せめて、優しく殺してください。

緋田鞠

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 卒業パーティ当日。
 俺は時間に追われ、フレマイア家にリタを迎えに行く事ができなかった。
 送られる側とはいえ、式の進行に気を配り、卒業生代表として答辞を読み、来賓に王族として挨拶をし……と慌ただしく時間が過ぎる中、式終了後、パーティが始まる前までのわずかな時間では、自分の身なりを整えるのが精一杯で、フレマイア家まで足を延ばす余裕をどうしても作れなかったのだ。
 事前にわかっていた事だから、先日、面会した際に伝えておいたのだが、リタは、「迎えに行けずにすまない」と言った俺に対して、

「お気になさらず」

と、本当に欠片も気にしていない様子で言った。
 リタにとって、今日は初めての公式の場だ。
 先日、茶会に招きはしたが、あれはあくまでも内輪の会。
 シャルイナ王国第二王子ルシアン・エバーレストの婚約者として公式に披露されるのは、今日が初めてとなる。
 であるにもかかわらず、彼女は、俺が迎えに行けない事も、一人で会場を訪れる事も、なんとも思っていない様子だった。

「ルシアン様には、大切なお役目がおありでしょう。わたくしは一人で大丈夫ですから」

 まるで……俺が切り出す前から知っていたかのように淡々とした姿に、却って罪悪感が募った。
 ――彼女は、俺に何も期待していない。
 再会するまで、「婚約者なのだから」と縋りつかれる事を危惧していたにもかかわらず、実際のリタは、俺に何も望んでいない。
 喜ばしい事の筈が、欠片たりとも俺に関心がない、というのは想像以上に堪えた。
 だから、だろうか。
 彼女が待つ控室の扉を叩く事を、一瞬、躊躇したのは。

(どんな顔をすればいい?)

 そもそも、俺の要請で卒業パーティに参加するリタ。
 これまで社交の場に出ていない彼女が、同世代の大勢の貴族の前にその姿を見せる事をどう思っているのか、知らない。
 魔力を持たない白の令嬢を婚約者に迎え、俺は王太子の座を望んでいない、と兄上を支持する第一王子派、俺を支持する貴族派の双方に示すため。
 そのためだけに、今日この日を迎える。
 ただただ俺の利益のために、人目を避けるように暮らして来たリタを衆人環視の下に晒すのは、果たして、本当に許される事なのだろうか?

(何が正しかった……?)

 再会したあの日、リタが言ったように、婚約を解消すべきだったのか。
 そうすれば、彼女が人々の好奇の視線に晒される事もなかった。
 アカデミーにも通わず、家庭教師にもつかず、本邸に住まう家族と離れ、静かに暮らしていたリタの生活を脅かすのは、俺の我儘だ。
 王族と婚約していた令嬢という肩書が、本当にリタの将来に有効なのか。
 フレマイア侯爵のリタへの愛情が見せ掛けだと感じるようになった今、自信を持てずにいる。

(……今更、だな)

 茶会に参加したメンバーから、既に俺の婚約者の話は流れている事だろう。
 ここでリタの参加を取りやめた所で、意味はない。
 兄上が無事に立太子するまで、今更、婚約の解消はできない。
 状況次第では、婚姻が無事に成立した後も、後継ぎに恵まれるまで、先延ばしにしなくてはいけないかもしれない。
 ……俺は一体、リタの献身に対して何をしてやれる?
 彼女がどんな将来を望んでいたのかはわからないが、この婚約は、彼女に不利益以外の何かをもたらす事はできるのか?
 ぐっと拳を握って、扉を叩く。

「はい」

 リタの声。
 その声に、いつの間にか肩から力が抜けるようになっていた事に気がついた。
 媚びも甘えも含まれない声からは、俺への好意など一切感じられないにもかかわらず。
 婚約者と良好な関係を築いている令嬢もいるから一概にはいえないものの、男性王族や高位の身分に属する男性貴族と接する際に、態度に出る令嬢は少なくない。
 本人が意識しているのか無意識なのかはともあれ、声のトーンが上がり、語尾にわずかな甘えが滲む。
 そして、それを可愛らしいと感じる男がいるのもまた、事実だった。
 けれど、あまりにもそのような経験が重なったせいなのか、俺にとって、令嬢に秋波を送られるのは、好ましいものではない。
 むしろ、嫌悪する。
 その点、いっそ無関心といえるリタに対面するのは、気が楽だった。

