乙女ゲーム攻略対象者の母になりました。

緋田鞠

文字の大きさ
1 / 26
1巻

1-1

しおりを挟む




「     」

 目の前で、この世のものとは思えないくらいに美しい人が、紫色の花を束ねたブーケを差し出していた。
 その口は確かに動いているのに、なんと言ったのか、聞き取れない。私の名前を呼んでくれている筈なのに。

「君を見ていると、イライラする」

 聞こえた声は透き通るように甘く、それでいて硬質だ。女性的な容姿ながら、声の高さから、その人物が男性である事が分かる。
 言葉は、冷たい。だが、狂おしいほどの熱が伝わってくる。
 宝石のように輝く菫色の瞳。うなじですっきりと一つにまとめられた、背の中ほどまで届くつややかでまっすぐな黒髪。傾国と謳われる美女も並び立つのを恐れるほどに整った顔立ちをした彼は、この国の男性としては細身で小柄だ。
 しかし、同年代の女である私と比べれば明確な差があり、手を引き寄せられると、その胸の中にすぽりと納まってしまう。

「君が、私以外の誰かをその視界に映すのも、誰かと言葉を交わすのも、許せない」

 ひとがりな言葉に、だが、私の胸は、確かに喜びに高鳴っている。
 誰に執着する事もなかった彼が、独占欲をはっきりと示してくれているのだ。

「いつか、失ってしまうのならば、今、私の手で閉じ込めてしまおう」

 ぞっとするほど、綺麗に、赤い唇の両端が上がる。

「     、君は、私のものだ」

 美しい鳥籠に、囚われる。
 これが、幸せなエンディング……?


  * * *


「ふぅぅぅぅ……! ふぅぅぅぅぅ……!」

 獣が、耳元でうなっている。
 体がバラバラになりそうな痛みの中、ボーッとする意識の端で、あぁ、うなっているのは自分だった、とどこか冷静な部分が思う。
 本当は声を噛み殺してうなるのではなく、身も世もなく「痛い痛い痛い」と絶叫したい。けれど、王子妃教育の家庭教師だったラダナ夫人の、

「王子妃たるもの、己の感情を表に出してはなりません!」

 という厳しい声が、脳内で延々と流れている。
 同時に、扇子で叩かれた掌の痛みまで思い出して、自然と眉が寄った。
 生まれてこの方、公爵令嬢として、未来の王子妃として、危険から遠ざけられて生きて来た。ラダナ夫人に叩かれた時より痛いものがこの世に存在するなんて、知らなかった。
 限界まで押し広げられた骨盤を、ごんごんとハンマーで叩かれているような衝撃が続く。股から背骨が縦に真っ二つに裂けてしまいそうな痛みの中で、せめて、と、肺の中の空気を吐き切る勢いで、「ふぅぅぅぅ……!」とうなる。
 痛みが軽減した気は、しない。
 掌に触れた敷布を握り込んで痛みをやり過ごそうとするものの、あまりの痛みと、恐らく酸素不足で、目の前がチカチカとしてきた。

「妃殿下! 目を閉じないでください!」

 厳しい声を投げかけられて、ハッと意識を取り戻す。

「はい、次の波で息みますよ!」

 誰だろう。いつも見る男性医師はおらず、複数の見知らぬ女性達に囲まれている事に戸惑う。
 その時だった。
 右の肋骨の下を内側からぐい、と押されて、まだそこにいるのか、と驚いた。

「まぁ、大変! 妃殿下、失礼致します。少し、お腹を押しますよ」

 内側から突っ張られてお腹の形が山なりに変わっている所を、まだ名を聞いていない女性が、ぐいぐいと押してくる。そのまま、別の女性がお腹の上から、もう一人の女性が横から、押し出すように力一杯押して来て、息苦しさにうめいた。
 内臓が、潰れそう。こんなに押しても、大丈夫なのか。けれど、こんな時ですら、私が心配しているのは、お腹の子供の無事ではなかった。
 もしも、お腹の子供を失ってしまったら……私はまた、あの苦痛を最初から繰り返す事になる。そんな事、耐えられない。

