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後日談
4-8
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「……それで……その後如何した」
低い声が耳の後ろをくすぐって。ミリヤムは男を振り返らぬまま、頬を持ち上げて微笑んだ。
騒動があった日の夜。
夫婦の私室の長椅子で、妻の背の後ろに座った人狼は彼女の柔らかい髪を撫でながらそう聞いた。
侍女が編み込まれたミリヤムの髪を梳こうとするのを断り、甲斐甲斐しくもそれを買って出たヴォルデマーは、その感触をゆっくり楽しむように丁寧に栗毛をほどいていた。
結い紐を解くと、ミリヤムの髪はみょんみょんとあちらこちらに散らばっていく。その様がいかにも落ち着きのない彼女らしく……男は、小さな背の後ろで密かに表情を愛しげに緩ませる。
それは、久々に訪れた夫婦の静かな時間だった。
部屋の中は穏やかな薄暗さに包まれていた。ランプの灯りは揺らめく影の濃淡をそこここに作っていて、ミリヤムを寛いだ気分にさせた。
手伝いの侍女達も退出して行き、子供たちは傍のゆりかごの中で丸まって寄り添い合うようにして寝息をたてている。
その小さな気配を感じながら……彼女は、再び昼間の騒動の顛末を語りだした。
「ええそれで……まあ、クローディア様がお喜びになったのは良かったんですが……若様の手当たり次第な浪費の件が未解決で……その後、イグナーツ様と共に逃走なさった若様を探しに向かったんです。ご忠言という名のお説教をこぼしに。」
「…………」
豹族であるイグナーツの嗅覚はミリヤムのそれよりも何倍も頼りになる。事実イグナーツのお陰で、ギズルフはすぐに見つかった。
そうミリヤムが言うと、ヴォルデマーは「そうか」と相槌を打ちながらも……明日にでも、彼を労っておかねばならぬなと思った。勿論……己の妻に振り回されている苦労をである。
ミリヤムは真面目くさった顔で続ける。
「お可哀想に……執事長様は破壊された応接間の扉を見て嘆き悲しんでおられましたよ。ナイスでミドルな背中が哀愁に満ちていて……やっぱりいっぺんくらい若様の尻尾をぎゅっ……と、やらせて頂いても罰は当たるまい、と……思って……、いたんですが……ねぇ……」
そう言うと、ミリヤムは穏やかだった眉間にくっきりと皺を寄せる。
ヴォルデマーは静かにミリヤムの髪を解き続けていたが、その身に、諦めのような脱力感を感じて手を止める。
「思っていて……それで? 何か問題でも……?」
はあ、とミリヤム。
「まあ、問題と言えばもうその存在そのものが問題だとしか言いようが無いんですがね。ああ、はい若様がですよ? で、私めが尻尾鷲づかみで説教しようかと目論んでいたそのお方はですね……私達が見つけた時には既に捕獲され済みで。別口に」
「……別口?」
「はい。……アデリナ様とサラさんに」
「…………」
途端、ヴォルデマーから呆れの気配が噴出した。
そんな現場をミリヤムは怖くてとてもではないが近寄る事は出来なかった、と言う。
ミリヤムと、不承不承付き合わされたイグナーツは、その様子を彼等から離れた廊下の隅で見守った。覗き見の定番“廊下の角の死角”から、これまた古典的に顔半分だけ覗かせて。
そんな仲のいい白毛栗毛コンビの見守る先で……ギズルフは、今回彼が叩き割った床石のある広間に連れてこられていた。
叩き割った床の隣に正座をさせられて、巨体の人狼は、不満げに尻尾をぶんぶん振っていた。と、ミリヤムが伝えると、ヴォルデマーが深いため息を落とした。
「…………」
