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ガランドゥ 18話 『舌を冠する者』
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【11】
長い長い廊下を進んで行く粳部と藍川。時々すれ違う白衣の職員は皆が軽く会釈し、彼は手で粳部は頭を下げて反応する。この空間は相当に広いのか二人だけでなく誰かの足音が反響して響き渡り続けていた。概怪を捕獲して封印する施設だけあって人員は相当の数が配置されている。
粳部はガラスの向こう側の概怪を眺めながら歩く。
「物凄い数の概怪ですね……」
「もしここの封印が解けたら世界の終わりだな」
蓮向かいは犯罪を犯した制御できない司祭と、ありとあらゆる概怪を拘束して基地まで運んでいる。司祭の数と比較して概怪の方が数が多いものの、司祭と異なり全く制御できない彼らは活用できることが限られていた。契約や監視で制御できる一部の司祭はまだ使い道があるものの、存在自体が不安定な概怪は研究にしか使えない。
ガラスの中では防護服を着た職員が何らかの器具を操作していた。
「概怪は死ぬとどこかに再出現する。拘束すれば安全に管理できるわけだ」
「またクジラみたいなのが世界に現れたらおしまいですからね……」
「管理は激務だぞ。奴らは存在が不安定だから職員が常に監視してる」
「二十四時間営業ですか?」
司祭の封印ではそんな手間は必要としないが、概怪の場合は話が変わる。無限に増え続ける概怪を常に監視し続けるコストは高く、職員の殉職率が高い蓮向かいでは人員不足という問題もあった。封印に必要なスペースや監視員の拘束費は膨らみ続け、最終的には地球よりも大きくなってしまう。
二人が代り映えのない景色の中を進んだその果て、辿り着いた壁で藍川はカードキーを差し込んだ後に指紋と網膜をカメラ等で確認される。そして重い金属製の扉がゆっくりと開いていくと、先を行く彼を追って彼女も進んでいく。
「ここは……?」
「この奥だ。驚くぞ」
区画と区画を繋ぐ場所に二人が入ると自動的に扉が閉まっていく。ロックする音が響いた後に大きな音を立てて何かが稼働した。彼女はその音からこれが大きなエレベーターであることに気が付く。二人を乗せてエレベーターは下に下っていき、暫くして前方の扉がゆっくりと開いた。
前に進む二人はガラスの奥で厳重に保管されているあのクジラを見る。
「あっ!あのクジラ!」
「もうバラバラで原型ないがな。ここは六舌を封印してる場所だ」
六つの部屋の内、五つの部屋に概怪が収められ封印されている。その一つでは記憶に新しいクジラが鎖に繋がれ、体にお札を貼られて完全に凍結されていた。粳部に砕かれてバラバラになった体を繋いで辛うじて生命維持をしているものの、もう大暴れできるだけの余裕は残っていなかった。
「あっ、あの四本腕だ。あれのせいで俺と谷口はずっと弱ってた」
「えっ?六舌と戦って怪我してたんですか!?」
「ああ。お前と再会した時の怪我はこいつの時の傷だよ」
「そ、それじゃあ……あれだけ弱体化してたのも頷けますね」
そもそも、藍川や谷口は普通の司祭や概怪に苦戦するような人物ではない。それでも粳部に致命傷を負わせてしまう程に隙があったのは、谷口と二人だけで六舌と戦った代償であった。つまり、単純に時期が悪かったのである。
「私が死にかけた理由ですかこれ……」
「六舌は、世界の基礎である六つの概念を持った存在だ」
「だから強いんですか?」
「いや……全員が強いわけじゃない。強さとは無関係だしな」
彼らは世界の基礎である概念を保有しているだけであって、その強さを保証されているわけではない。クジラと四本腕は天井とも呼べる強さだったが、他の六舌はそれと比べて遥かに弱かった。
藍川が置物のようになった六舌達を見上げる。
「ウチが保有してるのはこれで五体……あと一体でコンプだ」
「……こいつら、何の為に存在してるんでしょう」
藍川はその答えを知っているもののまだ言うことができず、物言いたげな目で彼女を横目に見つめていた。いつだって彼は彼女に秘密を隠している。それは等級上話せないという意味もあったが、殆どは彼女に不要なことで悩んで欲しくないからだ。
しかし、その過保護も終わろうとしている。部屋の端にある扉へと彼が向かい、粳部もそれを追って付いて行く。
「で、これから本題に入るわけだ」
隣の廊下を二人で進み、人気のない空間に硬質な足音だけが反響していく。藍川は扉に貼られた数字を何度も確認し、長い散歩の果てにある特定の番号を発見して足を止める。そして彼は六回ノックをすると中から三回ノック音が帰ってきた。彼はそれに返事をするように四回ノックしてドアノブを引いた。
二人が部屋の中に入っていく。
「よお」
その先にあったのはシックな内装の広い部屋だった。
「バーク、まだ生きてるな」
