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62 サーファス①

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誰かの為に怒る。
誰かの為に泣く。
誰かを思う、心から思うその姿はとても、とても眩しくて。とても、尊いものだった。

一目惚れだった。


『カイル!!負けないで!!頑張って!!勝って、カイルっ!!』


あれは怒りだ。あの叫びは怒り。
周りの容赦ない悪意に対して、彼に降り注ぐ悪意に対しての、心からの怒りだ。
彼女は彼の為に怒っている。周りに。容赦なく彼を傷付ける周りに、怒っている。
ああ、なんて眩しい。なんて尊いひとだろうか。
涙が一つ、頬を伝った。






『サーファスはいつ見ても醜いなぁ。』

『不細工だよな。』

『何なのその二重。鼻も高いし、うっすい唇!
それに体も全然太ってない。兄弟なのに似てねえよな。』

『だよね、俺ぶっさいくだよねー?もう参っちゃうよー。なんで兄上や弟たちみたいに生まれなかったんだろう!兄上たちが羨ましいなあ!
ねえねえ、俺に肉分けてよ!全員の肉が俺にくっついたらいい感じになると思わない?』

『ははは!ばーか!そんな事出来るわけないだろー?そもそも顔はどうすんだよ!肉付いたって変わらないだろーが!』

『サーファスはほんと、面白いよなー!』

『不細工だけど面白いからまだ許せる。』


俺には三人の兄と四人の弟、三人の妹がいる。
物心が付いた時に一番初めに抱いた感情は怒りと悲しみ、そしてどうしてという疑問だった。
兄たちから、大人たちからの容赦ない言葉。
弟や妹が生まれある程度成長すると弟妹たちからも俺を蔑むような言葉を浴びせられるようになった。
周りは傍観するだけで俺を助けてはくれない。
誰も、俺に寄り添ってくれる人はいなかった。


初めは感じた気持ちのまま叫んだ。
“どうしてそんな事を言うの”
“言われたら傷付くよ”
“望んでこの姿に生まれたわけじゃないのに”
“もう言わないで”

怒り、悲しみ。感じた気持ちのままを都度相手に伝え続けた。
伝え、理解してほしくて。
だけどそれは叶わなかった。
伝えれば笑われる。笑いながら、“何をそんなに怒ってるんだよ”と言われてしまう。
誰も理解してくれない。俺の気持ちなんて。
怒れば、泣けば、笑われる。
悔しい。悲しい。苦しい。そんな気持ちを処理出来ない。
伝えればすっきりすると思った。
だけど実際は逆だった。相手に伝わらない、理解されない俺の気持ち。

いつの間にか、笑う事で身を守るようになった。


『おい不細工』

『なにー?』

『お?ついに認めたか。』

『だって俺、もの凄い不細工でしょ?ははは!』


笑っていればまだマシだった。
笑うと周りも笑う。嫌な言葉も耐えられた。
そうしないともう、心が壊れそうだった。
不完全燃焼な気持ちが溜まりに溜まって、吐き出す事も出来ず、吐き出しても戻ってくるそんな日々に。
心の許容はもう僅かもなかった。

だけど笑うようになってから悪意の言葉は増えてもいった。
きっと、笑っているから何を言っても大丈夫とも思われていたんだろう。
そんなわけないけど、周りはそう思っていた様子だった。
子供も大人も等しく。


『…お前、名を何と言ったか。』

『サーファスにございます、母上。』

『ああ、そんな名だったか。覚えておこう。
お前は中々に優秀と教師からの報告にある。
醜い見目でありながら頭は良いらしいな。
今後とも勉学に励め。期待しておるぞ。』

『有り難いお言葉です。』


ドライト王国の女王。それが母だ。
母には八人の夫がいる。第三夫が俺の父だ。
父の髪色と目の色をきちんと受け継いでいる。
多忙な母は合理的な人だった。
十一人も子がいるから当然かも知れないけど、日々政務に励む母は自分の子供たちと過ごす時間が少ない。
…少ないというか、ほぼない。
そんな中で滅多に過ごさない子供たちの名を覚えているという事の方が奇跡だろう。
けれど、何かの役目があれば、何かに秀でていれば、その結果を示せば話は別だ。
例えば一番上の兄はきちんと名を覚えられている。
それは一番上の兄が、母の後を継ぐ存在であるから。
俺の次に生まれた弟は武に秀でているから母も名を知っている。
そして教師たちから優秀だと言われている俺の名も、母は覚えた。
母からの愛情はない。そういう人ではないからだ。
母親というよりは女王が相応しい、そんな人だ。
子供たちを等しく見るというより、価値があるかないかで判断している。