「妃殿下! あと少しです、頑張ってください!」

 声が、遠い。
 目を閉じるな、と言われたから、頑張って見開いていると、視界がどんどん白んでいって――……私は、思い出した。
 記憶の奔流が、空白となった脳内に流れ込んでくる。
 見知らぬ景色、見知らぬ人々、けれど、私は確かに、その世界を知っている。同じ空の下の異国ではない。今いる世界とは異なる、世界。だが、それは私の妄想などではなく、確かに私がかつて生きていた世界なのだ。
 女性が手に職を持ち、男性とまったくの平等とは言えずとも、等しい権利を主張できる世界。
 女性は父親の、夫の持ち物で、すべての権利と決定権を男性が有するこの世界とは、違う世界。
 私の結婚は政略的なもので、そこに私の意思は一片たりとも含まれていない。夫となった人とは、結婚以来、顔を合わせた回数が片手で足りるうえに、会ったと言っても公務のみで私的な会話はゼロ。妊娠すら、私一人でした。
 ……仕方がない、と諦めていた。ただ、求められた事を受け入れる事こそが、私の生きている理由なのだと、教わっていたから。
 けれど。
 異なる世界を思い出した私は、どうしても夫である彼に思ってしまう。こんなに痛くて辛くて仕方ない時くらい、隣で励まして欲しい。手を握って、汗を拭って、一緒に頑張って欲しい。……生まれて来る命を、待ち望んで欲しい。――それは、今の私にとって、あまりにも贅沢な願いだけれど。
 前の人生の事は、おぼろげにしか覚えていない。いくつまで生きたのか、どんな理由で死んだのか、それは分からない。でも、恐らく、出産は経験してから死んだのだと思う。望んで妊娠した愛する人との子供を、パートナーに励まされ、彼の手を握りながら出産した……そんな、気がする。
 赤ちゃんは、望まれて生まれるべきだ。
 そんな強い思いは、想定以上にあっさりと、自分の中で腑に落ちた。
 私――リリエンヌとして生きてきた十九年。
 ただ義務として、求められた役割として、結婚して、妊娠した。
 私が望んだわけではないし、それどころか、妊娠するために必要な行為すら、夫である人は放棄した。私は一人で、医師の、それもまだ若い男性医師の前で、誰にも見せた事のない場所を開いて、処女のまま、妊娠したのだ。
 愛ある行為の結果としての妊娠ではなかったからか、少しずつ大きくなるお腹を見ても、未知の感覚が恐ろしいばかりで、愛しさはなかった。悪阻つわりが重く、食事どころか水すら受け付けられずに吐き続ける日々。ようやく悪阻つわりが治まったと思ったら、胎動が始まった。お腹の中で確かに生きている、もう一度あのはずかしめを受けなくて良いのだ、と安堵する反面、自分の体に異物が入っている恐怖が、常に私をさいなんだ。
 お腹の子は私の右脇腹に足を置く形で丸まっているようで、しょっちゅう、踵の形が皮膚を透かして見えるほどの強さで突っ張られ、痛みのあまりに寝る事ができなかった。肉体と精神の疲労が限界に達してから、意識を失うように眠りに落ちるのが精々で、お腹が膨らんでいくのとは裏腹に痩せていく体。
 それでも、夫がいたわってくれるわけもなく、ただただ無事に産む事だけが、私に課せられた義務。
 王家の血と公爵家の血を継ぐ子供、それも男児を産む事が、『リリエンヌ』の生まれた理由。
 義務で妊娠した子供だから、ずっと愛情を持てずにいたけれど……前世の記憶が蘇ったからなのか、じわり、と心の奥底から湧き起こる何かを感じる。

「妃殿下! 頭が見えてきましたよ! あと一息です!」
「!」

 意識が、陣痛の痛みへと戻った。
 深く息をしなくては。母体が酸素不足になったら、へその緒で繋がっている赤ちゃんも苦しくなってしまうのだから。――これは恐らく、前世の知識。
 子供を作るための閨事ねやごとは、ラダナ夫人がふんわりした表現――「王子殿下にすべてお任せになればよいのですよ」――で教えてくれたものの、出産の痛みや流れは、誰も教えてはくれなかった。けれど、今の私は知っている。
 深く深く、息を吸う。陣痛の痛みに合わせて、思い切り息んだ。ずるり、と股の間から、痛いくらいの熱さと共に抜け落ちたものがあって、急速に痛みが遠退とおのく。ドッドッと、こめかみが大きく脈打った。けれど、自分の事よりも、生まれた赤ちゃんが気に掛かる。
 泣いて。早く、泣いて。
 産声を上げて肺に酸素を取り込まなくては、赤ちゃんはこの世で生きていけないのだから。

