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何故、こんな所にいるのだろう。
ヴィヴィアンは、微笑の仮面を張り付けながら、目の前の女性達に向き合っていた。
「どうせ、夜会には出ないんでしょ?だったら、大舞踏会まで、じっくり考えなさいな」とジュノに言われてから、一週間。
大舞踏会まで、あと一週間と言う所で、王宮からお茶会の招待があった。
それも、ジゼル王太子妃の名で。
これまで、社交の場に出ず、ひっそりと暮らしていたヴィヴィアンは、ジゼルに拝謁した事はない。
精々、大舞踏会で見掛けた事があるだけだ。
大舞踏会では、王族と向き合う形で、前から、公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家、と、爵位ごとに横並びに整列する。
昨年の大舞踏会では、王族側の出席者は、国王、王太子夫妻、独身の王弟の四人だった。
他国から王族が招待されている場合、リンデンバーグの王族と同列と言う事で、彼等も王族側に立っていた記憶がある。
二男二女を儲けた国王だが、二人の王女のうち、一人は他国の王族に、一人は侯爵家令息に嫁いだ。
侯爵家に嫁いだ王女は、トビアスに伴われた王宮の夜会で遠くから目にした事があるが、他国へ嫁いだ王女の顔は、見た事がない。
王家の習わしで、成人するまでは顔も名も明かされないし(人間関係を築くのに、王族と言う肩書は、時に重荷になるからだ、と言うのがその理由だ。恋愛結婚をする為にまず必要なのは、充実した人間関係、とは、流石、恋愛結婚至上主義)、王籍を離れてしまえば、心理面はともかく、扱い上は他の貴族と同じになるからだ。
伯爵夫人であるヴィヴィアンは、三列目か四列目から王族の顔を眺める事が出来るものの、人数の少ない王族に対し、大広間を埋める貴族達。
面識のない一伯爵夫人の名など、王族に認識されているとは思ってもみなかった。
だから、お茶会の招待状が来た事に驚いたけれど、王太子妃からの招待を拒否するわけにはいかない。
恐らく、大舞踏会前の懇親だろうと考えて王宮に出向いたら…まさか、ジゼル王太子妃とヴィヴィアン、そしてもう一人のご令嬢、三人だけのお茶会だとは、予想出来た筈もない。
「よく来てくれたわ、ブライトン伯爵夫人」
「お招き光栄に存じます、王太子妃殿下」
ジゼルは確か、三十代後半。
少し垂れ目がちな青い瞳に、眩い金髪は、リンデンバーグの美人らしい容貌と言えるだろう。
邪気のなさそうな笑みを浮かべているが、リンデンバーグの公爵令嬢から王太子妃になった彼女が、見た目通りの無邪気な女性とは、ヴィヴィアンには思えなかった。
「ジゼルでよくてよ。リンジー、彼女が、我が国でも大きな商会を手掛けているクレメント商会の末娘、ヴィヴィアン・ブライトン夫人。ブライトン夫人、こちらは、リンジー・サーラリナ王女。わたくしの姪なの」
リンジー・サーラリナ。
サーラリナの家名を持つと言う事は、サーラの王族と言う事だ。
確か、ジゼルの妹が、サーラの国王の弟に嫁いでいた。
リンジーは、サーラ王弟の娘と言う事になる。
何故、王族二人との茶会に、伯爵夫人に過ぎないヴィヴィアンが招かれたのか。
「ブライトン夫人、よろしくね」
「お目に掛かれて光栄です、リンジー王女殿下」
リンジーは、明るい金茶の巻き毛に、榛色の瞳の少女だった。
年の頃は、十代後半だろうか。
大人びて見せたいのか、昼の茶会にしては濃い化粧に、存在感を目立たせる為か、装飾の多いドレスは、何処かの誰かを彷彿とさせた。
クレメント商会の末娘、と言う紹介に、ん?と引っ掛かるものはある。
クレメント商会に用があるのならば、父スタンリーを呼び出せばいい。
そもそも、ジゼルの立場ならば、『王家御用達』の商人や職人がいる。
「貴方は、大きな夜会以外に出席していなかったでしょう?でも、今年は活動的に参加しているようね。そこでの装いが、ご婦人方の話題に上っているのよ」
