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 その後、挨拶を名目にレニを探る人々に笑顔で応じながら、今夜が社交界デビューと思えないレニの如才ない対応に舌を巻いていた。
 彼女は、私が先方と挨拶すると、直ぐに頭の中の情報と照らし合わせ、さり気なく相手の領地や仕事に触れながら言葉を交わす。
 また、誰が相手であっても態度を全く変えないレニは、ある意味で、大変特殊な例と言えた。
 ラーデンブルク公爵に対するご令嬢方の態度もそうだが、人は、外見の情報に第一印象を左右されやすい。
 頭では中身こそ大切だと判っていても、見目の整った人物が好意的に受け入れられるのが、世の常だ。
 けれど、レニは、どれだけ相手が整った容姿であっても、また、逆に体形や容姿が個性的であっても、関係なく相手の美点を上手に褒めている。
 社交界で佳人として有名な伯爵夫人と話題にしたのが、領地で特産となっているブレンドティーの香りである一方、最近、急激にふくよかになり、ご夫君が持て余した態度を隠しもしない伯爵夫人と話題にしたのが、ご夫人の美肌についてだったりする。
 前者のご夫人は、お茶が好きで自らブレンドに関わっているらしく、レニの評価に喜んでいた。
 後者のご夫人は、病を得て体形が変化してしまったが、せめて、と肌の手入れは熱心に取り組んでいるそうで、妻の悩みと努力に気づいたご夫君がレニに感謝していた。
 お陰で、言葉を交わした人々は皆、気分良く立ち去ってくれる。
 そんな中、第二関門が近づいて来た事に気が付く。
 バーデンホスト侯爵夫妻だ。
 彼等は、旧知の人々との挨拶を終えたのだろう、私の顔を見て、パッと顔を明るくした。
 …あれは…リアーヌ嬢の婚約式の日取りが、いよいよ、決まったと言う事だろうか。
 何かを無心される気がしてならない。
「アーベルバッハ公爵!」
「…バーデンホスト侯爵。ご無沙汰しております」
「いや、こちらこそ、ご挨拶が遅くなりまして、申し訳ない」
 バーデンホスト侯爵はそう言いながら、私の隣に立つレニを、窺うように見た。
 イルザを喪って以来、私が女性をエスコートした事はない。
 私が女性を連れているならば、それは妻であるレニしかいない。
 正妻がいながら、公式の場に堂々と妾を伴うのは、バーデンホスト侯爵くらいだ。
 だが、確信を持てずにいるようだ。
 それ程に、この半年でレニは変わった。

「こちらのご夫人を、ご紹介頂けますかな?」

 近くで他の人々と歓談していたラーデンブルク公爵の背が、ピク、と動いたのを、視界の端に捉えた。
 歓談に興じる振りをして、こちらに耳を聳てていた人々も、また。
 先程、レニの事を、バーデンホスト侯爵の長女として紹介したにも関わらず、とうのバーデンホスト侯爵が、紹介を求める理由。
 誰だって、知りたいに決まっている。
「…ご冗談がお上手ですね。レニです」
「いやいや、アーベルバッハ公爵!それこそ、ご冗談を。確かに、髪の色はあの娘と同じですが、」
 笑いながら、私の顰めた眉と、少し目を伏せたレニの顔に、気づいたものがあるのか。
「…マルグリット…?」
 ラーデンブルク公爵が気づいたのだから、仮にも恋人であり夫であったバーデンホスト侯爵が、気づかないわけがない。
 幽霊を見たように、青褪めたバーデンホスト侯爵が、一歩、後退った。
「マルグリット…?あぁ…確かに、似ているわね…」
 ウルリーケ夫人もまた、押し殺した声で言うと、扇子を広げて口元を隠した。
 彼女からすれば、正妻の座をなかなか空け渡してくれなかった先妻の面影だ。
「…ご無沙汰しております、お父様、ウルリーケ様」
 私に視線で促されて、レニが手本通りの美しい礼を執ると、何処か唖然とした顔で、バーデンホスト侯爵はその様子を見ていた。
「レナ…なのか?」
「はい、レニでございます」
 相変わらず、彼は娘の名を覚えられないらしい。
「あ、あぁ…アーベルバッハ公爵と睦まじくしているようで、何よりだ」
「はい、ジークムント様には、大変よくして頂いております」
