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プロローグ
5話
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瞼の向こうに光が差し込む。その光に誘われるようにシイナの意識も浮上する。ゆっくりと目を開けると見知らぬ景色が広がっていた。
瞬きを繰り返して寝ぼけた頭で状況を整理しようとする。ふかふかのベッドはまるで真綿に包まれているような感覚で、どこを触っても手触りが良かった。
シイナはこんな感触は知らなかった。まるで夢を見ているような感覚だった。そうしてようやく昨日のことを思い出した。
ハッとすると同時にさぁっと青ざめる。シイナはバクバクと大きな音で鳴る心臓を押さえながらベッドから転がり落ちるように外に出る。
ベッドから降りる時、慌てるあまり布団が足に絡まり床に転がってしまった。
「うぅ……」
頭から転がったため頭頂部からじわじわと痛みが広がっていく。
頭を押さえて床で蹲っていると扉のノックする音が響いた。シイナはその音にびくりと体を震わせ、ふわふわの耳をピンと立ててばっと扉の方を向く。
警戒する獣のように意識を張り詰め、その扉から誰かが入ってくるのを身構える。
扉の向こうの誰かはシイナが返事をしないことに焦れたのか扉を開けた。
「おはよーございまーす!」
元気よく声をかけながら入ってきたのはシイナと同じくらいの背格好の男の子だった。男の子は糊の効いた白いシャツに黒いベストを身につけていた。そして首元のボタンを一つだけ外しており、どこか締まりのない格好をしていた。
シイナはぱちくりと目を丸めて男の子を凝視する。シイナが見たことのある同年代の子供は誰もかれも暗い表情で元気のある子はいなかった。だからこんなに元気な同い年くらいの子供にシイナは驚いた。
「ん?……あ!いたいた!」
男の子は部屋を見渡してシイナが一瞬いないと思ったのか首を傾げたが、すぐに床に座り込むシイナを見つけて駆け寄ってきた。シイナは小走りで近づいてくる男の子にぴっと体を跳ねさせて足に絡まった布団と共に後ずさる。
「なんでこんなところで座ってるんですか?」
男の子は不思議そうにシイナを見ながら尋ねてきた。シイナはなんて返事をすればいいのか分からず視線を彷徨わせたが、男の子はシイナの返答の有無は気にしていないのかさっと手を差し伸べた。
「そんなところに座ってたらお尻が痛くなっちゃいますよ」
差し伸べられた手と男の子の顔を見比べる。男の子は柔らかい毛先の焦茶色の髪をしていた。ツンツンと跳ねた髪にやや吊り目の顔つきから孤児院でのリーダー格の男の子たちを連想させてその手を取ることを戸惑う。
だけど孤児院の子供達と違うのはその男の子がシイナに対して悪い感情を持っていないことが窺えたことだ。
孤児院の子供達は他の子供達とは違う容姿のシイナを標的にして、日々の鬱憤を晴らしていた。そんな子供達の視線は突き刺すようなもので、その視線にさらされたシイナはいつもびくびくと怯えていた。
「……さぁ、立ってください!朝の準備をしないと!」
シイナが手を取らないことに焦れた男の子がシイナの手を掴み体を持ち上げるようにサッと引っ張った。急に引っ張られたシイナは男の子にぶつかるように立ち上がった。血の巡りが悪かったのか急に立ち上がったことで立ちくらみが起きたが、男の子は気が付かなかったのかシイナの手を引っ張った。
そしてシイナを部屋に備え付けられたドレッサーの前に連れてきて椅子に座らせた。
その時、また扉を叩く音が聞こえた。
「はーい」
シイナの代わりに男の子が答える。すると勢いよく扉が開いてナナが入ってきた。慌てた様子で肩で息をしながら男の子とシイナのそばまでやってくると、ナナは男の子の頭に拳骨を落とした。
「いってぇ!な、なにすんだよ!」
「何するですって?貴方こそ何してるんですか!」
「俺はお嬢さまの朝の支度をしにきたんだよ!」
「シイナ様の支度は私たちがやるって説明してあったでしょう!それに、貴方との顔合わせは後ですると言ったでしょう!」
