獣人辺境伯と精霊に祝福された王女

緋田鞠

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***

 地元に戻った領兵の活躍は、目覚ましかった。
 それは、何処の誰の話だろうか?と言う位に美化された純愛物語が、今、ノーハンでは人々を賑わせている。

 これまで、浮いた話の一つもなかった領主様は、実はずっと、王都でただ一度きり、言葉を交わしただけのご令嬢を思い続けていた。
 ご令嬢が人族の娘であるが故に、領主と言う立場を鑑みて、己の想いを断ち切ろうとしてきたが、断ち切れない。
 そんな中、ご令嬢もまた、領主様を忘れられず、一目でいいから顔を見たい、と、密かにノーハンを訪れた。
 領主様率いる領軍がピチュアの危機に瀕した時、ご令嬢の領主様を守りたいと言う思いがハルムを見つけ、領軍は回復、ナランを追いやったのだ…。

 大筋は間違っていないが、あちらこちらにこれでもか、と美辞麗句の演出が盛り込まれていて、シャーロットは、メイドのカトリから町に流れている噂を聞いた時、思わず頭を抱えてしまった。
 全くの創作ではない分、余計に頭が痛い。
 当初は、ヴィンセントの想う相手が人族の娘である事に、先代辺境伯の一件を思い起こして難色を示していた領民も、
「だからこそ、諦めようとなさったのだ。だが、お二人は長い年月を重ねながらも、諦められなかった。一目で互いに恋に落ちたお二人の仲睦まじさは、番に並び立つ程だ。この機会を逃せば、御屋形様は生涯、独身を貫かれる事だろう」
と言われているうちに、受け入れていったと言うのだから、番、と言う言葉の持つ威力は凄まじい。
 勿論、断じて人族との婚姻など、認められない。後継ぎはどうするのだ、と言う強硬派も存在している。
 そんな番至上主義の彼等には、ウィルヘルムの存在を匂わせれば、放っておけばいずれ、番の子が領主に立つ、と理解して大人しくなった。
 アテムとの領境を監視しているロビンから、フェルディナンドの動向について情報がもたらされたのは、一通り、領民にヴィンセントの結婚が周知された時期。シャーロットに正式に求婚してから一ヶ月後だった。