「レニは、聡明なのですよ。これまで、家庭教師についた事も、学院に通った事がないとも、とても思えません。バーデンホスト家の蔵書は、素晴らしい物が揃っているのですね。レニは、様々な事に関心を持っておりますから、我が家も見習って、蔵書を補充している所です」
 家庭教師。
 学院。
 言われて初めて、バーデンホスト侯爵は、自分がレニの教育を放棄していた事に気づいたのだろうか。
 ハッとした顔で、視線を逸らした。
 娘の顔が判らない事を暴露してしまったのだから、養育も行っていなかった事は、懸命な人々ならば、察してくれる。
「あぁ…はは…それ程の物でもありませんが…」
 マティアスの調べによれば、リアーヌ嬢は、その容姿で注目を浴びる一方、学習面は芳しくなかったらしい。
 学院で女王然として振る舞っていたリアーヌ嬢だが、跡取り娘として何人の家庭教師をつけても、勉強に身が入らず、成績が揮わなかった。
 それをよく知るバーデンホスト侯爵夫妻は、学院にも通わず、家庭教師もいなかったレニを褒められても、素直に賛辞を受ける事は出来ないだろう。
 リアーヌ嬢の婚約式の件で話があったのだろうが、ウルリーケ夫人がバーデンホスト侯爵の肘を突こうと、彼は上の空のままだ。
 余計な話をされる前に、お暇したい。
「では、バーデンホスト侯爵。良い夜をお過ごしください」

 夜会の開始前に、一日分の仕事を終えた気がする。
 疲れたのだろうか。
 それとも、実父との遣り取りに、心削られたのだろうか。
 レニの横顔に、影が見える。
 彼女は、こんなにも多くの人がいる場に出た事がないのに、既に大勢の人々と挨拶を交わしてくれた。
 今は気が張っているだろうが、その精神的疲労は、容易に想像出来る。
「夜会が始まって、一曲踊れば、後は、休憩して頂いて構いません。私は、他国要人との懇親に向かわねばなりませんので、休憩室を借りましょう」
「慣れない事に気が張っているのは確かですが、私がお邪魔でなければ、どうぞ、伴ってくださいませ」
 王命により結婚する事になったのは、国内向けに、アーベルバッハ家が健在であると示さねばならなかっただけではない。
 他国からも、公爵家当主の配偶者の座が空いている事で、縁談を持ち込まれていた。
 従兄上からすれば、私が『妻』として扱えない女性を他国から迎え入れる事は、何としても避けたかっただろう。
 レニは、彼女の存在の意味を、よく理解してくれている。
「…有難うございます。では、貴方が疲れない程度に」
 王族の入場、夜会の開始宣言、そして、陛下ご夫妻のファーストダンス。
 そのいずれも、レニは興味深く見守っていた。
 ドレスや宝石が輝く様を、キラキラとした目で見つめているのではない。
 家庭教師に教わった通りに物事が進む事を、冷静に確認しながら、復習しているのだ。
 …あぁ、イルザは確か、初めて王宮の夜会に出た時に、
「あの首飾り、素敵ね!」
と、王妃殿下の首飾りを見て、似たようなものをねだったのだったか。
 その時は、無邪気なイルザが微笑ましかったが、今は、真面目に己の役割を果たそうとしているレニが、誇らしく、そして、何処か申し訳なさがある。
「では、参りましょうか」
 余程の理由がなければ、一曲は踊らなくてはならない。
 手を差し出すと、レニは慎ましく微笑んで手を重ねた。
 身に付けたアメジストの花が、広間の装飾灯の灯りに、キラキラと輝く。
 予想通り、参加者の中で最年少のレニは、バーデンホスト侯爵の秘された娘、そして長年独り身を貫いた私の妻として、夜会で注目を浴びている。
 だが、その緊張感を見せず、妖精のように軽やかに舞う姿に、ほぅ、と、好意的な溜息が漏れるのが聞こえた。
 一晩で、全てが変わるとは思わない。
 けれど、確実の一部の人々は、レニの味方になってくれるだろう。
 レニには、それだけの魅力があるのだ。

「ジークムント!」
 一曲を終え、声を掛けられる前に一旦、人混みから離れようと壁際に向かう途中。
 聞き覚えのある声で名を呼ばれて、足を止めた。
 王宮の夜会と言う公式の場で、私の名を呼び捨てる人物は、多くない。
「…ラファエル?」
 振り返ると、予想通り、ラファエル・メルツが微笑んで、手を振っていた。
「久し振りだな!十年振りか?」
「あぁ。大学の卒業振りだろうか」
