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聖女の恋は物語としていくつも残されていて、この世界の人間であれば、誰でも一つはお気に入りの話がある。
結果、純粋に魔王討伐を目指す令息だけではなく、聖女との縁が欲しいと望む令息もまた、召喚の儀を待ち望んでいた。
聖女は異界の人であるため、こちらの世界では見慣れない容姿の方が多い。
その姿が、こちらの男性にはより魅力的なのもあるだろう。
それに、聖女に選ばれた伴侶となれば、新たに家門を興すことが許されるので、その先の人生は安泰だ。
そのため、家督を継がない次男、三男の参加が多い。
とはいえ、長男の参加が不可というわけではない。
だからこそ、ラルセン子爵家の第一子であるステファンお兄様もまた召喚の儀に参加し、討伐隊の一員として選ばれた。
我が家には、聖女召喚時点で未成年の弟イーサクがいるから、万が一のことがあったとしても、ラルセン家が途絶える心配はない。
一方、オーストレーム伯爵家後継者のオリヴェル様は、一人息子。
歴史ある名門オーストレーム伯爵家を継ぐ立場である彼が召喚の儀に立ち会うことになったのは、儀式当日、独身であったからに他ならない。
もちろん、聖女にはその旨も伝えたうえで、同行者を選んでいただいている。
聖女召喚までに結婚していることが一般的とはいえ、相手の年齢との兼ね合いもあって、婚約者のいる独身男性が儀式に立ち会うことは初めてではなかったし、これまでの聖女は、
「こちらは、結婚を控えた者たちです」
と説明すれば、その中から同行者を選ぶことはなかった。
既婚者の同行をも制限する魔王討伐隊。
その隊に選ばれる意味を――命の危険性も、聖女の伴侶になる可能性も――過去の聖女たちは、十分に理解してくれていた。
――しかし。
今代の聖女は、同行者の一員にオリヴェル様を選んだ。
聖女からの指名は名誉なことだから、辞退は許されない。
婚約者がいるオリヴェル様が指名されたことで、陛下たちは戸惑い、慣例を曲げて思い直すように婉曲的に声をかけてくださったようだけれど、聖女は、
「え? 私が選んでいいんでしょ?」
と、まったく気づく様子はなかったらしい。
いわゆる、『暗黙の了解』というものは、双方に共通認識があるからこそ、なされるもの。
曖昧な表現で聖女にも伝わるだろう、というのは、私たちに都合のいい思い込みだったということだ。
けれど、ここで強硬に反対し、聖女との関係が拗れてしまっては、魔王討伐ができなくなる。
そのため、陛下は、王家にとっても利があった私とオリヴェル様の婚約を破棄、彼に魔王討伐隊に入ることを求める苦渋の決断を下した。
仕方がない。
わかっている。
この世界の人々を救うには、聖女が必要。
その聖女がオリヴェル様の同行を望んだのであれば、何が起きてもいいように、私との婚約を破棄しておかなくてはならない。
だからこそ、私は欠片も未練を見せずに、身を引かなくてはならなかった。
曲がりなりにも聖女の血に連なるラルセン家の一員として、苦言を呈することはできないのだから。
……そう。
ラルセン家には、聖女の血が流れている。
ラルセン家は、代々魔法師の家系である侯爵家の三男が魔王討伐隊に志願し、時の聖女と結ばれたことで興した家なのだ。
聖女と婚姻を結んだといっても、二代前、つまり、四百年前の聖女なので、随分と過去の話だ。
でも、ラルセン家で数代に一人、黒髪黒瞳だった聖女のような髪色や瞳の色の人間が生まれると記録されているのは、やはり、どこかに血が残っているということを示しているのだろう。
私のこの濃灰色の髪も、聖女様の黒髪に由縁しているのだ、とは父の話による。
亡くなった母は金髪だったし、父と兄、弟は明るい栗茶なので、今のラルセン家で黒っぽい髪をしているのは私だけ。
けれど、それは先祖の聖女のように「射干玉の黒髪」というにはくすんだ色で……オリヴェル様と私の婚約をよく思っていない令嬢たちに、灰被りだと散々嘲笑われた。
(……オリヴェル様のことを思えば、よかったのよ)
私とオリヴェル様の婚約は、両家の父親同士に親交があったことから、幼いうちに決まった。
当時、私は七歳、オリヴェル様は十四歳。
