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178 認識が変わった使用人たちの話 中編
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旦那様のお屋敷で働くようになって三ヶ月目。
あっという間に新婚休暇は過ぎて旦那様は仕事、奥様はお屋敷で旦那様のお帰りを待つ日々が始まった。
旦那様の仕事が休みの今日はお二人でデートに行くとの事で…私は朝から奥様の身支度に大奮闘。
仕上がりは完璧。元々絶世の美女な奥様が更にお美しくなって…あれ?これ、今日の奥様を外に出して大丈夫?死人出ない?と不安になってしまった程だ。
何せ私たちより奥様耐性があるはずの旦那様が今日の奥様を見た瞬間、真っ赤になってよろけるくらいだったので。他の使用人?あー、うん、暫く使い物にならないとだけ言っておく。
「…それじゃ…留守、宜しく。」
「畏まりました。旦那様、奥様、お気をつけて。
屋敷の事は私共に任せ、どうぞ存分に楽しんできて下さいまし。」
『旦那様、奥様、行ってらっしゃいませ!!』
「はい!行ってきます!ほら、カイルも。」
「…行ってくる。」
お二人を見送る私の今の気持ちはとてもほっこりした気持ちである。
たった三ヶ月、されど三ヶ月。私はこの三ヶ月…厳密に言えば奥様が嫁いで来られてからの二ヶ月でお二人が大好きになったからだ。
「さ、皆さん!今日も張り切って行きますわよ!」
『はいっ!!』
廊下の掃除に取り掛かりながら思う。今日、お二人はどんな一日を過ごすのだろうかと。
お二人ならきっと楽しい一日を過ごすに違いないだろうけど…本音を言えば、この目で直に仲睦まじいご様子を見られない事がとても残念だ。
主人がいない屋敷はどこか寂しささえ感じてしまう。
黙々と仕事をしていたので掃除はあっと言う間に終わってしまい、さて次は何をしようかと悩んでいた時に弟が声を掛けてきた。
「もしかして姉様も終わった?」
「そう。次何しようかなって思ってた所よ。」
「皆暫くやる事ないみたいだから休憩にしないかって。執事長と侍女長の提案。」
「あ、そうなんだ。
…何かさ、いつもは奥様のお相手……まあ、お茶入れたりお喋りしたりなんだけど。…それがないだけで結構暇になるんだな~って。」
「奥様のお世話をする侍女皆そんな感じだから今日あんまやる事ないんだよ。皆黙々と仕事してんだもん。」
「あー…、もしかして他のメンバーに負担かけてた?不満出てない?」
「え?全然。皆それぞれの仕事してるじゃん。
何の不満があんの?」
「お前らだけ楽しそうにしやがって…的な?」
「ぶ、ははは…!何それ!?そんな事思ってないよ俺!って言うか、皆楽しんでんじゃない?俺もめっちゃ楽しんでるよ、ここの仕事。」
「そうなんだ。」
「そうなんです。これも奥様の人柄故だろうね。
大事にしてくれてるの分かる。奥様が俺たちを大事にしてくれるから、旦那様も大事にしてくれるんだ。」
「分かる。」
あれは新婚休暇が終わってすぐの事。
休み以外の使用人を呼び出した奥様は私たちの待遇について話をして下さった。
『急に呼び出してごめんね。忙しい中集まってくれてありがとう。』
労りの言葉から始まった話は、最後まで奥様の優しさが詰まったものだった。
『基本は週休二日制にして、三日以上休みたい場合だけど…事前に事情が分かっている場合相談して人数の調整をしようと思ってるの。
急な予定や体調不良なんかで当日お休みする場合はその日の人数が足りていないなら休みの誰かに頼む、休みを交換してもらう。
やり方は色々あるから、そこも相談していきましょう。』
『???』
『お給金については基本の週休二日を出ている場合、一ヶ月の固定はこれまでと変わらず金貨二枚。
週二日以上の休みを取る場合、休みの分は差し引くけれど、代わりに出勤した場合だとかはきちんと出るから安心してね。日給で計算して、月で支給します。
これは事前にカイルや執事長、侍女長と相談済で、後は皆の意見を聞くだけ。』
『…え…?』
因みにこの“え?”は不満あっての“え?”ではなく、普段高いお給金もらってるのに休みまで待遇良くていいの?の“え?”である。まさかこれからきっつい仕事が待ってるんじゃ…と不安になったけれど、全然そんな事はなかった。
『仕事の合間の休憩は勿論、お休みはしっかり取ってほしい。
体調が悪い時や家族が病気になったり…不幸があったり、そういう時まで仕事を優先して欲しくない。
自分自身、家族、大切な人を一番に考えて。
生きていく上で仕事は勿論大切だけど、プライベートもとても大切だもの。』
『……。』
『少しでも楽しんで仕事をして欲しい。
んと…楽をする…という意味ではなくて、勿論仕事はちゃんとして欲しい。でも、仕事仕事、休みの日は疲れた体を休めるだけ…そういうのが続くと、何の為に生きてるんだろう。何で何でって虚しくなる時もある。ただ生きていく為だけじゃなくて、仕事の上での何かが、貴方たちの人生の糧の一つになれたら…私はすごく嬉しい。』
『……。』
『長く働いて欲しいし、一生懸命働いてくれるならその気持ちに応えたい。そういう人たちだから大切にしたい。それはルールを守って一生懸命働いてくれる人たちに対しての対価。お給金だけじゃなくて、働き易い環境を作るのも対価の一つだと思ってる。』