流行のデザインに色のドレスであっても、何かが違うヴィヴィアンの装い。
夜会に出るのならば、クレメント商会の広告塔とならなければならない、ひいては自身の収入に繋がるのだから、と、意識しての事だが、まさか、ジゼルの所まで噂が上っているとは、考えてもみなかった。
「勿体ないお言葉でございます」
「わたくしの好みでは、少しリンジーには早過ぎると思うの。だから、年の近い貴方を呼んだのよ。リンジーは、リンデンバーグの流行に興味があるの。是非、助言してあげて頂戴」
「畏まりました。少しでも、王女殿下のご参考になればよろしいのですが」
リンジーは、大舞踏会に参加する為に、サーラから先日到着したらしい。
持参のドレスや宝飾品を見せて貰い、リンデンバーグの流行に添うよう、髪型や化粧も含めて提案する。
これは気に入らない、あれは何か違う、と細かくダメ出しをされて、最終的にリンジーが満足したのは、リンデンバーグの流行とも、サーラの流行とも違う、随分と派手な装い。
要するに、今、着ているドレスと大差ない。
どうやら、ジゼルのような眩い金髪ではない劣等感があるらしく、茶色の髪と瞳では、華やかに装わなければ地味に見えると思い込んでいるようだ。
「王女殿下の初々しさを前面に」とか「今季のキーワードは清楚」とか「十代ならではのお洒落」とか、何とか方向転換を図ろうとしたのだけれど、リンジーは頑として主張を変えなかった。
王族なんて雲の上の存在に、断固主張出来る筈もないのだが、ヴィヴィアンとしては、無力感で一杯だ。
だから、間違っても、『ヴィヴィアン・ブライトン監修』とは言わないで欲しい。
「素敵!これが、リンデンバーグの流行なのね。サーラとは少し違うけど、わたくし、こっちの方が好きだわ。やっぱり、わたくしとリンデンバーグの相性はいいのね」
リンデンバーグの流行に則っているのは、ドレスと宝飾品の色合わせ位だ。
「そうね、貴方によく似合ってる。とても愛らしくてよ」
「ジゼル伯母様、これならきっと、アーヴァインもわたくしを見直すわね。今度こそ、言い訳なんてさせないんだから」
アーヴァイン、とは、男性の名だ。
リンジーには、気を惹きたい男性がいる、と言う事か。
無邪気なばかりの姫君かと思いきや、存外、肉食系だった。
王女であっても、年頃の女性なのだな、と思いながら、ヴィヴィアンが二人の会話を黙って聞いていると、ジゼルが、にこやかに問い掛けて来る。
「ブライトン伯爵とは、睦まじくしているかしら?」
ブライトン伯爵夫妻の不仲は、広く知れ渡っている事だと思っていたが、王族は『恋愛結婚至上主義』の大元締め。
流石のトビアスも、妻との不仲を大っぴらにしていないのだろうか。
「有難い事に、お互い、健康に過ごせております」
アイリーンは、トビアスがヴィヴィアンとやり直したがっている、と言うような事を話していたけれど、今の所、音沙汰はない。
大舞踏会で会うのだから、その時でいい、と言う事なのか、それとも、ランドリック侯爵が何らかの手を回してくれたのか。
「ブライトン家にはまだ、跡取りがいなかったわよね?そろそろ、考えてもいいのではなくて?」
一伯爵家の後継を、何故、王太子妃が気に掛けるのだろう、と思いつつ、ヴィヴィアンは顔だけはにこやかに返す。
「こうのとりのご機嫌次第ですし、全てを夫に一任しておりますので…」
後継が欲しいのなら、アイリーンに産んで貰えばいいのだ。
何しろ、トビアスは最初から、愛する人の子に継がせる、と断言しているのだから。
トビアスとの仲が冷め切っている事が明らかなだけに、誰にも掛けられた事のない問いだったが、改めて子供について触れられると、『追い詰められた』と言うジュノの気持ちがよく判る。
授かりものについて触れるなんて、傲慢と言われても仕方あるまい。
「あら、じゃあ、来年辺りには、いいお話が聞けるわね」
何故、そうなる。
