悪女と呼ばれた令嬢の真実 -断罪フラグをへし折ったら、別の物語が始まりました-

豆茶

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8話 アリシア王国

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 温かく微笑みリリーを出迎えてくれたオリヴィエは、「こっちにいらっしゃい」と言って手招いてくれる。リリーは変わらぬ母の愛を端々から感じて、今更どのように接すればいいのかわからなくなる。
 シャルルは「リリー」の行動に手を焼いて、エルリックは侮蔑と諦めの態度を取られていたからこそ、純粋な愛情を向けられて困ってしまった。


「あら、緊張しているの? 久しぶりにこうやって話すものね、仕方がないわ」
「……いえ、そういうわけでは」
「ふふ、いいのよ、リリー。私はこうやってリリーの元気そうな顔が見れただけで胸がいっぱいだもの」


 オリヴィエはリリーのそばまでくると優しく手を握って誘導してくれた。オリヴィエの席の隣に案内され、小さな子供を椅子に座らせるようにリリーを扱った。子供扱いにリリーは余計に羞恥心を覚え、視線を彷徨わせると、オリヴィエは楽しそうに笑っている。

「リリー、最近色々とあったみたいだけれど、体調は大丈夫?」

 じっと見つめる瞳は揺らぎ、深い心配の色が滲んでいる。リリーはその視線におずおずと見つめ返しながら「はい、大丈夫です」と答える。オリヴィエは疑わしそうな顔を一瞬見せたが、すぐににこやかに笑った。

「それなら安心したわ。ルイス様との婚約の件でリリーが傷ついていないか心配だったの」


 別邸で過ごすオリヴィエにはいくつかの情報が伝えられていないのか、昨日の一件のことは知らないようだった。もしも、リリーが危険な目にあったなど知れば、心配で体調を崩すか、すぐにでもリリーに会いにきていただろう。それらがなく、第一声にルイスの件が出てくることから、シャルルは意図的にオリヴィエへの情報を規制したようだ。


 体の弱い母に対する気遣いにはリリーも納得だった。

「それで、アリシア王国の王子様はどんな人なの?」


 ヴィンセントのことを尋ねられ、リリーは一瞬にして彼とのこれまでを思い出す。わざとらしいほど完璧な仕草に、余裕をまとった微笑み。恋愛初心者のリリーでもわかるほどストレートに愛を伝えてくれる不思議な人――そして、「物語」の秘密を知っているかも知れない男。


 謎に包まれたヴィンセントだったが、その愛は本物で、リリーはいちいち恥ずかしくなってしまう。


「いい人に出会えたみたいね」
「……まだ、よくわかりません。私はヴィンセント殿下と初めて会ったのに、殿下はまるで私のことを知っているようでした」

「あら? リリーはヴィンセント様とお会いしたことがあるはずよ」


 オリヴィエの口から思いもよらぬ事実を告げられて、まるで時が止まったようにリリーの目に驚愕の色が宿る。

「そんな……でも、私は覚えてません…………」

 三度繰り返した人生を振り返ってみるが、ヴィンセントと出会った時の記憶はなかった。


 ――もしも、会ったことがあるのなら、あんな美しい人を忘れるわけないのに。


 リリーが険しい顔をしていると、オリヴィエはシワのよった眉間に人差し指でトンっと押した。ハッとして視線をオリヴィエに戻すと、彼女は包み込むような優しい笑みを浮かべている。


「リリーとヴィンセント様が会ったのは、ずっと昔のことだもの。リリーが覚えていなくても仕方がないわ」
「……その、よければヴィンセント殿下のことを教えてくれませんか」
「いいわよ、リリー。でもその話は、朝食を食べてからにしましょう」


 いつの間にか準備の整った食卓を見て、オリヴィエはクスッと笑いながら悪戯っぽく片目を閉じる。リリーは手がかりを得られるかも知れないという焦る気持ちを抑え込みながら、母の言葉に従った。


 食卓には焼きたてのクロワッサンにハムとチーズの盛り合わせ、そしてさまざまな温野菜が盛り付けられたボウルが用意されていた。そして、少し遅れて入ってきたメイドがティーカップにハーブティーを注いでいく。鼻をくすぐるハーブにリリーの心が落ち着いていくのを感じる。


 オリヴィエも「今日の料理も美味しそうね」と言いながらニコニコと笑っていた。

 二人は出された食事をゆっくりと食べ始める。時折オリヴィエがリリーに話しかけ、リリーはそれに答えた。今更、母親とどう向き合えばいいのか、相変わらずわからなかったが、オリヴィエの楽しそうな表情を見て、リリーも少しだけ安心する。

 普通の親子のやり取りに、こんな時間も悪くないと、感じながら二人は食事を終える。



 食事が終わるとオリヴィエはリリーを散歩に誘った。休まなくて大丈夫なのかと心配になったが、母は笑って「今日はなんだか調子がいいの。リリーと一緒に過ごしているからかしら?」と言った。


 その言葉や態度からリリーと過ごすのが嬉しいという気持ちが伝わってきて、リリーも恥ずかしくなり頬を赤く染める。

 アンネット家の庭は日がよく当たるところに石造りの東屋があり、そこを中心に十字に白い砂利の小道が伸びている。東屋はバラの生垣で囲まれており、また小道の先には季節に合わせた花が咲いていた。他の貴族に比べれば、こじんまりとした庭だったが、リリーにとっては慣れ親しんだ大切な場所だった。


