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ダンっと重い足音がその場に大きく響く。目の前の華やかな衣装に身を包んだ男が、目の前で傅く女性をキツく睨んでいた。女性は頭を下げたままで、一切顔を上げることはしなかった。
「まさか、ここまで愚かとは、リリー・アンネット!」
叫ぶその男の後ろには、怯えているのかうっすらと涙を浮かべた可愛らしい女性が立っている。派手なピンク色でフリルがたくさんついており、胸元も下品に大きく開いていた。こんな女のどこがいいのか。長いこと男に寄り添ってきたのに、存外、知らないことの方が多いな、と頭の片隅で考える。
傅く女性の名前はリリー・アンネット。稀代の悪人として、今まさにその名を刻もうとしているところだった。
「関係ないジュリエットに嫉妬し、嫌がらせを繰り返し……それでも本当にこの国を背負って立つ人間か!」
「お言葉を返す様ですが、それらに証拠はあるのでしょうか」
「もちろんだ! 多くの人々がお前の悪事の証人となってくれている! それに、こうして俺の陰で怯えている彼女の姿こそ何よりもの証拠だろう!」
リリーが頭を伏せたまま淡々と問うと男――ルイス・ヴァレリアは汚物でも見るかのように彼女を見下ろす。ルイスはヴァレリア王国のただ一人の王子であり、リリーの婚約者であった。本来であれば、この様に糾弾するのではなく、リリーを守るべき側の人間だった。それがなんの因果か、こうして敵対する形となっている。
――あの女の涙に、いったいどれほどの価値があるというのでしょうか。
ほんの少しは信頼していたルイスからの罵声を右から左に聞き流しながら、リリーは思案する。もとからルイスとの仲はあまり良くなかった。それでも、幼い時からの付き合いがある分、ぽっと出の目の前の女――ジュリエットよりは情があると思っていた。だが、それはどうやらリリーの思い違いの様だった。
――ルイス様はいったい私にどう答えて欲しいのかしら。
これまでのリリーであったならば、おそらく泣いて許しを乞うか、ジュリエットに全てをなすりつけ、恥も外聞も捨てて喚き散らしていたかもしれない。
だけど、今のリリーはほんの数時間前の「リリー」とは違っていた。
「なんとか言ったらどうだ!」
足音をうるさいほど響かせながら近づいてきたルイスはリリーの顎を掴み無理やり上を向かせた。どうせ、悔し涙を浮かべているに違いない――そう考えていたルイスの思考を裏切るようにリリーは無表情で彼を見つめていた。リリーの瞳に侮蔑の感情と底知れぬ闇を感じたルイスは、情けなく上げかけた悲鳴を呑み込みながら手を離した。
自由になったリリーは長くて鬱陶しい金色の髪を乱暴にかきあげる。上品さからはかけ離れた、ガサツなその仕草に集まっていた人々は口々に言葉を交わす。
「なんだあれは。とても女性のする仕草とは思えない」
「野蛮で、恐ろしい子だわ。獣みたいに鋭い瞳」
「とうとう自暴自棄になったんだわ。ルイス王子の気が引けないから」
「それに、あの形相を見てみろよ。まるで――」
――悪女のようじゃないか。
聞こえてくる声にリリーはため息を吐くことすら惜しいと思ってしまった。「リリー」はいったいなぜこんな愚かな人しかいない場所で必死に生きてきたのか。どれだけ考えても「リリー」の気持ちはわからない。
――それにしても、「悪女」ね。結局私は今回も物語を回す歯車の一つにさせられたようね。
予定調和に沿って進む物語のように、「悪女・リリー」という歯車があるから円滑にストーリーが進むのだ。本来であれば、最後まで「リリー」としてこの断罪シーンを過ごさなければいけないのだろう。それが歯車に与えられた役目だから。
――でも、もういいんじゃないかしら。こうして一方的な断罪を受けるのはこれで三度目よ。今度こそ、私の好きに生きても文句は言われないはず。
リリーは一歩後ろに足を下げた。そして、口元を手で隠しながらにっこりと笑う。