「……ほにゃぁ……!」

 ……なんて、可愛い声なの。

「妃殿下、男の子です。若君ですよ」

 望まれていた男児だった事に安心すると同時に、新しい命の誕生に、胸が一杯になる。

「顔を……」

 出産を手助けしてくれた女性にかすれた声を掛けると、彼女は小さく笑って、布で包んだ生まれたばかりの赤ちゃんを見せてくれた。
 べったりと頭に貼りついた薄い髪は、夫である殿下と同じ黒だろうか。閉じられた瞳の色は、分からない。今のところ、お世辞にも美少年とは言えない、ふやけてしわしわの真っ赤なお顔。黄色がかった白い胎脂たいしが、ぺとりとまとわりついている。
 でも。

「可愛い……」

 知らずに、涙が零れていた。

「ママよ」

 私が、貴方のママよ。


 生まれた赤ちゃんは、検査が必要との事で、顔を見せるとすぐに連れて行かれてしまった。せめて、一度でもこの腕で抱いてみたかった。
 恐らく、私が赤ちゃんと共にいられる時間は短い。何も主張しなければ、抱っこさせて貰えるかも怪しい。何しろ、この国で必要とされているのは、夫であるルーカス殿下の血を引く男児。自宅である王子宮に一度も泊まった事のない彼と同じように、私と離れ、王宮で暮らすのだろう。

