夜を泳ぐ

織葉 黎旺

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暁闇

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「夜明けってどこにあると思う?」

 何言ってんだコイツ、が真先に浮かんだ感想だった。時刻は深夜三時。夜の狂気と酒気に当てられて、カッコつけたくなったのかと。

「どこにあるも何も、日の出の時刻になればそれが夜明けだろう」

 試しにそう反論してみる。

「それは夜明けじゃないよ、日の出だ。朝の始まりさ。そんなのは夜明けじゃない」

「はあ、じゃあ何が夜明けだって言うんだ」

「それを今から見せてやるよ」

 そう言って奴は傍らから、フルフェイスヘルメットを乱雑に投げた。言い出したら聞かないのは知っている。「はいはい」と頷いて、小さくため息を吐く。運転は、下戸の僕の仕事だった。


 200ccの愛車に跨って、夜の闇を駆ける。時間のお陰か田舎なお陰か、道路は僕らの専用サーキットと化している。夏場だっていうのに今夜はやけに冷えていて、ライダースーツに当たる風が心地いい。後ろの相棒は時折進行方向を示すだけで、後は何も語らない。

「なあ、何処に向かってるんだ?」

「決まってんだろ、夜明けだよ」

 はあ、と相槌を打つ。声音から見てどうやら、ふざけているわけではないらしい。真面目に夜明けに向かっているらしい。気になって空を見上げる。まだまだ日の出には程遠いらしく、黒いバケツをぶちまけたような漆黒の闇の中に、燦然と輝く星々が見える。満天とは言えず、かといって少ないとも言いきれない。中途半端な星空は今の僕たちを暗喩しているようで、すぐに視線を落とした。

「ちなみにあとどのくらいかかる?」

「もうしばらく、だ」

 澄ました声だった。或いは、身近な人をからかう悪戯っ子のような。わざわざ焦らしてるなと悟った僕は、シフトダウンして少しペースを弛めた。

「なあ、そろそろだっけか?」

「あー? 夜明けならまだまだ遠いぞ?」

「ちげーよ、入学式だよ。荷造りも済ませたんだろ?」

「ああ、そっちね。全部まとめたよ。少ないから楽だった」

 そりゃそうか、と頷く。『人生なんて筆と絵の具がありゃ十分だ』なんて台詞が口癖の絵描きの荷物が、重いはずはあるわけない。そんなの金さえあれば何処であれ買える。

「お前こそちゃんと書いてんのか?」

「ぼちぼち、な」

 そっか。という投げやりな頷きは、間違いなく僕への気遣いだった。短い仲じゃない、お互いの隠し事くらいすぐにわかる。誤魔化すようにエンジンを噴かして、「上手くやっていけそうか?」と呟く。主語のないそれは、つまりはそういうことだった。

「さあ。なるようになるでしょ、生きてるんだから」

 あっけらかんとしたその根拠の無い自信には、不安しかないのに、それをかきけすような不思議な魅力もあって、とりあえず、難しく考え始めそうだった自分が馬鹿らしくなってきた。馬鹿らしくなってきたから、馬鹿な話をして誤魔化すことにした。都会に出るなら下手にはしゃいで田舎者らしさを出すなとか、美男美女は多いだろうけどお前なんかに声をかける奴は間違いなく不審者だから気をつけろだとか、お互いの黒歴史で弄りあったりだとか、そんなことをしてるうちに、あっという間に空は白んできていた。

「そこを道沿いに進め」

 街灯の明かりは既に消えていて、小鳥のさえずりも聞こえ始めた。少し湿っぽくなってきた風を切って、最後だからと規定速度ギリギリまで飛ばす。緩やかなカーブを駆け上がっていくと「そこの脇に停めてくれ」と唐突な注文が入る。停車して見ると、傍らには大きな橋が見えた。空は薄い紫色に変わっている。白くたなびく雲を眺めながらも、奴の後に続いて橋を歩く。
「見ろ」

 そう右側を指さされたので、馬鹿正直にそちらを向く。緑と共に、知らない街の知らない景色が広がっていた。どこにでもありそうな無個性な住宅街。傍らに広がる緑地、遊園地。全てが一望できる。でもまだ少し、営みが始まるには早すぎる。街のいびきが聞こえてくるような気がした。

「なんか地元に似てると思わん?」

「いや、それはないわ」

 バッサリとした否定に残念そうにする相棒は、思い出したように僕を手で制した。

「あと五秒待て。そして、その時がきたら振り返ってくれ」

 カウントが始まる。五・四・三・二・一。零は待たずに振り返る。反対側は広い湖だった。その奥からゆっくりと、太陽が頭を出した。光線は放射状に水面を照らし、輝きを一面に振りまいていく。息を飲んだ。これが夜明けか、と小さく呟く。違う、とすぐに相棒が言った。

「もう一度振り向け」

 振り向く。そして、これが夜明けかと気づく。目の前に広がる光景は、数瞬前のそれとは別物だった。薄明は終わり、世界は燦々と色をつけ始めた。遠く遠く、まるで夜の残滓を引き伸ばすように影が伸びている。でもそれもじきに終わるのはわかっている。だって、もう夜は明けてしまったんだから。

「そうか……ここにあるのが、夜明けか」

「ちげーよ」

 わかってねえなあ、と不満のひとつもなさそうに、満足そうにアイツは笑う。

「さっきまでの、全部ひっくるめて夜明けだろ」

 綺麗に色の抜けた金髪が、朝日を受けて煌々と輝いている。眩しいからお天道様から目を逸らす。太陽みたいだ、なんてダサい比喩は喉の奥に飲み込んだ。

 それが夜明けだった。
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