***

「お前が、ヴィンセント・バーナディスだな」
 領主館の応接間で、ヴィンセントに対面したその男は、開口一番、こう言い放った。
 フェルディナンド・ロトン。
 ハビエルの年の離れた妹が、ロトン公爵家に降嫁して出産した三男で、現在、二十八歳。
 流石、王家に連なる血筋と言うべきか、濃い金髪も澄み渡る空のような碧眼も、美しいと言っていいだろう。
 少し神経質そうに見える中性的な細面は、王都の夜会であれば、若いご令嬢の熱を帯びた視線に常に注目されているに違いない。
 だが、彼自身には爵位もなく、王宮に勤めているわけでも、公爵家の仕事をしている様子でもない。
 それなのに、辺境伯と言う地位にあるヴィンセントを見下す態度のフェルディナンドに、応接間に、ぴり、とした空気が漏れる。
 控えている使用人達は、友好的とは言えない人族がいるからだろう、皆、耳と尾を隠す服装をしていた。
「えぇ、さようです、ロトン卿」
 だが、ヴィンセントは鷹揚とした笑みを消さず、フェルディナンドに向き合った。
 フェルディナンドは、応接間にこの領主館の主人であるヴィンセントが顔を出したにも関わらず、席を立とうともしない。
 ヴィンセントがソファに腰を下ろすと、フェルディナンドは鼻を鳴らす。
「ここに、我が従妹を匿っているだろう。返せ」
「ロトン卿の従妹殿…ですか?」
 見当がつかない、と言う顔で惚けてみせると、フェルディナンドは苛立ったように舌打ちをした。
「ハビエル伯父上の末娘、シャーロットだ。ここにいるだろう」
「はて、何処でそのような偽情報を?シャーロット王女殿下は、病にて天の花園にお渡りになったと伺いましたが」
「そんなもの、嘘だ」
「何故、言い切れるのですか?」
「あの娘の棺は、空だった」
 自信満々に言うフェルディナンドに、ヴィンセントは内心、嘆息する。
 言い切ると言う事は、この男がシャーロットの墓を発かせた張本人と言う事か。
 墓荒らしがどれ程の重罪か、認識していないらしい。
「ご期待に沿えず申し訳ございませんが、我が領に、シャーロット王女殿下がご滞在になっていると言う事実はございません」
「嘘を申すな。この館に、シャーロットと言う娘が滞在していると、情報を売りに来た者がいる」
 ちらり、と、ヴィンセントは控えているヘンリクに目を遣った。
「…その者が、騙りでないとお思いで?」
「やたらと領主館の内情に詳しかったからな。金髪に緑の瞳の若い娘だったが、お前が弄んで捨てた娘なのだろう?」
 カティアか、と、低く唸ったのは誰だったか。
「確かに、シャーロットと言う名の女性はおります。ですが、王女殿下ではございません」
 シャーロット、と言う若い娘が滞在している事に確証を持たれているのであれば、誤魔化すのは得策ではない。
「その娘が嘘を吐いているのだ。何でもよい、早く連れて来い」
 顎でヴィンセントに指示するフェルディナンドに、またもや、応接間の空気が張りつめるが、フェルディナンドはそれに気づいた様子もなかった。
 ヴィンセントがヘンリクに指示をすると、暫くして、いつもの町娘のようなワンピースを着たシャーロットが応接間を訪れる。
「お呼びでしょうか、ヴィンセント様」
「あぁ、シャーロット」
 ヴィンセントは席を立つと、シャーロットをエスコートしてソファへと連れて行く。
 シャーロットは、フェルディナンドの顔を見て戸惑うような表情を浮かべ、ぎこちなく、礼を取った。
「お初にお目に掛かります、シャーロットと申します」
 シャーロットの服装と、決して美しいとは言えない礼を見て、フェルディナンドは不機嫌になる。
「仮にも王家の娘が、そのようなみっともない礼にみっともない服装で、恥ずかしくないのか」
 フェルディナンドに睨みつけられ、シャーロットがびくりと肩を竦めると、ヴィンセントがシャーロットを庇うように前に出た。
「ロトン卿。シャーロットを呼べと仰るので連れて参りましたが、ご覧の通り、彼女はシャーロット王女殿下ではございません。そも、従妹なのでしたら、ロトン卿にはお顔がお判りなのでは」
「判るわけがなかろう。シャーロットは呪われた娘。高貴なる血筋の私が、顔を合わせるような相手ではない」
「では、何故、シャーロット王女殿下をお探しなのですか」
 困惑するようなヴィンセントの顔を見て、フェルディナンドはバカにしたような表情を浮かべた。
「シャーロットにはまだ、利用価値があるからな。私は十分に高貴な血筋ではあるが、王女を娶れば、万人が認める王となるであろう」
「…ですが、王女殿下は天の花園にお渡りになった。ここにいるシャーロットは、ご覧の通り、王女殿下ではございません」
「茶色の髪に緑の瞳。シャーロットと言う名。ここまで同じで、別人と思えと?」
「茶色の髪も、緑の瞳も、シャーロットと言う名も、決して珍しいものではございません。シャーロットは、リンギット宰相閣下の縁戚なのです。お疑いでしたら、宰相閣下にお問い合わせ下さい」
「その必要はない。これから、連れて帰る」
 そう言うと、フェルディナンドは背後に控えていた私設騎士団の騎士に、顎で指示を出す。
 フェルディナンドの命令に従って、シャーロットに手を伸ばそうとする騎士の手を、ヴィンセントがゆったりとした動作で払った。
「…お止め下さい。幾らロトン卿であろうと、してよい事と悪い事がございますよ」
「何だと?」
「シャーロットは、私の妻です」
 そう言うと、ヴィンセントは笑みを浮かべたまま、鋭い眼差しで騎士を見遣る。
