悪女と呼ばれた令嬢の真実 -断罪フラグをへし折ったら、別の物語が始まりました-

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1話 断罪後の話

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「貴殿はアルシア王国のものだな」


「はい。アルシア王国第一王子、ヴィンセント・アルトリウスと申します」


 アルシア王国はここヴァレリア王国の隣に位置する小国の名前だった。しかし、どうしてアルシア王国の王子がこんなところにいるのだろうか。

 リリーの心情を察したのかヴィンセントと名乗った男はそっと仮面を外し、清らかな水を思わせる青い瞳で彼女のことを見つめる。

「自分の方が、リリーに相応しいとそう申すのか」

 グラディアント王の刃のような鋭い視線がヴィンセントを射抜く。威厳溢れる、威圧感のある視線に晒されてもヴィンセントは顔色一つ変えることなく、むしろその目を見返した。

「はい。少なくとも、婚約者がいる中で他の女性に懸想するルイス殿下よりは確実に」
「なっ……! 貴様、口がすぎるぞ!」
「口を開くでない、愚息が!」

 自身ありげに笑うヴィンセントにルイスが飛びかかる勢いで前に出てくるが、すぐにグラディアント王が杖を床に叩きつけて静止させる。国王の怒りに満ちた眼差しにルイスは悔しそうに口を噛み締める。

「貴殿の申し出はアルシア王国の総意か」

 重ねて尋ねられたことにヴィンセントは迷うことなく頷く。

「私の父も、この婚姻を許していただき、貴国との繋がりを強固なものにしたいと考えております」
「……そうか。貴殿らの考えはよくわかった」

 当事者であるリリーを置いて進んでいく話に彼女はわなわなと体を震わせる。衆人環視の中であるとか、国王の面前であるとか、今まで気にかけていたものが頭からごっそりと抜けていく。

「お待ちください! 私は、この婚約を望みません! 私は――!」
「リリー、これは国の問題である。賢いお前なら、この意味がわかるだろう」
「……っ!」

 国を盾にされてしまえば、リリーにはもう何も言えなかった。キツく口を引き結ぶと、悔しそうに顔を歪める。



 ――結局、私は「物語」の歯車から抜け出すことはできないの。



 何のために「リリー」が責務と嘲りに押しつぶされそうになりながらも、なお前を向いてきたのか。「リリー」が今のリリーに託した全ては、結局無駄でしかなかったのか。

「リリー嬢、そんなに唇を噛み締めてしまったら、可愛らしい口が赤く染まってしまいます」

 威厳のある声とは打って変わって、蕩けるほど柔らかい響きが鼓膜を揺らす。そして、俯いていたリリーの顔にそっと手を添えたかと思ったら、親指で固く閉ざされた唇を優しくさすられる。

 一瞬何をされたのかわからず呆然とするが、すぐにリリーは頬を紅潮させ、羞恥と動揺で目を見開いた。

「は、破廉恥なっ!」

 繰り返す人生の中でも男性と必要以上接触したことのないリリーにはその刺激は大きすぎて、思わずその手を振り払ってしまった。嫌悪の方が勝ちそうなのに、胸の奥が熱を帯びる感覚にリリー自身が一番戸惑った。

 震える唇の隙間から小さな吐息を漏らす。荒ぶる心を落ち着かせるために深呼吸を繰り返すが、あまり効果は得られなかった。

「今はリリー嬢も混乱されていることでしょう。ですが、これはあなたにとっても悪い話ではないはずです」

 美しい青い瞳がじっとリリーの瞳を見つめている。全てを任せて欲しいと言っているような視線にリリーはどうして、と困惑する。

「今宵の宴は中止とする」

 見つめあっていると威厳のある声が広間に響く。リリーはハッとして目の前の男からグラディアント王の方に顔を向ける。その横ではリリーの意識が外れたことにヴィンセントが不服そうに一瞬眉間に皺を寄せたが、誰もそのことには気が付かなかった。