「ルイス王子、あなたの言いたいことはわかりましたわ」
「……!」
「あなたは、私という目ざわりな存在を消してしまいたいのでしょう?」
「な、なんのことだ……!」
相手の弱みに漬け込むように、皮肉げにくすりと笑うと、彼は図星を突かれたようにあからさまに動揺を見せた。こんなわかりやすい王子でこの国の未来は大丈夫なのだろうか、と心の中で息を吐き出す。
――おっと、いけないわ。もう、どうなっても同じことなのだから、心配するのはやめないと。
リリーは口元に笑みを浮かべたまま、ルイスの怯えた瞳をしっかり見つめる。
「どれだけ努力しても、私に勝つことのできないルイス王子。この国を支えることが、本当にこの王子に務まるのか」
人差し指を口元に当ててうっすらと笑えば、ルイスは本能的な恐怖からか体を震わせた。
そう、彼が一番恐れているのは周囲の人からの落胆のため息だった。
この国の王子として、一番であれと願われた彼は、運悪く隣に立つことになったリリーに全てにおいて負けていた。しかし、そのことを認められず、ルイスはありとあらゆる手段を使うようになった。その行動が、余計に彼を追い込んでいるとも知らずに。
「な、何が言いたい! この俺を愚弄する気か!」
「いいえ、ルイス王子。私にはそのつもりはございませんわ。ただ、そう思っている人物は案外近くにいるものですのよ」
ルイスから視線を外し、その後ろに隠れている人物を見つめる。
彼女――ジュリエットは青ざめた表情でこれからリリーが語るものの恐怖から体を小刻みに震わせた。恐怖に染まった瞳は「どうしてお前がそれを知っている」と尋ねているようだった。
どうして?
当然だ。
「リリー」は最終的にやり方を間違えこそしたが、彼女の頭脳は本物だった。
何も目障りだから嫌がらせをしていたわけではない。婚約者に群がる害虫だったから排除しようとしていたわけではない。自分の気持ちを優先させて婚約者に振り向いてもらいたかったわけではない。
ルイスに近づいたジュリエットは、まさに王家を断絶させようと目論む反対勢力の人間だったのだ。それを知っていた「リリー」はなんとか彼女をルイスのそばから離そうとした。
そのことを他の人に相談したこともあったが、「リリー」にはないジュリエットの優しさや人当たりの良さを信じた周囲の人は彼女の言葉を戯言として取り合わなかった。
結局「リリー」は一人でどうにかするしかなかったのだ。
「気がつきませんか、ルイス王子。あなたがどうしてこれまで、その地位を脅かされることなく過ごすことができたのか」
「そんなの! ルイス様が優秀で、人望に厚いお方だからですわ!」
リリーが真実を明かすのを止めるようにジュリエットが声を被せてくる。お淑やかに、声を荒げることなんてなかった彼女の様子に、ルイスは目を丸くしている。それすらも、リリーの予想通りだった。彼女は自分の保身のためにも、これ以上リリーに話をさせるわけにはいかないのだから。
だけど、もう何もかも遅い。「リリー」がここにいないことがその証拠だった。
「発言を宜しいですか」
静まり返った広間に、低い声が響く。
カチッと止まっていた歯車が動き出す音が聞こえたような気がした。
群衆の中から一歩前に出たのはエドモンド・カヴァリエという男だった。この男は財務部でこの国の経理を担当しているものだった。
「なんだ、お前……」
「殿下に謹んでご挨拶申し上げます。私はエドモンド、財務部所属のものです」
「財務部の奴が一体何を……?」
困惑するルイスの横でジュリエットは何かに気がついたのかこれまで以上に顔を青ざめさせる。そして、彼の口を塞ぐためにルイスの前に躍り出ると「あの男もきっとリリー様と懇意にされている方に違いありませんわ!」と耳が痛くなるような声で喚いた。
そんなに焦らなくても、ちゃんと全てを明るみにしてあげるのに、とリリーは心の中で呟く。
エドモンドはジュリエッタのことなんて視界に入っていないようで、彼女の横からルイス王子に一枚の紙を手渡す。
