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シャルイナ中央部にある王都からソアランまでは、馬車で四日。
アカデミーを卒業してから、少しずつ、王宮の仕事を始めていたので、俺の一存で勝手に出歩くわけにはいかない。
「詳しい事情はまだ話せないものの、調査している案件の当事者と思しき人物に会いに行きたい」と相談したところ、父も兄上もすぐに了承してくれた。
「お前も隅に置けないな。婚約してから何年も話を聞かなかったから、疎遠なのかと思いきや、婚約者のご令嬢と随分、親しくしているようじゃないか」
クリフォード兄上が、快活に笑う。
「ダンス嫌いなお前が、あの超高難度曲を完璧に踊ったという話を、俺が何度聞き返したかわかるか? 三回だぞ、三回」
兄上は、三、と指を立てると、目元を優しく和らげた。
「お前の婚約者が白の令嬢だと知った時には、幼いお前に随分と気を遣わせてしまったと悔いたが、今の様子を見る限り、気楽に付き合える相手なのだろう?」
「そう、ですね」
少し口籠ってしまったのは、俺が自然体でいられるのは、リタが俺に合わせてくれているからなのでは、と気づいてしまったからだ。
派手に着飾った令嬢が苦手な俺にとって、簡素といっていいほどに装飾を控えたリタの姿は好ましい。
香水を浴びるように吹きつけている令嬢よりも、体が触れるほどに近づいて初めて気づくくらいほのかなリタの香りは好ましい。
俺に秋波を送る令嬢達の甲高く耳に痛い嬌声よりも、ゆったりと落ち着いたリタの澄んだ声は好ましい。
……それらすべてが、『俺の完璧な婚約者』を演じるために作られた姿ではないと、誰が言える?
俺が思い至らなかった未来の可能性すべてを受け入れ、絶望しながらも俺に笑いかけてくるリタならば、それくらい、容易い筈だ。
――おそらく。
それが、他の令嬢ならば、俺は不快に感じたのではないだろうか。
自らを偽って、俺に好まれようとする姿に媚びを感じて。
だが、相手がリタであるだけで、胸の奥がざわつくようなくすぐったさと、申し訳なさに変わる。
リタにとって、『俺の完璧な婚約者』の姿が、苦痛ではない事を願うしかない。
「お前が戻ったら、婚約者を招いて茶の席でも設けよう。クロエも会いたがっている」
「承知しました」
ソアランには、家紋を外した馬車で向かった。
長旅にも耐えられる仕様ではあるが、一見すると平民が利用する馬車に見える筈だ。
王族特有の金瞳と濃い魔力を示す髪を隠すため、水属性の固有魔法である幻影魔法で、瞳を鳶色に、髪色を淡い水色に変えると、フード付きのローブを着て、買い付けに訪れた商人に扮する。
固有魔法であれば、常時魔法を使用していても、魔力の負担は少ない。
旅路は天候が崩れる事もなく順調で、予定通り、四日目の昼にはソアランの繁華街に到着した。
「若様、まずは宿へと向かいましょう」
同行者はラルフのみ。諜報員を数人、先行させている他、護衛が市井の人々に紛れている。
俺は王都の商店の若旦那、ラルフは使用人という設定だ。
商人という設定上、宿泊する宿も普段とは違う平民の利用するもので、廊下が狭く、灯りの数も十分ではなく、薄暗い。
「おっと、ごめんよ!」
向かいから来た男がすれ違いざまによろめいて、ラルフの肩にぶつかった。
「あぁ、大丈夫だ」
ラルフはにこやかに片手を上げると、男が素早く手のひらに潜り込ませた小さな紙片を握り込む。
部屋に入って一息吐く間もなく、ラルフは紙片を確認した。
「ケニス・ロードの住まいと思われる詳しい住所がわかりました。すぐに訪問されますか?」
ソアランは大きな都市だ。
他国からの間諜が入り込んでいる事も考えられるため、可能な限り、正体を明かさずに動きたい。
何しろ、ケニス・ロードの研究テーマは魔導器官について。
禁書にまで指定された研究をしていた男の存在を、他国に知られたくはない。