「リリーの処遇については、後日話し合いの場を設けよう」

 その言葉を最後にグラディアント王はルイスを連れて広間から去っていく。ルイスに置いて行かれたジュリエットは警備兵に拘束され、泣き喚きながら連れて行かれた。そして、広間に取り残されたリリーは怒涛の展開に頭がついていかず、その場に立ち尽くしていた。周囲の人々が口々に何かを言っていたが、それすらも耳に入ってこなかった。


「リリー」


 隣から声をかけられて、ようやくリリーは意識を目の前に戻すとヴィンセントの方を向いた。ヴィンセントは申し訳なさそうに目尻を下げて、先ほどの堂々とした態度とは違い、何かを恐れているように瞳を潤ませている。

「ごめん。こんなやり方しかできなくて……でも、信じてほしい。俺は君を何に変えても守るから」

 口調も一人称も堅苦しいものではなく、ずっと昔からの知り合いのように話しかけてくるヴィンセントのことが理解できずリリーは思わず睨みつけてしまう。感情的になってはいけないわかっていても、「物語」から解放されて自由になることを邪魔された恨みは大きかった。

「今度ちゃんと話をしよう。リリーのことも、俺のことも、ちゃんと」
「私には話したいことはありません」

「うん。それでも、俺は君と話がしたい」


 引く気がないのか、ヴィンセントは優しい微笑みを浮かべるだけでリリーの言葉には頷かなかった。彼はそれでもよかったのか踵を返して広間から立ち去っていく。リリーはその背中を見えなくなるまで見つめていた。




 *




 自宅に帰ってきて、息苦しいドレスを脱ぐとリリーは椅子に座る。今日で全てが終わり、自由になれると信じていたのに、思わね方向に話が進みどうしたらいいかわからなくなる。

 ――だけど、死んでない。悪女として裁かれず、ただのリリーとして帰ってくることができた。

 そう考えると当初の目的は果たされたと言ってもいいだろう。


 リリーは小さくため息を吐くと机の上にある、いつの間にか置かれた一冊の「物語」に目を向ける。


 その「物語」の表紙をそっと撫で、中を確認する。その「物語」には「リリー・アンネット」の一生が記されており、今日という日を境に本は空白になっている。これからのことが何も書かれていないからこそ、今日を乗り切ればリリーは自由な未来を手に入れられるのだと考えていた。


 だが、その希望はヴィンセントの登場で打ち砕かれることになった。


 一度目も二度目もアルシア王国の王子が出てくることはなかったはずだ。今になって起こったイレギュラーは「物語」には空白の出来事にされているのか、何も記されていない。彼の存在がリリーのこれからにどう影響してくるのかを考えると、リリーは「物語」を乗り切ったことを素直に喜べなかった。

「リリー、いるんだろ」

 荒々しいノックと共に男の声が聞こえてくる。リリーは男――エルリックは彼女の兄に当たる。魔法士として宮廷で働く優秀な人であるが、ややとっつきにくい性格で損をしている人でもあった。

 リリーは疲れている体に鞭を打つように立ち上がり、扉をそっと開ける。夜も遅く、寝ていてもおかしくない時間なのに、エルリックは今帰宅したかのように支給されている制服をしっかりと身に纏っていた。

「遅くまでお疲れ様です。それで、何かご用ですか?」
「用がなきゃお前のところなんかに誰が来るか」

 丁寧に兄に挨拶するが、エルリックは不満そうに鼻を鳴らすと、忌々しそうに眉間に皺を寄せてリリーのことを睨む。子供が拗ねているような態度にリリーは仕方なさそうに肩を竦める。

「父さんが呼んでるから行くぞ……お前、今度は何をやったんだよ」
「……そうですか、お父様が。いえ、大したことはしていません」

 兄妹仲が悪い、と言葉にすれば至極単純で、特に問題がないように見えるかもしれない。だが、二人の心の間にある隔たりは、谷底のように暗く深く、橋をかけることすら叶わないほどだった。

