麗に揃えられていた椅子やらテーブルやらは、無残にばらばらと床の上に散らばって倒れていた。
「っ!?」
「っ!?」
周囲の有様に──ミリヤムとイグナーツが同じ顔でぎょっとしている。
煙の立ちこめる中──その体躯のいい人狼は、割れて瓦礫と化した床材の真ん中で、長い鼻頭に皺をよせ、立派な牙を剥き出しで二人を睨みつけていた。
イグナーツはそれが誰なのか一瞬にして悟り、思わず後ずさった。しかし──
次の瞬間、その背から怒声が上がる。
「こらぁあああああっっっ!? (……おぇっ)」
「っ!? ちょ、おいっ、やめとけ!!」
イグナーツが引き止めるも、その腕の隙間をするりと抜けて──怒声の主、青白い顔のミリヤムは、彼の背から滑り降りて駆けて行った。その無鉄砲さに慄いたイグナーツは全身の毛を逆立てさせて、もふっと丸いフォルムを作る。
「また破壊なさいましたね若様!! ひ……ひぃぃぃぃぃっ、素敵に年代物の床石が……」
ミリヤムは、明らかに怒っているその人狼の足元にへばり付くと、真っ二つになった大きな床石を見てわなわなしている。イグナーツはよくあの強靭そうな足のすぐ傍に寄れるな、とある意味畏怖の感情をミリヤムに抱いた。もしあの足に怒り任せに蹴り上げられでもしたら、イグナーツでもきっと無事ではすまないだろう。
イグナーツは毛を逆立てさせたまま、慌ててミリヤムの傍に駆け寄って「クローディア様に贈る為とはいえ死ぬほど散財したあとで……」「修理費出せ!」などと言っている娘を摘み上げた。
「ミ、ミリヤムやめとけ!」
「だっ……!?」
だって、と、ミリヤムが言いかけた時、その身体がイグナーツの手からひったくられる。
「え!?」
イグナーツが目を剥く前で、ミリヤムを彼の手から奪い取った男は──イグナーツを睨みつけて、目を回しかけのミリヤムを背に放る。
そうしてミリヤムを普段通りに背負うと、ギズルフは些かほっとしたように、そして偉そうにふんと鼻を鳴らした。
「貴様……イグナーツ・フロトーだな……? 俺様の保護対象に何の用だ!?」
「!?」
巨体の人狼に威圧され、イグナーツが可哀想なくらい耳を後ろに倒している。
イグナーツは困った。相手は敬愛するヴォルデマーの兄であり、領都の次期領主である。
(なんで俺がギズルフ様とミリヤムを取り合うような──)
物凄く不本意だと思ったが、ギズルフは何故か本気で憤慨している。
「こやつは俺様が保護している生き物だ! 俺様の許可なく──」
「お黙んなさい」
背中からべちりとその黒い人狼の眉間が叩かれて、イグナーツが「ひっ」と飛び上がった。
叩いたのは、もちろんしらっとした顔のミリヤムである。
「若様。イグナーツ様を泣かせるのやめて下さい」
「なんだと!? おい貴様!! 俺様の怒りが見えんのか!?」
「ちょ、地団駄踏まないで下さい、床が基礎まで砕けます!!」
「…………」
イグナーツは言葉も無かった。一体なんなんだあれは、と、そのちびの娘と巨体の人狼がわあわあ言っている様を見つめる。
「貴様も貴様だ! 何故俺様以外の背に黙って負ぶわれている!?」
「はぁ!?」
「お前は俺の保護対象だろう! 俺様以外に懐くな!!」
「……さては……若様、ペットが余所者に懐いて面白くない、みたいな気になっておられますね……?」
「黙れ!! この節操なしめ!!」
「…………」
その様子に呆れながら、ミリヤムは言った。
「……若様……よく聞いて下さい……私めは、実は若様の背乗りのヤモリ、もとい、ペットではないんですよ……若様の、弟君の、妻なんですよ……」
そろそろ人権を下さい! というミリヤムにギズルフはきょとんとしている。
「? 何を分かりきったことを言っているんだ? お前はヴォルデマーの嫁らしく、義兄の俺様に懐いていればよいのだ」
「……」
「……」
意味が分からん、ふん保護対象の癖に、という顔をしているギズルフに、ミリヤムとイグナーツは揃って同じことを思った。「駄目だ、ぜんぜんわかってなさそうだ」と。
「はー……若様は感覚派であらせられる……大丈夫かなー、こんな子供大人が七日後にご結婚かー」
「黙れ、で、貴様はあやつの背に乗ってどこへ行こうとしていた? よし、仕方ない、俺様が連れて行ってやろう。何処だ」
「…………」
ミリヤムを背負い、のしのし歩いていく人狼に……イグナーツは「あんたのとこだよ……」と、心の中で思い切り突っ込みたい衝動に駆られた。
と、その時だった。
「……ギズルフ……様……?」
「……ん?」
「?」
場に似合わぬ可憐な声が聞こえて。一同は同時に振り返った。
