ストップ!おっさん化~伯爵夫人はときめきたい~

緋田鞠

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「父上は、俺に負い目があるんだ」
 表向きは、慶事の発表で華々しく終わった大舞踏会から三ヶ月が経った。
 年明け早々、使用人達に泣かれつつブライトン伯爵邸を去ったヴィヴィアンは、実家に戻る事なく、直接、ランドリック侯爵邸へと住まいを移していた。
 娘が欲しかった、と言うランドリック侯爵の言葉は事実で、侯爵夫妻はヴィヴィアンを心から歓迎し、娘として扱っている。
 義理の兄となった侯爵の息子達やその妻も同様で、渦中の令嬢であるヴィヴィアンを、温かく迎え入れてくれた。
 真綿に包むように世の中の悪意から遠ざけるのではなく、真実はきっちりと伝えつつも、強く乗り越える方法を教える、と言うやり方は、自身を商人だと自任しているヴィヴィアンの性に合っていた。
 アーヴァインは、週に一度は侯爵邸を訪れて、ヴィヴィアンと恋人として、過ごしている。
 諸々の事情から、二人が連れ立って出掛ける許可がまだ下りていない為、逢瀬の機会は限られる。
 だが、機会が限られているからこそ、二人は出会ったばかりの婚約者らしく、一歩ずつ交流を進める事が出来た。
 今日も、コンサバトリーでヴィヴィアンとお茶を楽しんでいた彼が、ぽつりと零す。
 共に過ごす時間の中で、アーヴァインは少しずつ、過去の出来事や、心の内に溜め込んだ気持ちを、吐露するようになっていた。
 王妃シェリーの不貞の噂のせいで、アーヴァインは他人からの評価を気にして、ほんの小さな子供の頃から、我儘一つ言わない子供だった。
 第二王子に相応しくなるべく励めば、王太子の座を狙っているのかと疑われ、力を抜いて評価を下げれば、リンデンバーグの王族にあるまじき劣等生と揶揄され。
 どうすればいいのか判らなくなってしまった彼に唯一出来る事が、誰とも関わらない、と言う選択だったのだ。
 妻子を愛しながらも、守れなかったとの負い目があるエイデンは、
「どうしても、守りたい人がいる」
と、漸く口にされたアーヴァインの懇願を、撥ねつける事は出来なかった。
 サーラから、生涯、帰って来ないかもしれない、と考えていたアーヴァインが、唯一、欲しがったもの。
 それが、愛する人と歩む未来だと言うのだから、拒否出来る筈もない。
「…まぁ、ただ、ヴィヴィアンの気持ちを確認してない、告白もしてない、と言ったら、流石にドン引きしてたけど」
「そうでしょうねぇ…順番が逆よね」
「でも、例え、ヴィヴィアンが俺の手を取ってくれなかったとしても、あの状況から解放する為には、婚姻無効の訴えも、養子縁組も、必要だったから」
「…うん、有難う」
 アーヴァインとヴィヴィアンの婚約は、アーヴァインによる国王エイデン、王太子イグナスへの事前の根回しにより、ヴィヴィアンの想定よりもスムーズに内定した。
 大舞踏会前の三週間、アーヴァインは、訪問中のリンジーの暴走阻止、婚姻無効の書類に必要な各資料の準備、ヴィヴィアン解放及びアーヴァインとの婚約への根回しに充てていた。
 恋愛結婚を推奨していると言えども、王族の結婚は、愛さえあれば、無条件に認められるわけではない。
 それこそ、下位貴族との結婚を反対された事例は、少なくないのだ。
 これは、身分差を理由にしたものではなく、下位貴族には不要だった教養の基礎が出来ていない為に反対される事が多い。
 裏を返せば、学ぶ事で成長する可能性があれば、認められる、と言う事だ。
 また、身分の釣り合いが取れているとしても、条件を満たしていなければ、婚約には至らない。
 だからこそ、色よい返事を貰えなかったリンジーとジゼルが、暴走しそうになったわけなのだから。
 ヴィヴィアンは、クレメント男爵の方針により、高位貴族の令嬢に匹敵する教養と淑女教育を受けていた為、基本的な条件は満たしていた。