 「リリー」はエルリックとうまく話せなくなってしまったことを後悔しているようだったが、プライドが高かった彼女は自ら兄に近づくことはできなかった。だけど、「リリー」はずっと仲のいい兄妹に憧れており、いつか関係を修復できたらいいなと考えていた。


 ――まぁ、もう、それを願った彼女は消えてしまったのだけれど。


 リリーの中に「リリー」の気配は感じない。彼女は消滅してしまったのか、それともリリーですら感知できないほど意識の深いところで眠っているのか。現状、リリーにわかることは何もなかったし、今更この体を返す方法もわからなかった。


 一つの体に魂は一つしか宿らない。


 その法則で言えば、リリーが体の主導権を得た時点で「リリー」は消えてしまったと考えるのが妥当なのだが。


「おい、話聞いてるのか」


 思考の渦に飲み込まれかけたところで、エルリックが不快そうに顔を顰めながら苛立ちを隠さずに話しかけてくる。

「すみません、考え事をしていました。もう一度言ってもらってもいいですか」
「はぁ、もういいわ」

 呆れたようにわざとらしくため息を吐くエルリックにリリーはムッとして言い返す。

「言いたいことがあるのなら、はっきりと言われたらどうですか」
「…………は?」
「だから、わざとらしくため息を吐く暇があるのなら、言いたいことを言えばいいじゃないですか」

 リリーに言い返されるとは思っていなかったようで、エルリックは信じられないものを見るような顔で見てきた。正確には、昔から話をするたびにお互い喧嘩腰になり、言い合いはしてきていたのだが、「リリー」は自分に都合の悪いことは聞き流すタイプだった。そのため、話しても無駄だとエルリックは必要なことも含めて「リリー」と対話することを諦めていた。

「お前……熱でもあるのかよ……」
「失礼ですね。それに、こんなに元気なのに、熱なんてあるわけないでしょう」

「いや、でも……お前、いつもの高飛車で傲慢な態度はどこにやってきたんだよ」
「私だって、いつまでも駄々をこねる子供ではいられませんわ。まぁ、研究ばかりで家に寄りつかないお兄様には私の心境の変化など、些末なことでしょうけど」

 エルリックは痛いところを突かれ、グッと黙り込んで唇を噛み締める。

「安心してください。今更普通の兄と妹のような関係を望んだりしません。なので、お兄様も気にせず今まで通りに接してください」

 言外に関係修復は望んでいないことを伝え、リリーは兄を置いて歩き出す。父のいる部屋まで大した距離ではないのに、廊下がすごく長く感じた。

 エルリックは宮廷に使える魔法士で、主に魔法の研究をする人だ。本来ならこの家を拠点に、城に登城して仕事に打ち込むべきなのだが、妹と折り合いが悪かった彼は、寝食のほとんどを自身の研究室で行なっていた。今日のように家にいることの方が珍しい人なのだ。

 廊下の真ん中で固まるエルリックはそのままにして、リリーは父のいる部屋の前にやってくる。
 何を言われるかわかっているだけに、気が重かったが、リリーにも確かめなければいけないことがあった。


 ――三度繰り返した「物語」には登場することのなかった、ヴィンセント・アルトリウス。この先、空白のページを進むために、彼のことをできる限り知らなければいけないわ。


 脇役でもなく主役でもない彼の存在が、今後のリリーの「物語」に大きく関わる予感は、先ほどの一件で嫌というほど胸に刻まれていた。


 ――もしも、彼の正体や目的が分かったら、私はこの「物語」の向こう側にいけるのかしら。悪女としてではない、ただのリリーとして。


 答えのない問いを自分に投げかけるが、リリーはすぐに雑念を振り払う。
 そして、小さく深呼吸をすると、覚悟を決めて父のいる部屋の扉をノックする。


 この瞬間から、リリー・アンネットは新しい「物語」と描き始めるのだ。
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