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第二章 自立
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「よかった、見つかって……」
麻生は駆け寄って、真凜を抱きしめた。
「真凜さん、抑制剤を車内に落としていかれたでしょう。それで、慌てて追いかけてきたんです……。大丈夫ですか?」
「――っく……。う、こ、こわ、くて……」
真凜は、泣きじゃくりながら麻生の胸に顔を埋めた。麻生は、真凜の服装にチラリと視線を走らせた。暴行されたわけではないとわかったのか、安堵したような表情を浮かべる。
「よしよし、もう怖くないですよ」
麻生が、ぽんぽんとあやすように背中を叩く。真凜はそれでも、涙が止まらなかった。
「――やだ、もう、ゆるして……。――っく……。しな、いで……」
「大丈夫ですよ。ここには、怖い人はいませんから。……さあ、抑制剤を飲んで」
麻生が、抑制剤を差し出す。真凜は受け取ろうとしたが、手が震えて摘まめなかった。
「――失礼」
麻生は自分の口に抑制剤を放り込むと、真凜の頬を包んだ。唇が重ねられ、錠剤が口移しに押し込まれる。
(……気持ちいい)
麻生の手の感触は、心地良かった。不思議な安心感に包まれながら、錠剤を嚥下する。しばらくすると、真凜はようやく冷静さを取り戻した。
「……ごめんなさい、取り乱して」
「落ち着きましたか」
麻生はほっとしたような顔をした。
「嫌かもしれませんが、やはり車でお送りしましょう。その状態で、電車で帰すわけにはいきません」
麻生の言うことは、もっともだ。抑制剤が効いてくるまでには、しばらく時間がかかる。フェロモンをまき散らしながら、ここに留まるわけにもいかなかった。黙ってうなずくと、麻生はすかさず手を差し伸べた。
「立てそうですか?」
真凜は、ふるふると首を振った。膝が震えて、とても立ち上がれそうにない。麻生は、合点したようにうなずいた。
「なら、少し辛抱してくださいね」
麻生は、真凜の膝の裏に手を差し入れ、抱き上げた。そのまま、軽々と運んで行く。真凜は、思わず彼の肩に顔を押し付けた。
(――違う。麻生さんは、前世で僕を狙った男じゃない……)
真凜は確信した。息せき切ってここに現れた麻生の瞳には、真凜を案じる思いがあふれていた……。
麻生の車の助手席に乗せられると、真凜はほっとため息をついた。だが、安堵したのも束の間だった。疼くような激しい欲求が、突き上げてきたのだ。それは、麻生も同様と思われた。車に乗り込んで以降、彼は一度も真凜の方を見ようとしないのだ。眉間に皺を寄せて、何かに耐えている様子だった。出発前、彼は素早くアルファ用抑制剤を摂取していた。だが、真凜のオメガフェロモンが充満したこの狭い空間では、大して効き目はないのだろう。
(やっぱり、車に乗るべきじゃなかったかな。でも、電車はもっとまずいだろうし……)
「効きませんか?」
麻生が、低い声で尋ねる。一拍遅れて、抑制剤のことだと気がついた。
「まだ、みたいです……」
「いつもこんなに、効くのが遅いんですか? それとも、効きにくいタイプ?」
麻生の口調は激しかった。叱られているような気分になり、真凜は思わずうつむいた。
「――わかんなっ……、いつもは、こんなじゃ……」
自分だって、なりたくてなっているわけじゃない。だが、躰の火照りは悪化する一方だった。前は痛いほど張り詰め、内部は熱く潤みきっている。分泌液があふれ出して座席を汚さないか、心配になるくらいだ。真凜もまた、麻生のアルファフェロモンに影響されているのだろう。
「麻生さ……」
「話しかけないで!」
麻生が鋭い声を放つ。こんな彼は初めてだった。
「あなたの顔を見たら、声を聞いたら……、自分が何をするか、責任を持てない」
うめくように呟きながら、麻生は少しだけ窓を開けた。全開にしたら、外にいるアルファを刺激する危険があるからだろう。二人は、無言のドライブを続けた。それは、気が遠くなるほど長い時間だった。
「……着きましたよ」
麻生の声に、真凜ははっと我に返った。朦朧としている間に、ようやくマンションに帰り着いたらしい。
「いとこさんに電話して、下まで迎えに来てもらってください」
相変わらず前を向いたまま、麻生が言う。ここで真凜を一人にするのは危険だ、と判断したのだろう。確かに、自分の部屋までたどり着く間に、住人に襲われる可能性だってある。しかし……。
「いません」
真凜の言葉に、麻生ははっとしたようにこちらを見た。
「叶真、今夜は帰らないんです」