すると、広間の入り口付近で、そんな彼等の方を見て立ち尽くしている者達がいた。
その姿を見て、ギズルフがポカンとする。
「……クローディア?」
そこに居たのは、クローディアだった。
彼女は人狼嬢二人と城の執事頭と共に、彼等を唖然と見ている。
一拍置いて、我に帰った執事頭は広間の惨状に、慌てて駆け寄って来るが──……クローディア達はそのままその場で身体を硬直させているばかりだった。
そんな彼女等の様子をギズルフと一緒に首を傾げて見ていたミリヤムは──その視線が次第に針のように鋭くなっていくのを見て、はっと青くなる。
「ひっ、やばいですよ!? あれは──奥方様(フロリアン母)が旦那様の浮気を疑っていらっしゃる時の視線にそっくりです!!」
「? 浮気?」
ギズルフは頭上に疑問符を大量に浮かべている。
ミリヤムは慌てて義兄の背から滑り降りた、がその時には遅かった。
一同が息を呑んで見守る向こうでクローディアは──……その純白の顔の上に、漆黒の闇を思わせるような怒気を浮かべ、ギズルフとミリヤムとを睨み付けている。
……その先で、執事頭が泣いている。
「ギズルフ様!! また床を踏み抜きになられたのですか!?」
頼りの娘が己の背でうつらうつら、時折「おえ」などと不穏な声を出すもので……彼の耳はすっかり後ろ向きに倒れている。
「……お前、もう部屋に戻ったほうがいいんじゃねぇの……?」
イグナーツは己の足が城の広間に差し掛かった時、足を止めて背中の娘にそう言った。
しかし背に張り付く娘は首を振る。
「何をおっしゃいますか、イグナーツ様……お二人の挙式はもう目前ですよ? 今何とかしておかずしていつすると?」
そう言うミリヤムを、イグナーツはじろりと睨む。
「……おい、正直に言えよ……連れて行ってくれそうな奴がいないんだろう!? こんな馬鹿な用事に付き合う奴が俺くらいしか!?」
「!?」
「分かってんだぞ! こんな阿呆な事にお前はヴォルデマーをお誘いできない! ルカス殿も当然付き合ってくれない! 俺が領都に来たからこれ幸いこいつなら絶対馬鹿だから付き合うとか思ってんだろお前!!」
イグナーツは細めのしっぽをぶんぶん振って不愉快そうだ。しかし、ミリヤムは心外だ! と眉間に深い皺を作る。
「何をおっしゃいますか!! そりゃ……人が青い顔していたらいちいち背負って下さるイグナーツ様は物凄くお人がいいとは思っておりますが……」
「やっぱりか!!」
「いいえ、違いますって!! ですから……」
と……憤慨するイグナーツに、ミリヤムが首を振ろうとした、その時……
広間に物凄い地響きが轟いた。
「っ!? なんだ!?」
「ぅ、お!? ぉおおおっ!? ぅ、ぅおぇ……」
咄嗟に後ろに飛びずさるイグナーツの背中で、ミリヤムがその首に必死でつかまり、えずいている。
だが、イグナーツがそれに嫌な顔をする暇はなかった。警戒した顔つきで身構えるイグナーツの視線の先には、もうもうと煙が立ち上っていた。
広間は二階までが吹き抜けの高い天井で、それぞれの階層に回廊が巡らされている。その、二階部分の回廊から広間に向かって、何か──誰かが二人の前に飛び降りてきたのだ。
その何者かは着地すると同時に広間の頑丈そうな石造りの床を踏み割った。その衝撃で辺りには砂埃が舞い、石の欠片が勢いよく吹き飛んでいく。綺麗に揃えられていた椅子やらテーブルやらは、無残にばらばらと床の上に散らばって倒れていた。
「っ!?」
「っ!?」
周囲の有様に──ミリヤムとイグナーツが同じ顔でぎょっとしている。
煙の立ちこめる中──その体躯のいい人狼は、割れて瓦礫と化した床材の真ん中で、長い鼻頭に皺をよせ、立派な牙を剥き出しで二人を睨みつけていた。
イグナーツはそれが誰なのか一瞬にして悟り、思わず後ずさった。しかし──
次の瞬間、その背から怒声が上がる。
「こらぁあああああっっっ!? (……おぇっ)」
「っ!? ちょ、おいっ、やめとけ!!」
イグナーツが引き止めるも、その腕の隙間をするりと抜けて──怒声の主、青白い顔のミリヤムは、彼の背から滑り降りて駆けて行った。その無鉄砲さに慄いたイグナーツは全身の毛を逆立てさせて、もふっと丸いフォルムを作る。
「また破壊なさいましたね若様!! ひ……ひぃぃぃぃぃっ、素敵に年代物の床石が……」
ミリヤムは、明らかに怒っているその人狼の足元にへばり付くと、真っ二つになった大きな床石を見てわなわなしている。イグナーツはよくあの強靭そうな足のすぐ傍に寄れるな、とある意味畏怖の感情をミリヤムに抱いた。もしあの足に怒り任せに蹴り上げられでもしたら、イグナーツでもきっと無事ではすまないだろう。