「そうだな」
いきなり玄関から訪ねていって、
「アシュトン・フレマイアについて知っている事を話せ」
と言ったところで、話すわけもないだろう。
だが、俺がソアランに滞在できる期間はあまり長くない。
「一度、接触してみて、作戦を考えるか……」
「すみません! 医師の方はいらっしゃいますか!」
『休診中』の札が掛かっている玄関の扉を、ラルフが必死の形相で叩く。
扉には飾り文字で、『オルディス医療院』と書かれていた。
『ロード医療院』ではないあたり、ここの主がケニス・ロードであるとの確証が持てないのだが、諜報員達の調べによると、ここに住んでいる男がもっとも、ケニス・ロードの可能性が高いのだという。
「主が……! 腹痛で苦しんでいるのです……!」
ラルフに抱えられるようにして、青い顔の俺がうんうんと唸る。
もちろん、仮病だ。
この時間、医院は昼休みで、助手として雇っている医師見習いの青年は自宅まで昼食を取りに行っており、在宅しているのが医師一人である事は確認済みだ。
「……悪いが、今は昼休憩でね」
扉が開く事はなく、面倒そうな男の声が返事を寄越したが、ラルフは一層強く、扉を叩く。
「そこを! なんとか! お願いします!」
ラルフの大声に負けたのか、間断なく叩かれる扉が心配になったのか。
重い溜息と共に扉が開くと、顔を出したのは顔中髭だらけの男だった。
深緑の瞳しか見えないため、年齢はよくわからない。
髭同様に伸ばしっぱなしの髪は、薄茶……いや、日を透かして輝くという事は、金?
(……光属性か?)
光属性の人間が、治癒魔法師を始め、医療職に就くのは不思議な話ではない。
「昼休憩、って言ったんだがな」
「お休みのところ、申し訳ありません! ですが、主の苦しみようがあまりにも酷く……!」
「……仕方ねぇ」
呻く俺を見て、ぼやきながらも、「入んな」と顎をしゃくった男。
(こいつが、ケニス・ロード……?)
医院で診察を受けた俺は、翌日、謝礼という名目で再び、昼休憩中の医院を訪れていた。
今日は、診療の邪魔をしないため、という大義名分がある。
「昨日はありがとうございました。お陰で、すっかり元気になりました」
「おぅ、あんちゃん。今後はアヤシイって思った食いもんを飲み込んじゃいけねぇぞ?」
このところの陽気で傷んでいた食べ物を迂闊にも口にして、腹痛を起こしたちょっとうっかり者の青年。
男は、俺の事をそう思っている筈だ。
昨日の様子を見る限り、彼はなんだかんだと押しに弱く、情に厚い。
「こちら、少しですが」
俺はにこにこと、お礼の品として持って来た籠一杯の高級果物を顔の前に掲げる。
「んなもん、いいって、ちゃんと診察代は貰ったんだ」
「いえいえ、お休みのところを、無理をいって診ていただいたんですから」
単なる手土産ではない。
扉を開けさせるための作戦だ。
そして、傷みやすい果物を選んだのは、
「あ~~……じゃあ、あんたらも食ってけ」
この一言を引き出すため。
男が俺達を招いたのは、診察室の奥にあるプライベートルームだった。
小さな台所、食卓、それと、屋根裏に上がる梯子があるから、おそらくそちらで寝ているのだろう。
医院は外から見ると平屋建ての作りになっており、入院の設備は見当たらない。
当たり障りのない世間話をしながら、じょじょに男の警戒心を解いていく。
そういった工作は、俺よりもラルフの方が得意だ。
「へぇ! では、先生は元々、王都にお住まいだったんですね」
「あぁ。とはいっても、ガキの頃の話だ」
「では、それ以来ずっと、ソアランで?」
「いや、別の領に住んでた事もある。ソアランに来てから、そうさな、七、八年てとこか」
七、八年前。
ダナイドのフレマイア邸周辺で黒髪の少女が見掛けられなくなったのが八年前。
アシュトンが王都にやって来たのが七年前。
……この数字の一致は、ただの偶然か?