「アデリナ様は流石と申し上げるべきか……どこから入手なさったのか、手にはクローディア嬢への“張り切りすぎ贈り物リスト”をお持ちで。それを破れんばかりに握り締め、壮絶に若様を睨んでいらっしゃいました……ええ、怖かったです。どうやら私めが思っていたより巨額をつぎ込んでいらっしゃったらしいですね」
夫人に睨み下ろされる城の嫡男は、些か納得いかなそうな顔ではあるものの──鬼のような顔で怒るアデリナと、その背後に控えるサラに威圧されては……どうにもならない様子であった。
床の上で大人しく不貞腐れているしかないという様子のギズルフを見てミリヤムは思った。
『……女帝だ……女帝様方最恐……女の貫禄……』
やはり女性こそ家庭の裁判官なのか、いつかあれは私にも身につくのか、ごくり……などと戦々恐々と見守っていると……
隣でイグナーツが、『馬鹿言ってる場合か!?』とオロオロしている。
どうやら彼は、奥方たちに睨まれて尻尾を巻いているギズルフに同情しているらしかった。何と言ってもギズルフは彼の敬愛するヴォルデマーにそっくりなのだ。
イグナーツは『なんか……なんかヴォルデマー様が説教されてるみたいで居たたまれねーんだけど!? 居たたまれねーんだけどっ!?』と、さも心配そうにミリヤムの服の袖をぐいぐい引っ張っていた。
そんな可愛い男に……ミリヤムは生暖かい眼差しで、こっくりと頷く。
『…………ま、……放っておきましょう、ね……。ふふふ……あれが俗に言う、自業自得という名の正当なお裁きですよ。ふふふ……』
「………………と、言うわけでして……」、とミリヤムは話を締めくくる。
「若様はあの調子なんですけれども、ひとまず散財の件はアデリナ様達ががっつり雷をおとして下さいましたし。クローディア様にもなんとかご自身の口から想いを告げることもお出来になりましたから……希望が見えてきたかな、と」
「…………そうか」
その説明に多々思うところはあったが、この寡黙な人狼はそれをその一言で呑み込んだ。そうして髪を整えるのを再会しようとして──ふと指が止まり、声音が陰る。
「しかし身体は大丈夫だったのか……? 疲れてもおるだろうに……あまり走り回っては毒だぞ……」
案じるような声にミリヤムは大丈夫だと微笑んだ。気遣いが嬉しいと言いたげな、くすぐったそうな笑い方だった。だが、ヴォルデマーは表情を曇らせたままだった。
「ミリヤム……」
「あら本当ですったら。大丈夫なんですよヴォルデマー様。お忘れですか? 私め、人の世話を焼くのが趣味ですから!」
勝ち誇るような顔で胸に手を当て強調する娘に、ヴォルデマーはやっと、「……ああ……」と苦笑するように笑った。この娘がフロリアンないしクローディア、もしくは己の兄にするように、人にかまいたがる癖を持っていることは重々承知していた。
やれやれと思うヴォルデマーを余所に、娘は「今はまだ子育てに慣れてないところもあって疲れてしまうこと多いのですが……本来、労働は活力です。じっとしている方が心が病むのです!」などと実に雄々しい。
それを見たヴォルデマーは確かに表情は生き生きと楽しそうだな、と内心胸を撫で下ろす。
髪をすっかり整えてしまった男は、妻の顔を覗き込んだ。
「終わったぞ……」
「はい、有難うございます」
優しく髪を撫でられて、ミリヤムは夫に向き直り嬉しそうにその金の瞳を見上げた。
その表情はきらきらと輝いていて。幸せそうで、そしてうずうずしていた。
「? どうかしたのか?」
不思議に思ったヴォルデマーが首を傾げると、ミリヤムは一度にんまりと両頬にえくぼを作り、そして隣に座るヴォルデマーの膝に両手を乗せた。
「実はですねっ。今日……クローディア様にお会いした時──お嬢様が、お持ちだったのを見たんです!!」
「見た?」