凄い衝撃だった。
平民出身な仲間の何人かは“あれが立派な貴族の施しってやつだよ”とか“奥様は貴族の鑑みたいなお人だ”とか、“貴族が皆奥様みたいなら良かったのに”と言っていたけれど、違う。
同じ人間のはずなのに、私たちと何処か根本的な所が違うような。
奥様はまるで、別の世界の人のような…不思議な存在に感じた。
見ている世界が余りにも違うように思えた。
「奥様はさ、何っていうか…不思議よね。
私たちは貧乏だったけど、でも貴族だった。
私の中に…平民を見下す…って言い方したら悪いけど、全く無かった訳じゃないのよね。
母様は元は平民だけど、そういう気持ちはなかったのに。」
「身内だからだよ。…俺も、全く無かったわけじゃないって気付いたんだよね。心の何処かで自分たちと領民の皆を区別…まあ悪い言い方したら差別?してた。平民になって気づいたんだけど。」
「…うん。」
「生きていく上では仕方ない。こうだったらって思ってもなってないんだから仕方ない。
でも、何で怒られてまでこんな事しなくちゃいけないんだろうって、本当なら、こんな事しなくていい身分だったのにって。楽しいなんて思わなかったし。まあ、責任が無い分気は楽だったけどね。
…貧乏だったけど、貴族だった頃はまだ良かったって何度思った事か。そういう事でしょ?」
「そう。でもねえ…ここにいると、貴族だった頃の自分も平民の自分もどうでもよくなってきちゃった。今、私は私なんだって…それでいいんだって、そんな感じ?」
「うん、分かる。…で、姉様が言った不満出てない?に話が戻るんだけどさ。多分、普通ならある程度の不満が出てたんだと思う。だってさ、平民出身か貴族出身かで仕事内容が違うんだから。」
「まあね~。」
「でも何で無いかって、奥様だよ。
奥様って一人一人を見てるんだ。人を、平民か貴族かとか、仕事が出来る出来ないかで見てるんじゃなくて、差を付けるでもなくて。その人本人を見てるからそういう不満が出てこないんだ。
其々評価している部分を伝えてくれる。注意もするけど、でも一方的じゃない。だから仕事をする上で不満よりも、頑張っている姿を見て欲しいの方が勝つんだよ。」
そう言う弟の表情はとても生き生きしていた。
貴族として暮らしていた頃よりもずっと、ずっと。
「それにさ。旦那様も、最初の頃より喋ってくれるようになった。まあ、それでも一言二言なんだけど。何かしたらお礼言ってくれたりね。
奥様がそうしてるから、旦那様も、個人を見ようとしてくれてるのが分かってきた。
俺さ、こんな事言ったら失礼だけど……結構、旦那様の事好きだよ。」
「ぷっ…!」
「まあ一番好感高いのは選んだ女があの奥様だって事だね。
奥様の見ている旦那様を見て…少し変わった気がする。上っ面だけじゃ分かんない事が沢山あるんだな~って。」
「そうねぇ。旦那様って可愛いんだなって事とかね。」
「あ、そうそう!それ!
俺、奥様の前の旦那様が子供とか犬に見える時あるもん。」
「あ~、分かる~!」
休憩室に到着すると既に使用人仲間たちが集まって談笑を始めていた。
今日の茶菓子はカボチャのパイで、侍女長が取り分けてくれている。
仲間たちとこうして休憩を取るのももう何度目だろうか。
たまに個人の愚痴を言ったり、仕事の事で意見の違いがあって対立したりする事もあるけれど…それなりに仲良くさせてもらっている。
言えるのは、この屋敷で働いている殆どの仲間たちがここでの仕事に対して誠実であると言う事。
寄せられた信頼、期待に応えたい、もっと良くしていきたい。そういう気持ちが強いから対立が生まれる事もあるけれど、私はそういうぶつかり合いも嫌いじゃなかった。
ただ、何処に行っても相容れない人間というのは存在するけれど。
このお屋敷で働くようになってまだたった三ヶ月。されど三ヶ月。厳しい試用期間を互いに乗り越えてきた仲間たちにも働く理由がそれぞれある。そして少しずつ仕事に慣れた頃、見えなかったその人個人の人間性…というやつも見えてくるのだ。
「ふう…。旦那様も奥様もいらっしゃらないと暇になってしまうわね。」
「ええ。でもこうしてゆっくりさせてもらえるのは有り難いです。まあ、普段もちゃんと休憩取らせてもらってるんですけど…交代制ですし、こんな風に皆揃ってって中々出来ないですしね。」
「ふふ、そうね。」
優雅な仕草でお茶を飲む侍女長はどこをどう見ても貴族令嬢だ。本当、何でこの人使用人になんてなってるんだと何度か思った事がある。奥様の大ファンだからなんだけど。
「嬉しそうなあの奥様のご様子…尊かった…今日も良い仕事をしたわ。ああ、ご一緒出来ない事が残念で仕方ない…。しようと思っていた仕事も午前中で殆ど終わってしまいましたし…。
こういう日はもう少し人数を減らしてもいいわね。」
「あ、侍女長。でしたらあたしに休みを下さいな。具合が中々よくならなくてちょうどお医者に見てもらおうと思ってたんですよ。」
「……いいですわよ。何なら今日はもう上がりなさいな。」
「ありがとうございます!じゃあ折角なんで休憩が終わったら…今日は上がらせてもらいます。」
侍女長の眉が一瞬ぴくりと動いたのは見逃さなかった。
恐らく内心では“またか”と思っている事だろう。
何故なら…この女は結構な頻度で仕事サボ…休んでいるからである。