俺の思い込みによるこじつけに過ぎないのか?
魔導器官が未熟だったアシュトンが高い魔力を有している事と、闇属性の少女の関係。
魔導器官について研究していたケニス・ロード。
重要なキーワードがいくつも重なれば、それは単なる偶然ではないのではないか。
この男がケニス・ロードならば、まったく何も知らないとは思えない。
気が逸って、じわり、と背に汗が滲んだのがわかる。
ちら、とラルフが俺に目配せをした。
窓の外に人影が見えるのは、周辺をさり気なく警戒している俺の護衛だろう。
「不躾ですが、単刀直入にお尋ねします。……貴方が、ケニス・ロード医師ですね?」
男の顔に、緊張が走った。
「……なんの話だ? 表を見ただろ。ここはオルディス医療院だ」
「貴方の事は、調べさせていただきました」
質問の形式を取っているけれど、確証を持っているのだ、と、暗に圧を掛ける。
はったりだが、こんな時こそ、堂々と振る舞わねばならない。
「……妙に綺麗な顔したあんちゃんだと思ったら、あんた、貴族か」
胡乱な目で俺の顔を見やると、ハッ、と短く息を吐いて、ぼさぼさな髪をくしゃりと掴む。
その手が、かすかに震えているのが見えた。続いて、
「……逃げ切れたと思ったんだがな……だが、残念だな、親父は死んだ。期待に添えなくて悪ぃが、俺には、親父のした手術はできねぇよ」
と、吐き捨てる。
(手術?)
その言葉に、咄嗟に脳裏に浮かんだのは。
ジャニスが見たという胸にあるリタの手術痕だった。
「……それは、こちらに手術の設備がないからですか? 設備でしたら、私が用意いたします」
「そうじゃねぇ。あれは、人道に悖るからだ」
(人道に悖る手術、だと……?)
「あんちゃん、医療倫理って知ってるか? 俺は親父じゃねぇ。殺すと脅されようが、人質を取られようが、俺は俺の信念に従って、絶対に引き受けねぇからな」
点々と。
引っ掛かるキーワードが転がっている。
リタと話した時と同じように、絡み合って複雑になった糸。
それを解きほぐしていけば、謎が解けるのか。
「そもそもな、勘違いしてるかもしれねぇが、あの手術は赤の他人との間じゃまず、成立しねぇんだ。お貴族様にとっちゃ、自分が一番可愛いんだろうが、あんちゃんだって、自分のきょうだいの人生を奪ってまで、やりたかねぇだろ? こんな事。そこまで、魔力量ってのは大事なもんかね?」
(赤の他人。きょうだい)
つまりは、二人以上の間で行う手術。
(魔力量……)
従者として控えているラルフよりも淡い水色の髪は、商人ならば問題なくとも、貴族ならば立場に影響するほどに魔力量が少ない事を示している。
このケニス・ロードの息子を名乗る男は、幻影魔法で変化させた俺の髪色を見て、当て擦るようにそう言った。
(人道に悖る。医療倫理)
人生を、奪う……?
(……まさか!)