「これは、ジュリエット・フェリーニ様のご両親が横領した証拠にこざいます」
エドモンドは優雅に一礼しつつ、その眼差しは皮肉を語っていた。冷めた瞳からは嘲りすら感じられる。
「横領した金銭は全て反王国派、つまりこの国に反旗を翻そうとしたものたちへと流れております」
「そんなわけないわ!」
エドモンドの言葉をジュリエットは被せるように否定する。元々可愛らしい顔をしていたが、今では見る影もなく、歪んだ顔はただ痛々しいほどに滑稽だった。良くも悪くも純粋な彼女には、悪役は似合わないようだった。
「これは、財務部としての調査の結果です。もしも違を唱えられるのであれば、正式にフェリー二家から抗議文をお出しください」
首は垂れたまま、エドモンドは淡々と必要なことだけを伝える。
「私からも、発言の許可をいただきたい」
エドモンドによる告発が終わると、また一人声をあげるものがいた。その人物は第一魔法騎士団に所属するマティアス・ヴァレンティンという男だった。
マティアスは熊のような大きな体に口元に裂けたような傷を持っていた。見た目は怖いが、実直で王家に忠誠を誓っている
誰も信用ならない王宮の中で数少ない「リリー」の信用を勝ち取った人物でもある。
「マティアス……貴様も一体なんだ……」
ルイスの護衛を務めることもある彼のことをルイスは覚えていたようで、真っ白な顔をしながら震える声で尋ねる。その表情は、今すぐにも耳を塞いで引き篭りたいと雄弁に語っていた。
「フェリー二家含む反王国派と予想されている貴族たちが秘密裏に内戦を起こす準備をしているという報告も上がっています。その証拠に、軍部が管理していない武器の動きがあり、実際に取り押さえたとある貴族の家からは大量の火薬と武器が見つかっております」
「……!」
はっきりとした声で伝えられた報告にルイスは持っていた紙をグシャリと握りつぶす。その音に我に返ったジュリエットは慌てて弁明をしようと顔をあげて、表情を硬直させた。
信頼が瓦解したルイス王子の瞳は、深淵を覗くように虚で、顔からは正気が抜けていた。
「ジュリエット……お前、本当に……」
「違います! ルイス様、本当です! 私は断じて、そのようなことは……!」
耐えられなくなったルイスは頭を押さえてよろめき、ジュリエットはそんな彼にそれでも追い縋ろうとする。しかし、その手が届くよりも前にガンッと大きな音が広間に響いた。
その場にいた誰もが驚き、顔を音のした方に顔を向けるとそこにはすでに退室したはずのグラディアント・ヴァレリア王が険しい顔で立っていた。この国の頂点の登場にジュリエットはひゅっと短い悲鳴をあげた。
茶番のような現状を見てリリーはほくそ笑む。
――ようやく終われる。今度こそ、私は本当の自由を手に入れる。
この盤上の最後の駒は他でもない、グラディアント王にあった。彼がこの場に現れるかどうかが、リリーの運命を大きく変えるのだ。
全ての手札が切られ、賽は投げられた。あとは身に任せるだけで、この茶番は終わる――はずだった。
「私からも、一言申し上げたい」
聞き覚えのない声。予定外のセリフにリリーは初めて表情を崩す。気づかれないほど僅かに見開いた目で顔をあげると、意匠の凝らされた銀色の仮面をつけた男がリリーの横に立った。
誰だ、この人は――頭の中にある招待客のリストひっくり返しても、彼のことがわからなかった。
リリーですら困惑していると男はリリーの方を向くとにっこりと笑った。その笑顔になぜか既視感を覚える。
「発言を許そう」
威厳を帯びた、沈黙すら支配する重い調子でグラディアント王は小さく頷く。
「このように発言の機会を賜り、陛下に深く感謝申し上げます」
恭しく頭を下げた男にグラディアント王は目を細める。
「リリー嬢とルイス殿下の婚約破棄がなされた暁には、私と彼女の婚約を認めていただきたく思います」
「…………は?」
男の突拍子もない提案に誰もが驚き、それまで静かだった広間にざわめきが一斉に広がる。そして、混乱と動揺はリリーにも降りかかっていた。