私たちへの待遇の話が出てから、この女は“最近体調が悪い”という理由でよく仕事を休むようになった。
それはまるで、奥様からの“自分を大切にして欲しい”という免罪符があるかのように振る舞って。
休んだ日は屋敷の自室で大人しくしているものの、自分が休みの日は喜々として出掛けているという…傍から見れば体調悪いの嘘だろ?と思われても仕方ない事をしている。
「皆さん、すいませんがお先に。」
「…ゆっくり休んで頂戴。」
「ありがとうございます!」
閉じたドアの音を聞き、はぁ、と重たい溜息が重なった。
「…困った人ですねー。」
「ええ。…とは言え、仕事はちゃんとされるのよ、あの方。休みは多いけれど。出てきた日はご自身の仕事をちゃんとするの。休むだけで。」
「…必要なんですか?」
「…いいえ。別に。彼女の仕事は屋敷の雑務で誰にも出来ないという訳ではないけれど…ええ、体調が悪いというのはどの程度のものかなんて他人には分からない部分です。
ディアストロ伯爵様に雇われてからの日々とこのお屋敷に来てからの一月余りはこうじゃなかったのだから…もしかしたら、体調が良くなれば…という望みもありますわね。」
「…分からないものですね。人間って。」
「いや、あれが本性なんじゃないかって俺は思いますけど。」
「全く、真面目に働いている人間を馬鹿にしてんのかねぇ、あの子は!人間、楽して稼ぐ事を覚えちゃダメだね!!」
「俺の前の仕事は休みっていう休みもなく毎日働いて銀貨五枚だったし…でもここは週に二日も休めて休憩まであって、それで金貨二枚も貰える。誰かの代わりに余分に出ればその分も出るし、…ここを知っちまったら他では働けなくなるわなぁ。」
「月の半分休んでも金貨一枚くらいにはなるだろうしね。
でも、平民で学の無い私でも分かりますよ、奥様の言いたい事は。自分を大切にして、働きやすい環境、の意味は決して楽をしてっていう意味じゃないでしょうに。」
「まあまあ。このままなんであればそれはそれで困るから、僕と侍女長で旦那様と奥様に相談してみるよ。ね、侍女長。」
「ええ。奥様は一生懸命な人間を大切にすると仰って下さいました。体調に関しては嘘か本当かは分かりません。ですが、怠惰であるならば、今後の仕事に表れてくるでしょう。人としても。…私はそれを、見たいと思います。旦那様と奥様の代わりとして。」
そう静かに言った侍女長の目は鋭くてとても怖かった。
私もあの女の事は大嫌いになっているし、正直辞めて欲しいと思っているくらいだけど、侍女長はもっと、誰よりも、内に怒りがあるような気がした。
それからも女は変わらなかった。
週の殆どを休んだ日もあれば、元気に働く週もある。
休みの日は相変わらず楽しそうに過ごしていて、休み明けの日にはあれを買っただの、こんな事をしただの楽しそうに話しているのを目にすると堪えている怒りが沸々としてしまう。
ある日、侍女長と休みが重なった私は昼食に誘われた先で侍女長の思いを知る事になった。
「奥様を知る前の私はね、貴族らしいと言えば貴族らしい、楽をして生きる人間…って言うのかしら。
人のお金で生きていくのが当たり前で、自分の下にいる人間が苦労するのが当たり前。そんな風な人間でしたの。」
「え。…ちょっと信じられないです。」
「ふふ。…だとしたら、全部奥様のお陰ね。」
侍女長が奥様を知ったのは、奥様が陛下の婚約者として社交デビューした日だったと言う。
絶世の美女、女神の如き美しさ。実際にその目で見て、余りの美しさに一瞬で虜になったのだ。…分かる。多分私も一瞬で虜になる。
それから奥様の事が載っている記事だとか、関わりのある所や人たちから情報を集めたりだとか、奥様が行った事のある所に実際行ったりだとか、本当に色々追っかけていたらしい。
「奥様が災害のあったディアゴ村に滞在している、という話を聞いて…一目見れればという思いで、父にお願いして護衛を付けてもらって。」
「会えたんですか?」
「ええ、いたの。まさか会えるなんて、って興奮したのよね。…でも次の瞬間は別の感情でいっぱいだったわ。
だって、村の男たちと一緒に土砂を片付けてたんだもの。」
「……はい?」
「声を掛けるとかもう、そういう頭は無かった。
それからずっと、奥様の姿を見ていたけれど…女たちに混じって炊き出しをしたりだとか、子供たちの相手をしたりだとか、村の為に、こうして見ようああして見よう…そこにいる人たちに寄り添う。そういう、一生懸命な姿が、初めてお姿を見たあの着飾った時以上に美しくて。…私、気付いたら泣いていたの。その時は自分自身でも何の涙か分からなかったけれど、…人って、感動しても涙が出るのだわ。尊いものを見た時にも、涙が出るのだわ。
そういうものを目にした時、人は自分の生き方に対して疑問を持つのだと思う。
そして己の小ささに気付いて、恥じるの。」
「……。」
「楽をして生きたいと思うのは、きっと誰でも思う事よ。
私は自由にお金を使って着飾って楽しく生きる事を自分に与えられた権利とも思ってた。
でも美しくはないわ。きっと誰の目にも輝いて映る事もない。それまで。一生懸命な人間に、どれだけ着飾ったとしても私は敵わないと思った。
美しいは、ただ美しくあるだけでない。内面の美しさや輝きが、大きく人を惹きつけるのよ。
