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背中合わせの共闘(4)
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彼が大人数を相手にしながらも、誰一人殺していないことを、レナエルは間近で見て気づいていた。
そこかしこに転がっている男たちに刀傷はあっても、致命傷はない。
すべて体術で昏倒させてきたのだ。
しかし今、彼はリーダー格の男を手にかけようとしている。
騎士に叙任されてすぐに、敵の将軍の首を取ったと言われる男だ。
人の命を奪うことなど、些細なことなのかもしれない。
そう思うと、ぞっとした。
「祈りを捧げる時間ぐらいは、くれてやろう」
彼は俯く男に厳かに言うと、剣をゆっくりと振り上げ、頭上に構えた。
剣の動きが止まり、一拍後に放たれた、強烈な殺気。
「ジュール!」
「アルノー!」
レナエルと同時に、彼女の刃に屈して横たわる男が、知らぬ名を絶叫した。
その声も空しく、無慈悲に振り下ろされようとする刃に、レナエルは顔を背け硬く目を閉じた。
——ガッ!
鈍い音が響いたかと思うと、その後は、激しい雨音だけが聞こえてきた。
レナエルがこわごわ目を開けると、座っていた男の身体が、ゆっくりと前に傾くのが見えた。
しかし、その身体は赤く染まってはおらず、首は……身体に繋がっているように見える。
何が……起こったの?
想像とは違う光景に呆然としていると、ジュールは以前見たときと同じような美しい所作で、長剣を腰に戻した。
薄暗い雨の中では、彼の濡れたダークブラウンの髪や鋭い瞳は、闇色に沈んで見える。
引き締まった肉体に貼り付いた白いシャツが、所々うす赤く見えるのは、何度も浴びた血が雨に叩かれたためだ。
それは凄絶な様相であったが、レナエルは魅入られたように、ゆっくりとこちらに歩いてくる彼を見つめていた。
脇腹を血に染め横たわっている男もまた、近づいてくる騎士に顔を向け、身体を震わせていた。
しかし恐怖で戦慄いているのではなかった。
「ああ……黒の、騎士。あ、なた……は……」
男はあのとき、仲間の最後を見届けようと、必死で目を凝らしていた。
しかし、黒隼の騎士が長剣を振り上げた後、強烈な殺気とともに仲間の後頭部に打ち付けたのは、ぎらつく刃ではなく、剣の柄。
黒隼の騎士は仲間の首を取らなかったのだ。
情けをかけられることは屈辱だと頭で理解しているが、それでも彼は仲間の命が救われたことが嬉しかった。
ジュールは無表情のまま近づいてくると、男の襟元を掴み、乱暴に引き起こした。
男は全く抵抗しなかった。
涙を浮かべた目で騎士を見つめ、かすれた声を絞り出す。
「感謝……し、ます。アルノーを……」
その言葉を最後まで言わせず、ジュールは男の腹に拳を叩き込んだ。
男はうめき声を上げると、濡れた草の上に崩れ落ちた。
殺すつもりなんて、なかったんだ……。
レナエルは、へなへなと草の上に座り込んだ。
ぺしゃりと音がして、水しぶきが飛んだ。
草や土から、冷たい水がズボンにしみ通ってくるが、充分にずぶぬれだったから、今さらどうでもいい。
放心したように、刺すような粒を落とす鉛色の空を見上げる。
「大丈夫か?」
一旦立ち上がったジュールが、レナエルの前に屈んで顔を覗き込んだ。
「怪我は?」
「……ない。多分」
「そうか」
ジュールは左手で、右袖の端を引っ張って伸ばした。
何をするのかと見ていたら、いきなり、曇りガラスでも拭くように、濡れた袖でレナエルの顔をざっと撫でた。
「……ぶ」
肌にざりっとした感触があったから、顔についた泥を落としてくれたのだろう。
だとしても、こんな雑な扱い……と、文句を言おうと思ったが、ぎゅっとつぶった目を開けてみると、ちょっと吊り目の黒い瞳が少し優しく見えたから、言えなくなった。
「危険な目に遭わせてすまなかった」
意外な言葉にきょとんとしていると、彼は真っすぐに唇を結んで、辛そうに目を伏せた。
彼のこんな表情も意外だった。
「え? でも、これはジュールのせいじゃないから」
「いや。あの林に敵が潜んでいたことに、気づけなかった。王都に近くになって、油断したのかもしれない。申し訳ない」
そこかしこに転がっている男たちに刀傷はあっても、致命傷はない。
すべて体術で昏倒させてきたのだ。
しかし今、彼はリーダー格の男を手にかけようとしている。
騎士に叙任されてすぐに、敵の将軍の首を取ったと言われる男だ。
人の命を奪うことなど、些細なことなのかもしれない。
そう思うと、ぞっとした。
「祈りを捧げる時間ぐらいは、くれてやろう」
彼は俯く男に厳かに言うと、剣をゆっくりと振り上げ、頭上に構えた。
剣の動きが止まり、一拍後に放たれた、強烈な殺気。
「ジュール!」
「アルノー!」
レナエルと同時に、彼女の刃に屈して横たわる男が、知らぬ名を絶叫した。
その声も空しく、無慈悲に振り下ろされようとする刃に、レナエルは顔を背け硬く目を閉じた。
——ガッ!