「迎えに来た」

 端的に告げると、リタは美しい礼で応える。

「本日は、よろしくお願いいたします」
「それは私の台詞だ。よろしく頼む」

 パーティのパートナーとして。
 兄上の王太子の座を確たるものとする布石として。
 瑠璃色のドレスは、想像以上にリタに似合っていた。
 ほっそりとした首筋と薄い肩が晒され、華奢な体を覆う瑠璃色と、白い肌との対比が美しい。
 それとなく、胸元を確認してみたものの、ジャニスが見たという手術痕は隠れている。
 肘上まで覆うオペラグローブは、胸元と裾に施された刺繍に合わせ、光沢を押さえた銀。
 エルシーは最後まで、ドレスと同系色にするか悩んでいたようだが、色白のリタには銀で正解だっただろう。
 まっすぐな髪は、上半分を結い上げ、下半分は背に流されている。
 何も言わずとも、俺の意を酌んでいたリタの事だ。髪が見える面積を増やす事で、俺の婚約者が白の令嬢である事を、強調してくれようとしたのかもしれない。
 ネックレスはあえて、一粒の宝石をあしらったものを選んで贈った。
 王族特有の瞳を想起させるイエローダイヤモンドを中心に、メレダイヤが周囲を囲んでいるオーソドックスな形は、大袈裟になりすぎず、アカデミーでの行事に相応しいと思う。
 ドレスのデザインが最先端だからこそ、装飾品は伝統的なものでバランスを取ったつもりだ。
 ――そう。
 リタの指示したデザインは、来期の流行スタイルだったのだ。
 リタは、

「偶然ですね」

と話していたが、事情を知らない人間が見れば、流行発信地である工房がデザインを発表した後に、リタが強引に予約を取りつけて作らせたように見える筈だ。
 俺の婚約者であるというだけでリタの足を引っ張ろうとする者達は、少しでも瑕疵になりそうな情報に食いついて来る。
 リタが傲慢で金遣いが荒い、なんていう根も葉もない噂が流れるのではないだろうか。

「では、行こうか」
「はい」

 卒業パーティは、今後、社交界で成人として扱われる事になる卒業生を送り出すために催される。
 在校生の参加は必須ではないが、成人に向けての練習を積む場でもあるので、在校生の多くが参加するのが常だった。
 時間ぎりぎりに到着すると、会場であるアカデミーのホールは既に参加者で一杯になっていた。
 会場を満たす色鮮やかな礼装、煌びやかな装飾灯、絶えず流れている音楽、そして、一音一音は聞き取れないのに、わんわんと迫って来る人々の声。
 いずれも慣れていなければ圧倒されるもので、一年生が茫然と立ち尽くしているのが毎年馴染みの光景なのだが、ちらりと横目で伺ったリタの泰然とした様子は変わらない。

(……堂に入っているな……)

 領地でも王都でも、屋敷の中だけで生活していたようなのに、なぜ、彼女はこんなにも場慣れしているように見えるのだろう……?
 ちらちらと、参加者の視線が向けられているのがわかる。
 これまでいつも、交流会やパーティの類は一人で参加していた俺が、いきなり、女性を、それも目立つ容姿のリタを連れているのだから、気になる筈だ。
 それこそが、今日の目的なのだから。

「ルシアン殿下、ご卒業おめでとうございます」

 互いの出方を見るように牽制しあう中、まず動いたのは、執行部役員達だった。
 俺の跡を継いで執行部のまとめ役となった五年生のオーブリーが代表して挨拶すると、彼の背後に控えた他の役員達も揃って頭を下げる。

「あぁ、ありがとう。君達も、パーティの準備で忙しかっただろう。お陰で楽しんでいるよ」
「それは、嬉しいお言葉です」

 ちら、とリタに視線が送られたのを見て、リタの肩に手を回し、わざとらしくない程度に抱き寄せた。

「紹介しよう。婚約者のリタ・フレマイア嬢だ」
「はじめまして。フレマイア家のリタと申します」

 これまでになく近い距離にも、リタが動じた様子はない。
 あたかも、慣れた距離感かのように優雅に微笑んで、軽く膝を折った。
 そんなちょっとした仕草すら絵になるのだから、家庭教師がいないという言葉が信じられないのも無理はないだろう。
 アカデミー内では建前上、身分の上下はないとされている。
 そのため、王族以外は爵位をつけずに呼ぶ事が習わしとなっていた。
 そうはいっても、「フレマイア嬢」と呼べば、リタが侯爵令嬢である事は、きちんと社交界について学んでいればわかる事だ。
 リタを見るオーブリーの目が、きらりと光を放ったのがわかる。

「お目に掛かれて光栄です。オーブリー・ダルトンと申します」

 オーブリーは、ダルトン侯爵令息。
 美しい女性を見れば口説くのが礼儀だと思っているタイプなのだが……

(さて、リタはどう出るか)

 社交界での褒め言葉は、ほぼ社交辞令と言っていい。
 そうとわかっていても、オーブリーのように甘い顔立ちの令息に褒められて、嫌な気分になる令嬢はいない。

「ルシアン殿下がこれまで、ご婚約者様を隠しておられた理由がよくわかりました。なんとお美しい! まるで、今宵の空に輝く月のようですね」
「ありがとうございます」

 舞台役者のように大仰なオーブリーの言葉に、ふふ、と笑って礼を返すリタは、照れているようでも、本気にしているようでもない。
 あくまでも、軽く受け止めている。
 ……まるで、オーブリーの性癖をわかっているかのように。