イグナーツは毛を逆立てさせたまま、慌ててミリヤムの傍に駆け寄って「クローディア様に贈る為とはいえ死ぬほど散財したあとで……」「修理費出せ!」などと言っている娘を摘み上げた。
「ミ、ミリヤムやめとけ!」
「だっ……!?」
だって、と、ミリヤムが言いかけた時、その身体がイグナーツの手からひったくられる。
「え!?」
イグナーツが目を剥く前で、ミリヤムを彼の手から奪い取った男は──イグナーツを睨みつけて、目を回しかけのミリヤムを背に放る。
そうしてミリヤムを普段通りに背負うと、ギズルフは些かほっとしたように、そして偉そうにふんと鼻を鳴らした。
「貴様……イグナーツ・フロトーだな……? 俺様の保護対象に何の用だ!?」
「!?」
巨体の人狼に威圧され、イグナーツが可哀想なくらい耳を後ろに倒している。
イグナーツは困った。相手は敬愛するヴォルデマーの兄であり、領都の次期領主である。
(なんで俺がギズルフ様とミリヤムを取り合うような──)
物凄く不本意だと思ったが、ギズルフは何故か本気で憤慨している。
「こやつは俺様が保護している生き物だ! 俺様の許可なく──」
「お黙んなさい」
背中からべちりとその黒い人狼の眉間が叩かれて、イグナーツが「ひっ」と飛び上がった。
叩いたのは、もちろんしらっとした顔のミリヤムである。
「若様。イグナーツ様を泣かせるのやめて下さい」
「なんだと!? おい貴様!! 俺様の怒りが見えんのか!?」
「ちょ、地団駄踏まないで下さい、床が基礎まで砕けます!!」
「…………」
イグナーツは言葉も無かった。一体なんなんだあれは、と、そのちびの娘と巨体の人狼がわあわあ言っている様を見つめる。
「貴様も貴様だ! 何故俺様以外の背に黙って負ぶわれている!?」
「はぁ!?」
「お前は俺の保護対象だろう! 俺様以外に懐くな!!」
「……さては……若様、ペットが余所者に懐いて面白くない、みたいな気になっておられますね……?」
「黙れ!! この節操なしめ!!」
「…………」
その様子に呆れながら、ミリヤムは言った。
「……若様……よく聞いて下さい……私めは、実は若様の背乗りのヤモリ、もとい、ペットではないんですよ……若様の、弟君の、妻なんですよ……」
そろそろ人権を下さい! というミリヤムにギズルフはきょとんとしている。
「? 何を分かりきったことを言っているんだ? お前はヴォルデマーの嫁らしく、義兄の俺様に懐いていればよいのだ」
「……」
「……」
意味が分からん、ふん保護対象の癖に、という顔をしているギズルフに、ミリヤムとイグナーツは揃って同じことを思った。「駄目だ、ぜんぜんわかってなさそうだ」と。
「はー……若様は感覚派であらせられる……大丈夫かなー、こんな子供大人が七日後にご結婚かー」
「黙れ、で、貴様はあやつの背に乗ってどこへ行こうとしていた? よし、仕方ない、俺様が連れて行ってやろう。何処だ」
「…………」
ミリヤムを背負い、のしのし歩いていく人狼に……イグナーツは「あんたのとこだよ……」と、心の中で思い切り突っ込みたい衝動に駆られた。
と、その時だった。
「……ギズルフ……様……?」
「……ん?」
「?」
場に似合わぬ可憐な声が聞こえて。一同は同時に振り返った。
すると、広間の入り口付近で、そんな彼等の方を見て立ち尽くしている者達がいた。
その姿を見て、ギズルフがポカンとする。
「……クローディア?」
そこに居たのは、クローディアだった。
彼女は人狼嬢二人と城の執事頭と共に、彼等を唖然と見ている。
一拍置いて、我に帰った執事頭は広間の惨状に、慌てて駆け寄って来るが──……クローディア達はそのままその場で身体を硬直させているばかりだった。
そんな彼女等の様子をギズルフと一緒に首を傾げて見ていたミリヤムは──その視線が次第に針のように鋭くなっていくのを見て、はっと青くなる。
「ひっ、やばいですよ!? あれは──奥方様(フロリアン母)が旦那様の浮気を疑っていらっしゃる時の視線にそっくりです!!」
「? 浮気?」
ギズルフは頭上に疑問符を大量に浮かべている。
ミリヤムは慌てて義兄の背から滑り降りた、がその時には遅かった。
一同が息を呑んで見守る向こうでクローディアは──……その純白の顔の上に、漆黒の闇を思わせるような怒気を浮かべ、ギズルフとミリヤムとを睨み付けている。
……その先で、執事頭が泣いている。
「ギズルフ様!! また床を踏み抜きになられたのですか!?」
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