目の前で始まった言い合いにシイナは目を点にする。その様子に気がついたナナがはっとして男の子の頭を無理やり下げさせながら同じように頭を下げた。
「申し訳ございません。シイナ様の前でお見苦しい姿を見せてしまい」
謝罪の言葉を聞いたシイナは首を横にブンブンと振る。ナナは顔を上げると申し訳なさそうに眉を下げた。
「後で紹介するつもりだったのですが、この子はジェイクと言います。私の親戚の子供にあたり、お嬢様のお話し相手にとアルベリヒ様より言い使っております」
「旦那様が俺をお嬢さまの側仕えに選んだんだからここに来たんだ。俺は間違ってないだろ」
「貴方は黙ってなさい!大体、男の子の貴方がシイナ様の支度をどうやってやるつもりだったのよ」
ナナに怒られたことに不満を覚えているのか、澄ました様子から一転して口を尖らせて愚痴を漏らすように呟く。その姿は年相応で、先ほどの澄ました様子より自然体でシイナは好感が持てた。
「あ、の……だい、じょうぶです。私、一人でできます」
シイナは顔を下げながら二人の様子を伺うように言う。
「いえ、気にしないでください。これも私たちの仕事ですから。……さぁ、貴方は下がりなさい。また後で呼びますから」
ジェイクと紹介された男の子は口を尖らせたままナナに追いやられるように外へと促された。しかしジェイクはナナの一瞬の隙をつきその手から逃れると再びシイナの目の前までやったきた。
シイナは近づいてきたジェイクにびっくりして体を硬くした。
「後で、たくさん遊びましょう!また来ますね、お嬢さま!」
ジェイクは不機嫌そうな表情から一変、からっと何の含みもない笑顔を見せてシイナの手を握った。そして再びナナから叱責が飛んでくる前に逃げるように部屋の外へと去っていった。
まるで嵐のように一瞬の出来事に、シイナの頭はついていけなかった。
「本当に申し訳ございません。後できつく言いつけておきますので」
眉尻を下げたナナがシイナの前で膝をついて謝る。シイナは処理が追いつかない脳をフル回転させながら首を横に振った。
「ありがとうございます。……それでは朝の支度をさせていただきますね」
そう言ってナナはシイナの支度に取り掛かり始めた。
ナナの手際はとてもよく、幾分かマシになってはいるがそれでもボサボサなシイナの髪の毛を一つにして、飾りのついた一本の棒で纏め上げた。そして顔を濡れたタオルで優しく拭き取られ、部屋に備え付けられていた衣装棚からモスグリーンのシンプルなワンピースを取り出した。
元々着ていた服をさっと脱ぎ取られ、そのワンピースを身につける。シンプルな見た目ではあったが、その生地の手触りの良さから、一等品であることが窺えた。
シイナは生まれて初めて触るその生地に恐れ慄き、こんな服を着てもいいのかと戸惑う気持ちと絶対に汚さないようにしなければと緊張に囚われた。
「安心してください、シイナ様。旦那様より服はもとより、生活の全てにおいて心配はしなくていいと言いつかっております。なので汚しても破れてしまっても問題はありませんよ」
シイナの気持ちを読み取ったのか、ナナが微笑みながらシイナの肩の力を抜くように撫でる。ナナに言われたところでやはりシイナは緊張を解くことができなかった。
「ふふ。……さぁ、準備ができましたよ」
ナナはそんなシイナの様子が面白かったのか口元で笑うとシイナをその場に立たせた。シイナは後ろに立つナナの目をじっと見つめる。
「旦那様がお待ちですから、食堂に向かいましょう」
シイナの元から離れ、ナナが部屋の扉を開ける。そしてドレッサーの前で立ち尽くすシイナを部屋の外へと促す。
シイナは最初は戸惑い足を動かすことができなかったが、アルベリヒが待っていると知り、少しの勇気を振り絞って歩き出した。
いまだに何が起きているのかよくわかっていなかった。それでも昨日触れたアルベリヒの優しさは確かに温かく、シイナに希望を持たせてくれた。
シイナはこれが夢だとしても、最後にもう一度あの温もりに触れたかった。