思春期の少年にとって、七歳の少女が異性に見えた筈もない。
魔法師の家系であるラルセン家と、魔法騎士の家系であるオーストレーム家を結びつけるための婚約は、近い将来、魔王討伐隊が組まれることを承知のうえで結ばれた。
オーストレーム伯爵夫人は体が弱く、オリヴェル様の後にお子を授からなかった。
我が家には、兄、私に続いて、弟イーサクがいた。
先祖の聖女に憧れているステファンお兄様が討伐に参加し、私が嫁いでも、ラルセン家の後継の心配がないということで、両家で話し合われた婚約。
七歳上のオリヴェル様は四歳上の兄とは違い、物静かで落ち着いていて、まだ屋敷の外に出たこともない私にとって、『大人のお兄さん』だった。
婚約という言葉の意味すらもよく理解しないまま、私はひと月に一度、婚約者の交流に訪れるオリヴェル様に懐いた。
魔法の手ほどきも、社交の基礎も、すべてをオリヴェル様に教わった。
苦手な歴史だって、オリヴェル様が様々な史実と結びつけて語ってくれるお話と一緒ならば、覚えられた。
幼い頃は、屋敷の庭で。
成長してからは、王立植物園や動物園で。
ともに過ごした、デートと呼ぶには少し幼く、けれど、暖かな時間。
婚約から四年後。
少年から青年へと成長し、凛々しくも美しい容姿とともに、魔法騎士としての確かな実力を身につけられたオリヴェル様は、十八歳で王立士官学校を卒業し、魔法騎士団に入団、また、伯爵家の令息として社交界入りを果たした。
通常、女性は十六歳、男性は十八歳で社交界入りする。
士官学校は男性しか入学できないので、それまでのオリヴェル様の交友関係は男性に限られていたのだけれど、彼が社交界に姿を見せたことで、令嬢たちの間に衝撃が走ったという。
一見すると、騎士には見えない細身のオリヴェル様。
一体、どちらの貴公子なのか、婚約者は、恋人はいるのか、と騒然となったそうだ。
伝聞なのは、七つも年下の私がその場にいた筈もないから。
オリヴェル様は、婚約者がいることは公表したものの、相手が誰かは口を噤んだ。
おそらく、あまりに過剰な周囲の反応を見て、ラルセン家に迷惑がかかることを危ぶんだのだろう。
五年後、慣例通り、十六歳になった私は社交界入りした。
令嬢のエスコートは通常、父親か兄、従兄、そして、婚約者がいる場合は婚約者がする。
『この日が来るのを、楽しみにしていたんだよ』
オリヴェル様は、婚約者として私のエスコートを買って出てくださった。
――その結果、私の社交界入りは、オリヴェル様の時よりもさらに大きな衝撃が走ることになった。
一晩にして、王立女学校で大人への階段を一歩上がることをともに喜び合っていた同級生たちは、私への態度を変えた。
その当時、オリヴェル様は魔法騎士五年目。
麗しい外見だけでなく、確かな実力で、度々話題に上っていた。
その頃、誕生した魔王の影響で増加してきた魔獣被害の対応にも派遣されており、華々しい成果を上げていたのもあるだろう。
そんな注目度の高い魔法騎士の婚約者が、特筆すべき特徴のない下級貴族の私だったのだ。
これがもしも、外見こそ地味であっても高位貴族に属していたり、下級貴族であっても誰もが認める美女だったりしたならば、また話は違っていたのだと思う。
私は、どちらでもなかった。
能力面においても、魔法の勉強は熱心にしていたけれど、努力して秀才になれたとしても、天才ではない。
是が非でも血を繋ぎたい、と思われるほどの突出したものは何もない。
同級生たちは、一斉に私と距離を置いた。
それまでにも、「家と家の間で決められた、幼い頃からの婚約者がエスコートを申し出てくれた」と話していたのに。
彼女たちも、その時には、
「幼馴染が婚約者だなんて、素敵ですわね」
なんて言っていたのに。
相手がオリヴェル様であることが、「ずるい」のだそうだ。
そればかりではない。
オリヴェル様とともに出席する夜会では、彼と離れて一人行動するだけで、令嬢たちに取り囲まれ、忠告に見せ掛けた嫌味やら、当てこすりやらを言われた。
女性のみが参加できる茶会でも同じこと。
近くを通り過ぎただけで、あからさまに容姿や家柄を揶揄される。
要約すれば、私はオリヴェル様の妻としてふさわしくない、ということだ。