『リリエンヌ。初めに言っておく。今日を含め、今後一切、俺がお前を抱く事はない』

 見た事もないほどに繊細なレースを使用した夜着を着て迎えた初夜。
 夫の訪れを待っていた私に、彼は目も合わさずにそう言った。

『だが、子は必要だ。明日には、医師を寄越よこすから、診察を受けるように』

 ルーカス殿下が私に指一本触れる事のなかったあの夜、ただ一度だけ腰かけた事のある夫婦用の寝台は、大きかった。小柄な私であれば、横向きになっても寝られるだろう。そんな大きな寝台の真ん中で、私は一人きり、体を休めている。
 部屋の中には、メイドもいない。静かな環境でゆっくりお休みください、と言われたけれど、王家の求める男児を産んだのだからお前は用済みだ、と捨てられたような気がした。
 ズキズキと主張する痛みに、出産中、容赦なく押されたお腹を見てみたら、見事な青痣になっていた。青痣ができるほどの強さで押されていても気にならないくらい、出産の痛みは強いという事だ。
 頭では、それだけ大変な仕事をしたのだと理解しているから眠ってしまえばいいのだけれど、出産を終えたばかりで神経がざわついているのか、一向に眠気は訪れない。
 つらつらと思い浮かぶままに、先ほど思い出したばかりの前世の記憶を辿ってみる。私はなぜ、出産という人生で最も痛いタイミングで、異世界で過ごした記憶を取り戻したのか。
 異世界、前世の記憶というキーワードから連鎖するように思い出したのは、「異世界転生」だ。
 前世の私は、娯楽小説が好きだった。中でも、異世界転生やファンタジーの世界を舞台に書かれたライトノベルを好んで読んでいた。前世の記憶を持った異世界転生の定番と言えば、乙女ゲームや小説などの創作物の世界に転生する話だ。では、ここも、ゲームや小説の世界……? この世界で、何かを変えるために、私は前世を思い出したという事……?
 けれど、リリエンヌという名前に覚えはない。
 リリエンヌ・ラーエンハウアー。それが、今の私の名前だ。
 ハークリウス王国のルーカス・ラーエンハウアー王子殿下の妃となって、およそ九ヶ月。結婚前は、五公爵家の一つであるアーケンクロウ公爵家の娘だった。
 もし、ここが乙女ゲームの世界だとしたら、ルーカス殿下は『攻略対象者』だろう。
 何しろ、彼は誰もが見惚れる完璧な美形なのだ。つやのある黒髪は短く切り揃えられていて、前髪は顔に掛からないようにいつも後ろに上げられている。切れ長の鋭い双眸は、夜の藍色。白皙の美貌と称えられる冷たい容貌は、女性めいたところはないけれど、格好いいというよりも美しい。まっすぐ通った高い鼻梁と、酷薄そうにも見える薄い唇、すっと一筆で描かれたようなきりりとした眉が、完璧なバランスで収まっている。そのうえ、長身で、筋肉質だけれど無駄のないすっきりとした体つきでもある。
 外見だけではない。王子としての公務と近衛騎士団長としての職務を兼務している彼ならば、攻略対象者と言われても頷ける。
 でも。まったく記憶にないという事は、少なくとも、私が前世で遊んだ事のある乙女ゲームの攻略対象者ではない。
 では仮に、ルーカス殿下が私の知らない作品の攻略対象者なのだとして、私の役回りはなんだろう?
 ヒロインは、絶対にない。乙女ゲームのヒロインは、プレイヤーと似た環境が設定されている事が多い。公爵令嬢だった私は、ヒロインにするには身分が高過ぎる。
 身分の高い令嬢に役が与えられるとすれば、ライバル役だろうか。いわゆる、悪役令嬢。正直なところ、スペックだけならば、悪役令嬢になれると思う。
 ハークリウス王国に五つしかない公爵家の末娘。年の離れた兄が三人いて、両親が高齢になってから生まれた。銀髪に菫色の瞳という寒色系のカラーリングも、悪役令嬢向きだ。生まれた時から、いや、生まれる前から、王子妃となる事が定められていた。婚約者であり、現在は夫となったルーカス殿下からは、愛されていた時期がない。年の離れた三人の兄達にも、四十を過ぎてから私を儲けた両親にも、まったく愛されていない。
 愛されない悪役令嬢が、愛されるヒロインに嫉妬して嫌がらせを繰り返す、というのは容易に想像ができるのだけれど……いかんせん、私にはヒロインらしき女性と出会った記憶がない。
 一応、ゲームの舞台になりそうな貴族が通う学園には十三になる年から六年間通ったものの、私とルーカス殿下は五歳離れているから、同時期に学園に通っていたのは、一年間だけ。それも、最上級生と最下級生だから交流なんてほとんどなくて。ルーカス殿下狙いと思われる令嬢がいたかどうか、記憶にない。
 それに、嫉妬する、というのは、私がルーカス殿下を愛しているとか、王子妃の身分に執着しているとか、そういう前提が必要になる。私に彼への恋愛感情はないし、王子妃の椅子だって、欲しいと思った事はない。
 あぁ、在学中はまだ、ルーカス殿下が婚約者に決まっていたわけではなかった。生まれる前から定められていたのは、既にお生まれになっていた二人の王子のうち、どちらかの妃となる事。でも、もう一人の王子であるセドリック殿下が相手でも同じ事だ。
 ルーカス殿下とは趣の異なる美形であるセドリック殿下もまた、攻略対象者と言われれば頷ける方だ。太陽のような金髪は緩く波打っていて、首筋まで伸びている。深い緑の瞳と弓なりの眉の甘い目元、常に微笑んでいるように口角の上がった少し厚めの唇。細身だけれど頼りないわけではなく、洗練された仕草が目を惹く。気さくで人当たりがよく、誰とでもすぐに親しくなれるセドリック殿下は、ご令嬢からの人気も高い。ルーカス殿下よりも、セドリック殿下の方が、私に対する態度は友好的だったとも思う。
 けれど、私は彼らに対して、なんら特別な感情を抱いた事はない。
 物心ついた時から厳しい王子妃教育を受け、家族にかえりみられる事もなく、王子妃教育で多忙だったためにほとんど通えなかった学園でも、友人どころか取り巻きすらできなかった。恋をする余裕なんて、どこにもなかったのだ。
 王子妃となり、王家と公爵家の二つの血統を持つ男児を産む、その二点だけを求められた十九年。
 どれだけ一生懸命、王子妃教育に向き合っても、誰が認めてくれるわけでもない。もっと上を、もっと上を、と求められるという事は、私の能力では王子妃に不足なのだろう。他に代わりがいないから、仕方なく据えられているだけの事。
 そんな私に、重要な役柄が割り振られるわけがない。
 何より、私以上に悪役令嬢に向いたポジションの人がいる。
 ロザリンド・ラーエンハウアー様。ルーカス殿下の兄弟である、セドリック・ラーエンハウアー王子殿下の妃だ。
 赤みがかった金髪は豊かな巻き毛で、水色の少し吊り気味の瞳は大きく輝いている。顔を構成するすべてのパーツがくっきりとして華やかなロザリンド様は、お化粧がよく映え、誰もが視線を吸い寄せられる蠱惑的な美人だ。美しい曲線のボディラインを持つ彼女は、完璧なプロポーションだと持て囃されていた。
 私の実家であるアーケンクロウ家と同じ五公爵家の一つ、タウンゼント家に生まれたロザリンド様は、私のように地味で誰からも愛されない令嬢とは違い、周囲に高く評価されている。