一体何を? と表情で先を促す夫に、ミリヤムは嬉しくて堪らないというふうに、頬を薔薇色に染めたによによ顔で続ける。
「その、ふふふ……ハンカチ、を、です!」
「……ハンカチ?」
「はい!」
ミリヤムは途端、両頬に手をやり相好を崩す。にやにやしすぎて眉も目尻も下がりきっている。
「先日若様に『クローディアに何か贈りたいんだが……』と相談されたということはお話してあったと思うんですが……その時私め、若様にハンカチはどうだろうかとご提案させて頂いたんです」
「ほう」
「それで……折角の婚前の贈り物でしょう? それに私め、どうやら今一つクローディア様のお役に立てていないような気もしていましたし……どうせなら何かさせて頂きたくて。それで、そのハンカチの作成を任せてもらうことにしたんです」
ミリヤムは、レースの布地を選ぶ所から始め、その周りにあしらうニードルレースを編むところ、クローディアのイニシャルを刺繍するところ、そして梱包するところまでを、全て自分でさせて貰ったと嬉々として告白した。
ヴォルデマーは思ってもみなかった話に瞳を瞬かせていたが──そう言えば、ここ数ヶ月、育児の合間に時折ミリヤムがにまにましながら繕い物をしていたな、と思い出した。
ヴォルデマーが「そうだったのか……」と、呟く。
「それで……今日、クローディア嬢がそのハンカチを持っていたと……?」
「はい! 私め、もう……感動してしまって……」
あの長々した贈り物リストである。他にも山のような品々が令嬢の下には届けられていたはずだ。
それなのに、そんな中からクローディアが、あろう事か自分が作った品を選び出し、そして手にしていてくれたのだ。それは大いに、大いにミリヤムを有頂天にした。
ミリヤムは今にも踊りだしそうな様子で声高に天を仰いでいる。
「これはもうきっと、天に私めのクローディア愛が伝わったに違いありません……!!」
喜色満面の妻の顔に、ヴォルデマーも微笑んだ。その弾むような喜びようを見ているだけで、彼自身もとても幸福な気持ちになった。
そしてその頭をよしよしと撫でて──ふと、という顔で妻に問う。
「それで……クローディア嬢は? それをご存知なのか?」
すると、ミリヤムはにこにこしたまま「いいえ」と首を振る。
「きっとご存じないと思います。でも、いいんです。あのたんぽぽの綿毛のように愛らしく、菫のように可憐なお嬢様の御手に……御手に!! 私めの作品が乗っていたんでございますよ!? ……想像するだけで脳みそがお花畑でございます、喜びに身が打ち震える……クローディア様万歳っ」
「…………」
妻の陶酔しきった顔にヴォルデマーは相変わらずだな、と思った。
彼としては、どうせなら妻の取り組みと、“クローディア愛”と名づけられたその令嬢に向けられる情熱を、その本人にも是非知っていてほしい。
しかし……その当の妻自身が「それでいい」と言うのなら、自然な流れに任せていいのかもしれないと思った。
「…………」
ヴォルデマーは思わず小さく笑う。妻のその心を奥ゆかしいと思う。が、その言葉が如何にもミリヤムと不釣合いで……それが、不思議で、そして愉快だった。強引さと、奥ゆかしさが奇妙に同居する娘が面白くて、愛おしい。
(……私は、本当によく笑うようになった)
ヴォルデマーはしみじみとそう感じ、なお深く微笑む。
そうして男は愛おしさに耐え難くなって……手を伸ばし、うっとりにまにましている娘の身体を自分の方へ引き寄せた。
「お、ぅっ……?」
夫の胸にすっぽりと身が閉じ込められて、ミリヤムがきょとんと顔を上げた。ヴォルデマーはそんな夢から覚めたような顔をしている妻へさらりと口づけを降らせる。
「っ!? お、おぉおおぉ……」
「……ふ」
不意打ちの口づけに、ミリヤムがぎょっと身体を強張らせている。