父はドライト王国では侯爵の出だった。
権力がありながら周りに気を使う人だ。
良く言えば優しい。悪く言えば臆病。
俺の状況を知って心を痛めながら、でも助けようとはしない人だ。
誰もがそうだけど、自ら火の粉を被りたくないのだろう。


『女王陛下から聞いたよサーファス!
褒められたんだってね!私は嬉しいよ…!』

『俺も嬉しいです父上!はは、頑張ってよかったぁ!』

『サーファスは優秀だって、教師の方々もよく言ってたからね!』


父は普通に接してくれる。二人の時は。
周りに誰かがいると優しい父は臆病になった。
兄や弟妹たちが俺の悪口を言っていても、おろおろとしながら聞いているだけだった。
兄や弟妹たちが去れば途端に優しい父になる。
あんなに言わなくていいじゃないか、ねえサーファス。と。
それを兄や弟妹たち、そして俺を蔑み嫌な笑いをする大人たちに言ってほしいものだと何度思っただろう。
今はもう、期待もしていない。


王子としての日々は何の不自由もない。
食べるものにも飲むことにも、着るものも寝る場所にも困らない。恵まれた環境。不自由のない生活。
ドライト王国は大国。この世界で三つある大国の内の一つ。
実質この世界で一番の大国はレスト帝国だけど、ドライト王国はその次に大きな、栄えている国と言えた。
だから誰もが普通に暮らせているとばかり、城の中でしか過ごしていなかった俺はそう思っていた。
自国の事なのに知らない事が沢山あった。
あの日まで、それを知らずに生きていた。


『…ん…?あれ、この辺の村や町…納める税金が足らないな…』


月日が経ち、三十を目前にした俺は城で職務についていた。
女王を、そして何れ女王の跡を継ぎ王となる兄を支える為に爵位を頂き女王と兄を補佐する臣下の道を選んだ。
他の兄、弟妹たちは僧職に就いたり、騎士に所属したり、俺と同じく臣下に下ったり、地方の領主になったり嫁いだりとそれぞれ道を選んでいる。

その年、国のある地方で納める税が少ない事例が多々あって視察に行く事にした。
いつもはこの見目もあって部下に行かせていた視察。
この時は何故か、自ら行こうと思った。
何日も馬車に揺られ、ある村へ到着する。


『……は?』


そこは驚く程何もない、とても“村”とは言えない所だった。
住んでいる民は数十人。
簡素な家は今にも崩れそうな家が多く、土地は荒れ、乾き、とてもまともに生活をしているとは思えなかった。

『…誰。』

『…ええと、君は、』

『僕?…サバル。』

『…俺は、サーファスって言うんだ。
……ねえ、この村は、…ずっと、こうだった?』

『?こうって?……ずっと変わらないけど。
…そこ退いて、僕、水を汲みに行かないといけないから。』

『……一緒に行っていいかな。…ええと、水は…何処に?』

『ここから…一時間かけたとこ。そこに、水があるから。』

『一時間…!?』


土埃りで汚れた服。
太っているのに、痩けた頬。
目の下には隈が、そして少年は酷い匂いだった。
少年の後を着いて行き一時間かけて水源に着いた。

『……小川、』

『水は、ここしかないよ。だから皆、ここから水を運ぶんだ。』

『…因みに聞くけど……何に使う水?』

『?…変な事を聞くんだね。…飲むんだよ。
飲むだけじゃなくて、色々使う…。』

水源は小さな川。しかも汚れていた。
この場所にしかないという水。
飲むのも体を洗うのもこの水で。この小さな川だけで。
その汚れが、水の上に浮いていた。
とても飲み水には適していない。
小さな川だ。ちょろちょろと流れている水の流れに対し、汚れの蓄積が、その汚れが完全に流されないまままた新たな汚れが…と追い付いてないのだろう。

『…飲む?』

『い、いや、…遠慮しておくよ。』

とても飲もうという気は起きなかった。
なのにサバルと名乗った少年はごくごくと汚れた水で喉を潤す。
…とても、汚く思えた。少年を汚ならしい存在に。
そしてこの感情こそが…周りが俺に抱いている気持ちなのかもしれないと気付く。

村に戻る間、サバルから色んな事を聞いた。
元々小さな村で、皆一日一日を生きるのがやっと。
食べるものにも困っていて、飲む水もこうして離れた場所から村へ。
年々土は痩せこけていき…作物の実りは悪くなるばかり。
きっとこれまでも無理をして税を支払っていた。
そして今は…税を払う所じゃないのだろう。そう思った。
知らなかった。城の中だけで何不自由なく過ごしてきた俺にとって知らない世界だった。

サバルに礼を言い、俺は村を治める者に会う。
年老いた男はサバルと同じく、汚れた身なりと酷い匂いがしていた。


『九年前、難民がこの村に滞在していました…。』

『難民、』

『…はい。…他国での戦争は…まだ、続いておるのでしょう…?
敗戦した国の者が海を渡り…大国であるこの国で新たな生活を始めようと…。
この村は国境にある港から、王都への通り道になりますから…』

『……。』

『…訪れた難民は五十はおりました。
…女子供、赤子まで…、飲むもの、食べるものが欲しいと懇願され…放っておく事が出来ませんでした。
…同じ人間です。…小さな子が泣いて腹が減ったと言う。……どうして、放っておく事が出来ましょうか…』

『…それで、村の食べ物を…?』

『…はい。元々、我々は細々とした生活を送っておりました。
……けれどこの数年、まとまった雨が降ってくれず…年々、作物の実りが悪くなって…。
そこに五十近くの難民…彼らは、一月はおりました。』

『………そう、だったんですね…移住しようとは、考えていないの…?』

『…どこへでしょうか?
今この村にいる者たちは、他の村や町に親戚などもおりません…。
文字通り、一からになります。金もない、先立つものもない。…どうやって、移住すればよいのでしょう。…私ももう年です。そんな気持ちもわきません。
それに……ここは貧しいけれど、私の故郷なのです…何もないですが…思い入れはある。』

『……。』

『思い出が詰まったこの土地を、離れずにいる者もおります…。
子供の頃は、質素でしたが…そこかしろに笑顔がありました…。
故郷を捨て、先の見えない未来を歩む勇気はありませんよ…。』

『…失礼な事を言ってしまった。…申し訳ない…。』

『いいえ。』


知らなかった。一切。知らずにいた。
彼らが生活に苦しんでいる間、俺は何不自由なく過ごしていた。
好きな時に飲み食いも出来る。テーブルの上に出た食事を残すこともあった。
美味しくないという理由で手を付けなかった事もあった。
俺がそうして過ごしているその裏で、この村の人たちは、サバルは必死にその日を生きていたというのに。


『ここに来られた理由は分かっております…。
税が、足りないのですよね…。
申し訳ありません……ですが、支払える税がないのです…。
もう、村に蓄えもございません…。どうか、ご容赦下さい…。』

『………。』


村で賄えるものはない。
商売になるものも、勿論なかった。
天に運を任せ、雨が降る事を願うばかりの小さな村。
ドライト王国は裕福な国ではなかったのか。
大きな国だ。世界に三つしかない大国の一つだ。
その大国が、この有り様。

『…今、返答は出来ないけど…持ち帰り、検討してみるから。』

『申し訳ありません、…申し訳……ありがとう、ございます…、』


城へ帰る前にサバルに挨拶をしたいと探した。
家を教えてもらい、サバルと声をかけると中から赤ん坊の鳴き声がした。


『…あれ、お兄さん?どうしたの…?』

『…いや、帰る前に挨拶をと思ってね…妹かい?』

『…うん。可愛いでしょ…?僕、お兄ちゃんなんだ。』

『…お父さんとお母さんは…?』

『……父ちゃんはいるよ。母ちゃんは、妹を生んで…死んじゃったから。父ちゃんは今、食料探しに行ってる。僕は妹の面倒を見てる。』

『…そうか。偉いね…。』

『だって、僕が妹を守らないと。お兄ちゃんだから。』


城へ帰り、すぐこの件を女王に、母に伝えた。
けれど返ってきた返答は“それがどうした”だった。


『どの村や町も納めるべき税は納めておる。
故にその村だけ優遇するのは間違っている。
村が貧しいのであれば、余所へ移ればよいではないか。
そうしないのはそこに住む者たちの決断であろう。
では規定通りの税を納めてもらわなくては困る。』