「ロザリンド様なら、もっと優雅になさいますわ」
「ロザリンド様には、華やかなお衣装がお似合いですのに、リリエンヌ様には少し……」
「ロザリンド様は、」
「ロザリンド様が、」

 王子妃教育の家庭教師として王宮から派遣されていたラダナ夫人が、私への小言の二言目には、ロザリンド様の名を出すほど。
 完璧なロザリンド様。
 それに比べて、風采が上がらないうえに秀でた能力もないリリエンヌ。
 私がダメな方の王子妃候補であると、社交界で広く噂されているのだと教えてくれたのもまた、ラダナ夫人だ。
 一方で、ロザリンド様の社交界での評判は、すこぶる良い。
 美しい容姿、聡明な頭脳、強力な後ろ盾。
 完璧な公爵令嬢、完璧な王子妃候補、完璧な……
 そんな完璧な人ほど、裏表があるものかもしれない。婚前のお茶会や公務で同席した時の彼女は、私を明らかに下に見ている事を隠そうともしなかったから。人前で完璧を装っている下には、苛烈なものがあるという事だろう。
 それらを踏まえたうえで、ポジション的に悪役令嬢に相応ふさわしいのは、ロザリンド様だと思う。
 しかし、結局、私もロザリンド様も、当初の流れに沿って順当に王子妃になった。さらに、共に子供も産んでいる。
 私が遊んだ事のない乙女ゲームが舞台になっていた可能性はあるけれど、普通に考えて、舞台になる期間は学園在学中だろう。その間にゲーム的なイベントが発生していたとしても、私が気づく事はなく……もしかすると、ヒロインがルーカスルート、セドリックルート以外を選んだのかもしれず……。いや、ルーカスルート、セドリックルートのヒロインに、ライバル役であるロザリンド様が勝ったのかもしれないけれど、それならそれで、乙女ゲームは終了しているという事だ。私が今さら記憶を思い出す必要はない。
 さすがに、経産婦になってから乙女ゲームの登場人物になるのは、斬新過ぎると思う。
 では、異世界転生は異世界転生でも、乙女ゲームへの転生ではないという事だろうか。
 転生チートは思い当たらないし、この国の複雑な事情を解決する力を私が持っているとは到底思えないのだけれど、私がこのタイミングで前世の記憶を取り戻した事に、まったく意味がないという事などありえるのだろうか。
 そう、解決すべき事としてすぐに思い当たるこの国の問題は、王族であっても個人では解決できないほどに根深い。
 私の夫ルーカス殿下と、もう一人の王子セドリック殿下は、ハークリウス王国国王夫妻の双子の息子、という事になっている。なっている、というのは、つまり、本当は違う、という事だ。
 ここに、この国の複雑な事情が隠されている。
 ハークリウス王国の現国王フィリップ陛下は先代陛下の三男であり、本来、王となるご予定ではなかった。けれど、二人の兄王子が相次いで亡くなった事で、立太子されたのだ。王家を出て神職になるご予定だった陛下には婚約者がいなかったため、亡くなった長兄の婚約者だった私の大叔母、アナスターシャ・アーケンクロウ様とご結婚なさった。お二人は元々幼馴染という事もあり仲睦まじく、陛下の穏やかなご性格は国政にも反映されて、国はよく栄えた。
 けれど、ただ一つ、問題があった。たった一つだけれど、大きな大きな問題が。
 お二人は、お子を授からなかったのだ。これにも理由はあるのだけれど……今は割愛。
 とにかく、お子を授からないまま、アナスターシャ王妃陛下は四十をお迎えになった。前世の世界なら四十過ぎの初産も珍しい話ではなかったものの、あの世界ほどには医療が進んでいないここでは、経産婦ならともかく四十での初産は、奇跡。
 王族の離縁も側室も認められていないハークリウス王国で、後継者を求めてフィリップ陛下の周囲の人々が選んだ手段は、「代理母」だった。多額な金銭がかかるうえ、貴族は元々、養子に抵抗がない者が多い事から、代理母は多く選ばれている手段ではない。けれど、遺伝で受け継がれる特徴を優先して実子にこだわる貴族も、少数とはいえ存在している。彼らの希望を叶えるために考え出されたのが、前世で言うところのシリンジ法を利用した代理母出産だった。