その動揺振りが面白くて。短い笑いを漏らしつつ、ヴォルデマーはその隙にミリヤムの身体を抱き上げた。
「ヴォ、ヴォルデマー様……」
「……クローディア嬢もいいが……そろそろ私のことを考えてもらおうか」
少し澄ました視線で熱を送るとミリヤムの顔が、カッと赤くなる。
流石のミリヤムも、この時間、この流れで、この後自分に何が起こるのかは、もう幾度となく繰り返された経験で分かりきっている。
ミリヤムを腕に、微笑みながらヴォルデマーは事も無げに言う。
「気の効いた言い方を知らぬゆえ、ありのままに言わせて貰う。……愛している、ミリヤム……」
「!? う、ぁ、その、…………ううぅ……」
顔汗を滲ませながら返す言葉にまごつくミリヤムに──ヴォルデマーは、「よい」と首を振る。
「返答は寝台で聞かせてもらう」
「ぐ……」
そんなの一層死にそうに恥ずかしいんですが……!? と、いうミリヤムの心の突っ込みは、いつもの様に羞恥心の込められまくった悲鳴に変わる。簡潔に妻への愛を口にした男ではあったが……久々の夫婦の時間を、簡潔に済ませようという気はさらさらないらしかった。
そして今日もミリヤムの悲鳴を耳にした聴覚鋭い城の人々は──思った。
「今日もご夫婦は仲良しであらせられるようだ」「よかった、よかった」、と。
幸いな事に──ミリヤムの血を引いて神経が多少図太いかもしれない双子達はすやすやと寝息を立ていて、目を覚ます事はなかった。
翌日──部屋を出てきたヴォルデマーの尻尾は、またいつになく機嫌よく揺れていて。
それを見て、また、城の面々はほのぼのしたという。
「……三人目のお子も早そうだな……」、と。
さて──
そんなこんなで、色々ありはしたものの。その数日後の晴天の日。
辺境伯家の問題児ギズルフと、ちょっぴり意地っ張りなクローディア嬢は、無事結婚式をあげることが出来たのだった。
幸せな雰囲気に包まれたよい式だった。
が、残念なことに、
ひたすら咽び泣くミリヤムとアデリナが、他の何よりも悪目立ちしていたという。
低い声が耳の後ろをくすぐって。ミリヤムは男を振り返らぬまま、頬を持ち上げて微笑んだ。
騒動があった日の夜。
夫婦の私室の長椅子で、妻の背の後ろに座った人狼は彼女の柔らかい髪を撫でながらそう聞いた。
侍女が編み込まれたミリヤムの髪を梳こうとするのを断り、甲斐甲斐しくもそれを買って出たヴォルデマーは、その感触をゆっくり楽しむように丁寧に栗毛をほどいていた。
結い紐を解くと、ミリヤムの髪はみょんみょんとあちらこちらに散らばっていく。その様がいかにも落ち着きのない彼女らしく……男は、小さな背の後ろで密かに表情を愛しげに緩ませる。
それは、久々に訪れた夫婦の静かな時間だった。
部屋の中は穏やかな薄暗さに包まれていた。ランプの灯りは揺らめく影の濃淡をそこここに作っていて、ミリヤムを寛いだ気分にさせた。
手伝いの侍女達も退出して行き、子供たちは傍のゆりかごの中で丸まって寄り添い合うようにして寝息をたてている。
その小さな気配を感じながら……彼女は、再び昼間の騒動の顛末を語りだした。
「ええそれで……まあ、クローディア様がお喜びになったのは良かったんですが……若様の手当たり次第な浪費の件が未解決で……その後、イグナーツ様と共に逃走なさった若様を探しに向かったんです。ご忠言という名のお説教をこぼしに。」
「…………」
豹族であるイグナーツの嗅覚はミリヤムのそれよりも何倍も頼りになる。事実イグナーツのお陰で、ギズルフはすぐに見つかった。
そうミリヤムが言うと、ヴォルデマーは「そうか」と相槌を打ちながらも……明日にでも、彼を労っておかねばならぬなと思った。勿論……己の妻に振り回されている苦労をである。
