【完結】魔術師リュカと孤独の器 〜優しい亡霊を連れた少女〜

平田加津実

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あぁ、自己紹介がまだだったね

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 中央にサファイアを埋め込んだ、カントルーヴのボトニーと呼ばれるクロスを左手に握りしめる。
 そして、どこからともなく取り出した銀製の聖剣を右手に持ち、額、胸、右肩、左肩に触れていき、最後に目の前に掲げた。
 眼を閉じて、厳かに呪文の詠唱を始める。

「我、汝ミカエルを強く呼び出す。全能なる神の名と偉大なる力によって。汝よ来たれ。直ちに、穏やかに、目に見える様に。そして、遅れることなく……」
「なに寝ぼけたことを。人間ごときが大天使を呼び出そうなどとは、笑わせる!」

 呪文の中に大天使の名を聞き咎め、悪魔があざ笑った。

 人間の力で召還できるのは、精霊かせいぜい下級天使、でなければ悪霊や悪魔だ。
 天使は、その力を認めた者の前にしか姿を現さない。

 天界において最高位の天使で、「神に似た者」の意味の名を持つミカエル。
 天界に在る者ですら、なかなかその姿を眼にすることのない大天使が、たかが人間に呼び出されて、人界に出て来ることなどありえない。

「……純粋な姿で我が下へと現れよ。我が請願の全てに……」

 しかし、次の瞬間、悪魔の顔色が変わった。

「ま、まさか……」

 リュカが唇の端をふっと上げた。

 きぃんと張りつめた空気が、掲げた聖剣の前に急速に凝縮されていく。
 それは、天界が召還に応じた証拠だった。

「……応えるため、我は汝に強く命じる。……大地に棲む精霊たちよ、我、汝らを召還す。この地に根を張る、大いなる力を……」

 目の前で起こっている信じられない現象に気を取られている悪魔や亡霊たちは、呪文が途中から別の詞に変化していることに、気付かない。
 呪文の詠唱は途切れることなく続き、ついに、聖剣の先に集められた力がはじけた。
 強烈な閃光がひらめいて、その場の者たちは、眼がくらんで一瞬何も見えなくなった。

 床に伏せていたミリアンが、眼の端に入った眩しい光に気づき、言いつけを破って恐る恐る顔を上げる。

『あれは……今度こそ天使? 強そうだけど……?』

 リュカの掲げた聖剣の前に姿を現したのは、人間で言えば二十代後半ぐらいに見える、真っ白な翼を持つ、背の高い逞しい男だった。
 細かいウエーブがついた金色の短髪に、深い青の瞳。
 濃い陰影ができる、彫りが深い精悍な顔立ち。
 真っ白な衣の上に、肩と胸を覆う簡素ながらも青白く光り輝く鎧を身に付け、黄金の抜き身の剣を頭上に掲げ持つ威風堂々とした姿だ。

「やあ、リュカ。久方ぶりだな」

 掲げた黄金の剣をゆっくりと下しながら、大天使が低くよく通る声をかけた。

「ミカエル。来てくれて嬉しいよ」

 リュカが伏せていた眼を上げてにっこり笑うと、大天使が眉をひそめた。

「なんだ、そのふざけた顔は」
「や、仕事の途中で急いで駆けつけたから、しょうがなかったんだ。俺の仕事、知ってるだろ? さっきまで、孤児院に慰問に行ってたんだよ。子どもたちには悪いことしちゃったなぁ。後で謝りに行かなくちゃ」

 リュカが苦笑しながら、こめかみの辺りを、人差し指でぽりぽり掻く。

「仕事……ねぇ」

 大天使があえて後ろを見ないようにして、左右を見回した。
 悪魔を呼び出すために描かれた魔法円を眺めて、ため息まじりに言う。

「それにしても、まさか、こんな黒い円の中に呼び出されるとはな。しかも、お前、呪文を端折りすぎだ。何を言ってるのか分からんぞ……まったく」
「だって、この有様だろ? ここから出るに出られなかったし、すごく急いでいたからさぁ。礼儀知らずで、申し訳ない。でも、良かった。来てくれて」
「まぁ、急いでいることだけは、伝わったからな。確かにこの状況じゃ、仕方がないか」