ヴィヴィアンは、無言で微笑むだけに留める。
「ねぇ、ブライトン夫人。リンジーには、長い事慕っている意中の男性がいるのよ。既婚者として、助言してあげて欲しいの。ほら、わたくしはもう、結婚してから二十年が経つでしょう?最近の結婚事情は、よく判らないものだから」
親に決められた政略結婚で、自分の意見の介在する余地など、なかったのですが。
冷笑を押し隠して、ヴィヴィアンは微笑んだ。
「わたくしで、お役に立てるようでしたら」
リンジーは、意気込んで尋ねて来る。
「そもそもの話なのだけれど、結婚するからには、好きになった人と一緒になるべきよね?」
好きも嫌いも、結婚式当日まで、会った事もありませんでした。
「末永く、共に暮らすお相手なのですから、好ましい方と添われた方が、お幸せではないでしょうか」
「そうよね!ほら、やっぱり、わたくしはアーヴァインと結婚すべきなのよ。だって、こんなにも彼を好きなのだもの。わたくしは、アーヴァインの事を何でも知っているのよ。ずーっと傍にいたから、彼がどんな事を学んで来たのか、どう評価されてきたのか、誰よりも詳しいの。ずっとずっと、彼だけを見て来たの。でも、彼ね、わたくしには彼しかいない、って言ってるのに、どうやら、わたくしを妬かせたいみたいで、最近、親しくしている女性がいるらしいの。おかしいわよね、サーラ王族であるわたくしと、ただの貴族では、比べようもないじゃない?嫉妬する必要なんてないでしょう」
「さようですね」
声に欠片も同調の意が含まれないのは、見逃して欲しい。
王族との会話など、太鼓持ちしておくべきなのだが、リンジーはどうも、自己中心的で、自分の気持ちしか大切にしない。
そして、伯母であるジゼルも、彼女の発言を、にこにこするばかりで、修正しない。
人それぞれに、気持ちや考えがあるのだ、と言う事が、判っていないのか、何を置いても自分が優先されるものだ、と思っているのか。
想い人と言いながらも、リンジーが、相手の気持ちにきちんと向き合っている気配を感じない。
それを、人の上に立つ王族の傲慢さと取るか、幼さと取るかは、悩ましい所だ。
貴族としては末端である男爵家、それも、父の代に商人から成り上がったクレメント家への風当たりは、強い。
真の意味で貴族らしい人物は、クレメント家を鷹揚に受け入れ、貴族の義務を果たしているか確認するだけだが、爵位と歴史にしか誇れるものがない人物程、クレメント家の功績等知りもせず、これ見よがしに貶めるのが常だった。
彼等は、自分と、クレメント家――ヴィヴィアンを、同じ水平に立つ人間とは、考えてもいないからだ。
リンジーには、彼等と同じ匂いがする。
生まれた時に与えられただけの地位を、自身が選ばれた存在だからだと驕り、同時に、その地位に見合った責任を果たしていない匂いが。
リンジーの語る言葉から推測するに、彼女からアーヴァインへの想いは、一方通行のようだ。
年が離れているのか、身分が異なるのかは判らない。
だが、アーヴァインが、彼女の気持ちを受け入れているようには聞こえない。
相手の男性が、真っ当な教育を受けていれば、リンジーの選民思想は、眉を顰めるものだろう。
この勢いで、結婚結婚と騒がれているのだとしたら、彼は困っているのではないか。
つい、見も知らぬ男性の苦労を想像してしまったのは、望まぬ求婚に、国境を飛び越えて逃げ出して来た黒衣の男の顔を、否が応でも思い出すからだ。
周囲の思惑に振り回されて来たのは、ヴィヴィアンも同じ。
どうして、スタンリーも、トビアスも、リンジーも、目の前に立つ人間に、考える頭と傷つく心があると言う当たり前の事を、理解しないのだろう。
「一つ、王女殿下に申し上げるとすれば。リンデンバーグでは、嘗ての国王夫妻の大恋愛にあやかって、互いに想い合う相手と添う事が幸せ、とされております」
「何よ、それ?…まさかとは思うけれど、アーヴァインが、わたくしを想っていないとでも言うつもりではないでしょうね」