ミリヤムは真面目くさった顔で続ける。
「お可哀想に……執事長様は破壊された応接間の扉を見て嘆き悲しんでおられましたよ。ナイスでミドルな背中が哀愁に満ちていて……やっぱりいっぺんくらい若様の尻尾をぎゅっ……と、やらせて頂いても罰は当たるまい、と……思って……、いたんですが……ねぇ……」
そう言うと、ミリヤムは穏やかだった眉間にくっきりと皺を寄せる。
ヴォルデマーは静かにミリヤムの髪を解き続けていたが、その身に、諦めのような脱力感を感じて手を止める。
「思っていて……それで? 何か問題でも……?」
はあ、とミリヤム。
「まあ、問題と言えばもうその存在そのものが問題だとしか言いようが無いんですがね。ああ、はい若様がですよ? で、私めが尻尾鷲づかみで説教しようかと目論んでいたそのお方はですね……私達が見つけた時には既に捕獲され済みで。別口に」
「……別口?」
「はい。……アデリナ様とサラさんに」
「…………」
途端、ヴォルデマーから呆れの気配が噴出した。
そんな現場をミリヤムは怖くてとてもではないが近寄る事は出来なかった、と言う。
ミリヤムと、不承不承付き合わされたイグナーツは、その様子を彼等から離れた廊下の隅で見守った。覗き見の定番“廊下の角の死角”から、これまた古典的に顔半分だけ覗かせて。
そんな仲のいい白毛栗毛コンビの見守る先で……ギズルフは、今回彼が叩き割った床石のある広間に連れてこられていた。
叩き割った床の隣に正座をさせられて、巨体の人狼は、不満げに尻尾をぶんぶん振っていた。と、ミリヤムが伝えると、ヴォルデマーが深いため息を落とした。
「…………」
「アデリナ様は流石と申し上げるべきか……どこから入手なさったのか、手にはクローディア嬢への“張り切りすぎ贈り物リスト”をお持ちで。それを破れんばかりに握り締め、壮絶に若様を睨んでいらっしゃいました……ええ、怖かったです。どうやら私めが思っていたより巨額をつぎ込んでいらっしゃったらしいですね」
夫人に睨み下ろされる城の嫡男は、些か納得いかなそうな顔ではあるものの──鬼のような顔で怒るアデリナと、その背後に控えるサラに威圧されては……どうにもならない様子であった。
床の上で大人しく不貞腐れているしかないという様子のギズルフを見てミリヤムは思った。
『……女帝だ……女帝様方最恐……女の貫禄……』
やはり女性こそ家庭の裁判官なのか、いつかあれは私にも身につくのか、ごくり……などと戦々恐々と見守っていると……
隣でイグナーツが、『馬鹿言ってる場合か!?』とオロオロしている。
どうやら彼は、奥方たちに睨まれて尻尾を巻いているギズルフに同情しているらしかった。何と言ってもギズルフは彼の敬愛するヴォルデマーにそっくりなのだ。
イグナーツは『なんか……なんかヴォルデマー様が説教されてるみたいで居たたまれねーんだけど!? 居たたまれねーんだけどっ!?』と、さも心配そうにミリヤムの服の袖をぐいぐい引っ張っていた。
そんな可愛い男に……ミリヤムは生暖かい眼差しで、こっくりと頷く。
『…………ま、……放っておきましょう、ね……。ふふふ……あれが俗に言う、自業自得という名の正当なお裁きですよ。ふふふ……』
「………………と、言うわけでして……」、とミリヤムは話を締めくくる。
「若様はあの調子なんですけれども、ひとまず散財の件はアデリナ様達ががっつり雷をおとして下さいましたし。クローディア様にもなんとかご自身の口から想いを告げることもお出来になりましたから……希望が見えてきたかな、と」
「…………そうか」
その説明に多々思うところはあったが、この寡黙な人狼はそれをその一言で呑み込んだ。そうして髪を整えるのを再会しようとして──ふと指が止まり、声音が陰る。