 彼はソファに腰掛けていると言うのに、ぶわり、と、その体が大きくなったように感じて、騎士達は後退った。
 気圧されている、と判ったものの、この場から逃げ出そうとする本能に、抗う事が出来ない。
 そもそも、フェルディナンドの私設騎士団は、王宮の近衛騎士団に所属出来なかった者達を集めて設立したものだ。
 一騎当千と呼ばれる獣人族の戦士に、正面切って喧嘩を売りつけられる程の技量はない。
 それが判っていないのは、フェルディナンドのみ。
「だから、何だ?」
 人妻だと聞いても、フェルディナンドの態度は変わらなかった。
 相変わらず、人を小馬鹿にした表情で、何を問題にしているのか判らない、と肩を竦める。
「私が欲しいのは、シャーロットの『王女』と言う地位だけだ。呪われた王女に手を出す程、女に困ってはおらん。飾りに過ぎんのだから、お前の手垢がついていようと、気にしない。私は、心が広いからな。為政者として、私以上に相応しい者はいないだろう?」
 目的を知っていたのか知らずにいたのか、え、と驚愕の目で彼を見る騎士達に気づかない様子で、フェルディナンドは滔々と持論を述べる。
「獣人如きが、私の役に立てるのだ。光栄に思うがよい」
 完全に逃げ腰になった騎士達をちらりと見遣って、ヴィンセントは深く溜息を吐いた。
「為政者として相応しい…なるほど。では、マハトを統べようと言うお方であれば、獣人族の伴侶に手を出すと言う意味を、よくご存知の筈」
 ヴィンセントが、す…っと笑みを消す。
 フェルディナンド様、と、背後の騎士が遠慮がちに声を掛けているが、フェルディナンドは、騎士の声に含まれた脅えに気づかない。
「何故、この私が、獣人如きの事情を知らねばならんのだ」
 その時だった。
 急激に部屋の温度が下がった気がして、ぶるり、と、騎士が体を震わせる。
 いや、気のせいではない。
 秋とは言え、まだ霜が降りる程の気温ではないのに、吐く息が白い。
 室内だと言うのに、氷室に放り込まれたような身を切り裂く寒さに、思わず両腕で己の体を抱え込んだ。
「…仮にも、マハトの王位を目指す者が、何と言う浅慮なのでしょう」
 先程の、おどおどとした態度は何処に行ったのか、冷たい目でフェルディナンドの顔をじっと見つめるシャーロットに、初めて、フェルディナンドは戸惑う顔を見せる。
「何故、賢王がノーハンの民をマハトに引き入れたのか、それすらも、貴方はご存知ないのですか」
「そんなものは決まっている!獣人には戦う以外の能がないからだ!我等、マハトの王族が、愚鈍な奴等の価値を見出してやったのだ!」
「ナランの脅威を、武でもって退けて下さっている方々に対して、口の利き方すらご存知ないのですね」
 シャーロットは、呆れたように溜息を吐くと、ヴィンセントに頭を下げた。
「申し訳ございません、ヴィンセント様。このような慮外者がマハトの公爵家とは、人族として情けない限りです」
「貴女が頭を下げる必要はありません。…ですが、陛下には、お伝えせねば。本意ではありませんが、人族の貴族が皆、このような考えならば、ノーハンの今後を考えねばなりません」
「えぇ、どうぞ、そうなさって下さい」
 フェルディナンドの存在を無視して会話する二人に、彼は苛立った声を上げる。
「この私を誰だと思っている!筆頭公爵家ロトン家のフェルディナンドだぞ!」
「それが、何だと言うのです」
 ぴしゃりとシャーロットに切り捨てられて、呆気に取られたフェルディナンドは、押し黙った。
「貴方は、シャーロット王女殿下を探して、この地まで来たのではないのですか。王女殿下と、公爵家の生まれとは言え、自身は何者でもない貴方と、どちらの身分が上なのか、お分かりにならないのですか」
「な…っ」
 痛い所を突かれたのか、わなわなと唇を震わせながらも言葉のないフェルディナンドに、シャーロットは無表情のまま、ゆっくりと言葉を続ける。
「よろしいですか。貴方のその浅慮で、マハトはノーハンと言う大きな盾を、失おうとしているのですよ。万が一、貴方がマハトの王位を継げたとしても、ノーハンの盾のないマハトなど、ナランにとっては赤子の手をひねるようなものだと、判らないのですか」
「そんなバカな事がある筈もない!マハトはここ二百年、ナランの手に落ちた事はないであろう!」
「それは、ノーハンがあるからです。…そのような事もご存知なく、マハトの王位を狙うと、本気で仰っているのですか」
「ううううるさい!」
「…情けない」
 シャーロットは額を押さえると、暫く、考えるように目を閉じてから、ヴィンセントに切り出した。
「ご迷惑だとは思うのですが」
「何でしょう」
「ロトン卿がお連れになった騎士達に、稽古をつけて頂けますか」
「それは、構いませんが…」
 シャーロットが、ちらりとフェルディナンドの背後にいる騎士に目を遣ると、彼等はあからさまにびくりと背を震わせて脅える。
「ロトン卿。貴方のご自慢の騎士団と、獣人族の領兵の皆様と、模擬試合をするのはいかがでしょう。一騎当千と呼ばれる獣人族の領兵に健闘なさいましたら、騎士団の箔が増すのでは」
 先程と打って変わって、笑顔でフェルディナンドに声を掛けると、彼は、強がるように胸を張った。
「ん、あぁ、そうだな。お前達、胸を貸してやれ」
 この期に及んでも、現実が見えていないのか、と、シャーロットは心の内で溜息を吐く。
 マハトの貴族は、思っていた以上に腐り果てているのかもしれない。
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