だから、私は絵に描いたように品行方正な生活を送り、口にする言葉、振る舞いのすべてに神経を張り巡らせていた。
たとえ、「いい子ぶって!」と憎まれ口を叩かれようとも、揚げ足を取られないことこそが最大の防御だったのだ。
事実、彼女たちは私の言動から粗を探すことはできなかったのだから。
容姿や家柄しか取り沙汰されなかったのは、そういうことだ。
おそらく、オリヴェル様は女性たちの間でそのようなトラブルが起きているとは気づいていなかっただろう。
彼女たちは、オリヴェル様の前では借りて来た猫のようにおとなしく、私をそつなく褒めていたし、告げ口のようなことをして彼を煩わせるのは、私の本意ではなかったから。
オリヴェル様も、社交界入りした婚約者を正式に披露さえすれば、これ以上、横槍に煩わされることもなくなると考えていた筈だ。
国王陛下直々に婚約を寿いでいただいたこともあるし、第一王子殿下をはじめ、紹介していただいた彼の友人たちも、この婚約を歓迎してくれていた。
魔法師の家系であるラルセン家と、魔法騎士の家系であるオーストレーム家の関係が深まれば、国力の増強に繋がる。
両家の間に生まれる子供は、より高い魔法適性と身体能力を得られることだろう。
それは、何よりも民を守るために必要な力。
魔獣の脅威を直接的に知る男性たちは、この婚約の意味をよく理解していた。
それに、
「お前のお相手が決まっていて安心したよ。ライバルが一人、減るってことだもんな!」
と話していらした方は、一人や二人ではない。
冗談めかしていたものの、きっと、本音だったのだと思う。
オリヴェル様がすでに婚活市場から離れているからこそ、他のご令嬢たちを安心して吟味できるのだもの。
私たちは、仲の良い婚約者だったと思う。
年齢が離れているせいもあってか、喧嘩になったことも一度もない。
けれど、折に触れた贈り物や、お手紙の交換、時には二人で外出、と『婚約者らしい』交流がある反面、常に一定の距離を取っていて、二人の関係が恋愛的な意味で進展するようなことはなかった。
エスコートの腕は温かく、いつだって過保護なくらいに私を気遣ってくださったけれど、そこにある気遣いは、『婚約者』という立場に対してのもの。
彼は、十二年という長い間、婚約者でありながら、私の名をただの一度も呼び捨てにすることすらなかった。
いつでも、年下の私を「アストリッド嬢」と丁寧に呼んでくれていた。
彼の性格上、それは敬意を表するためだったのだとわかってはいるけれど……それは、年頃になった私にとって、どこか距離を感じて寂しい思いのするものだった。
私が十八歳を迎え、女学校を卒業すると同時に結婚する予定が、その直前に、長く患っていた母が死去。
私の結婚式までは、とがんばっていた母が力尽きたのには、大気に漂う瘴気濃度が濃くなってきたことも影響していたかもしれない。
ラルセン家は喪に服すこととなり、結婚は一年延期となった。
挙式は、聖女召喚の儀の翌月。
たとえ、世間の人々がなんといおうとも、両家の当主だけでなく、国王陛下も望んでくださっている結婚なのだ。
何事もなく、その日が来ると思っていた、あの頃の私……
――けれど、今、振り返れば、これでよかったのだと思う。
尊重し、大切にしてくださっていたものの、オリヴェル様は私を、妹としか思えなかったのだろう。
彼から、友愛や親愛以上の好意を示されたことはない。
だから。
王命により婚約が破棄され、魔王討伐隊に選ばれたことは、彼にとって選択肢が広がったことを意味する。
聖女と相性がよければ、彼女を巡る争奪戦に参戦したっていい。
漏れ聞こえる噂話だけでは、素晴らしい人格者のように聞こえないけれど、『聖女』という存在をやっかむ人間はどこにだっている。
噂はまったくのでたらめではないとしても、自分で確認したわけではないのだから、真実は一割程度だと捉えれば十分だ。
魔王討伐の旅は、けっして安全なものではない。
それでも、彼ならば無事に帰って来ると信じている。
そして、帰還後は彼自身が望んだ女性と、愛ある家庭を築ける筈だ。
オリヴェル様は、七歳も年下の私をずっと気遣ってくださった心優しい方なのだから。
魔王討伐隊にはステファンお兄様も参加するので、兄とオリヴェル様が聖女を巡ってどろどろの愛憎劇を繰り広げなければいい、とは思っているけれど、彼の幸福を望む気持ちに嘘はない。
結果、純粋に魔王討伐を目指す令息だけではなく、聖女との縁が欲しいと望む令息もまた、召喚の儀を待ち望んでいた。
聖女は異界の人であるため、こちらの世界では見慣れない容姿の方が多い。
その姿が、こちらの男性にはより魅力的なのもあるだろう。
それに、聖女に選ばれた伴侶となれば、新たに家門を興すことが許されるので、その先の人生は安泰だ。
そのため、家督を継がない次男、三男の参加が多い。
とはいえ、長男の参加が不可というわけではない。
だからこそ、ラルセン子爵家の第一子であるステファンお兄様もまた召喚の儀に参加し、討伐隊の一員として選ばれた。
我が家には、聖女召喚時点で未成年の弟イーサクがいるから、万が一のことがあったとしても、ラルセン家が途絶える心配はない。
一方、オーストレーム伯爵家後継者のオリヴェル様は、一人息子。
歴史ある名門オーストレーム伯爵家を継ぐ立場である彼が召喚の儀に立ち会うことになったのは、儀式当日、独身であったからに他ならない。
もちろん、聖女にはその旨も伝えたうえで、同行者を選んでいただいている。
聖女召喚までに結婚していることが一般的とはいえ、相手の年齢との兼ね合いもあって、婚約者のいる独身男性が儀式に立ち会うことは初めてではなかったし、これまでの聖女は、
「こちらは、結婚を控えた者たちです」
と説明すれば、その中から同行者を選ぶことはなかった。
既婚者の同行をも制限する魔王討伐隊。
その隊に選ばれる意味を――命の危険性も、聖女の伴侶になる可能性も――過去の聖女たちは、十分に理解してくれていた。
――しかし。
今代の聖女は、同行者の一員にオリヴェル様を選んだ。
聖女からの指名は名誉なことだから、辞退は許されない。
婚約者がいるオリヴェル様が指名されたことで、陛下たちは戸惑い、慣例を曲げて思い直すように婉曲的に声をかけてくださったようだけれど、聖女は、
「え? 私が選んでいいんでしょ?」
と、まったく気づく様子はなかったらしい。
いわゆる、『暗黙の了解』というものは、双方に共通認識があるからこそ、なされるもの。
曖昧な表現で聖女にも伝わるだろう、というのは、私たちに都合のいい思い込みだったということだ。
けれど、ここで強硬に反対し、聖女との関係が拗れてしまっては、魔王討伐ができなくなる。
そのため、陛下は、王家にとっても利があった私とオリヴェル様の婚約を破棄、彼に魔王討伐隊に入ることを求める苦渋の決断を下した。
仕方がない。
わかっている。
この世界の人々を救うには、聖女が必要。
その聖女がオリヴェル様の同行を望んだのであれば、何が起きてもいいように、私との婚約を破棄しておかなくてはならない。
だからこそ、私は欠片も未練を見せずに、身を引かなくてはならなかった。
曲がりなりにも聖女の血に連なるラルセン家の一員として、苦言を呈することはできないのだから。
……そう。
ラルセン家には、聖女の血が流れている。
ラルセン家は、代々魔法師の家系である侯爵家の三男が魔王討伐隊に志願し、時の聖女と結ばれたことで興した家なのだ。
聖女と婚姻を結んだといっても、二代前、つまり、四百年前の聖女なので、随分と過去の話だ。
でも、ラルセン家で数代に一人、黒髪黒瞳だった聖女のような髪色や瞳の色の人間が生まれると記録されているのは、やはり、どこかに血が残っているということを示しているのだろう。
私のこの濃灰色の髪も、聖女様の黒髪に由縁しているのだ、とは父の話による。
亡くなった母は金髪だったし、父と兄、弟は明るい栗茶なので、今のラルセン家で黒っぽい髪をしているのは私だけ。
けれど、それは先祖の聖女のように「射干玉の黒髪」というにはくすんだ色で……オリヴェル様と私の婚約をよく思っていない令嬢たちに、灰被りだと散々嘲笑われた。
(……オリヴェル様のことを思えば、よかったのよ)
私とオリヴェル様の婚約は、両家の父親同士に親交があったことから、幼いうちに決まった。
当時、私は七歳、オリヴェル様は十四歳。
思春期の少年にとって、七歳の少女が異性に見えた筈もない。
魔法師の家系であるラルセン家と、魔法騎士の家系であるオーストレーム家を結びつけるための婚約は、近い将来、魔王討伐隊が組まれることを承知のうえで結ばれた。
オーストレーム伯爵夫人は体が弱く、オリヴェル様の後にお子を授からなかった。
我が家には、兄、私に続いて、弟イーサクがいた。
先祖の聖女に憧れているステファンお兄様が討伐に参加し、私が嫁いでも、ラルセン家の後継の心配がないということで、両家で話し合われた婚約。
七歳上のオリヴェル様は四歳上の兄とは違い、物静かで落ち着いていて、まだ屋敷の外に出たこともない私にとって、『大人のお兄さん』だった。
婚約という言葉の意味すらもよく理解しないまま、私はひと月に一度、婚約者の交流に訪れるオリヴェル様に懐いた。
魔法の手ほどきも、社交の基礎も、すべてをオリヴェル様に教わった。
苦手な歴史だって、オリヴェル様が様々な史実と結びつけて語ってくれるお話と一緒ならば、覚えられた。
幼い頃は、屋敷の庭で。
成長してからは、王立植物園や動物園で。
ともに過ごした、デートと呼ぶには少し幼く、けれど、暖かな時間。
婚約から四年後。
少年から青年へと成長し、凛々しくも美しい容姿とともに、魔法騎士としての確かな実力を身につけられたオリヴェル様は、十八歳で王立士官学校を卒業し、魔法騎士団に入団、また、伯爵家の令息として社交界入りを果たした。
通常、女性は十六歳、男性は十八歳で社交界入りする。
士官学校は男性しか入学できないので、それまでのオリヴェル様の交友関係は男性に限られていたのだけれど、彼が社交界に姿を見せたことで、令嬢たちの間に衝撃が走ったという。
一見すると、騎士には見えない細身のオリヴェル様。
一体、どちらの貴公子なのか、婚約者は、恋人はいるのか、と騒然となったそうだ。
伝聞なのは、七つも年下の私がその場にいた筈もないから。
オリヴェル様は、婚約者がいることは公表したものの、相手が誰かは口を噤んだ。
おそらく、あまりに過剰な周囲の反応を見て、ラルセン家に迷惑がかかることを危ぶんだのだろう。
五年後、慣例通り、十六歳になった私は社交界入りした。
令嬢のエスコートは通常、父親か兄、従兄、そして、婚約者がいる場合は婚約者がする。
『この日が来るのを、楽しみにしていたんだよ』
オリヴェル様は、婚約者として私のエスコートを買って出てくださった。
――その結果、私の社交界入りは、オリヴェル様の時よりもさらに大きな衝撃が走ることになった。
一晩にして、王立女学校で大人への階段を一歩上がることをともに喜び合っていた同級生たちは、私への態度を変えた。
その当時、オリヴェル様は魔法騎士五年目。
麗しい外見だけでなく、確かな実力で、度々話題に上っていた。
その頃、誕生した魔王の影響で増加してきた魔獣被害の対応にも派遣されており、華々しい成果を上げていたのもあるだろう。
そんな注目度の高い魔法騎士の婚約者が、特筆すべき特徴のない下級貴族の私だったのだ。
これがもしも、外見こそ地味であっても高位貴族に属していたり、下級貴族であっても誰もが認める美女だったりしたならば、また話は違っていたのだと思う。
私は、どちらでもなかった。
能力面においても、魔法の勉強は熱心にしていたけれど、努力して秀才になれたとしても、天才ではない。
是が非でも血を繋ぎたい、と思われるほどの突出したものは何もない。
同級生たちは、一斉に私と距離を置いた。
それまでにも、「家と家の間で決められた、幼い頃からの婚約者がエスコートを申し出てくれた」と話していたのに。
彼女たちも、その時には、
「幼馴染が婚約者だなんて、素敵ですわね」
なんて言っていたのに。
相手がオリヴェル様であることが、「ずるい」のだそうだ。
そればかりではない。
オリヴェル様とともに出席する夜会では、彼と離れて一人行動するだけで、令嬢たちに取り囲まれ、忠告に見せ掛けた嫌味やら、当てこすりやらを言われた。
女性のみが参加できる茶会でも同じこと。
近くを通り過ぎただけで、あからさまに容姿や家柄を揶揄される。
要約すれば、私はオリヴェル様の妻としてふさわしくない、ということだ。
だから、私は絵に描いたように品行方正な生活を送り、口にする言葉、振る舞いのすべてに神経を張り巡らせていた。
たとえ、「いい子ぶって!」と憎まれ口を叩かれようとも、揚げ足を取られないことこそが最大の防御だったのだ。