身を以て知った瞬間だったわ。…私は、あの瞬間を生涯忘れる事はないでしょう。私の人生、価値観が丸ごと変わったあの瞬間を。」
「……。」
「だからなのかしら。あの方を見てると…過去の自分を見ているようで腹が立つの。まあ、私とあの方ではまた違うのだけど。
自分の価値を、自分で落としていくのだわ。その中で、自身を小さい人間にしていくのよ。ああいう方は。
…ごめんなさいね。愚痴に付き合ってもらって。
でも、吐き出してしまいたくて。」
「あ、いえ!」
その時の侍女長は凛としていてとても美しく見えたと同時に、私はどうなんだろうと疑問が湧いた。
貧乏だった家。仕方がないと受け入れて生きてきた。
再建の道も探した。でもこれといった案は生まれなかった。
貴族だった私は、一生懸命だっただろうか。いいや。私は、等に諦めていたのだと気付いた。
家はきっと駄目になる。常にそう思っていた。
どうにか出来たらと思う気持ちは本当だったけれど、諦めていたのだからどうにか出来るわけもない。
家が貧乏だから。悪い事が立て続けに起こったから。父の才が人並みだから。母が平民の出で学が無かったから。
だから、何だったのだろう。私自身ががむしゃらに努力した事なんて一度も無かったというのに。
ただ受け入れてその時出来る最低限の事をしていただけだったというのに。
気付いたら恥ずかしくなった。自分は一生懸命生きてきた、そんな人間のつもりだった。他の人たちよりうんと、沢山苦労していると思っていた。
でもそうじゃなかった。自分の生き方は“頑張って生きてきました!”と人に胸を張って言えるような、そんなものじゃなかったのだ。
何だかとても恥ずかしくなって、居た堪れなくなって、俯いてしまった私に侍女長は言う。
「気付いた時に、人って少しでも変われるものよ。
私がそうだったのですから。
直接言われた訳ではないけれど、奥様が教えて下さったの。
私が奥様を追いかけ見てきた先々で。誰かへの行動や言葉を通して、そういう風に教えて下さった。」
「…気付いた時に…」
「私の自由はあと二年。
二年経てば決められた家に嫁ぐの。働きたいと言った時父は渋ったけれど、仕える方が騎士団長様と彼に嫁いでくる皇后陛下と知ってからは喜んだ。
私はね、自由である内に奥様の見ている世界を知っておきたい。
美しさは生き方に現れる。奥様の美しさは、私の指針なのよ。」
「……。」
「これまであった当たり前を崩す事は並大抵の事ではないわ。もう正直に話すけれど、私は初めて陛下や旦那様を見た時…“気持ち悪い”と思ったの。とても不敬な事だけど。」
「今は違うんですか…?」
「ええ、多少なりとは変われたと思うわ。まだまだですけど。
…奥様の近くにいるとよく分かったの。先入観、価値観に囚われず個人を見るという至極当たり前の事を。個人を見れば違う見方が出来るようになった。ただ気持ち悪いとだけしか思わなかった感情が、普通の男性なのね、と思うようになった。
その後は本当に身勝手だけど、何だか同志みたいな気持ちだわ。」
「…同志?」
「ええ。奥様が大好きな者同志。
毎回の衣装もよく分かってるじゃない!なんておかしな話よね。」
「ぶふっ…!!」
「近付きたいの。奥様に。容姿に近付きたいなんて烏滸がましい事言わないわ。そうではなくて、私は奥様の…内から輝く美しさの虜なの。だから奥様は沢山の人を惹きつける。貴女も、よく分かってるんじゃなくて?」
「はい。分かります。」
今、私は毎日が楽しい。旦那様と奥様の屋敷でずっと働き続けたいと思うくらい。
弟のあの、生き生きとした表情。
仲間たちの、楽しそうな、毎日やる気に満ちた表情。
思い返せば私たちの笑顔の理由は奥様が作って下さったものだった。
「褒めてもらうのが、嬉しいんです。
認められる事が、こんなに誇らしいものだと知りませんでした。
自分にも出来る事が沢山あるんだと知って、楽しいんです。
もっと、頑張りたいって思うんです。
もっともっと、出来るはずだからって。…そう、思わせてくれるんです。奥様って。」
「ええ、そうね。」
「大変な事もあるし、体が辛い時もある。仕事は以前働いていた所の方が大変だったけど、あの時だって多分、一生懸命だったけど、何も考えてなかった。生きていく為にお金を稼ぐ、ただそれだけで、生き方としては今を生きているだけで、楽だった。」
「今は違う?」
「はい。人生に楽しみが持てるようになりました。
ただ与えられた仕事をするのではなくて、…こうしたらどうだろう、奥様は、旦那様は、喜んでくれるだろうか。
自分の事も一生懸命考えてなかったのに、色んな事を考えるようになりました。
お屋敷でずっと働きたいから今の自分をもっと成長させたい。結婚しても求められるように、もっと自分の価値を高めていきたい。
…侍女長。一生懸命生きるって、こんなに楽しいんですね。」
「今の貴女、美しいわ。」
「そう見えているなら、嬉しいです。」
見えているわよと侍女長に言われ、少し気恥ずかしい気持ちになる。
奥様に仕えてからの私は少しだけ人として成長出来たのだろう。
先程侍女長が言っていた言葉の通り、奥様に直接言われたわけではない。
けれど、誰かへの奥様の些細な言葉や行動をお側で見ている内に少しずつ変わっていったのだろう。
そうして過ごす内にすっかり、私は奥様は勿論旦那様の事も大好きになっていったのだから。