「……魔導器官の、移植……?」
「…………あ? まさか……鎌かけやがったのか……っ!」
迂闊なのは、この男だ。
蒼白になった男は(髭面なので、見える範囲から想像するしかないが)、反射的に身を翻して逃げ出そうとしたが、ラルフが素早く取り押さえる。
「ロード医師。我々は、貴方を捕まえるために来たわけでも、手術をさせるために来たわけでもない。ただ、話を聞かせて欲しいだけだ」
「……」
口調を改めて問い掛けると、男は、ぐっと口を引き結んで、横を向いた。
何も言わない、と態度で示すように。
「胸に、手術痕を持つ人物を知っている。……その者には、魔力がない」
「……」
一度、言葉を切って、ゆっくりと続ける。
「つまり、魔導器官がない」
「……」
「貴方の父親が、執刀したんだな?」
男の目が、揺らいだ。
「………………生きてんのか」
頑なに引き結んでいた口元が緩み、ぽそり、と吐き出された言葉は、呟くように小さい。
「あぁ」
「そうか……生きてんのか……」
気が抜けたように呟く声が、泣きそうに震えている。
ぐっ、と口元に力を入れると、男は「抵抗しねぇよ」とラルフに言って、床にあぐらをかいた。
「……改めて、自己紹介しよう。俺は、イーサン・ロード。お探しのケニス・ロードは、俺の親父だ。オルディスってのは、俺が引き継いだこの医療院の前の持ち主の名前でな。周囲には、前のセンセの孫って触れ込みになってるから、ここではイーサン・オルディスと名乗ってる」
イーサンは、
「長い話になりそうなんでな。午後は、臨時休診だ」
と貼り紙を作って、ラルフに玄関扉に貼るよう指示を出す。
俺の事を貴族だと指摘しながらも、その従者を使う事に躊躇いがない。
そもそも、ラルフも子爵家の嫡男で貴族だ。
ロード家という家名に覚えはないが、イーサンも元は貴族出身なのかもしれない。
改めて食卓に腰を落ち着けると、イーサンは話を続ける。
「親父……ケニス・ロードは、魔導器官の移植について研究してた。そもそもは、王都の研究所勤めでな。元の研究テーマは魔法属性と遺伝。魔導器官について研究するようになったのは、俺が生まれた事が理由だ」
「なぜだ? 貴方には魔力があるだろう?」
確かに、淡い髪色は魔力量が少ない事を示す。
だが、ゼロではない。
魔力量の多い者よりも不便かもしれないが、生活はできる。
「あぁ、そうだな。俺は、白の者じゃあない。だが……幸か不幸か、光属性に生まれちまった。それも、治癒魔法の適性あり、だ」
自嘲するようにイーサンは言って、顎鬚を扱くように触った。
フィオナ・レヴィン男爵令嬢と同じく、治癒魔法の適性がありながらも、それを有効に使えない魔力量の少なさは、彼に何をもたらしたのだろうか。
アカデミーを卒業してから、少しずつ、王宮の仕事を始めていたので、俺の一存で勝手に出歩くわけにはいかない。
「詳しい事情はまだ話せないものの、調査している案件の当事者と思しき人物に会いに行きたい」と相談したところ、父も兄上もすぐに了承してくれた。
「お前も隅に置けないな。婚約してから何年も話を聞かなかったから、疎遠なのかと思いきや、婚約者のご令嬢と随分、親しくしているようじゃないか」
クリフォード兄上が、快活に笑う。
「ダンス嫌いなお前が、あの超高難度曲を完璧に踊ったという話を、俺が何度聞き返したかわかるか? 三回だぞ、三回」
兄上は、三、と指を立てると、目元を優しく和らげた。
「お前の婚約者が白の令嬢だと知った時には、幼いお前に随分と気を遣わせてしまったと悔いたが、今の様子を見る限り、気楽に付き合える相手なのだろう?」
「そう、ですね」
少し口籠ってしまったのは、俺が自然体でいられるのは、リタが俺に合わせてくれているからなのでは、と気づいてしまったからだ。
派手に着飾った令嬢が苦手な俺にとって、簡素といっていいほどに装飾を控えたリタの姿は好ましい。
香水を浴びるように吹きつけている令嬢よりも、体が触れるほどに近づいて初めて気づくくらいほのかなリタの香りは好ましい。
俺に秋波を送る令嬢達の甲高く耳に痛い嬌声よりも、ゆったりと落ち着いたリタの澄んだ声は好ましい。
……それらすべてが、『俺の完璧な婚約者』を演じるために作られた姿ではないと、誰が言える?