だからシイナは自らの意思で扉の外に出た。
その扉の外の世界には、シイナの想像もしないほど大きな世界が広がっているのだろう。
瞬きを繰り返して寝ぼけた頭で状況を整理しようとする。ふかふかのベッドはまるで真綿に包まれているような感覚で、どこを触っても手触りが良かった。
シイナはこんな感触は知らなかった。まるで夢を見ているような感覚だった。そうしてようやく昨日のことを思い出した。
ハッとすると同時にさぁっと青ざめる。シイナはバクバクと大きな音で鳴る心臓を押さえながらベッドから転がり落ちるように外に出る。
ベッドから降りる時、慌てるあまり布団が足に絡まり床に転がってしまった。
「うぅ……」
頭から転がったため頭頂部からじわじわと痛みが広がっていく。
頭を押さえて床で蹲っていると扉のノックする音が響いた。シイナはその音にびくりと体を震わせ、ふわふわの耳をピンと立ててばっと扉の方を向く。
警戒する獣のように意識を張り詰め、その扉から誰かが入ってくるのを身構える。
扉の向こうの誰かはシイナが返事をしないことに焦れたのか扉を開けた。
「おはよーございまーす!」
元気よく声をかけながら入ってきたのはシイナと同じくらいの背格好の男の子だった。男の子は糊の効いた白いシャツに黒いベストを身につけていた。そして首元のボタンを一つだけ外しており、どこか締まりのない格好をしていた。
シイナはぱちくりと目を丸めて男の子を凝視する。シイナが見たことのある同年代の子供は誰もかれも暗い表情で元気のある子はいなかった。だからこんなに元気な同い年くらいの子供にシイナは驚いた。
「ん?……あ!いたいた!」
男の子は部屋を見渡してシイナが一瞬いないと思ったのか首を傾げたが、すぐに床に座り込むシイナを見つけて駆け寄ってきた。シイナは小走りで近づいてくる男の子にぴっと体を跳ねさせて足に絡まった布団と共に後ずさる。
「なんでこんなところで座ってるんですか?」
男の子は不思議そうにシイナを見ながら尋ねてきた。シイナはなんて返事をすればいいのか分からず視線を彷徨わせたが、男の子はシイナの返答の有無は気にしていないのかさっと手を差し伸べた。
「そんなところに座ってたらお尻が痛くなっちゃいますよ」
差し伸べられた手と男の子の顔を見比べる。男の子は柔らかい毛先の焦茶色の髪をしていた。ツンツンと跳ねた髪にやや吊り目の顔つきから孤児院でのリーダー格の男の子たちを連想させてその手を取ることを戸惑う。
だけど孤児院の子供達と違うのはその男の子がシイナに対して悪い感情を持っていないことが窺えたことだ。
孤児院の子供達は他の子供達とは違う容姿のシイナを標的にして、日々の鬱憤を晴らしていた。そんな子供達の視線は突き刺すようなもので、その視線にさらされたシイナはいつもびくびくと怯えていた。
「……さぁ、立ってください!朝の準備をしないと!」
シイナが手を取らないことに焦れた男の子がシイナの手を掴み体を持ち上げるようにサッと引っ張った。急に引っ張られたシイナは男の子にぶつかるように立ち上がった。血の巡りが悪かったのか急に立ち上がったことで立ちくらみが起きたが、男の子は気が付かなかったのかシイナの手を引っ張った。
そしてシイナを部屋に備え付けられたドレッサーの前に連れてきて椅子に座らせた。
その時、また扉を叩く音が聞こえた。
「はーい」
シイナの代わりに男の子が答える。すると勢いよく扉が開いてナナが入ってきた。慌てた様子で肩で息をしながら男の子とシイナのそばまでやってくると、ナナは男の子の頭に拳骨を落とした。
「いってぇ!な、なにすんだよ!」
「何するですって?貴方こそ何してるんですか!」
「俺はお嬢さまの朝の支度をしにきたんだよ!」
「シイナ様の支度は私たちがやるって説明してあったでしょう!それに、貴方との顔合わせは後ですると言ったでしょう!」
目の前で始まった言い合いにシイナは目を点にする。その様子に気がついたナナがはっとして男の子の頭を無理やり下げさせながら同じように頭を下げた。