気付かぬ間に、私の人生の価値観が変わり、人生の指針がはっきりと決まった瞬間だった。
あっという間に新婚休暇は過ぎて旦那様は仕事、奥様はお屋敷で旦那様のお帰りを待つ日々が始まった。
旦那様の仕事が休みの今日はお二人でデートに行くとの事で…私は朝から奥様の身支度に大奮闘。
仕上がりは完璧。元々絶世の美女な奥様が更にお美しくなって…あれ?これ、今日の奥様を外に出して大丈夫?死人出ない?と不安になってしまった程だ。
何せ私たちより奥様耐性があるはずの旦那様が今日の奥様を見た瞬間、真っ赤になってよろけるくらいだったので。他の使用人?あー、うん、暫く使い物にならないとだけ言っておく。
「…それじゃ…留守、宜しく。」
「畏まりました。旦那様、奥様、お気をつけて。
屋敷の事は私共に任せ、どうぞ存分に楽しんできて下さいまし。」
『旦那様、奥様、行ってらっしゃいませ!!』
「はい!行ってきます!ほら、カイルも。」
「…行ってくる。」
お二人を見送る私の今の気持ちはとてもほっこりした気持ちである。
たった三ヶ月、されど三ヶ月。私はこの三ヶ月…厳密に言えば奥様が嫁いで来られてからの二ヶ月でお二人が大好きになったからだ。
「さ、皆さん!今日も張り切って行きますわよ!」
『はいっ!!』
廊下の掃除に取り掛かりながら思う。今日、お二人はどんな一日を過ごすのだろうかと。
お二人ならきっと楽しい一日を過ごすに違いないだろうけど…本音を言えば、この目で直に仲睦まじいご様子を見られない事がとても残念だ。
主人がいない屋敷はどこか寂しささえ感じてしまう。
黙々と仕事をしていたので掃除はあっと言う間に終わってしまい、さて次は何をしようかと悩んでいた時に弟が声を掛けてきた。
「もしかして姉様も終わった?」
「そう。次何しようかなって思ってた所よ。」
「皆暫くやる事ないみたいだから休憩にしないかって。執事長と侍女長の提案。」
「あ、そうなんだ。
…何かさ、いつもは奥様のお相手……まあ、お茶入れたりお喋りしたりなんだけど。…それがないだけで結構暇になるんだな~って。」
「奥様のお世話をする侍女皆そんな感じだから今日あんまやる事ないんだよ。皆黙々と仕事してんだもん。」
「あー…、もしかして他のメンバーに負担かけてた?不満出てない?」
「え?全然。皆それぞれの仕事してるじゃん。
何の不満があんの?」
「お前らだけ楽しそうにしやがって…的な?」
「ぶ、ははは…!何それ!?そんな事思ってないよ俺!って言うか、皆楽しんでんじゃない?俺もめっちゃ楽しんでるよ、ここの仕事。」
「そうなんだ。」
「そうなんです。これも奥様の人柄故だろうね。
大事にしてくれてるの分かる。奥様が俺たちを大事にしてくれるから、旦那様も大事にしてくれるんだ。」
「分かる。」
あれは新婚休暇が終わってすぐの事。
休み以外の使用人を呼び出した奥様は私たちの待遇について話をして下さった。
『急に呼び出してごめんね。忙しい中集まってくれてありがとう。』
労りの言葉から始まった話は、最後まで奥様の優しさが詰まったものだった。
『基本は週休二日制にして、三日以上休みたい場合だけど…事前に事情が分かっている場合相談して人数の調整をしようと思ってるの。
急な予定や体調不良なんかで当日お休みする場合はその日の人数が足りていないなら休みの誰かに頼む、休みを交換してもらう。
やり方は色々あるから、そこも相談していきましょう。』
『???』
『お給金については基本の週休二日を出ている場合、一ヶ月の固定はこれまでと変わらず金貨二枚。
週二日以上の休みを取る場合、休みの分は差し引くけれど、代わりに出勤した場合だとかはきちんと出るから安心してね。日給で計算して、月で支給します。
これは事前にカイルや執事長、侍女長と相談済で、後は皆の意見を聞くだけ。』
『…え…?』
因みにこの“え?”は不満あっての“え?”ではなく、普段高いお給金もらってるのに休みまで待遇良くていいの?の“え?”である。まさかこれからきっつい仕事が待ってるんじゃ…と不安になったけれど、全然そんな事はなかった。
『仕事の合間の休憩は勿論、お休みはしっかり取ってほしい。
体調が悪い時や家族が病気になったり…不幸があったり、そういう時まで仕事を優先して欲しくない。
自分自身、家族、大切な人を一番に考えて。
生きていく上で仕事は勿論大切だけど、プライベートもとても大切だもの。』
『……。』
『少しでも楽しんで仕事をして欲しい。
んと…楽をする…という意味ではなくて、勿論仕事はちゃんとして欲しい。でも、仕事仕事、休みの日は疲れた体を休めるだけ…そういうのが続くと、何の為に生きてるんだろう。何で何でって虚しくなる時もある。ただ生きていく為だけじゃなくて、仕事の上での何かが、貴方たちの人生の糧の一つになれたら…私はすごく嬉しい。』
『……。』
『長く働いて欲しいし、一生懸命働いてくれるならその気持ちに応えたい。そういう人たちだから大切にしたい。それはルールを守って一生懸命働いてくれる人たちに対しての対価。お給金だけじゃなくて、働き易い環境を作るのも対価の一つだと思ってる。』
凄い衝撃だった。
平民出身な仲間の何人かは“あれが立派な貴族の施しってやつだよ”とか“奥様は貴族の鑑みたいなお人だ”とか、“貴族が皆奥様みたいなら良かったのに”と言っていたけれど、違う。