 貴族議会にも、王族の婚約に関しては一応の発言権があるのだが、半数以上の貴族が婚約に賛同したと、ヴィヴィアンは聞いた。
 『コンラートとヴィヴィアンの純愛を見守り隊』の隊員は、二人が思っていたよりも多かったらしい。
 お忍びの第二王子と、不幸な伯爵夫人の秘めた恋。一度は想いを捨て去る事を選んだ二人は(大舞踏会前の三週間、顔を合わせていない事を指すらしい)、再会した事で、やはり離れられない、と互いの気持ちを再確認し、結婚を約束した――と、嘘のような微妙に真実のような話で、盛り上がっているのだそうだ。
 どれだけ、ロマンスが好きなのだろうか、と気恥ずかしくなるけれど、温かく見守ってくれる人々がいる事の有難みが、今のヴィヴィアンには判る。
 血の繋がりはあっても、ヴィヴィアンを愛してくれる人のいなかったクレメント家。
 夫婦と呼ばれる関係になっても、ヴィヴィアンを受け入れなかったブライトン家。
 その二つの家しか知らなかったから、周囲の人間関係に恵まれていない事に気づいてはいても、どうすればいいのか判らなかった。
 心の何処かで、自分と人は違う、自分は選ばれない人間だ、との気持ちがあった事は否定出来ない。
 『あちら側』に行ける日は来ないのだから、望んではいけないのだ、と、気持ちを押さえていた部分もあると思う。
 けれど。
 アーヴァインが、認めてくれた。
 ヴィヴィアンを、受け入れてくれた。
 彼女の強さも弱さも、全てを含めてヴィヴィアンなのだから、と、丸ごと、望んでくれた。
 ヴィヴィアンが必要なのだ、と、言葉で、態度で、視線で、伝えてくれる彼が傍にいる事に、慣れて来てしまった事が怖い。
 愛される喜びを知ってしまえば、一人で立てなくなってしまうのではないか、と不安にもなる。
 だが、アーヴァインは、それはお互い様だ、と笑った。
 アーヴァインはずっと、自分の存在が、大切な母を苦しめ、殺してしまった、と深い後悔を抱いていた。
 誰が好意を向けてくれても、それを受け入れる事が出来ない。
 いつかは彼等も、離れていくのでは。
 心を預けて、また苦しむのは嫌だ、と、ジクジクと血を滲ませたままの傷跡を隠して、敵を作らない為だけに微笑んでいたアーヴァインに気づき、何の企みもなく懐に潜り込んで来たヴィヴィアン。
 アーヴァインの抱える闇も痛みも、必要以上に同情も共感もせず、ただ、あるがままに受け入れてくれた彼女に、どれだけ救われた事か。
 また、誰かを信じてみたい。
 そう、思わせてくれた相手が、隣にいる。
 それは、どれだけ幸福だろうか。
「来週、大叔父上と養子縁組して、クロッカード公爵家に入る」
「えぇ」
「そうしたら、ヴィヴィアンとの婚約も、書面に出来る」
「判った」
 アーヴァインとヴィヴィアンの婚約は、現段階ではまだ、結ばれていない。
 王子の婚約と、公爵令息の婚約では、必要な手続きが異なるからだ。
「大叔母上からの伝言だ。『式は、わたくしの生きているうちに挙げて頂戴』だそうだ。近いうちに、相談に来るように、とも言っていたな」
「まぁ…」
 クロッカード公爵夫人は、足が弱り、杖こそついているが、結婚当初は、社交界の花と呼ばれた華やかな女性だった。
 不幸な事に、幼い子供を事故で亡くして以来、大舞踏会以外の社交の場に出て来る事はなく、殆ど隠遁生活を送っていた。
 だが、可愛がっていた甥エイデンの息子であるアーヴァインが養子になる事が決まり、その上、婚約すると言う事で、今では、公爵夫人として二人の式を万全に差配せねば、と生き生きとしているのだ。
「公爵夫人は、とても確かな目を持っていらっしゃるから、お話するのが楽しみだわ」
「…大叔母上は、少々気難しい方だからな。そう言えるヴィヴィアンは凄いよ」
 会う度に、様々なダメ出しを受けているらしいアーヴァインは、げんなりした様子でそう言うが、ヴィヴィアンにとっては、話していて楽しい相手だ。
