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第6話 バカじゃない?
しおりを挟むリゼルとの生活が安定してくると、次に直面したのは勉強問題だった。
貴族は普通家庭教師をつけるものだが、リゼルはことごとく家庭教師に嫌がらせをして追い出してしまった。夫が何度も叱ったが改善されず、結婚時に「あいつの勉強を見てやってくれ」と頼まれた。
当時の私は才女を気取っていたので「もちろん」と答えたが、当然1度も勉強なんて見てやらなかった。見てやったところで、私もロクに勉強をしてこなかったので何も教えられなかっただろうが。
というわけで、リゼルの勉強は止まったままだ。今のリゼルならば家庭教師をつけられるかもしれないが、夫の願い通りまずは私が見てあげよう。学のなかったロゼットである私と違い、前世の記憶を取り戻した今なら8歳の勉強くらい教えられる……はず。
「リゼル、今日からお母様とお勉強しましょう」
そう言うと、明らかにリゼルの顔が歪んだ。
勉強をやりたい! なんて子、どこの世界でも早々いない。しかし、勉強は大事だ。なんとか宥めすかして椅子に座らせ、とりあえずどの程度までできるのかをやってみせた。
できなくて嫌になってしまっては困る。最初は絶対にできるものからだ。
読み書きと簡単な計算。前世でいうところの小学校入学直後くらいに習う程度のものをやらせてみた。どんなに上手くできなかったとしても、大袈裟なくらいに褒めてあげようと思っていたのだが……
「もうやだ! できない!」
リゼルはものすごく簡単な読み書きも計算もできなかった。字もぐちゃぐちゃで、褒めるところが見つからない。最後までできれば、できなくても「頑張ったね」と言えるが、リゼルは早々に癇癪を起こしてしまった。ペンを放り投げ、重い机をひっくり返す勢いだ。
「落ち着いて。もう1度ゆっくりお母様と一緒にやってみましょう」
「無理! できない! どうせ俺はバカなんだ! 何にもできないんだ! 母上だって俺をバカだと思ってるんだ!」
「思ってないわよ。リゼルはバカじゃないわ」
「ウソだウソだ!」
ここで私がうろたえてはダメだ。深呼吸をして、落ち着いてリゼルに目線を合わせた。そして、暴れる身体を抑えるように抱きしめる。
「大丈夫よ。リゼルはバカじゃないってわかってるわ」
「でもできない。俺はなんにもできない」
「そんなことないわよ。本当にバカな子はお料理なんてできないわ。お母様を手伝って、おいしいご飯を作ってくれたじゃない」
そう言うと、リゼルは少し落ち着いたようだった。リゼルの頭を撫で、身体を離す。
「最初はできなくても仕方ないわ。お母様も手伝うから、もう少し頑張ってみましょう」
「俺のこと、バカだって言わない?」
「絶対に言わないわ。誰かにバカだなんて言われたことがあるの?」
「家庭教師」
「家庭教師たちがそんなことを!?」
「言ってないけど、絶対俺のことバカだと思ってた。俺が間違うたびにバカにした目で俺を見下すんだ」
本当なのか被害妄想なのか。そういえば、原作でのリゼルも何かというと「俺をバカにしたな! 俺を見下すな!」と言っていた。それも別に誰も見下していないときにもだ。あの被害妄想はこの頃からだったのか。
「言っていないのなら、見下していたとは限らないでしょう。どうやってあなたに勉強を教えようか考えていただけかもしれないわ」
「違う! 絶対バカにしてた! 父上と違って出来損ないだって、こいつが将来伯爵を継げるわけないって! 父上もそうだ。俺みたいなバカ息子いらないって!」
「家庭教師やお父様がそう言ったの?」
「言ってない!」
これはなかなか重症だ。この認知の歪みをどう修正していけばいいのか。目を吊り上げているリゼルに、なんとか平静を保って話しかける。
「今、お母様がなんて思っているかわかる?」
「俺がバカだって」
「ハズレ。今夜の晩御飯を何にしようか考えてたわ」
リゼルがポカンと口を開けた。私はいたずらっぽく笑いかける。
「ね、わからなかったでしょう? 相手の思っていることはわからないの。相手のことを想像して思いやりを持つことは大切だけど、悪い方にばかり考える必要はないわ」
まだ納得していないようだったが、リゼルはぶすっと頬を膨らませたまま黙った。少しは伝わっただろうか。
もう1度リゼルを席に着かせ、勉強を見る。さっきはあまり凝視するのも気が散るかと思ってよく様子を見ていなかったが、今度はどこに躓いているのか確認するためリゼルの勉強を見守った。
すると、リゼルはペンの下の方を持ち顔を紙にくっつけるように、机に突っ伏した状態で問題を解いていた。
「それじゃ目を悪くするわ。机に向かうときは、背筋を伸ばしてね」
「そしたら文字が見えないし、書けないじゃないか」
「見えないの?」
リゼルの顔が曇った。慌ててバカにしているわけじゃないと伝える。
見えない。もしかしたら……
私は紙にいろいろな大きさの矢印を描いた。それをリゼルから離れた場所に持って行く。
「この矢印、どっちに向いているか見える?」
「見えない」
「これは?」
「見えない」
どうやら、リゼルの目は相当悪いようだった。よく目を細めていたり、眉間に皺を寄せていたが、あれは私を睨んでいたのではなくて、そうしないと見えなかったのかもしれない。
そういえば、料理を作るときも「何mlはかってね」というのが通じなかった。時計も読めなかったはずだ。そもそも見えていなかったのだろう。
「リゼルは目が悪いみたいね」
「バカってことだ!」
またリゼルが騒ぎ出した。
「ごめんなさい、言い方が悪かったわ。視力が弱いってことよ。ちゃんと見えていなかったのね」
「だからバカだってことじゃないか! 目が悪いなんてバカってことだ!」
どうして目が悪いことがバカになるのか。
でもそういえば、こちらの世界で眼鏡を掛けている人を見たことがない。お年寄りでさえ、眼鏡を掛けていなかった。この世界には眼鏡がないのか?
でも、目が悪い人が1人もいないはずがない。
「リゼル、大丈夫よ。眼鏡というものがあれば、よく見えるようになるわ。お母様が探してあげるから」
「それがあれば、俺もバカじゃなくなるのか?」
「今だってバカじゃないわ。でも眼鏡を掛ければ文字がハッキリ見えるようになるわよ。そうしたら、勉強だってできるようになるわ」
リゼルは疑い深そうにしていたが、とりあえず癇癪は起こさないでくれた。
とにかく、眼鏡を探さないと。
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