同じ人間のはずなのに、私たちと何処か根本的な所が違うような。
奥様はまるで、別の世界の人のような…不思議な存在に感じた。
見ている世界が余りにも違うように思えた。
「奥様はさ、何っていうか…不思議よね。
私たちは貧乏だったけど、でも貴族だった。
私の中に…平民を見下す…って言い方したら悪いけど、全く無かった訳じゃないのよね。
母様は元は平民だけど、そういう気持ちはなかったのに。」
「身内だからだよ。…俺も、全く無かったわけじゃないって気付いたんだよね。心の何処かで自分たちと領民の皆を区別…まあ悪い言い方したら差別?してた。平民になって気づいたんだけど。」
「…うん。」
「生きていく上では仕方ない。こうだったらって思ってもなってないんだから仕方ない。
でも、何で怒られてまでこんな事しなくちゃいけないんだろうって、本当なら、こんな事しなくていい身分だったのにって。楽しいなんて思わなかったし。まあ、責任が無い分気は楽だったけどね。
…貧乏だったけど、貴族だった頃はまだ良かったって何度思った事か。そういう事でしょ?」
「そう。でもねえ…ここにいると、貴族だった頃の自分も平民の自分もどうでもよくなってきちゃった。今、私は私なんだって…それでいいんだって、そんな感じ?」
「うん、分かる。…で、姉様が言った不満出てない?に話が戻るんだけどさ。多分、普通ならある程度の不満が出てたんだと思う。だってさ、平民出身か貴族出身かで仕事内容が違うんだから。」
「まあね~。」
「でも何で無いかって、奥様だよ。
奥様って一人一人を見てるんだ。人を、平民か貴族かとか、仕事が出来る出来ないかで見てるんじゃなくて、差を付けるでもなくて。その人本人を見てるからそういう不満が出てこないんだ。
其々評価している部分を伝えてくれる。注意もするけど、でも一方的じゃない。だから仕事をする上で不満よりも、頑張っている姿を見て欲しいの方が勝つんだよ。」
そう言う弟の表情はとても生き生きしていた。
貴族として暮らしていた頃よりもずっと、ずっと。
「それにさ。旦那様も、最初の頃より喋ってくれるようになった。まあ、それでも一言二言なんだけど。何かしたらお礼言ってくれたりね。
奥様がそうしてるから、旦那様も、個人を見ようとしてくれてるのが分かってきた。
俺さ、こんな事言ったら失礼だけど……結構、旦那様の事好きだよ。」
「ぷっ…!」
「まあ一番好感高いのは選んだ女があの奥様だって事だね。
奥様の見ている旦那様を見て…少し変わった気がする。上っ面だけじゃ分かんない事が沢山あるんだな~って。」
「そうねぇ。旦那様って可愛いんだなって事とかね。」
「あ、そうそう!それ!
俺、奥様の前の旦那様が子供とか犬に見える時あるもん。」
「あ~、分かる~!」
休憩室に到着すると既に使用人仲間たちが集まって談笑を始めていた。
今日の茶菓子はカボチャのパイで、侍女長が取り分けてくれている。
仲間たちとこうして休憩を取るのももう何度目だろうか。
たまに個人の愚痴を言ったり、仕事の事で意見の違いがあって対立したりする事もあるけれど…それなりに仲良くさせてもらっている。
言えるのは、この屋敷で働いている殆どの仲間たちがここでの仕事に対して誠実であると言う事。
寄せられた信頼、期待に応えたい、もっと良くしていきたい。そういう気持ちが強いから対立が生まれる事もあるけれど、私はそういうぶつかり合いも嫌いじゃなかった。
ただ、何処に行っても相容れない人間というのは存在するけれど。
このお屋敷で働くようになってまだたった三ヶ月。されど三ヶ月。厳しい試用期間を互いに乗り越えてきた仲間たちにも働く理由がそれぞれある。そして少しずつ仕事に慣れた頃、見えなかったその人個人の人間性…というやつも見えてくるのだ。
「ふう…。旦那様も奥様もいらっしゃらないと暇になってしまうわね。」
「ええ。でもこうしてゆっくりさせてもらえるのは有り難いです。まあ、普段もちゃんと休憩取らせてもらってるんですけど…交代制ですし、こんな風に皆揃ってって中々出来ないですしね。」
「ふふ、そうね。」
優雅な仕草でお茶を飲む侍女長はどこをどう見ても貴族令嬢だ。本当、何でこの人使用人になんてなってるんだと何度か思った事がある。奥様の大ファンだからなんだけど。
「嬉しそうなあの奥様のご様子…尊かった…今日も良い仕事をしたわ。ああ、ご一緒出来ない事が残念で仕方ない…。しようと思っていた仕事も午前中で殆ど終わってしまいましたし…。
こういう日はもう少し人数を減らしてもいいわね。」
「あ、侍女長。でしたらあたしに休みを下さいな。具合が中々よくならなくてちょうどお医者に見てもらおうと思ってたんですよ。」
「……いいですわよ。何なら今日はもう上がりなさいな。」
「ありがとうございます!じゃあ折角なんで休憩が終わったら…今日は上がらせてもらいます。」
侍女長の眉が一瞬ぴくりと動いたのは見逃さなかった。
恐らく内心では“またか”と思っている事だろう。
何故なら…この女は結構な頻度で仕事サボ…休んでいるからである。
私たちへの待遇の話が出てから、この女は“最近体調が悪い”という理由でよく仕事を休むようになった。
それはまるで、奥様からの“自分を大切にして欲しい”という免罪符があるかのように振る舞って。