「しかし身体は大丈夫だったのか……? 疲れてもおるだろうに……あまり走り回っては毒だぞ……」
案じるような声にミリヤムは大丈夫だと微笑んだ。気遣いが嬉しいと言いたげな、くすぐったそうな笑い方だった。だが、ヴォルデマーは表情を曇らせたままだった。
「ミリヤム……」
「あら本当ですったら。大丈夫なんですよヴォルデマー様。お忘れですか? 私め、人の世話を焼くのが趣味ですから!」
勝ち誇るような顔で胸に手を当て強調する娘に、ヴォルデマーはやっと、「……ああ……」と苦笑するように笑った。この娘がフロリアンないしクローディア、もしくは己の兄にするように、人にかまいたがる癖を持っていることは重々承知していた。
やれやれと思うヴォルデマーを余所に、娘は「今はまだ子育てに慣れてないところもあって疲れてしまうこと多いのですが……本来、労働は活力です。じっとしている方が心が病むのです!」などと実に雄々しい。
それを見たヴォルデマーは確かに表情は生き生きと楽しそうだな、と内心胸を撫で下ろす。
髪をすっかり整えてしまった男は、妻の顔を覗き込んだ。
「終わったぞ……」
「はい、有難うございます」
優しく髪を撫でられて、ミリヤムは夫に向き直り嬉しそうにその金の瞳を見上げた。
その表情はきらきらと輝いていて。幸せそうで、そしてうずうずしていた。
「? どうかしたのか?」
不思議に思ったヴォルデマーが首を傾げると、ミリヤムは一度にんまりと両頬にえくぼを作り、そして隣に座るヴォルデマーの膝に両手を乗せた。
「実はですねっ。今日……クローディア様にお会いした時──お嬢様が、お持ちだったのを見たんです!!」
「見た?」
一体何を? と表情で先を促す夫に、ミリヤムは嬉しくて堪らないというふうに、頬を薔薇色に染めたによによ顔で続ける。
「その、ふふふ……ハンカチ、を、です!」
「……ハンカチ?」
「はい!」
ミリヤムは途端、両頬に手をやり相好を崩す。にやにやしすぎて眉も目尻も下がりきっている。
「先日若様に『クローディアに何か贈りたいんだが……』と相談されたということはお話してあったと思うんですが……その時私め、若様にハンカチはどうだろうかとご提案させて頂いたんです」
「ほう」
「それで……折角の婚前の贈り物でしょう? それに私め、どうやら今一つクローディア様のお役に立てていないような気もしていましたし……どうせなら何かさせて頂きたくて。それで、そのハンカチの作成を任せてもらうことにしたんです」
ミリヤムは、レースの布地を選ぶ所から始め、その周りにあしらうニードルレースを編むところ、クローディアのイニシャルを刺繍するところ、そして梱包するところまでを、全て自分でさせて貰ったと嬉々として告白した。
ヴォルデマーは思ってもみなかった話に瞳を瞬かせていたが──そう言えば、ここ数ヶ月、育児の合間に時折ミリヤムがにまにましながら繕い物をしていたな、と思い出した。
ヴォルデマーが「そうだったのか……」と、呟く。
「それで……今日、クローディア嬢がそのハンカチを持っていたと……?」
「はい! 私め、もう……感動してしまって……」
あの長々した贈り物リストである。他にも山のような品々が令嬢の下には届けられていたはずだ。
それなのに、そんな中からクローディアが、あろう事か自分が作った品を選び出し、そして手にしていてくれたのだ。それは大いに、大いにミリヤムを有頂天にした。
ミリヤムは今にも踊りだしそうな様子で声高に天を仰いでいる。
「これはもうきっと、天に私めのクローディア愛が伝わったに違いありません……!!」
喜色満面の妻の顔に、ヴォルデマーも微笑んだ。その弾むような喜びようを見ているだけで、彼自身もとても幸福な気持ちになった。
そしてその頭をよしよしと撫でて──ふと、という顔で妻に問う。
「それで……クローディア嬢は? それをご存知なのか?」
すると、ミリヤムはにこにこしたまま「いいえ」と首を振る。
「きっとご存じないと思います。でも、いいんです。あのたんぽぽの綿毛のように愛らしく、菫のように可憐なお嬢様の御手に……御手に!! 私めの作品が乗っていたんでございますよ!? ……想像するだけで脳みそがお花畑でございます、喜びに身が打ち震える……クローディア様万歳っ」
「…………」
妻の陶酔しきった顔にヴォルデマーは相変わらずだな、と思った。
彼としては、どうせなら妻の取り組みと、“クローディア愛”と名づけられたその令嬢に向けられる情熱を、その本人にも是非知っていてほしい。
しかし……その当の妻自身が「それでいい」と言うのなら、自然な流れに任せていいのかもしれないと思った。
「…………」
ヴォルデマーは思わず小さく笑う。妻のその心を奥ゆかしいと思う。が、その言葉が如何にもミリヤムと不釣合いで……それが、不思議で、そして愉快だった。強引さと、奥ゆかしさが奇妙に同居する娘が面白くて、愛おしい。
(……私は、本当によく笑うようになった)
ヴォルデマーはしみじみとそう感じ、なお深く微笑む。
そうして男は愛おしさに耐え難くなって……手を伸ばし、うっとりにまにましている娘の身体を自分の方へ引き寄せた。
「お、ぅっ……?」
夫の胸にすっぽりと身が閉じ込められて、ミリヤムがきょとんと顔を上げた。ヴォルデマーはそんな夢から覚めたような顔をしている妻へさらりと口づけを降らせる。
「っ!? お、おぉおおぉ……」
「……ふ」
不意打ちの口づけに、ミリヤムがぎょっと身体を強張らせている。
その動揺振りが面白くて。短い笑いを漏らしつつ、ヴォルデマーはその隙にミリヤムの身体を抱き上げた。
「ヴォ、ヴォルデマー様……」
「……クローディア嬢もいいが……そろそろ私のことを考えてもらおうか」
少し澄ました視線で熱を送るとミリヤムの顔が、カッと赤くなる。
流石のミリヤムも、この時間、この流れで、この後自分に何が起こるのかは、もう幾度となく繰り返された経験で分かりきっている。
ミリヤムを腕に、微笑みながらヴォルデマーは事も無げに言う。
「気の効いた言い方を知らぬゆえ、ありのままに言わせて貰う。……愛している、ミリヤム……」
「!? う、ぁ、その、…………ううぅ……」
顔汗を滲ませながら返す言葉にまごつくミリヤムに──ヴォルデマーは、「よい」と首を振る。
「返答は寝台で聞かせてもらう」
「ぐ……」
そんなの一層死にそうに恥ずかしいんですが……!? と、いうミリヤムの心の突っ込みは、いつもの様に羞恥心の込められまくった悲鳴に変わる。簡潔に妻への愛を口にした男ではあったが……久々の夫婦の時間を、簡潔に済ませようという気はさらさらないらしかった。
そして今日もミリヤムの悲鳴を耳にした聴覚鋭い城の人々は──思った。
「今日もご夫婦は仲良しであらせられるようだ」「よかった、よかった」、と。
幸いな事に──ミリヤムの血を引いて神経が多少図太いかもしれない双子達はすやすやと寝息を立ていて、目を覚ます事はなかった。
翌日──部屋を出てきたヴォルデマーの尻尾は、またいつになく機嫌よく揺れていて。
それを見て、また、城の面々はほのぼのしたという。
「……三人目のお子も早そうだな……」、と。
さて──
そんなこんなで、色々ありはしたものの。その数日後の晴天の日。
辺境伯家の問題児ギズルフと、ちょっぴり意地っ張りなクローディア嬢は、無事結婚式をあげることが出来たのだった。
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