事実、彼女たちは私の言動から粗を探すことはできなかったのだから。
容姿や家柄しか取り沙汰されなかったのは、そういうことだ。
おそらく、オリヴェル様は女性たちの間でそのようなトラブルが起きているとは気づいていなかっただろう。
彼女たちは、オリヴェル様の前では借りて来た猫のようにおとなしく、私をそつなく褒めていたし、告げ口のようなことをして彼を煩わせるのは、私の本意ではなかったから。
オリヴェル様も、社交界入りした婚約者を正式に披露さえすれば、これ以上、横槍に煩わされることもなくなると考えていた筈だ。
国王陛下直々に婚約を寿いでいただいたこともあるし、第一王子殿下をはじめ、紹介していただいた彼の友人たちも、この婚約を歓迎してくれていた。
魔法師の家系であるラルセン家と、魔法騎士の家系であるオーストレーム家の関係が深まれば、国力の増強に繋がる。
両家の間に生まれる子供は、より高い魔法適性と身体能力を得られることだろう。
それは、何よりも民を守るために必要な力。
魔獣の脅威を直接的に知る男性たちは、この婚約の意味をよく理解していた。
それに、
「お前のお相手が決まっていて安心したよ。ライバルが一人、減るってことだもんな!」
と話していらした方は、一人や二人ではない。
冗談めかしていたものの、きっと、本音だったのだと思う。
オリヴェル様がすでに婚活市場から離れているからこそ、他のご令嬢たちを安心して吟味できるのだもの。
私たちは、仲の良い婚約者だったと思う。
年齢が離れているせいもあってか、喧嘩になったことも一度もない。
けれど、折に触れた贈り物や、お手紙の交換、時には二人で外出、と『婚約者らしい』交流がある反面、常に一定の距離を取っていて、二人の関係が恋愛的な意味で進展するようなことはなかった。
エスコートの腕は温かく、いつだって過保護なくらいに私を気遣ってくださったけれど、そこにある気遣いは、『婚約者』という立場に対してのもの。
彼は、十二年という長い間、婚約者でありながら、私の名をただの一度も呼び捨てにすることすらなかった。
いつでも、年下の私を「アストリッド嬢」と丁寧に呼んでくれていた。
彼の性格上、それは敬意を表するためだったのだとわかってはいるけれど……それは、年頃になった私にとって、どこか距離を感じて寂しい思いのするものだった。
私が十八歳を迎え、女学校を卒業すると同時に結婚する予定が、その直前に、長く患っていた母が死去。
私の結婚式までは、とがんばっていた母が力尽きたのには、大気に漂う瘴気濃度が濃くなってきたことも影響していたかもしれない。
ラルセン家は喪に服すこととなり、結婚は一年延期となった。
挙式は、聖女召喚の儀の翌月。
たとえ、世間の人々がなんといおうとも、両家の当主だけでなく、国王陛下も望んでくださっている結婚なのだ。
何事もなく、その日が来ると思っていた、あの頃の私……
――けれど、今、振り返れば、これでよかったのだと思う。
尊重し、大切にしてくださっていたものの、オリヴェル様は私を、妹としか思えなかったのだろう。
彼から、友愛や親愛以上の好意を示されたことはない。
だから。
王命により婚約が破棄され、魔王討伐隊に選ばれたことは、彼にとって選択肢が広がったことを意味する。
聖女と相性がよければ、彼女を巡る争奪戦に参戦したっていい。
漏れ聞こえる噂話だけでは、素晴らしい人格者のように聞こえないけれど、『聖女』という存在をやっかむ人間はどこにだっている。
噂はまったくのでたらめではないとしても、自分で確認したわけではないのだから、真実は一割程度だと捉えれば十分だ。
魔王討伐の旅は、けっして安全なものではない。
それでも、彼ならば無事に帰って来ると信じている。
そして、帰還後は彼自身が望んだ女性と、愛ある家庭を築ける筈だ。
オリヴェル様は、七歳も年下の私をずっと気遣ってくださった心優しい方なのだから。
魔王討伐隊にはステファンお兄様も参加するので、兄とオリヴェル様が聖女を巡ってどろどろの愛憎劇を繰り広げなければいい、とは思っているけれど、彼の幸福を望む気持ちに嘘はない。
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