俺が思い至らなかった未来の可能性すべてを受け入れ、絶望しながらも俺に笑いかけてくるリタならば、それくらい、容易い筈だ。
――おそらく。
それが、他の令嬢ならば、俺は不快に感じたのではないだろうか。
自らを偽って、俺に好まれようとする姿に媚びを感じて。
だが、相手がリタであるだけで、胸の奥がざわつくようなくすぐったさと、申し訳なさに変わる。
リタにとって、『俺の完璧な婚約者』の姿が、苦痛ではない事を願うしかない。
「お前が戻ったら、婚約者を招いて茶の席でも設けよう。クロエも会いたがっている」
「承知しました」
ソアランには、家紋を外した馬車で向かった。
長旅にも耐えられる仕様ではあるが、一見すると平民が利用する馬車に見える筈だ。
王族特有の金瞳と濃い魔力を示す髪を隠すため、水属性の固有魔法である幻影魔法で、瞳を鳶色に、髪色を淡い水色に変えると、フード付きのローブを着て、買い付けに訪れた商人に扮する。
固有魔法であれば、常時魔法を使用していても、魔力の負担は少ない。
旅路は天候が崩れる事もなく順調で、予定通り、四日目の昼にはソアランの繁華街に到着した。
「若様、まずは宿へと向かいましょう」
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俺は王都の商店の若旦那、ラルフは使用人という設定だ。
商人という設定上、宿泊する宿も普段とは違う平民の利用するもので、廊下が狭く、灯りの数も十分ではなく、薄暗い。
「おっと、ごめんよ!」
向かいから来た男がすれ違いざまによろめいて、ラルフの肩にぶつかった。
「あぁ、大丈夫だ」
ラルフはにこやかに片手を上げると、男が素早く手のひらに潜り込ませた小さな紙片を握り込む。
部屋に入って一息吐く間もなく、ラルフは紙片を確認した。
「ケニス・ロードの住まいと思われる詳しい住所がわかりました。すぐに訪問されますか?」
ソアランは大きな都市だ。
他国からの間諜が入り込んでいる事も考えられるため、可能な限り、正体を明かさずに動きたい。
何しろ、ケニス・ロードの研究テーマは魔導器官について。
禁書にまで指定された研究をしていた男の存在を、他国に知られたくはない。
「そうだな」
いきなり玄関から訪ねていって、
「アシュトン・フレマイアについて知っている事を話せ」
と言ったところで、話すわけもないだろう。
だが、俺がソアランに滞在できる期間はあまり長くない。
「一度、接触してみて、作戦を考えるか……」
「すみません! 医師の方はいらっしゃいますか!」
『休診中』の札が掛かっている玄関の扉を、ラルフが必死の形相で叩く。
扉には飾り文字で、『オルディス医療院』と書かれていた。
『ロード医療院』ではないあたり、ここの主がケニス・ロードであるとの確証が持てないのだが、諜報員達の調べによると、ここに住んでいる男がもっとも、ケニス・ロードの可能性が高いのだという。
「主が……! 腹痛で苦しんでいるのです……!」
ラルフに抱えられるようにして、青い顔の俺がうんうんと唸る。
もちろん、仮病だ。
この時間、医院は昼休みで、助手として雇っている医師見習いの青年は自宅まで昼食を取りに行っており、在宅しているのが医師一人である事は確認済みだ。
「……悪いが、今は昼休憩でね」
扉が開く事はなく、面倒そうな男の声が返事を寄越したが、ラルフは一層強く、扉を叩く。
「そこを! なんとか! お願いします!」
ラルフの大声に負けたのか、間断なく叩かれる扉が心配になったのか。
重い溜息と共に扉が開くと、顔を出したのは顔中髭だらけの男だった。
深緑の瞳しか見えないため、年齢はよくわからない。
髭同様に伸ばしっぱなしの髪は、薄茶……いや、日を透かして輝くという事は、金?
(……光属性か?)