何も見えていないわけではないらしい。
判った上で想い人に執着し、彼との未来以外が見えない視野狭窄に陥っているのか。
「いいえ。とんでもございません。王女殿下は、お若いのですから、焦らず、愛を育まれては、と申し上げております。王女殿下と想い人のお方、お二人のお気持ちが同じ色合いで重なった時にご結婚されれば、より、強い結びつきを得られる事でしょう。それに、王女殿下には、素晴らしいお手本がございますわ。ジゼル妃殿下は、長く王太子殿下と交流され、ご成婚なさったとの事。お二人のロマンスは、劇団で上演されてもいるのですよ」
生まれつき、余り体が強くなかった第一王子イグナスと、幼馴染の公爵令嬢ジゼルの恋は、様々な困難を乗り越えて実った、と、彼等の恋をモデルに作られた演劇や本を通じて、国民に広く知られている。
それが事実かどうか、ヴィヴィアンは知らないし、興味もない。
知っているのは、ジゼルの父であるサンテリオ公爵が、長女をリンデンバーグの王太子に、次女をサーラの王弟に嫁がせたやり手と言う事だけだ。
「ジゼル伯母様、そうなのですか?」
「市井に出回っているお話は、多少脚色されているけれど、わたくしと殿下が、幼い頃から互いに想い合って結ばれたのは事実よ」
「素敵!」
この調子で、コイバナで盛り上がっていて欲しい。
ヴィヴィアンを巻き込まないでいてくれれば、何だっていい。
笑顔の仮面を張り付け、出来るだけ存在感を薄くしていたヴィヴィアンに、ジゼルが、にこやかに微笑みかける。
「リンジーがこれだけ、アーヴァイン殿を好きなのだもの。彼にまとわりついていると言う女性も、リンジーの恋を応援してくれるわ。二人は、絶対に結ばれるの。そうよね?ブライトン夫人」
笑顔の圧を感じつつ、ヴィヴィアンは、当たり障りなく、返答した。
正直に言えば、「知るわけないでしょう」だ。
「王女殿下が、互いに想い合える方と添われる事を、心より願っております」
ヴィヴィアンは、微笑の仮面を張り付けながら、目の前の女性達に向き合っていた。
「どうせ、夜会には出ないんでしょ?だったら、大舞踏会まで、じっくり考えなさいな」とジュノに言われてから、一週間。
大舞踏会まで、あと一週間と言う所で、王宮からお茶会の招待があった。
それも、ジゼル王太子妃の名で。
これまで、社交の場に出ず、ひっそりと暮らしていたヴィヴィアンは、ジゼルに拝謁した事はない。
精々、大舞踏会で見掛けた事があるだけだ。
大舞踏会では、王族と向き合う形で、前から、公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家、と、爵位ごとに横並びに整列する。
昨年の大舞踏会では、王族側の出席者は、国王、王太子夫妻、独身の王弟の四人だった。
他国から王族が招待されている場合、リンデンバーグの王族と同列と言う事で、彼等も王族側に立っていた記憶がある。
二男二女を儲けた国王だが、二人の王女のうち、一人は他国の王族に、一人は侯爵家令息に嫁いだ。
侯爵家に嫁いだ王女は、トビアスに伴われた王宮の夜会で遠くから目にした事があるが、他国へ嫁いだ王女の顔は、見た事がない。
王家の習わしで、成人するまでは顔も名も明かされないし(人間関係を築くのに、王族と言う肩書は、時に重荷になるからだ、と言うのがその理由だ。恋愛結婚をする為にまず必要なのは、充実した人間関係、とは、流石、恋愛結婚至上主義)、王籍を離れてしまえば、心理面はともかく、扱い上は他の貴族と同じになるからだ。
伯爵夫人であるヴィヴィアンは、三列目か四列目から王族の顔を眺める事が出来るものの、人数の少ない王族に対し、大広間を埋める貴族達。
面識のない一伯爵夫人の名など、王族に認識されているとは思ってもみなかった。
だから、お茶会の招待状が来た事に驚いたけれど、王太子妃からの招待を拒否するわけにはいかない。