目を見て告げれば、麻生は呆然とした表情を浮かべた。
「――何てことだ」
麻生は駆け寄って、真凜を抱きしめた。
「真凜さん、抑制剤を車内に落としていかれたでしょう。それで、慌てて追いかけてきたんです……。大丈夫ですか?」
「――っく……。う、こ、こわ、くて……」
真凜は、泣きじゃくりながら麻生の胸に顔を埋めた。麻生は、真凜の服装にチラリと視線を走らせた。暴行されたわけではないとわかったのか、安堵したような表情を浮かべる。
「よしよし、もう怖くないですよ」
麻生が、ぽんぽんとあやすように背中を叩く。真凜はそれでも、涙が止まらなかった。
「――やだ、もう、ゆるして……。――っく……。しな、いで……」
「大丈夫ですよ。ここには、怖い人はいませんから。……さあ、抑制剤を飲んで」
麻生が、抑制剤を差し出す。真凜は受け取ろうとしたが、手が震えて摘まめなかった。
「――失礼」
麻生は自分の口に抑制剤を放り込むと、真凜の頬を包んだ。唇が重ねられ、錠剤が口移しに押し込まれる。
(……気持ちいい)
麻生の手の感触は、心地良かった。不思議な安心感に包まれながら、錠剤を嚥下する。しばらくすると、真凜はようやく冷静さを取り戻した。
「……ごめんなさい、取り乱して」
「落ち着きましたか」
麻生はほっとしたような顔をした。
「嫌かもしれませんが、やはり車でお送りしましょう。その状態で、電車で帰すわけにはいきません」
麻生の言うことは、もっともだ。抑制剤が効いてくるまでには、しばらく時間がかかる。フェロモンをまき散らしながら、ここに留まるわけにもいかなかった。黙ってうなずくと、麻生はすかさず手を差し伸べた。
「立てそうですか?」
真凜は、ふるふると首を振った。膝が震えて、とても立ち上がれそうにない。麻生は、合点したようにうなずいた。
「なら、少し辛抱してくださいね」
麻生は、真凜の膝の裏に手を差し入れ、抱き上げた。そのまま、軽々と運んで行く。真凜は、思わず彼の肩に顔を押し付けた。
(――違う。麻生さんは、前世で僕を狙った男じゃない……)
真凜は確信した。息せき切ってここに現れた麻生の瞳には、真凜を案じる思いがあふれていた……。
麻生の車の助手席に乗せられると、真凜はほっとため息をついた。だが、安堵したのも束の間だった。疼くような激しい欲求が、突き上げてきたのだ。それは、麻生も同様と思われた。車に乗り込んで以降、彼は一度も真凜の方を見ようとしないのだ。眉間に皺を寄せて、何かに耐えている様子だった。出発前、彼は素早くアルファ用抑制剤を摂取していた。だが、真凜のオメガフェロモンが充満したこの狭い空間では、大して効き目はないのだろう。
(やっぱり、車に乗るべきじゃなかったかな。でも、電車はもっとまずいだろうし……)
「効きませんか?」
麻生が、低い声で尋ねる。一拍遅れて、抑制剤のことだと気がついた。
「まだ、みたいです……」
「いつもこんなに、効くのが遅いんですか? それとも、効きにくいタイプ?」
麻生の口調は激しかった。叱られているような気分になり、真凜は思わずうつむいた。
「――わかんなっ……、いつもは、こんなじゃ……」
自分だって、なりたくてなっているわけじゃない。だが、躰の火照りは悪化する一方だった。前は痛いほど張り詰め、内部は熱く潤みきっている。分泌液があふれ出して座席を汚さないか、心配になるくらいだ。真凜もまた、麻生のアルファフェロモンに影響されているのだろう。
「麻生さ……」
「話しかけないで!」
麻生が鋭い声を放つ。こんな彼は初めてだった。
「あなたの顔を見たら、声を聞いたら……、自分が何をするか、責任を持てない」
うめくように呟きながら、麻生は少しだけ窓を開けた。全開にしたら、外にいるアルファを刺激する危険があるからだろう。二人は、無言のドライブを続けた。それは、気が遠くなるほど長い時間だった。
「……着きましたよ」
麻生の声に、真凜ははっと我に返った。朦朧としている間に、ようやくマンションに帰り着いたらしい。
「いとこさんに電話して、下まで迎えに来てもらってください」
相変わらず前を向いたまま、麻生が言う。ここで真凜を一人にするのは危険だ、と判断したのだろう。確かに、自分の部屋までたどり着く間に、住人に襲われる可能性だってある。しかし……。
「いません」
真凜の言葉に、麻生ははっとしたようにこちらを見た。
「叶真、今夜は帰らないんです」
目を見て告げれば、麻生は呆然とした表情を浮かべた。
「――何てことだ」
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