19 / 30
10.おばあちゃん
しおりを挟むその日、いつもの時間にトビーが来なかった。
約束をしているわけではなかったが、それでも落ち着かない。
何かあったとは限らない、たまたま予定があっただけかもしれない。
でもそう思っていると、今度はもうトビーが来てくれないのではと頭をよぎる。
自分はまたこの家で独りになってしまうのか。
ずしんと気分が落ちては、そんなことはないと言い聞かせ、まだ姿を見せないトビーを不安に思うの繰り返し。
開けた出窓の傍で、じっと待つことしかできない。それに拍車を掛けるように、雲が太陽を遮っていく。
ぴくん、とシェルの垂れた耳が動く。
「シェルさん!」
その声に跳ね飛ぶように出窓から身を乗り出すと、トビーが走って来た。
「トビーさん!」
ぶんぶんと尻尾を振ったが、やって来たトビーは膝に手を当て息切れをしている。
「どうしたんですか?」
「お婆さんが……シェルさんのお婆さんが見つかりました!」
驚くシェルに、トビーが急いで説明した。
シェルの話を聞いてからいろいろと捜し回っていたところ、大型犬の獣人を捜しているお婆さんがいると聞いた。
実際に会って話を聞くと、別れた頃はまだ子犬だったが白銀の毛並みに垂れた耳をした獣人だという。
「本当なんですか!?」
「はい、シェルさんのことをとても心配していましたよ。元気で暮らしていると話したら、泣いて喜んで」
「そっか、良かった。お婆ちゃん、生きていたんだ……」
両手を胸に当て、出窓の下にぺたりとしゃがみ込んだ。
脳裏に子犬だった頃の思い出が蘇る。たった一人の、家族。
「すぐ来てもらえますか? お婆さんに待っててもらってるんです」
「でも、ご主人様の許可がないと」
「少しだけですから。ルーカスさんが帰ってくるまでには戻れます。お婆さんも、シェルさんにすごく会いたがっていましたよ」
自分を待つ老婦のことを思えば、居ても立っても居られなかった。
それでも、ルーカスに無断で出て行くことなど許されない。今度こそ、あのケインを使われるかもしれない。
シェルは振り子時計を見上げた。ルーカスが帰って来るにはまだ時間がある。
少しだけ、すぐ顔を見て帰ってくれば。
「おばあちゃんが居るのは、ここから近いんですか?」
「ええ。この前シェルさんと会った湧き水のところです」
それならすぐに行って帰って来られる。
シェルは心の中でルーカスに謝罪し、家を出た。
トビーと共に湧き水の場所へ向かう。
久しぶりの再会に何を話せばいいだろう。
ジルドに捕まって、奴隷にもなっていたと知れば気に病んでしまうかもしれない。それより、今の生活を説明した方がいいだろう。
だが、その後はどうすればいい。
再び老婦と暮らしたいが、今シェルはルーカスの飼い犬だ。老婦の元へ戻りたいと言って、ルーカスが納得するだろうか。
それに本当に自分は、元の家に帰りたいのか。
あの広い家に独り佇むルーカスを想像すると、素直に喜ぶのは躊躇われてしまう。
そんな思いを振り切るように、今は老婦の元へ急ぐ。揺れる首輪のチャームが、何故かやたらに気になった。
辿り着いたその場所は、ひんやりと冷たい空気に包まれていた。湧き水が白い髭のように落ち、池に激しく波紋が広がっている。
辺りは水の音しか聞こえず、何の気配も感じない。
「おばあちゃんはどこですか?」
振り返ると、トビーは緑色の目でじっとシェルを見上げている。その薄い微笑みに、何故か寒気がした。
「犬というのはピュアな生き物ですね。だから、あんな男に飼われてしまうんだ」
「トビーさん?」
目の前でトビーがパチンと指を鳴らす。その瞬間、グラリと脳が揺れた。
目が回るような感覚に襲われ、トビーに軽く突き飛ばされると簡単に身体が倒れる。
朦朧とする意識の中で見上げると、トビーの顔から表情が消えていた。
10
あなたにおすすめの小説
恵方巻を食べてオメガになるはずが、氷の騎士団長様に胃袋を掴まれ溺愛されています
水凪しおん
BL
「俺はベータだ。けれど、クラウス様の隣に立ちたい」
王城の厨房で働く地味な料理人ルエンは、近衛騎士団長のクラウスに叶わぬ恋をしていた。身分も属性も違う自分には、彼との未来などない。そう諦めかけていたある日、ルエンは「伝説の恵方巻を食べればオメガになれる」という噂を耳にする。
一縷の望みをかけ、ルエンは危険な食材探しの旅へ! しかし、なぜかその旅先にはいつもクラウスの姿があって……?
勘違いから始まる、ベータ料理人×氷の騎士団長の胃袋攻略ラブファンタジー!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~
水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。
アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。
氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。
「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」
辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。
これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる