せめて、優しく殺してください。

緋田鞠

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「リタ、よく来てくれた」

 初めて、名を呼んだからだろうか。
 リタが、わずかに目を見張って俺の顔を見る。
 小さく肩を竦めて、

「六年、婚約を結んでいるんだ。他人行儀に家名で呼んでいると、不仲なのかと腹を探って来る者がいる」

と答えると、リタもまた、小さく頷く。

「さようでございますね。では、わたくしも『殿下』ではなく、『ルシアン様』とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「そうだな」

 リタの涼やかな声で「ルシアン様」と呼ばれて初めて、彼女もまた、俺の事を「殿下」とだけ呼び、名を呼んだ事がなかったと気がついた。
 俺がこれまで接して来た令嬢は、隙あらば、名で呼ぶ許可を得ようとするものだったのに。
 初めて呼ぶにもかかわらず、リタには、躊躇が一切ない。
 まるで、呼び慣れた名のように、照れも恥じらいもなく、すんなりと口にしてみせる。
 お茶会の開始二時間前に、リタは王宮に到着した。
 既製品のドレスを手直ししたものしか持っていないらしいリタに双子が仕立てたデイドレスを着せるためと、本日の参加者について軽く講義するためだ。
 アカデミーの中でも権勢を誇る彼らに、無手で対峙させるほど、俺も意地が悪くはない。
 想定通り、今回も既製品に手を入れただけの地味なドレスを着て現れたリタを、王宮の侍女の手を借りて着替えさせ、参加者名簿を渡すと、リタは無言で名前を確認していく。
 アカデミーにも社交の場にも縁のない彼女にとっては、初見の名前ばかりの筈。
 だが、説明しようとする前に、リタが口を開いた。

「ルシアン様のご学友と婚約者の方々ですか。貴族派とクリフォード殿下派と中立派と、どの派閥からも満遍なく招いていらっしゃるのですね」
「……あぁ、そうだな」

 彼女は、どの家門がどの派閥に所属しているのか、すべて把握しているというのか……?
 もちろん、社交の場に出る者にとって不可欠の情報ではあるけれど、正式に社交界デビューしておらず、政治に直接かかわっていない令嬢ならば、わからなくても仕方がない。
 何よりも、社交活動をしていないリタが把握している、という事が驚きだった。
 何しろ、兄であるアシュトンは、いまだ曖昧なままに過ごしているのだから。

「ブロンソン伯爵令息のご婚約者様が、ウェラン伯爵令嬢……異なる派閥間で婚約を結ばれたとは、少々意外です」

 アスター・ブロンソンとカリスタ・ウェランは、敵対する派閥に属する家門同士でありながら、王太子の座が俺とクリフォード兄上のどちらの手に入っても生き残れるように、と婚約を結んだ関係だ。
 中立派よりも質が悪いのだが、これもまた、家門を守るための手段と思えば、王家が口を挟む事もできない。
 アスターが将来、俺の側近を務める事はないだろうが、学友のままにしてあるのは、彼から得られる情報にそれなりの価値があるからだ。
 目で名簿を追うリタの様子を見て、余計な口出しを控える。
 どんな情報源があるのかは不明であるものの、彼女は俺が思っている以上に国内事情に詳しい。

「……あの方は、お招きしていないのね……」

 ぽそり、と。
 つい、口を突いたように、リタが呟いた。

「あの方?」
「あ……」

 声に出した事に気づいていなかったのか、リタは気まずそうに視線を逸らす。
 常に微笑みという名の無表情を維持している彼女の珍しい表情に、聞き流すわけにもいかなくなった。

「誰の事だ?」
「いえ、そんな、ルシアン様にお話しするような事では」
「だが、君が呼ばれると予想していた人物がいないのだろう? 次回以降の参考にするから、聞いておきたい」

(まさか……男か?)

 俺との婚約に執着していないのは、慕う男がいるからなのか……?
 それは、喜ばしい事、の筈だった。
 リタを引き受ける男がいるのならば、俺は安心して、この婚約を破棄する事ができる。
 彼女の行く末も、フレマイア侯爵家での扱いも、何一つ、心を配る必要はない。
 むしろ、彼女が婚約破棄を冷静に待ち受けている理由がはっきりする。
 それなのに。

(……なぜ、こんなにも苛立つ)

 心が、波打ったようにざわめく。
 息苦しいような、カッと頭の奥が熱くなるような。

(彼女はまだ、俺の婚約者だ)

 それなのに、他に男がいるのか……?