 この方法で、アナスターシャ王妃陛下と同じ黒髪に青い瞳を持つ健康で若い女性に、フィリップ陛下のお子を産んで貰ったのだという。
 何人の女性が代理母候補となったのかは分からないけれど、複数存在したのは確か。なぜなら、ほぼ同じタイミングで二人の女性が妊娠し、生まれたのが、ルーカス殿下とセドリック殿下だからだ。もちろん、彼女達は、産んだ子供が陛下のお子であるとは知らされていないし、同時に複数の女性が候補となっていた事も知らない。
 代理母出産である事は極秘であり、国の上層部でも極一部しか知らない重要機密。代理母達の妊娠期間、アナスターシャ王妃陛下は「高齢出産のため、大事をとって」と、人前に一切、姿を見せなかったという。私がそれを知っているのは、結婚する際に大叔母でもあるアナスターシャ王妃陛下に伺ったから。それまでは、殿下方お二人が王妃陛下の実のお子ではない事も、本当は双子ではない事も、まったく気がついていなかった。
 ルーカス殿下は筋肉質で黒髪に藍色の瞳、セドリック殿下は瘦せ型で金髪に緑の瞳と、体格も髪色も瞳の色もまったく異なる。けれど、似ていない双子の存在は広く知られているし、ルーカス殿下はアナスターシャ王妃陛下似、セドリック殿下はフィリップ陛下似として、納得していたのだ。代理母という手段が広く知られていないだけに、奇跡の出産だ、と、かつての私だけではなく、ほぼすべての国民が信じているだろう。
 こうして、フィリップ陛下のお子は双子という形で誕生されたわけだけれど、問題はここで終わりではなかった。
 我が国では、王族と婚姻する女性は、伯爵家以上の身分が必要と定められている。ところが、陛下のお子を産んだ代理母達は、金銭で雇われた貧窮した下位貴族の経産婦だった。そのため、生まれる子供の血の半分は王家を継ぐ者として十分ではない、と主張なさった方がいるらしい。
 そこで五公爵家と王家は、フィリップ陛下の孫にあたる将来の王に、五公爵家の血を混ぜる事を決定した。そもそも、五公爵家はかつての王族が臣籍降下しておこった家なので、王族に連なる血として、王家を除けばこれ以上に優れた血統はない。代理母出産の計画が始動した段階で、五公爵家にはひそかに、陛下のお子と近い年齢の子を作るよう、命令が下されたのだ。
 代理母から生まれる陛下のお子が、男児か女児かは分からない。基本的に王女の王位継承順位は低いものの、他に子供がいない場合は、女王が立つ事もある。
 生まれた子供が男児ならば、五公爵家の女児を妃に迎える。
 生まれた子供が女児ならば、五公爵家の男児を王配に迎える。
 子供なんて、欲しいと思った時に授かるものではない。けれど、五公爵家の当主夫妻は頑張った。
 タウンゼント家は、当主夫人がすぐに懐妊したため、ロザリンド様は両殿下のご誕生前に生まれた。恐らく、フィリップ陛下のお子が男児である事を、誰よりも願っていたのがタウンゼント家だろう。ぎりぎり同じ年にハルクシュール家に男児が、翌年にキッスリング家とメリアモール家に男児が生まれた。
 唯一、私の実家であるアーケンクロウ家は、なかなか子を授からなかった。何しろ、両殿下が誕生した時点で、父は四十五、母は四十。三人の兄達は、二十、十八、十六だったのだから。長兄に爵位を譲って、その子供を差し出す、という案がなかったわけでもないらしい。でも、長兄の婚約者は、自分がお腹を痛めて産む子供の将来を、授かる前から決めて欲しくない、と激しく抵抗した。父としても、子ならともかく、孫を差し出すのには躊躇ためらいがあったようだ。
 王家に二人の男児が生まれたのに、五公爵家に生まれた女児はロザリンド様一人だけ。王家の命に抗えるわけもないし、王妃である叔母の後ろ盾として役に立たねばならないし……と、両親は励み、父五十、母四十五で生まれたのが、私、リリエンヌというわけだ。


しおりを挟む
感想 389

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつもりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。