鈍い音が響いたかと思うと、その後は、激しい雨音だけが聞こえてきた。
レナエルがこわごわ目を開けると、座っていた男の身体が、ゆっくりと前に傾くのが見えた。
しかし、その身体は赤く染まってはおらず、首は……身体に繋がっているように見える。
何が……起こったの?
想像とは違う光景に呆然としていると、ジュールは以前見たときと同じような美しい所作で、長剣を腰に戻した。
薄暗い雨の中では、彼の濡れたダークブラウンの髪や鋭い瞳は、闇色に沈んで見える。
引き締まった肉体に貼り付いた白いシャツが、所々うす赤く見えるのは、何度も浴びた血が雨に叩かれたためだ。
それは凄絶な様相であったが、レナエルは魅入られたように、ゆっくりとこちらに歩いてくる彼を見つめていた。
脇腹を血に染め横たわっている男もまた、近づいてくる騎士に顔を向け、身体を震わせていた。
しかし恐怖で戦慄いているのではなかった。
「ああ……黒の、騎士。あ、なた……は……」
男はあのとき、仲間の最後を見届けようと、必死で目を凝らしていた。
しかし、黒隼の騎士が長剣を振り上げた後、強烈な殺気とともに仲間の後頭部に打ち付けたのは、ぎらつく刃ではなく、剣の柄。
黒隼の騎士は仲間の首を取らなかったのだ。
情けをかけられることは屈辱だと頭で理解しているが、それでも彼は仲間の命が救われたことが嬉しかった。
ジュールは無表情のまま近づいてくると、男の襟元を掴み、乱暴に引き起こした。
男は全く抵抗しなかった。
涙を浮かべた目で騎士を見つめ、かすれた声を絞り出す。
「感謝……し、ます。アルノーを……」
その言葉を最後まで言わせず、ジュールは男の腹に拳を叩き込んだ。
男はうめき声を上げると、濡れた草の上に崩れ落ちた。
殺すつもりなんて、なかったんだ……。
レナエルは、へなへなと草の上に座り込んだ。
ぺしゃりと音がして、水しぶきが飛んだ。
草や土から、冷たい水がズボンにしみ通ってくるが、充分にずぶぬれだったから、今さらどうでもいい。
放心したように、刺すような粒を落とす鉛色の空を見上げる。
「大丈夫か?」
一旦立ち上がったジュールが、レナエルの前に屈んで顔を覗き込んだ。
「怪我は?」
「……ない。多分」
「そうか」
ジュールは左手で、右袖の端を引っ張って伸ばした。
何をするのかと見ていたら、いきなり、曇りガラスでも拭くように、濡れた袖でレナエルの顔をざっと撫でた。
「……ぶ」
肌にざりっとした感触があったから、顔についた泥を落としてくれたのだろう。
だとしても、こんな雑な扱い……と、文句を言おうと思ったが、ぎゅっとつぶった目を開けてみると、ちょっと吊り目の黒い瞳が少し優しく見えたから、言えなくなった。
「危険な目に遭わせてすまなかった」
意外な言葉にきょとんとしていると、彼は真っすぐに唇を結んで、辛そうに目を伏せた。
彼のこんな表情も意外だった。
「え? でも、これはジュールのせいじゃないから」
「いや。あの林に敵が潜んでいたことに、気づけなかった。王都に近くになって、油断したのかもしれない。申し訳ない」
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