情けはないのかと声を上げそうになった。
恐れ多くも女王の前で。
どうする事も出来ない。俺は何も出来ない。
出きる事は…私財を渡し、いくばかりかの平穏な生活をさせてやるくらいだった。
何も出来ない俺を許してほしい。
ありったけの物資を私財で購入して俺は村へ向かった。
けれど、遅かったんだ。


『……これは…一体、サバルは…どうしたの…?』

『…病だ。……汲んできた水が原因で……あんたは…?』

『俺は、』


おええ、と。サバルが泡をふきながら嘔吐している。
吐くものがないのか、胃液と涎が床に染みている。
酷い匂いだった。近くにいた赤子が泣いて、サバルの隣にいる憔悴しきった男は呆然と、サバルを見ていた。

『……どうして、こんなことに…サバル、…ごめんな、……生まれてこなきゃ、よかったんだよな…』

『…っ、』

『ごめんな、苦しいよな…ごめんな…父ちゃん、何も出来なくて…ごめ、ん、なあ…、』

堪らなくなってサバルの家を出た。
涙が溢れて止まらなかった。
“生まれてこなきゃよかったんだよな”
そのサバルの父親の言葉。言わせたのはこの国だ。
何て愚かな。俺は、何て。

数時間、その場に立ち尽くしていた。
涙を流しながらひたすら後悔していた。
王族に生まれながら、何も知らなかった自分。
何が大国だ。何が、王族だ。
あの場で何一つ出来なかった自分。
ただ見ているだけしか。…いいや、こうして外へ逃げた。
父親がサバルを抱えて外へ出てきた。


『……サバルは、』

『……。』

言わずとも分かった。
サバルは死んだ。その表情は苦しんだままだった。
家の中ではまだ赤子の鳴き声が響いている。


ああ。俺は、俺は、どうしようもない。
汚ならしい?気持ち悪い?
それがどうした。懸命に生きようとしていたんだ。
毎日毎日、一瞬一瞬を、サバルも、この村で生きる人全て。
汚れているのも毎日体を洗えないからだ。
匂いもそうだ。一時間かけ水源に行く。毎日だと大変だろう。
重い水を運び村へ戻るのはさぞ大変だろう。

そうした苦労の中、サバルは懸命に生きたのに。
なのに俺は、そのサバルを“汚ならしい”と思った。
それが恥ずかしかった。心の底から恥ずかしいと思った。
何も、何一つ出来ない自分を恥じた。
何も知らず、のうのうと生きてきた自分を恥じた。
王族でありながら、知ろうとしなかった自分を、恥じた。

『ごめん、…ごめんな、サバル、』


それまでの生き方を変えよう。
何も知らないのは罪だ。
この後悔を恩へ。サバルへの、村への後悔を、懸命に生きた彼への贖罪を、いつか。
そう思い、俺は医療を学ぶ事にした。
けれど独自で学ぶのには限界があった。王宮にいる医師たちにも教えを乞う。
けれど元々、そこまで医療に力を入れていないドライト王国では学べる事にも限りがあった。
既に知った知識を再度学ぶようなものだった。


『レスト帝国であれば…。マティアス殿下が医療に力を入れているし…まだ知らない事があるかも。』


医療の発展も国には必要と母に…女王を説得しレスト帝国へ。
世話になっているクロウリー先生はとても素晴らしい人だった。
知らない事を知って、実際に患者を見るとまた違う。
知識で分かっている事が、実践では違う。
一つ一つの判断が重要になって、失敗は当然許されない。
俺とクロウリー先生の見立てが違う事も何度もあった。
叱られ、怒鳴られ、それでも充実した毎日だった。
俺の容姿で色んな事があったけど、それでも、この国に来てよかったと思えた。


そして出会う。


『カイルっ、勝ってーーー!!』


人の為に怒る。
人の為に泣く。
全身で叫ぶその姿。どよめき、失笑、訝しげな視線が彼女に集まる中、その叫びは届く。

眩しく、尊く。
心に届く叫びだった。

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