この男が何を言っているのか、リリーには理解できなかった。
そもそも、この男は一体誰だ――。
「まさか、ここまで愚かとは、リリー・アンネット!」
叫ぶその男の後ろには、怯えているのかうっすらと涙を浮かべた可愛らしい女性が立っている。派手なピンク色でフリルがたくさんついており、胸元も下品に大きく開いていた。こんな女のどこがいいのか。長いこと男に寄り添ってきたのに、存外、知らないことの方が多いな、と頭の片隅で考える。
傅く女性の名前はリリー・アンネット。稀代の悪人として、今まさにその名を刻もうとしているところだった。
「関係ないジュリエットに嫉妬し、嫌がらせを繰り返し……それでも本当にこの国を背負って立つ人間か!」
「お言葉を返す様ですが、それらに証拠はあるのでしょうか」
「もちろんだ! 多くの人々がお前の悪事の証人となってくれている! それに、こうして俺の陰で怯えている彼女の姿こそ何よりもの証拠だろう!」
リリーが頭を伏せたまま淡々と問うと男――ルイス・ヴァレリアは汚物でも見るかのように彼女を見下ろす。ルイスはヴァレリア王国のただ一人の王子であり、リリーの婚約者であった。本来であれば、この様に糾弾するのではなく、リリーを守るべき側の人間だった。それがなんの因果か、こうして敵対する形となっている。
――あの女の涙に、いったいどれほどの価値があるというのでしょうか。
ほんの少しは信頼していたルイスからの罵声を右から左に聞き流しながら、リリーは思案する。もとからルイスとの仲はあまり良くなかった。それでも、幼い時からの付き合いがある分、ぽっと出の目の前の女――ジュリエットよりは情があると思っていた。だが、それはどうやらリリーの思い違いの様だった。
――ルイス様はいったい私にどう答えて欲しいのかしら。
これまでのリリーであったならば、おそらく泣いて許しを乞うか、ジュリエットに全てをなすりつけ、恥も外聞も捨てて喚き散らしていたかもしれない。
だけど、今のリリーはほんの数時間前の「リリー」とは違っていた。
「なんとか言ったらどうだ!」
足音をうるさいほど響かせながら近づいてきたルイスはリリーの顎を掴み無理やり上を向かせた。どうせ、悔し涙を浮かべているに違いない――そう考えていたルイスの思考を裏切るようにリリーは無表情で彼を見つめていた。リリーの瞳に侮蔑の感情と底知れぬ闇を感じたルイスは、情けなく上げかけた悲鳴を呑み込みながら手を離した。
自由になったリリーは長くて鬱陶しい金色の髪を乱暴にかきあげる。上品さからはかけ離れた、ガサツなその仕草に集まっていた人々は口々に言葉を交わす。
「なんだあれは。とても女性のする仕草とは思えない」
「野蛮で、恐ろしい子だわ。獣みたいに鋭い瞳」
「とうとう自暴自棄になったんだわ。ルイス王子の気が引けないから」
「それに、あの形相を見てみろよ。まるで――」
――悪女のようじゃないか。
聞こえてくる声にリリーはため息を吐くことすら惜しいと思ってしまった。「リリー」はいったいなぜこんな愚かな人しかいない場所で必死に生きてきたのか。どれだけ考えても「リリー」の気持ちはわからない。
――それにしても、「悪女」ね。結局私は今回も物語を回す歯車の一つにさせられたようね。
予定調和に沿って進む物語のように、「悪女・リリー」という歯車があるから円滑にストーリーが進むのだ。本来であれば、最後まで「リリー」としてこの断罪シーンを過ごさなければいけないのだろう。それが歯車に与えられた役目だから。
――でも、もういいんじゃないかしら。こうして一方的な断罪を受けるのはこれで三度目よ。今度こそ、私の好きに生きても文句は言われないはず。
リリーは一歩後ろに足を下げた。そして、口元を手で隠しながらにっこりと笑う。
「ルイス王子、あなたの言いたいことはわかりましたわ」
「……!」
「あなたは、私という目ざわりな存在を消してしまいたいのでしょう?」
「な、なんのことだ……!」