休んだ日は屋敷の自室で大人しくしているものの、自分が休みの日は喜々として出掛けているという…傍から見れば体調悪いの嘘だろ?と思われても仕方ない事をしている。
「皆さん、すいませんがお先に。」
「…ゆっくり休んで頂戴。」
「ありがとうございます!」
閉じたドアの音を聞き、はぁ、と重たい溜息が重なった。
「…困った人ですねー。」
「ええ。…とは言え、仕事はちゃんとされるのよ、あの方。休みは多いけれど。出てきた日はご自身の仕事をちゃんとするの。休むだけで。」
「…必要なんですか?」
「…いいえ。別に。彼女の仕事は屋敷の雑務で誰にも出来ないという訳ではないけれど…ええ、体調が悪いというのはどの程度のものかなんて他人には分からない部分です。
ディアストロ伯爵様に雇われてからの日々とこのお屋敷に来てからの一月余りはこうじゃなかったのだから…もしかしたら、体調が良くなれば…という望みもありますわね。」
「…分からないものですね。人間って。」
「いや、あれが本性なんじゃないかって俺は思いますけど。」
「全く、真面目に働いている人間を馬鹿にしてんのかねぇ、あの子は!人間、楽して稼ぐ事を覚えちゃダメだね!!」
「俺の前の仕事は休みっていう休みもなく毎日働いて銀貨五枚だったし…でもここは週に二日も休めて休憩まであって、それで金貨二枚も貰える。誰かの代わりに余分に出ればその分も出るし、…ここを知っちまったら他では働けなくなるわなぁ。」
「月の半分休んでも金貨一枚くらいにはなるだろうしね。
でも、平民で学の無い私でも分かりますよ、奥様の言いたい事は。自分を大切にして、働きやすい環境、の意味は決して楽をしてっていう意味じゃないでしょうに。」
「まあまあ。このままなんであればそれはそれで困るから、僕と侍女長で旦那様と奥様に相談してみるよ。ね、侍女長。」
「ええ。奥様は一生懸命な人間を大切にすると仰って下さいました。体調に関しては嘘か本当かは分かりません。ですが、怠惰であるならば、今後の仕事に表れてくるでしょう。人としても。…私はそれを、見たいと思います。旦那様と奥様の代わりとして。」
そう静かに言った侍女長の目は鋭くてとても怖かった。
私もあの女の事は大嫌いになっているし、正直辞めて欲しいと思っているくらいだけど、侍女長はもっと、誰よりも、内に怒りがあるような気がした。
それからも女は変わらなかった。
週の殆どを休んだ日もあれば、元気に働く週もある。
休みの日は相変わらず楽しそうに過ごしていて、休み明けの日にはあれを買っただの、こんな事をしただの楽しそうに話しているのを目にすると堪えている怒りが沸々としてしまう。
ある日、侍女長と休みが重なった私は昼食に誘われた先で侍女長の思いを知る事になった。
「奥様を知る前の私はね、貴族らしいと言えば貴族らしい、楽をして生きる人間…って言うのかしら。
人のお金で生きていくのが当たり前で、自分の下にいる人間が苦労するのが当たり前。そんな風な人間でしたの。」
「え。…ちょっと信じられないです。」
「ふふ。…だとしたら、全部奥様のお陰ね。」
侍女長が奥様を知ったのは、奥様が陛下の婚約者として社交デビューした日だったと言う。
絶世の美女、女神の如き美しさ。実際にその目で見て、余りの美しさに一瞬で虜になったのだ。…分かる。多分私も一瞬で虜になる。
それから奥様の事が載っている記事だとか、関わりのある所や人たちから情報を集めたりだとか、奥様が行った事のある所に実際行ったりだとか、本当に色々追っかけていたらしい。
「奥様が災害のあったディアゴ村に滞在している、という話を聞いて…一目見れればという思いで、父にお願いして護衛を付けてもらって。」
「会えたんですか?」
「ええ、いたの。まさか会えるなんて、って興奮したのよね。…でも次の瞬間は別の感情でいっぱいだったわ。
だって、村の男たちと一緒に土砂を片付けてたんだもの。」
「……はい?」
「声を掛けるとかもう、そういう頭は無かった。
それからずっと、奥様の姿を見ていたけれど…女たちに混じって炊き出しをしたりだとか、子供たちの相手をしたりだとか、村の為に、こうして見ようああして見よう…そこにいる人たちに寄り添う。そういう、一生懸命な姿が、初めてお姿を見たあの着飾った時以上に美しくて。…私、気付いたら泣いていたの。その時は自分自身でも何の涙か分からなかったけれど、…人って、感動しても涙が出るのだわ。尊いものを見た時にも、涙が出るのだわ。
そういうものを目にした時、人は自分の生き方に対して疑問を持つのだと思う。
そして己の小ささに気付いて、恥じるの。」
「……。」
「楽をして生きたいと思うのは、きっと誰でも思う事よ。
私は自由にお金を使って着飾って楽しく生きる事を自分に与えられた権利とも思ってた。
でも美しくはないわ。きっと誰の目にも輝いて映る事もない。それまで。一生懸命な人間に、どれだけ着飾ったとしても私は敵わないと思った。
美しいは、ただ美しくあるだけでない。内面の美しさや輝きが、大きく人を惹きつけるのよ。
身を以て知った瞬間だったわ。…私は、あの瞬間を生涯忘れる事はないでしょう。私の人生、価値観が丸ごと変わったあの瞬間を。」
「……。」
「だからなのかしら。あの方を見てると…過去の自分を見ているようで腹が立つの。まあ、私とあの方ではまた違うのだけど。