恐らく、大舞踏会前の懇親だろうと考えて王宮に出向いたら…まさか、ジゼル王太子妃とヴィヴィアン、そしてもう一人のご令嬢、三人だけのお茶会だとは、予想出来た筈もない。
「よく来てくれたわ、ブライトン伯爵夫人」
「お招き光栄に存じます、王太子妃殿下」
ジゼルは確か、三十代後半。
少し垂れ目がちな青い瞳に、眩い金髪は、リンデンバーグの美人らしい容貌と言えるだろう。
邪気のなさそうな笑みを浮かべているが、リンデンバーグの公爵令嬢から王太子妃になった彼女が、見た目通りの無邪気な女性とは、ヴィヴィアンには思えなかった。
「ジゼルでよくてよ。リンジー、彼女が、我が国でも大きな商会を手掛けているクレメント商会の末娘、ヴィヴィアン・ブライトン夫人。ブライトン夫人、こちらは、リンジー・サーラリナ王女。わたくしの姪なの」
リンジー・サーラリナ。
サーラリナの家名を持つと言う事は、サーラの王族と言う事だ。
確か、ジゼルの妹が、サーラの国王の弟に嫁いでいた。
リンジーは、サーラ王弟の娘と言う事になる。
何故、王族二人との茶会に、伯爵夫人に過ぎないヴィヴィアンが招かれたのか。
「ブライトン夫人、よろしくね」
「お目に掛かれて光栄です、リンジー王女殿下」
リンジーは、明るい金茶の巻き毛に、榛色の瞳の少女だった。
年の頃は、十代後半だろうか。
大人びて見せたいのか、昼の茶会にしては濃い化粧に、存在感を目立たせる為か、装飾の多いドレスは、何処かの誰かを彷彿とさせた。
クレメント商会の末娘、と言う紹介に、ん?と引っ掛かるものはある。
クレメント商会に用があるのならば、父スタンリーを呼び出せばいい。
そもそも、ジゼルの立場ならば、『王家御用達』の商人や職人がいる。
「貴方は、大きな夜会以外に出席していなかったでしょう?でも、今年は活動的に参加しているようね。そこでの装いが、ご婦人方の話題に上っているのよ」
流行のデザインに色のドレスであっても、何かが違うヴィヴィアンの装い。
夜会に出るのならば、クレメント商会の広告塔とならなければならない、ひいては自身の収入に繋がるのだから、と、意識しての事だが、まさか、ジゼルの所まで噂が上っているとは、考えてもみなかった。
「勿体ないお言葉でございます」
「わたくしの好みでは、少しリンジーには早過ぎると思うの。だから、年の近い貴方を呼んだのよ。リンジーは、リンデンバーグの流行に興味があるの。是非、助言してあげて頂戴」
「畏まりました。少しでも、王女殿下のご参考になればよろしいのですが」
リンジーは、大舞踏会に参加する為に、サーラから先日到着したらしい。
持参のドレスや宝飾品を見せて貰い、リンデンバーグの流行に添うよう、髪型や化粧も含めて提案する。
これは気に入らない、あれは何か違う、と細かくダメ出しをされて、最終的にリンジーが満足したのは、リンデンバーグの流行とも、サーラの流行とも違う、随分と派手な装い。
要するに、今、着ているドレスと大差ない。
どうやら、ジゼルのような眩い金髪ではない劣等感があるらしく、茶色の髪と瞳では、華やかに装わなければ地味に見えると思い込んでいるようだ。
「王女殿下の初々しさを前面に」とか「今季のキーワードは清楚」とか「十代ならではのお洒落」とか、何とか方向転換を図ろうとしたのだけれど、リンジーは頑として主張を変えなかった。
王族なんて雲の上の存在に、断固主張出来る筈もないのだが、ヴィヴィアンとしては、無力感で一杯だ。
だから、間違っても、『ヴィヴィアン・ブライトン監修』とは言わないで欲しい。
「素敵!これが、リンデンバーグの流行なのね。サーラとは少し違うけど、わたくし、こっちの方が好きだわ。やっぱり、わたくしとリンデンバーグの相性はいいのね」
リンデンバーグの流行に則っているのは、ドレスと宝飾品の色合わせ位だ。
「そうね、貴方によく似合ってる。とても愛らしくてよ」
「ジゼル伯母様、これならきっと、アーヴァインもわたくしを見直すわね。今度こそ、言い訳なんてさせないんだから」