「お召しのドレスも素晴らしいです。 ローズランド工房の仕立てですか?」

 流行発信地である工房の名を挙げ、予約をねじ込んだのか? と暗に問うオーブリー。
 ……なるほど。
 リタのドレスを見て、ヒソヒソと勝手な憶測を流す生徒達への牽制か。

「いえ、ルシアン様に贈っていただきました。ローズランド工房の予約は、確か、半年は待たなくてはなりませんでしょう?」
「あぁ! 殿下専属の仕立て師によるものでしたか。この生地はまだ、シャルイナでの流通量が少なかった筈。どちらで手に入れられたのかと思いましたが、納得いたしました」

 少し大きな声で説明するオーブリーの言葉に、生徒達の顔に納得の色が広がっていくのが見える。
 オーブリーが、俺の顔を見て、こっそりとウィンクを寄越した。

(褒めてくれ、って事か)

 後で、謝意を告げておかなくては。
 オーブリー達が離れた後も、挨拶に訪れる人々を如才なくあしらっていくリタの姿は、社交界を渡り歩いてきた百戦錬磨の令嬢そのものだった。
 中にはオブラートに包んだ嫌味を言う者や、褒め言葉に見せ掛けたあてこすりを言う者、はっきりと白の令嬢であるリタを下に見る者もいたのだが、リタの微笑みが崩れる事はなく、やんわりといなし続ける胆力は尊敬に値する。
 その時、絶えず流れていた音楽が変わった。
 ダンスタイムに入るのだ。

「一曲、お相手願えますか」
「喜んで」

 パートナー同伴の者達は皆、ファーストダンスだけは義務として踊る事になっている。
 あの日、練習した時のように、軽やかに踊れるのが楽しくて、つい、笑みが零れたからだろうか。
 ざわ、と周囲がざわめいたのがわかった。
 ……自分でも自覚はある。
 常に貼りつけている王子らしい笑顔と、思わず、浮かべてしまった笑顔の種類が違う事は。
 リタは、そんな俺を見て、くすりと小さく笑った。

「楽しんでいただけていますか?」
「……あぁ」
「それは、よろしゅうございました」

 いつかと同じ言葉。
 眼差しを温かく感じて、カッと頬が火照る。

「……君は年下だというのに、私を子供のように扱うのだな」
「まぁ、そのようなつもりではございませんのに。ただ……肩の力を抜いていただけているのならば、嬉しい、というだけですわ」

 それが、子供扱いしているという事ではないのか。
 けれど。

(なぜだろうな)

 そんな扱いが、嫌ではない。
 一曲目を踊り終え、互いに礼をして離れる。
 今回も、リタは好き勝手動く俺に、無理をしている素振りを見せず、ついて来てくれた。
 だからこそ、初めて、相手に合わせてみようという気になった。
 リタの踊りやすいように気を配れば、もっと軽やかに踊れるのではないか、と思ったのだ。
 次に踊るのは、共に練習したあの踊り手泣かせの曲にすると決めている。
 好き勝手していたあの時も心地良く踊れたのだから、気を配る事ができれば、きっともっと、うまく踊れる筈だ。

「喉が渇いただろう? 何か取ってこよう」
「ルシアン様のお手を煩わせるわけには」
「そう言わないでくれ。婚約者の特権なのだから」

 そう笑うと、リタも微笑み返してくれる。
 形式的なやりとりも、彼女とならば楽しく感じるのはなぜだろう。
 「いってらっしゃいませ」とにこやかに送り出してくれたリタに軽く手を振り、ドリンクコーナーへと足を運ぶ。
 パーティとはいえ、アカデミー主催の未成年も参加するもの。アルコールはなく、すべて果実水だ。

(そういえば、リタは何が好きなんだ?)

 柑橘系にすべきか、ベリー系にすべきか。
 彼女の事を色々とわかり始めたような気になっていたが、飲み物の好み一つ知らない。

(林檎なら、苦手な者は少ないだろうか)

 他人の好みなんて、どうでもいい、と思っていた筈なのに、リタは喜んでくれるだろうか、と気になってしまう。
 そんな自分がおかしくて、ふ、と頬が緩んだ。
 ちら、と待たせているリタを見ると、遠巻きに彼女の様子を窺っている者達がいる。
 アカデミーの生徒ではないリタに、どのように声を掛ければいいのかわからないのだろう。
 俺の婚約者、という立場を考えれば、ここで面識を得ておきたいと思う者も少なくない筈だ。
 同時に、白の令嬢であるリタに、どう接すればいいのか迷っている様子が見て取れる。
 予想以上に、リタは周囲の関心を惹いていた。
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