 隣のレニから、視線で問われて、
「あぁ、タナートの大学時代の友人です。彼は、ラファエル・メルツ卿。マイヤード公国の貴族ですよ。ラファエル。妻のレニだ」
「お初にお目に掛かります、メルツ様。レニ・アーベルバッハでございます」
「お目に掛かれて光栄です、アーベルバッハ夫人。マイヤード公国より参りましたラファエル・メルツと申します」
 学生時代から、ラファエルは白皙の貴公子として、異性の注目を集めていたが、レニは他の人々に対するのと同様、彼の外見に左右される気配はない。
 整った美しい顔立ちに人懐こい笑みを浮かべると、彼の纏う近寄りがたい空気が、一気に弛緩する。
「ダーレンドルフ王国の夜会への出席は、今回が初めてなんだ。俺も、随分と出世しただろう?」
 そう、得意気に笑う顔は、学生時代と変わらない。
 ラファエルは、マイヤード公国の子爵令息。
 爵位だけで言えば、高位貴族の懇親目的の夜会に出席する立場には、少々足りない。
 本人の言うように、中央での地位が上がったのだろうが…ここは、公式な場。
 公爵家当主である私に、砕けた口調で話し掛けるのはまずい。
 学生時代のようにはいかないのだ。
「そのようだね」
 やんわりと、だが、学生時代とは異なる笑みを浮かべて言うと、ラファエルは、ハッと表情を引き締めた。
「あぁ、失礼しました。つい、懐かしくて無作法を致しました」
 それに対し、にこりと笑うと、ラファエルもまた、くすりと笑う。
 私達の間に流れる空気を読んだのだろう。
「ジークムント様、わたくし、お友達にご挨拶して参りますわね」
 勿論、レニに友人はいない。
 これは事前に決めた、化粧室に行く、と言う符丁だった。
「判りました。ラファエルとの話が終わったら、直ぐに迎えに行きます」
「はい」
 正直に言って、心配だ。
 だが、本当に化粧室に行きたいのかもしれないから、引き留めるわけにもいかない。
 レニの背を目で追っていると、
「随分と大切になさっているのですね。お若い奥方ですから、当然かもしれませんが。先程のお二人のダンスを拝見しましたが、まるで、妖精が二人、戯れているようで、とてもお可愛らしかったですよ」
 ラファエルの声に、揶揄うような色が滲む。
 当初に比べて肉付きはよくなったが、小柄なレニは一見すると、十代の少女にしか見えない。
「若く見えるだろうが、妻は既に二十二だよ。世間馴れしていないから、少々、心配しているのは確かだけれど」
 それでも、私とは随分、年が離れているのは事実だ、と苦笑を返す。
 昔から、私も年齢より幼く見られがちだけれど、三十を過ぎても「可愛い」は、到底誉め言葉ではない。
「おや、これは惚気られてしまいましたか?」
「新婚なのだから、大目に見て欲しいな。…まぁ、私には、過ぎた女性だと思っているけれどね」
 そうだ。
 レニは美しく聡明で、心優しい女性だ。
 侯爵家と言う立場上、家と家を結びつける結婚であったとしても、彼女であれば、夫の心からの愛を受け取る事が出来ただろう。
 それを、私に縛り付け、彼女が愛される時間を奪ってしまっていると言う心苦しさがある。
「…安心したよ」
 ぼそり、と、ラファエルが本来の口調で呟いた。
「ん?」
「あのまま、キルヒホッフ嬢と結婚するのでは、と心配していたから」
 それは、どう言う意味だ。
 ラファエルは、討論会の一員だった。
 イルザの事を、よく知っていた一人に、不穏な事を言われて、心がざわめいた。
 同時に、言下にラファエルの言葉を否定しなかった自分に戸惑う。
 これまでの…レニに出会うまでの私であれば、僅かにでもイルザが悪し様に言われたら、言葉を尽くして否定しただろうに。
「…当時、君には言えなかった事があるんだ。もし、良かったら、今度、時間を作ってくれないか」
「あぁ、勿論だ。ダーレンドルフには、どれ位、滞在出来るんだ?」
「そうだね。私は貿易の為にこの国を訪問している。各地を回らせて貰うから、二ヶ月は滞在する予定だよ」
「では、時間のある時に、王都の屋敷を訪ねて欲しい。君なら、いつでも歓迎するよ」
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