光属性の人間が、治癒魔法師を始め、医療職に就くのは不思議な話ではない。
「昼休憩、って言ったんだがな」
「お休みのところ、申し訳ありません! ですが、主の苦しみようがあまりにも酷く……!」
「……仕方ねぇ」
呻く俺を見て、ぼやきながらも、「入んな」と顎をしゃくった男。
(こいつが、ケニス・ロード……?)
医院で診察を受けた俺は、翌日、謝礼という名目で再び、昼休憩中の医院を訪れていた。
今日は、診療の邪魔をしないため、という大義名分がある。
「昨日はありがとうございました。お陰で、すっかり元気になりました」
「おぅ、あんちゃん。今後はアヤシイって思った食いもんを飲み込んじゃいけねぇぞ?」
このところの陽気で傷んでいた食べ物を迂闊にも口にして、腹痛を起こしたちょっとうっかり者の青年。
男は、俺の事をそう思っている筈だ。
昨日の様子を見る限り、彼はなんだかんだと押しに弱く、情に厚い。
「こちら、少しですが」
俺はにこにこと、お礼の品として持って来た籠一杯の高級果物を顔の前に掲げる。
「んなもん、いいって、ちゃんと診察代は貰ったんだ」
「いえいえ、お休みのところを、無理をいって診ていただいたんですから」
単なる手土産ではない。
扉を開けさせるための作戦だ。
そして、傷みやすい果物を選んだのは、
「あ~~……じゃあ、あんたらも食ってけ」
この一言を引き出すため。
男が俺達を招いたのは、診察室の奥にあるプライベートルームだった。
小さな台所、食卓、それと、屋根裏に上がる梯子があるから、おそらくそちらで寝ているのだろう。
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当たり障りのない世間話をしながら、じょじょに男の警戒心を解いていく。
そういった工作は、俺よりもラルフの方が得意だ。
「へぇ! では、先生は元々、王都にお住まいだったんですね」
「あぁ。とはいっても、ガキの頃の話だ」
「では、それ以来ずっと、ソアランで?」
「いや、別の領に住んでた事もある。ソアランに来てから、そうさな、七、八年てとこか」
七、八年前。
ダナイドのフレマイア邸周辺で黒髪の少女が見掛けられなくなったのが八年前。
アシュトンが王都にやって来たのが七年前。
……この数字の一致は、ただの偶然か?
俺の思い込みによるこじつけに過ぎないのか?
魔導器官が未熟だったアシュトンが高い魔力を有している事と、闇属性の少女の関係。
魔導器官について研究していたケニス・ロード。
重要なキーワードがいくつも重なれば、それは単なる偶然ではないのではないか。
この男がケニス・ロードならば、まったく何も知らないとは思えない。
気が逸って、じわり、と背に汗が滲んだのがわかる。
ちら、とラルフが俺に目配せをした。
窓の外に人影が見えるのは、周辺をさり気なく警戒している俺の護衛だろう。
「不躾ですが、単刀直入にお尋ねします。……貴方が、ケニス・ロード医師ですね?」
男の顔に、緊張が走った。
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「貴方の事は、調べさせていただきました」
質問の形式を取っているけれど、確証を持っているのだ、と、暗に圧を掛ける。
はったりだが、こんな時こそ、堂々と振る舞わねばならない。
「……妙に綺麗な顔したあんちゃんだと思ったら、あんた、貴族か」
胡乱な目で俺の顔を見やると、ハッ、と短く息を吐いて、ぼさぼさな髪をくしゃりと掴む。
その手が、かすかに震えているのが見えた。続いて、
「……逃げ切れたと思ったんだがな……だが、残念だな、親父は死んだ。期待に添えなくて悪ぃが、俺には、親父のした手術はできねぇよ」
と、吐き捨てる。
(手術?)
その言葉に、咄嗟に脳裏に浮かんだのは。
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「……それは、こちらに手術の設備がないからですか? 設備でしたら、私が用意いたします」
「そうじゃねぇ。あれは、人道に悖るからだ」
(人道に悖る手術、だと……?)