アーヴァイン、とは、男性の名だ。
リンジーには、気を惹きたい男性がいる、と言う事か。
無邪気なばかりの姫君かと思いきや、存外、肉食系だった。
王女であっても、年頃の女性なのだな、と思いながら、ヴィヴィアンが二人の会話を黙って聞いていると、ジゼルが、にこやかに問い掛けて来る。
「ブライトン伯爵とは、睦まじくしているかしら?」
ブライトン伯爵夫妻の不仲は、広く知れ渡っている事だと思っていたが、王族は『恋愛結婚至上主義』の大元締め。
流石のトビアスも、妻との不仲を大っぴらにしていないのだろうか。
「有難い事に、お互い、健康に過ごせております」
アイリーンは、トビアスがヴィヴィアンとやり直したがっている、と言うような事を話していたけれど、今の所、音沙汰はない。
大舞踏会で会うのだから、その時でいい、と言う事なのか、それとも、ランドリック侯爵が何らかの手を回してくれたのか。
「ブライトン家にはまだ、跡取りがいなかったわよね?そろそろ、考えてもいいのではなくて?」
一伯爵家の後継を、何故、王太子妃が気に掛けるのだろう、と思いつつ、ヴィヴィアンは顔だけはにこやかに返す。
「こうのとりのご機嫌次第ですし、全てを夫に一任しておりますので…」
後継が欲しいのなら、アイリーンに産んで貰えばいいのだ。
何しろ、トビアスは最初から、愛する人の子に継がせる、と断言しているのだから。
トビアスとの仲が冷め切っている事が明らかなだけに、誰にも掛けられた事のない問いだったが、改めて子供について触れられると、『追い詰められた』と言うジュノの気持ちがよく判る。
授かりものについて触れるなんて、傲慢と言われても仕方あるまい。
「あら、じゃあ、来年辺りには、いいお話が聞けるわね」
何故、そうなる。
ヴィヴィアンは、無言で微笑むだけに留める。
「ねぇ、ブライトン夫人。リンジーには、長い事慕っている意中の男性がいるのよ。既婚者として、助言してあげて欲しいの。ほら、わたくしはもう、結婚してから二十年が経つでしょう?最近の結婚事情は、よく判らないものだから」
親に決められた政略結婚で、自分の意見の介在する余地など、なかったのですが。
冷笑を押し隠して、ヴィヴィアンは微笑んだ。
「わたくしで、お役に立てるようでしたら」
リンジーは、意気込んで尋ねて来る。
「そもそもの話なのだけれど、結婚するからには、好きになった人と一緒になるべきよね?」
好きも嫌いも、結婚式当日まで、会った事もありませんでした。
「末永く、共に暮らすお相手なのですから、好ましい方と添われた方が、お幸せではないでしょうか」
「そうよね!ほら、やっぱり、わたくしはアーヴァインと結婚すべきなのよ。だって、こんなにも彼を好きなのだもの。わたくしは、アーヴァインの事を何でも知っているのよ。ずーっと傍にいたから、彼がどんな事を学んで来たのか、どう評価されてきたのか、誰よりも詳しいの。ずっとずっと、彼だけを見て来たの。でも、彼ね、わたくしには彼しかいない、って言ってるのに、どうやら、わたくしを妬かせたいみたいで、最近、親しくしている女性がいるらしいの。おかしいわよね、サーラ王族であるわたくしと、ただの貴族では、比べようもないじゃない?嫉妬する必要なんてないでしょう」
「さようですね」
声に欠片も同調の意が含まれないのは、見逃して欲しい。
王族との会話など、太鼓持ちしておくべきなのだが、リンジーはどうも、自己中心的で、自分の気持ちしか大切にしない。
そして、伯母であるジゼルも、彼女の発言を、にこにこするばかりで、修正しない。
人それぞれに、気持ちや考えがあるのだ、と言う事が、判っていないのか、何を置いても自分が優先されるものだ、と思っているのか。
想い人と言いながらも、リンジーが、相手の気持ちにきちんと向き合っている気配を感じない。
それを、人の上に立つ王族の傲慢さと取るか、幼さと取るかは、悩ましい所だ。