「どんな男だ?」

 努めて冷静に問い掛けると、リタはきょとんとした顔を見せた後、慌てたように両手を振った。

「いえ、ご令嬢です」
「令嬢?」
「あの、強力な光属性をお持ちのご令嬢が、アカデミーには在籍していらっしゃると伺いました」

 ……強力な光属性の令嬢……?
 覚えがなくて首を捻ると、リタもまた、不思議そうに首を捻った。

「……違う、のですか? 治癒魔法の稀有な使い手のご令嬢と……その、ルシアン様が懇意になさっている、と」
「確かに……アカデミーには現在、三名の光属性の生徒が在籍している。中には女子生徒もいるが、特段、治癒魔法に秀でてはいないし、懇意というほど親しくした事もない」
「え……?」

 心底、驚いた、という様子のリタに、こちらが驚く。
 一学年下に、光属性の女子生徒がいるのは事実だ。
 アカデミーに在籍する三名の光属性の者のうち、一人は俺と同学年、一人は二年生だが、いずれも男子生徒だから、リタが指しているのは五年生のフィオナ・レヴィン男爵令嬢の事だろう。
 だが、彼女の魔力量はさして多くはなく、髪色も地属性の薄茶と間違われるくらいに淡い金髪だ。
 とはいえ、治癒魔法の適性と魔力量の多寡は必ずしも比例しないため、魔力量が多くとも治癒魔法の適性がない者もいれば、魔力量は少ないけれど治癒魔法の適性を持つ者も存在する。
 レヴィン男爵令嬢がそのケースで、彼女は魔力量こそ少ないが治癒魔法への適性をそれなりに高い数値で持っている。
 治癒魔法は、光属性の固有魔法。
 他の属性の人間では、例え、俺のように魔力量が多くとも、初級の治癒魔法すら使えない。
 治癒魔法に適性があれば、魔力量に応じて治せる範囲も広がる。
 だが、治癒魔法師という職業に就いて、他人の治療まで担えるだけの魔力量を持つ人材は、少ない。
 治癒魔法は万能ではないとはいえ、一人使い手が増えれば、国の大いなる助けとなるため、治癒魔法師はシャルイナで大変尊重されている。
 また、光属性には、治癒魔法の他にも浄化や保護といった固有魔法があり、これらは適性に関係なく使用できて、魔力量さえ多ければ、国に重宝される人材になるのだ。
 ただでさえ、光属性を持つ者は珍しい。だからこそ、王家に属する人間として、光属性の者がいれば積極的に声を掛けるようにしている。
 光属性の者に注目しているのは、王家ばかりではない。
 俺と同学年の男子生徒は伯爵家の三男なのだが、治癒魔法の適性もなく、魔力量もそれなりであるものの、辺境の伯爵家に請われて婚約を結んでいる。
 光属性は突然変異的に誕生するとはいえ、血筋を遡っていくと、過去に光属性の者がいるケースは珍しくない。そのため、将来への期待を込めて、光属性の者の血を取り入れるべく、婚姻を望む家は多いのだ。
 二年生の男子生徒は浄化魔法を得手としており、その才を見込んだ神殿に勧誘され、将来は神官職に就く予定と聞いた。
 レヴィン男爵令嬢は、彼ら三人の中で最も治癒魔法に適性がある者として、成長を期待し、様子を見てきた。
 入学時から彼女は、男爵令嬢相応の魔力しか持っていなかったが、十代半ばの成長期に魔力量が爆発的に増大するケースも少なからずあるからだ。
 しかし、残念な事に彼女の魔力量は、十七歳になる今もなお、微々たるもの。
 これで、魔力量がそれなりにあれば、有用な人材になるのだが……今の年齢であの状態ならば、今後、余程の事がなければ、見込みはないだろう。
 治癒魔法師への道がなくとも、レヴィン男爵令嬢にもまた、光属性を血統に取り入れたい家からの縁談が来ていると思われる。
 だが、そう説明するとリタは、その大きな瞳を一層大きく見開いた。

「治癒魔法が、使えないのですか……?」

 その驚きは、白の令嬢であり、魔法がまったく使えないリタが、魔法に詳しくないせいだろうか。
 光属性ならば誰でも、治癒魔法が使えると思っていたのか?

(もしかして……)

 「懇意にしている」とは、俺とレヴィン男爵令嬢が特別に親しくしている、という意味だ。
 つまり、リタは俺とレヴィン男爵令嬢が交際している、と思っていたという事だろう。
 では、リタは、俺とレヴィン男爵令嬢の仲を疑っていたから、婚約破棄を受け入れると言ったのか……?
 俺が、稀有な光属性の令嬢との婚姻を望んでいると思って……?

「…………」

 リタが、何事かを口の中で小さく呟く。
 はっきりと聞き取れたわけではないが、

「どうして……?」

と言ったように聞こえた。
 婚約するまで領地ダナイドで暮らし、王都に来てからも屋敷に籠っていたリタ。
 彼女は一体、誰に何を聞いたというのだろうか。
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