「あんちゃん、医療倫理って知ってるか? 俺は親父じゃねぇ。殺すと脅されようが、人質を取られようが、俺は俺の信念に従って、絶対に引き受けねぇからな」
点々と。
引っ掛かるキーワードが転がっている。
リタと話した時と同じように、絡み合って複雑になった糸。
それを解きほぐしていけば、謎が解けるのか。
「そもそもな、勘違いしてるかもしれねぇが、あの手術は赤の他人との間じゃまず、成立しねぇんだ。お貴族様にとっちゃ、自分が一番可愛いんだろうが、あんちゃんだって、自分のきょうだいの人生を奪ってまで、やりたかねぇだろ? こんな事。そこまで、魔力量ってのは大事なもんかね?」
(赤の他人。きょうだい)
つまりは、二人以上の間で行う手術。
(魔力量……)
従者として控えているラルフよりも淡い水色の髪は、商人ならば問題なくとも、貴族ならば立場に影響するほどに魔力量が少ない事を示している。
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(人道に悖る。医療倫理)
人生を、奪う……?
(……まさか!)
「……魔導器官の、移植……?」
「…………あ? まさか……鎌かけやがったのか……っ!」
迂闊なのは、この男だ。
蒼白になった男は(髭面なので、見える範囲から想像するしかないが)、反射的に身を翻して逃げ出そうとしたが、ラルフが素早く取り押さえる。
「ロード医師。我々は、貴方を捕まえるために来たわけでも、手術をさせるために来たわけでもない。ただ、話を聞かせて欲しいだけだ」
「……」
口調を改めて問い掛けると、男は、ぐっと口を引き結んで、横を向いた。
何も言わない、と態度で示すように。
「胸に、手術痕を持つ人物を知っている。……その者には、魔力がない」
「……」
一度、言葉を切って、ゆっくりと続ける。
「つまり、魔導器官がない」
「……」
「貴方の父親が、執刀したんだな?」
男の目が、揺らいだ。
「………………生きてんのか」
頑なに引き結んでいた口元が緩み、ぽそり、と吐き出された言葉は、呟くように小さい。
「あぁ」
「そうか……生きてんのか……」
気が抜けたように呟く声が、泣きそうに震えている。
ぐっ、と口元に力を入れると、男は「抵抗しねぇよ」とラルフに言って、床にあぐらをかいた。
「……改めて、自己紹介しよう。俺は、イーサン・ロード。お探しのケニス・ロードは、俺の親父だ。オルディスってのは、俺が引き継いだこの医療院の前の持ち主の名前でな。周囲には、前のセンセの孫って触れ込みになってるから、ここではイーサン・オルディスと名乗ってる」
イーサンは、
「長い話になりそうなんでな。午後は、臨時休診だ」
と貼り紙を作って、ラルフに玄関扉に貼るよう指示を出す。
俺の事を貴族だと指摘しながらも、その従者を使う事に躊躇いがない。
そもそも、ラルフも子爵家の嫡男で貴族だ。
ロード家という家名に覚えはないが、イーサンも元は貴族出身なのかもしれない。
改めて食卓に腰を落ち着けると、イーサンは話を続ける。
「親父……ケニス・ロードは、魔導器官の移植について研究してた。そもそもは、王都の研究所勤めでな。元の研究テーマは魔法属性と遺伝。魔導器官について研究するようになったのは、俺が生まれた事が理由だ」
「なぜだ? 貴方には魔力があるだろう?」
確かに、淡い髪色は魔力量が少ない事を示す。
だが、ゼロではない。
魔力量の多い者よりも不便かもしれないが、生活はできる。
「あぁ、そうだな。俺は、白の者じゃあない。だが……幸か不幸か、光属性に生まれちまった。それも、治癒魔法の適性あり、だ」
自嘲するようにイーサンは言って、顎鬚を扱くように触った。
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