自分の価値を、自分で落としていくのだわ。その中で、自身を小さい人間にしていくのよ。ああいう方は。
…ごめんなさいね。愚痴に付き合ってもらって。
でも、吐き出してしまいたくて。」
「あ、いえ!」
その時の侍女長は凛としていてとても美しく見えたと同時に、私はどうなんだろうと疑問が湧いた。
貧乏だった家。仕方がないと受け入れて生きてきた。
再建の道も探した。でもこれといった案は生まれなかった。
貴族だった私は、一生懸命だっただろうか。いいや。私は、等に諦めていたのだと気付いた。
家はきっと駄目になる。常にそう思っていた。
どうにか出来たらと思う気持ちは本当だったけれど、諦めていたのだからどうにか出来るわけもない。
家が貧乏だから。悪い事が立て続けに起こったから。父の才が人並みだから。母が平民の出で学が無かったから。
だから、何だったのだろう。私自身ががむしゃらに努力した事なんて一度も無かったというのに。
ただ受け入れてその時出来る最低限の事をしていただけだったというのに。
気付いたら恥ずかしくなった。自分は一生懸命生きてきた、そんな人間のつもりだった。他の人たちよりうんと、沢山苦労していると思っていた。
でもそうじゃなかった。自分の生き方は“頑張って生きてきました!”と人に胸を張って言えるような、そんなものじゃなかったのだ。
何だかとても恥ずかしくなって、居た堪れなくなって、俯いてしまった私に侍女長は言う。
「気付いた時に、人って少しでも変われるものよ。
私がそうだったのですから。
直接言われた訳ではないけれど、奥様が教えて下さったの。
私が奥様を追いかけ見てきた先々で。誰かへの行動や言葉を通して、そういう風に教えて下さった。」
「…気付いた時に…」
「私の自由はあと二年。
二年経てば決められた家に嫁ぐの。働きたいと言った時父は渋ったけれど、仕える方が騎士団長様と彼に嫁いでくる皇后陛下と知ってからは喜んだ。
私はね、自由である内に奥様の見ている世界を知っておきたい。
美しさは生き方に現れる。奥様の美しさは、私の指針なのよ。」
「……。」
「これまであった当たり前を崩す事は並大抵の事ではないわ。もう正直に話すけれど、私は初めて陛下や旦那様を見た時…“気持ち悪い”と思ったの。とても不敬な事だけど。」
「今は違うんですか…?」
「ええ、多少なりとは変われたと思うわ。まだまだですけど。
…奥様の近くにいるとよく分かったの。先入観、価値観に囚われず個人を見るという至極当たり前の事を。個人を見れば違う見方が出来るようになった。ただ気持ち悪いとだけしか思わなかった感情が、普通の男性なのね、と思うようになった。
その後は本当に身勝手だけど、何だか同志みたいな気持ちだわ。」
「…同志?」
「ええ。奥様が大好きな者同志。
毎回の衣装もよく分かってるじゃない!なんておかしな話よね。」
「ぶふっ…!!」
「近付きたいの。奥様に。容姿に近付きたいなんて烏滸がましい事言わないわ。そうではなくて、私は奥様の…内から輝く美しさの虜なの。だから奥様は沢山の人を惹きつける。貴女も、よく分かってるんじゃなくて?」
「はい。分かります。」
今、私は毎日が楽しい。旦那様と奥様の屋敷でずっと働き続けたいと思うくらい。
弟のあの、生き生きとした表情。
仲間たちの、楽しそうな、毎日やる気に満ちた表情。
思い返せば私たちの笑顔の理由は奥様が作って下さったものだった。
「褒めてもらうのが、嬉しいんです。
認められる事が、こんなに誇らしいものだと知りませんでした。
自分にも出来る事が沢山あるんだと知って、楽しいんです。
もっと、頑張りたいって思うんです。
もっともっと、出来るはずだからって。…そう、思わせてくれるんです。奥様って。」
「ええ、そうね。」
「大変な事もあるし、体が辛い時もある。仕事は以前働いていた所の方が大変だったけど、あの時だって多分、一生懸命だったけど、何も考えてなかった。生きていく為にお金を稼ぐ、ただそれだけで、生き方としては今を生きているだけで、楽だった。」
「今は違う?」
「はい。人生に楽しみが持てるようになりました。
ただ与えられた仕事をするのではなくて、…こうしたらどうだろう、奥様は、旦那様は、喜んでくれるだろうか。
自分の事も一生懸命考えてなかったのに、色んな事を考えるようになりました。
お屋敷でずっと働きたいから今の自分をもっと成長させたい。結婚しても求められるように、もっと自分の価値を高めていきたい。
…侍女長。一生懸命生きるって、こんなに楽しいんですね。」
「今の貴女、美しいわ。」
「そう見えているなら、嬉しいです。」
見えているわよと侍女長に言われ、少し気恥ずかしい気持ちになる。
奥様に仕えてからの私は少しだけ人として成長出来たのだろう。
先程侍女長が言っていた言葉の通り、奥様に直接言われたわけではない。
けれど、誰かへの奥様の些細な言葉や行動をお側で見ている内に少しずつ変わっていったのだろう。
そうして過ごす内にすっかり、私は奥様は勿論旦那様の事も大好きになっていったのだから。
気付かぬ間に、私の人生の価値観が変わり、人生の指針がはっきりと決まった瞬間だった。
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