相手の弱みに漬け込むように、皮肉げにくすりと笑うと、彼は図星を突かれたようにあからさまに動揺を見せた。こんなわかりやすい王子でこの国の未来は大丈夫なのだろうか、と心の中で息を吐き出す。
――おっと、いけないわ。もう、どうなっても同じことなのだから、心配するのはやめないと。
リリーは口元に笑みを浮かべたまま、ルイスの怯えた瞳をしっかり見つめる。
「どれだけ努力しても、私に勝つことのできないルイス王子。この国を支えることが、本当にこの王子に務まるのか」
人差し指を口元に当ててうっすらと笑えば、ルイスは本能的な恐怖からか体を震わせた。
そう、彼が一番恐れているのは周囲の人からの落胆のため息だった。
この国の王子として、一番であれと願われた彼は、運悪く隣に立つことになったリリーに全てにおいて負けていた。しかし、そのことを認められず、ルイスはありとあらゆる手段を使うようになった。その行動が、余計に彼を追い込んでいるとも知らずに。
「な、何が言いたい! この俺を愚弄する気か!」
「いいえ、ルイス王子。私にはそのつもりはございませんわ。ただ、そう思っている人物は案外近くにいるものですのよ」
ルイスから視線を外し、その後ろに隠れている人物を見つめる。
彼女――ジュリエットは青ざめた表情でこれからリリーが語るものの恐怖から体を小刻みに震わせた。恐怖に染まった瞳は「どうしてお前がそれを知っている」と尋ねているようだった。
どうして?
当然だ。
「リリー」は最終的にやり方を間違えこそしたが、彼女の頭脳は本物だった。
何も目障りだから嫌がらせをしていたわけではない。婚約者に群がる害虫だったから排除しようとしていたわけではない。自分の気持ちを優先させて婚約者に振り向いてもらいたかったわけではない。
ルイスに近づいたジュリエットは、まさに王家を断絶させようと目論む反対勢力の人間だったのだ。それを知っていた「リリー」はなんとか彼女をルイスのそばから離そうとした。
そのことを他の人に相談したこともあったが、「リリー」にはないジュリエットの優しさや人当たりの良さを信じた周囲の人は彼女の言葉を戯言として取り合わなかった。
結局「リリー」は一人でどうにかするしかなかったのだ。
「気がつきませんか、ルイス王子。あなたがどうしてこれまで、その地位を脅かされることなく過ごすことができたのか」
「そんなの! ルイス様が優秀で、人望に厚いお方だからですわ!」
リリーが真実を明かすのを止めるようにジュリエットが声を被せてくる。お淑やかに、声を荒げることなんてなかった彼女の様子に、ルイスは目を丸くしている。それすらも、リリーの予想通りだった。彼女は自分の保身のためにも、これ以上リリーに話をさせるわけにはいかないのだから。
だけど、もう何もかも遅い。「リリー」がここにいないことがその証拠だった。
「発言を宜しいですか」
静まり返った広間に、低い声が響く。
カチッと止まっていた歯車が動き出す音が聞こえたような気がした。
群衆の中から一歩前に出たのはエドモンド・カヴァリエという男だった。この男は財務部でこの国の経理を担当しているものだった。
「なんだ、お前……」
「殿下に謹んでご挨拶申し上げます。私はエドモンド、財務部所属のものです」
「財務部の奴が一体何を……?」
困惑するルイスの横でジュリエットは何かに気がついたのかこれまで以上に顔を青ざめさせる。そして、彼の口を塞ぐためにルイスの前に躍り出ると「あの男もきっとリリー様と懇意にされている方に違いありませんわ!」と耳が痛くなるような声で喚いた。
そんなに焦らなくても、ちゃんと全てを明るみにしてあげるのに、とリリーは心の中で呟く。
エドモンドはジュリエッタのことなんて視界に入っていないようで、彼女の横からルイス王子に一枚の紙を手渡す。
「これは、ジュリエット・フェリーニ様のご両親が横領した証拠にこざいます」
エドモンドは優雅に一礼しつつ、その眼差しは皮肉を語っていた。冷めた瞳からは嘲りすら感じられる。