貴族としては末端である男爵家、それも、父の代に商人から成り上がったクレメント家への風当たりは、強い。
真の意味で貴族らしい人物は、クレメント家を鷹揚に受け入れ、貴族の義務を果たしているか確認するだけだが、爵位と歴史にしか誇れるものがない人物程、クレメント家の功績等知りもせず、これ見よがしに貶めるのが常だった。
彼等は、自分と、クレメント家――ヴィヴィアンを、同じ水平に立つ人間とは、考えてもいないからだ。
リンジーには、彼等と同じ匂いがする。
生まれた時に与えられただけの地位を、自身が選ばれた存在だからだと驕り、同時に、その地位に見合った責任を果たしていない匂いが。
リンジーの語る言葉から推測するに、彼女からアーヴァインへの想いは、一方通行のようだ。
年が離れているのか、身分が異なるのかは判らない。
だが、アーヴァインが、彼女の気持ちを受け入れているようには聞こえない。
相手の男性が、真っ当な教育を受けていれば、リンジーの選民思想は、眉を顰めるものだろう。
この勢いで、結婚結婚と騒がれているのだとしたら、彼は困っているのではないか。
つい、見も知らぬ男性の苦労を想像してしまったのは、望まぬ求婚に、国境を飛び越えて逃げ出して来た黒衣の男の顔を、否が応でも思い出すからだ。
周囲の思惑に振り回されて来たのは、ヴィヴィアンも同じ。
どうして、スタンリーも、トビアスも、リンジーも、目の前に立つ人間に、考える頭と傷つく心があると言う当たり前の事を、理解しないのだろう。
「一つ、王女殿下に申し上げるとすれば。リンデンバーグでは、嘗ての国王夫妻の大恋愛にあやかって、互いに想い合う相手と添う事が幸せ、とされております」
「何よ、それ?…まさかとは思うけれど、アーヴァインが、わたくしを想っていないとでも言うつもりではないでしょうね」
何も見えていないわけではないらしい。
判った上で想い人に執着し、彼との未来以外が見えない視野狭窄に陥っているのか。
「いいえ。とんでもございません。王女殿下は、お若いのですから、焦らず、愛を育まれては、と申し上げております。王女殿下と想い人のお方、お二人のお気持ちが同じ色合いで重なった時にご結婚されれば、より、強い結びつきを得られる事でしょう。それに、王女殿下には、素晴らしいお手本がございますわ。ジゼル妃殿下は、長く王太子殿下と交流され、ご成婚なさったとの事。お二人のロマンスは、劇団で上演されてもいるのですよ」
生まれつき、余り体が強くなかった第一王子イグナスと、幼馴染の公爵令嬢ジゼルの恋は、様々な困難を乗り越えて実った、と、彼等の恋をモデルに作られた演劇や本を通じて、国民に広く知られている。
それが事実かどうか、ヴィヴィアンは知らないし、興味もない。
知っているのは、ジゼルの父であるサンテリオ公爵が、長女をリンデンバーグの王太子に、次女をサーラの王弟に嫁がせたやり手と言う事だけだ。
「ジゼル伯母様、そうなのですか?」
「市井に出回っているお話は、多少脚色されているけれど、わたくしと殿下が、幼い頃から互いに想い合って結ばれたのは事実よ」
「素敵!」
この調子で、コイバナで盛り上がっていて欲しい。
ヴィヴィアンを巻き込まないでいてくれれば、何だっていい。
笑顔の仮面を張り付け、出来るだけ存在感を薄くしていたヴィヴィアンに、ジゼルが、にこやかに微笑みかける。
「リンジーがこれだけ、アーヴァイン殿を好きなのだもの。彼にまとわりついていると言う女性も、リンジーの恋を応援してくれるわ。二人は、絶対に結ばれるの。そうよね?ブライトン夫人」
笑顔の圧を感じつつ、ヴィヴィアンは、当たり障りなく、返答した。
正直に言えば、「知るわけないでしょう」だ。
「王女殿下が、互いに想い合える方と添われる事を、心より願っております」
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