 社交界を離れているクロッカード公爵夫妻にとって、大舞踏会で突如、大甥の婚約者として名の上がったヴィヴィアンは、正体不明の令嬢である上に、何やら曰く付きでもある。
 初対面時、クロッカード公爵はやんわりと、公爵夫人はずけずけと、ヴィヴィアンを見極めようとして来た。
 所作振る舞い、知識、瞬発的な判断力、応用力…いずれも、アーヴァインと同じく元王子だったクロッカード公爵に嫁いだ夫人が、求められたものだ。
「わたくしは伯爵家の生まれだけれど、子供は娘ばかり六人で、わたくしはその末子。持参金貧乏で、両親はわたくしに、結婚を諦めるように頭を下げたの。でもね、結婚しないつもりでいても、出会う時には出会ってしまうのよ」
 第三王子だったクロッカード公爵と夫人は、一目で惹かれ合い、何と、その場で結婚を約束したのだと言う。
「勿論、簡単な事ではありませんでしたよ。わたくしの実家には経済的な余裕はなく、わたくしの着ていたドレスは姉達のお下がり。淑女教育すら、碌に受けられなかったのですから」
 求められる水準に達していない、と言われた淑女教育と教養を必死に学び、漸く結婚が認められた時には、出会いから五年が経過していた。
 それでも、その間、互いの気持ちは褪せる事なかった。
「だからね、ヴィヴィアンさん。アーヴァイン殿下を心よりお慕いしているのでしたら、これから、どんな風が吹こうとも、強くお立ちなさい」
 例え、アーヴァインが形だけは整えてくれたとしても、ヴィヴィアンは、何の瑕疵もない娘ではない。
 アーヴァインが王子であると公表された事で、彼の妻の座を求め、ヴィヴィアンの欠点をあげつらおうとしている令嬢達やその親も、少ないとは言え、存在する。
 そう、はっきりと現実を口にして、ヴィヴィアンが他の貴族達につけ入れられないように、ビシビシと鍛えてくれる夫人の事を、ヴィヴィアンは、好ましい、と思う。
 朗らかに指導するランドリック侯爵夫人と、厳格に指導するクロッカード公爵夫人と。
 アーヴァインに出会ってからと言うもの、周囲の人間関係に恵まれるようになった。
 アーヴァインにそう伝えると、彼もまた、長く彼を見守ってくれていた人々への感謝を、素直に口に出来るようになった、と言った。
「ヴィクターの事は、前に話したよな。他にも、騎士の訓練に混ざってた俺の荒れてた時期を知ってる人間…キャナリー家のレイモンドとか、王都騎士団の上層部が、今でも態度を変えずに接してくれる事が、嬉しいんだ。第二王子だと知りながら、素知らぬ振りで対等に扱い、俺が助けを頼んだら、直ぐに手を差し伸べられるような距離で見守っててくれたって事を、漸く、認めて、受け入れられるようになった」
「ヴィクター卿が聞いたら、喜ぶわよ」
「どうだかな」
 そうは言いながらも、アーヴァインの顔は笑っている。
 世の中の全員と親しくするのは、無理だ。
 どれだけ意見を交わしても、互いに受け容れられない関係だって、多い。
 けれど、理解し合えない人間がいたからと言って、その他全ての人々を拒絶してはいけない。
 互いに大事な人が出来た今、アーヴァインも、ヴィヴィアンも、その言葉の意味を、漸く、理解出来た。
「夫婦喧嘩はしないに越した事はないが、これまでの二十年以上を、違う環境で暮らして来たんだ。小さな齟齬はたくさんある筈だ。だから、思った事は相手に伝えて、互いが納得するまで話し合おう」
 アーヴァインは、そっとヴィヴィアンの手を取ると、細い指に指を絡めて握った。
 触れた温もりの温かさが、嬉しい。
「そうね。意見をすり合わせるのが面倒だから、って飲み込まないようにする」
「あぁ」
 新しい家族は、二人の手で築いていくものなのだから。

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