「それで、話はヴィンセント様のことだったかしら」


 東屋に来た二人は椅子に向き合うように座ると、オリヴィエが話始める。リリーは小さく頷くと、母の言葉を待った。

「ヴィンセント様とリリーがお会いしたのは、確かリリーが五歳の時かしら。ヴィンセント様はリリーの二つ年上だから七歳になる頃だったはずよ」

 リリーが五歳の時はまだ「物語」に支配されていない時だった。そんな昔に出会ったことがあったなんて知らなくて、リリーは純粋に驚く。繰り返す時間の中で、身体の主導権を奪われる前のことなのに、リリーの記憶にヴィンセントのことは全くなかった。それが、不思議でしょうがない。


「リリーがヴィンセント様のことを覚えていないのは、幼かったこともあると思うけど、きっとアリシア王国の精霊に悪戯をされたからだわ」


「……精霊?」
「そうよ。アリシア王国には精霊が住んでいて、気に入った人間に祝福を送ると言われているわ。ただ、それが人にとっての祝福になるのか、ちょっとした悪戯になるのかはわからないけどね」
「どうしてお母様はそのことを知っているのですか?」
「あら? 話したことなかったかしら。私はもともとアリシア王国の人間よ」


 初めて知る母の生まれにリリーは大きく目を見開いて、息を呑む。


「私はアリシア王国の一貴族の娘として生まれて、シャルルと出会ったの。ただ、アリシア王国は精霊が住む国として少し保守的な一面もあったから、当時はシャルルの元に嫁ぐことも嫌な顔をされたわ」


 隣国なのにリリーたちのところまでアリシア王国の情報が入ってこないのは、保守的で他国と関わるのを避けているのが原因だそうだ。そこまで関わりを避けるのは、精霊の祝福を他国に奪われたくないという政治家の思惑もあった。


「精霊の祝福にはどんなことがあるんですか?」
「それはどんな精霊に祝福を授けてもらうかにもよるわ。例えば、光の微精霊だとしたら、迷子にならないとかかしら」
「……迷子に?」
「ええ、そうよ。精霊たちにとっては祝福でも、いざ祝福を受ける側になると、本当にそれが貴重な祝福なのか考えてしまうでしょう? だから、精霊の贈り物が祝福になるか悪戯になるのかは受け取りる側次第だと言えるのよ」


 精霊のことを思い出しているのか、くすくすとおかしそうに笑うオリヴィエにリリーは口を閉ざす。三回人生をやり直しているのに、初めて知る情報をどう処理していいのかわからなくなった。


「それじゃあ、私はその精霊に記憶を弄られたということでしょうか?」
「そうね、その可能性もあるわ。だけど、もしかしたら、精霊はリリーに悪戯をしたというよりも、ヴィンセント様に祝福を授けたかったのかも」


 オリヴィエの考えにリリーは首を傾げる。

「ヴィンセント様は生まれた時から精霊に祝福されていたわ。多くの精霊がヴィンセント様のことを気にかけ、彼が望めばどんな祝福でも与えられるだろうと言われていてね……そう考えると、ヴィンセント様のお考えでリリーから意図的に記憶を消すように仕向けた可能性もあるわ」
「そんなことして、なんの意味があるんですか……」
「そこはもう、本人に確認するしかないんじゃないかしら?」


 精霊は純粋で清らかな魂を好み、気に入ったものには祝福を授ける。その行為は一見慈しんでいるように見えるが、実際は押しつけにも近いとのことだ。祝福は人にとって必ずしもいいものだとは限らない。祝福の結果望まない結末を迎えることもあるというのだから、ある意味呪いにも近いのかもしれない。


 それでもアリシア王国の人々は精霊を奉り、共存する道を選んだ。他国との関わりを必要以上に避けながら、精霊との関係を維持し続けた。



 ――精霊の力が人智を超えたものであることは確実だわ。それなら、私が人生を繰り返していることも、ヴィンセント殿下が「物語」を知っていることも精霊の祝福の可能性がある……?



 精霊の力がどこまでできるのかはわからない。だが、今になってヴィンセントというイレギュラーな存在がリリーの人生に現れたことを考えると、精霊の力の可能性は捨てきれなかった。


 ――いや、違うわ。イレギュラーだと思っていただけで、ヴィンセント殿下との出会いは、偶然じゃなくて必然だったのかもしれない。


 リリーとヴィンセントの出会い、もとい再会は元から仕組まれていたことなのではないか。そう考えると、ゾッとした気持ちになる。


 ――ヴィンセント殿下は、一体なぜこんなことを……?


 考えてもわからない疑問ばかりが蓄積されていく。謎が謎を呼ぶ状況に、正直に言ってリリーは困惑していた。


「リリー」


 その時、オリヴィエがリリーの名前を優しく呼ぶ。リリーは少しだけ眉間に皺を寄せ、目尻を下げながら母のことを見つめ返す。

「私にもヴィンセント様のお考えはわからないわ。だけど、あの方はリリーと初めて会ったとき、あなたのことを精霊と見間違えたの。まるで、絵本に出てくる美しい精霊のようだってね」

 昔のことを思い出しているのか、オリヴィエは柔らかい笑みを浮かべる。


「アリシア王国では、精霊に例えることは最上級の言葉と同義なの。そう考えると、ヴィンセント様はリリーのことを初めて見た時から好いていたと思うわ」


 オリヴィエはリリーの手に触れる。温もりがじんわりと手を伝い、リリーの固まった思考を溶かすようだった。


「今はいろんな気持ちが溢れて落ち着いて考えることができないかも知れないわ。だけど、よかったらヴィンセント様とのことをよく考えてみて」


 リリーはオリヴィエの優しい気持ちを受け取り、小さく頷く。すると、オリヴィエは満足したように微笑んだ。


「私はいつでも、リリーの幸せを願っているわ」



 リリーの幸せ――それがいつか見つかるのだろうかと思いながら、リリーはオリヴィエの手の上に自分の手を重ねた。
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