 リュカと大天使の間で交わされる、昔からの友人のような軽いやり取りを、周りにいる者たちは、呆然とした顔で見ていた。

 中でも一番驚いていたのは、ベリアルだった。
 悪魔はようやく我に返ると、リュカと大天使が、自分を完全に無視して歓談している様子に、頭に血が上った。

「おいっ!」

 荒々しい声で呼び止められ、リュカがぷっと吹き出した。
 彼の位置からは、悪魔の姿は大天使の陰に隠れて全く見えないが、かなり、じれていることは分かる。

「そろそろいいかな。……ミカエルに、ぜひ会わせたい人がいるんだけど。後ろで相当イライラしてるみたいだ」
「ああ、そうだな」

 大天使が、ゆっくりと振り返って悪魔と向き合った。

 どちらも、白い翼を持ち白い衣をまとった、光り輝く美しい天使の姿だ。
 しかし、一方は整った美しい顔に邪悪な表情を浮かべ、もう一方は凛とした静かな眼を相手に据えている。

 黄金の剣を携えた本物の天使が、皮肉を含んだ笑みを浮かべた。

「久しいな、ベリアル。その姿はどうした。そんなに、天界が恋しいか」

 そんな軽い挑発に、すでに頭に血が上っていた悪魔は、天使だった頃の姿を捨て去った。
 白が黒へと一気に反転する。
 漆黒の翼、黒い光沢を持つ衣。
 光ではなくどす黒い霧をまとい、美しい銀色の髪は闇の色を移して暗く沈んだ。
 水色の透明な瞳は、爛々と輝く深紅に染まっている。

「はっ、人間ごときに呼ばれて出てくるとは、大天使も堕ちたものだな。ミカエル」

 つい先程まで、辛うじて残っていた優美さは、欠片もない。
 甘く囁いていた高めの声は、今は大天使のそれよりも低く太く、地響きを伴うようだ。

「ああ、こいつは特別だからな。お前は普通の人間にでも、ほいほい呼び出されるようだがな」

 大天使がゆっくりと移動し、リュカの肩に親愛を込めた大きな手を置いた。

「特別だと? ……貴様、何者だ」
「俺? ああ、自己紹介がまだだったね。俺はリュカ。リュカ・カントルーヴ」

 軽い調子の名乗りに、悪魔は驚愕に目を見張った。

「なっ! まさか! そんな妙な男が《カントルーヴを名乗る者》だというのか!」
「妙な男で悪かったね。でも、そんな男にやり込められる気分はどうよ? 闇の国の王」

 悪魔が言葉に詰まった。

 闇の国の王、虚偽と詐術の貴公子とも呼ばれる自分が、顔のメイク以外はありふれた人間に見える男に、最初からいいようにあしらわれているのだ。
 相手が白魔術師で、しかも《カントルーヴを名乗る者》だったことが分かっても、この屈辱感はいかんともしがたい。
 激しい怒りに、身体にまとう黒い霧が深まり、深紅の瞳が見開かれた。

 しかし、どうしても反撃の一手が繰り出せない。

 大天使が面白そうに悪魔を見やってから、リュカを見下ろした。

「さて、リュカ。私は何をすればいいんだ?」
「もう、手は打ってあるんだ。俺の後ろにぴったりついていてくれる? 万一のときは頼むよ」

 高い位置から降ってきた囁き声に、リュカはこれ見よがしに口元を隠して囁き返す。

「いいだろう。お手並み拝見といくか」

 リュカが悪魔に視線を戻し、前に一歩出た。
 大天使は、リュカに言われた通り背後に回った。

「お前を呼び出したのは、そこに転がってるマノンって女だろ? 俺たち本当は部外者なんだよね。お前をからかうのにも飽きたし、腹も減ったことだし、そろそろ帰ってもいいかな?」

 相変わらずの虚を突く言動に、悪魔は眉根を寄せる。

「帰る?」
「そう、帰りたいんだ。ミカエルだって悪魔の魔法円の中じゃ、居心地悪いだろうしね。だから……この円から出てもいいか?」

 そう言いながら、一歩前に出る。

 背後に控えていた大天使は、意図を読み取ったのか、にやりと笑いながら同じく一歩前に出た。
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