「申し訳ございません。シイナ様の前でお見苦しい姿を見せてしまい」
謝罪の言葉を聞いたシイナは首を横にブンブンと振る。ナナは顔を上げると申し訳なさそうに眉を下げた。
「後で紹介するつもりだったのですが、この子はジェイクと言います。私の親戚の子供にあたり、お嬢様のお話し相手にとアルベリヒ様より言い使っております」
「旦那様が俺をお嬢さまの側仕えに選んだんだからここに来たんだ。俺は間違ってないだろ」
「貴方は黙ってなさい!大体、男の子の貴方がシイナ様の支度をどうやってやるつもりだったのよ」
ナナに怒られたことに不満を覚えているのか、澄ました様子から一転して口を尖らせて愚痴を漏らすように呟く。その姿は年相応で、先ほどの澄ました様子より自然体でシイナは好感が持てた。
「あ、の……だい、じょうぶです。私、一人でできます」
シイナは顔を下げながら二人の様子を伺うように言う。
「いえ、気にしないでください。これも私たちの仕事ですから。……さぁ、貴方は下がりなさい。また後で呼びますから」
ジェイクと紹介された男の子は口を尖らせたままナナに追いやられるように外へと促された。しかしジェイクはナナの一瞬の隙をつきその手から逃れると再びシイナの目の前までやったきた。
シイナは近づいてきたジェイクにびっくりして体を硬くした。
「後で、たくさん遊びましょう!また来ますね、お嬢さま!」
ジェイクは不機嫌そうな表情から一変、からっと何の含みもない笑顔を見せてシイナの手を握った。そして再びナナから叱責が飛んでくる前に逃げるように部屋の外へと去っていった。
まるで嵐のように一瞬の出来事に、シイナの頭はついていけなかった。
「本当に申し訳ございません。後できつく言いつけておきますので」
眉尻を下げたナナがシイナの前で膝をついて謝る。シイナは処理が追いつかない脳をフル回転させながら首を横に振った。
「ありがとうございます。……それでは朝の支度をさせていただきますね」
そう言ってナナはシイナの支度に取り掛かり始めた。
ナナの手際はとてもよく、幾分かマシになってはいるがそれでもボサボサなシイナの髪の毛を一つにして、飾りのついた一本の棒で纏め上げた。そして顔を濡れたタオルで優しく拭き取られ、部屋に備え付けられていた衣装棚からモスグリーンのシンプルなワンピースを取り出した。
元々着ていた服をさっと脱ぎ取られ、そのワンピースを身につける。シンプルな見た目ではあったが、その生地の手触りの良さから、一等品であることが窺えた。
シイナは生まれて初めて触るその生地に恐れ慄き、こんな服を着てもいいのかと戸惑う気持ちと絶対に汚さないようにしなければと緊張に囚われた。
「安心してください、シイナ様。旦那様より服はもとより、生活の全てにおいて心配はしなくていいと言いつかっております。なので汚しても破れてしまっても問題はありませんよ」
シイナの気持ちを読み取ったのか、ナナが微笑みながらシイナの肩の力を抜くように撫でる。ナナに言われたところでやはりシイナは緊張を解くことができなかった。
「ふふ。……さぁ、準備ができましたよ」
ナナはそんなシイナの様子が面白かったのか口元で笑うとシイナをその場に立たせた。シイナは後ろに立つナナの目をじっと見つめる。
「旦那様がお待ちですから、食堂に向かいましょう」
シイナの元から離れ、ナナが部屋の扉を開ける。そしてドレッサーの前で立ち尽くすシイナを部屋の外へと促す。
シイナは最初は戸惑い足を動かすことができなかったが、アルベリヒが待っていると知り、少しの勇気を振り絞って歩き出した。
いまだに何が起きているのかよくわかっていなかった。それでも昨日触れたアルベリヒの優しさは確かに温かく、シイナに希望を持たせてくれた。
シイナはこれが夢だとしても、最後にもう一度あの温もりに触れたかった。
だからシイナは自らの意思で扉の外に出た。
その扉の外の世界には、シイナの想像もしないほど大きな世界が広がっているのだろう。
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