「横領した金銭は全て反王国派、つまりこの国に反旗を翻そうとしたものたちへと流れております」
「そんなわけないわ!」
エドモンドの言葉をジュリエットは被せるように否定する。元々可愛らしい顔をしていたが、今では見る影もなく、歪んだ顔はただ痛々しいほどに滑稽だった。良くも悪くも純粋な彼女には、悪役は似合わないようだった。
「これは、財務部としての調査の結果です。もしも違を唱えられるのであれば、正式にフェリー二家から抗議文をお出しください」
首は垂れたまま、エドモンドは淡々と必要なことだけを伝える。
「私からも、発言の許可をいただきたい」
エドモンドによる告発が終わると、また一人声をあげるものがいた。その人物は第一魔法騎士団に所属するマティアス・ヴァレンティンという男だった。
マティアスは熊のような大きな体に口元に裂けたような傷を持っていた。見た目は怖いが、実直で王家に忠誠を誓っている
誰も信用ならない王宮の中で数少ない「リリー」の信用を勝ち取った人物でもある。
「マティアス……貴様も一体なんだ……」
ルイスの護衛を務めることもある彼のことをルイスは覚えていたようで、真っ白な顔をしながら震える声で尋ねる。その表情は、今すぐにも耳を塞いで引き篭りたいと雄弁に語っていた。
「フェリー二家含む反王国派と予想されている貴族たちが秘密裏に内戦を起こす準備をしているという報告も上がっています。その証拠に、軍部が管理していない武器の動きがあり、実際に取り押さえたとある貴族の家からは大量の火薬と武器が見つかっております」
「……!」
はっきりとした声で伝えられた報告にルイスは持っていた紙をグシャリと握りつぶす。その音に我に返ったジュリエットは慌てて弁明をしようと顔をあげて、表情を硬直させた。
信頼が瓦解したルイス王子の瞳は、深淵を覗くように虚で、顔からは正気が抜けていた。
「ジュリエット……お前、本当に……」
「違います! ルイス様、本当です! 私は断じて、そのようなことは……!」
耐えられなくなったルイスは頭を押さえてよろめき、ジュリエットはそんな彼にそれでも追い縋ろうとする。しかし、その手が届くよりも前にガンッと大きな音が広間に響いた。
その場にいた誰もが驚き、顔を音のした方に顔を向けるとそこにはすでに退室したはずのグラディアント・ヴァレリア王が険しい顔で立っていた。この国の頂点の登場にジュリエットはひゅっと短い悲鳴をあげた。
茶番のような現状を見てリリーはほくそ笑む。
――ようやく終われる。今度こそ、私は本当の自由を手に入れる。
この盤上の最後の駒は他でもない、グラディアント王にあった。彼がこの場に現れるかどうかが、リリーの運命を大きく変えるのだ。
全ての手札が切られ、賽は投げられた。あとは身に任せるだけで、この茶番は終わる――はずだった。
「私からも、一言申し上げたい」
聞き覚えのない声。予定外のセリフにリリーは初めて表情を崩す。気づかれないほど僅かに見開いた目で顔をあげると、意匠の凝らされた銀色の仮面をつけた男がリリーの横に立った。
誰だ、この人は――頭の中にある招待客のリストひっくり返しても、彼のことがわからなかった。
リリーですら困惑していると男はリリーの方を向くとにっこりと笑った。その笑顔になぜか既視感を覚える。
「発言を許そう」
威厳を帯びた、沈黙すら支配する重い調子でグラディアント王は小さく頷く。
「このように発言の機会を賜り、陛下に深く感謝申し上げます」
恭しく頭を下げた男にグラディアント王は目を細める。
「リリー嬢とルイス殿下の婚約破棄がなされた暁には、私と彼女の婚約を認めていただきたく思います」
「…………は?」
男の突拍子もない提案に誰もが驚き、それまで静かだった広間にざわめきが一斉に広がる。そして、混乱と動揺はリリーにも降りかかっていた。
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