自分の目を疑いたくなるような怪現象を前に、案外冷静でいる自分に驚いている粳部だった。もう驚きの連続で慣れてしまったのだろう。この状況は普通ではないが一日に何度もすれば嫌でも慣れる。
そして、粳部は部屋の奥のベッドで待ち構える誰かに視線が行った。
「やあ藍川、君にしては元気そうだ」
「皮肉は勘弁してくれ」
「……グレイマンのことは謝罪したいと」
「それはいい」
二人の話す専門的なことは何も分からない粳部だったが、目の前の人物が只者ではないことは確かに分かっていた。医療用のベッドに横たわる謎の白人男性、その容姿は若いようにも初老にも見える。その脇には何らかの医療器具が置かれていた。
彼は一体何なのか、粳部は気になって仕方がなかった。
「君たちを待ってた。中々、予定が合わなくてね」
「お前は厳重警備対象だからな。コネを使ってこれだ」
「あの……この人誰っすか?」
「バーク・ウェスト司祭だ。コイツなら海坊主の正体を調べられる」
「便利な権能なんでね。おかげで、安全の為にここにずっと縛られてるよ」
ずっと何も分からなかった彼女のことを調べられる存在。藍川が心を見つけることができなかったあの海坊主を、調べられる存在。司祭というのはいつだって常識を凌駕している存在だ。あまねく全ての概念すらも。
バークはボタンを押してベッドの角度を制御する。
「私の権能は分析、何だろうとどんな物だろうと分析する」
「じゃあ、私のことも!」
「私がそれを理解できるかは別の話。現に、私は概怪を完全に解説できない」
「……思い通りにはならないってことさ」
それは彼女がどうなっているのかは、完全には分からないかもしれないということだ。彼女からすれば何とももどかしく腹立たしいが、それが世界というものだ。悪足掻きは何にもならない。
二人は入口からバークを見つめる。
「例えば概怪について説明しよう。君はΩ-だろう?」
「え、ええまあ」
「概怪は概念の守護者。概念が滅びぬ限り何度も蘇りそれを守り続けるのさ」
「それは何となく分かります。でも、それで何故人を襲うんです?」
概怪は人を殺さずにはいられない。力を持たないモノも皆同様に殺意を抱いており、自分の意思で殺さないことを選んでいるわけではない。彼らはどうしようもない程に人類の敵である。
それは何故なのか。
「……あらゆるものは概念が先で、実態は後から生まれてくる」
「……」
「太古の概怪はまだ概念の世界に居て、通常の世界に姿を現すことはなかった」
そんな遠い時代のことですらバークには分かってしまう。彼の権能がもたらす知識は膨大で、常人ではその全てを受け止めることができない。これは彼だからこそできる芸当なのだ。
「でも人が進化の中で概念を認知した時、別の次元の存在が司祭を作り始めた」
「それが司祭の始まりですか……?」
「ああ。概念の守護者である概怪はその別次元の存在を恐れたのさ」
「だから、司祭になれる人間を殺す存在になったと……」
「概ねそうだね。彼らは認知を持つ生物を殺す存在となった」
それが概怪の歴史。謎だらけな生物の謎がようやく明らかとなったが、これが彼らの全てではない。バークが分かる範囲で読み取って解釈した結果がこれなのだ。それでも、概怪が人類の敵であることに変わりない。
「……分かりやすく言うとこうだね」
「そんなこと言ったって、潰さないといけないことに変わりないだろ」
「それはそうさ……しかし藍川、君の運命は奇妙と言う他ないな」
藍川が怪訝な表情をする。バークが何を言いたいのかを理解できない彼は権能を使っていない。そうでもしない限り人の心など分からない。それが彼という人間だ。
「彼女は数か月前までただの友人だったんだろう?今は何の因果か人外で同業者だ」
「……ロマンも何もない運命っすよ」
「運命はつくづく生物と相性が悪い。常々そう思うよ」
「お前が言うと説得力があるな」
彼女には藍川の返しの意味が分からない。だが、すぐにそれを理解することになる。
「そうだ君、この布団の下に何があると思う?」
「え?」
そう言うとバークは掴んだ布団を投げ、見えなかった足まで露出させる、筈だった。普通であればそうなる筈なのだ。だが、それはなかった。彼女は思わず自分の目を疑ったが、現実は見た通りだった。彼の下半身は綺麗に全て失われている。複数のチューブを差し込まれ、ベッドに縛り付けられている。
粳部は一瞬恐怖した後、その体の理由を考える。
「何もない、それが答えだ」
「な、何でこんな……!」
「司祭は必ず弱点がある。こいつの場合、下半身がないことが弱点だ」
弱点、藍川の場合は権能の反動。生活するのに不便なものだという認識は余りにも甘いものだ。その認識は改めなければならない。まともに動くことすらままならない弱点も、この世には存在するのだ。司祭になった瞬間に死ぬケースもある。
「医者の司祭がその場に居なかったら、私は司祭になった瞬間に死んでた」
「Ω+の司祭でもあっさりとな」
「えっ!?ウェストさんΩ+なんですか!?」
「言っておくけど私に戦闘能力はないからね。あくまで希少価値だよこれは」
蓮向かいの職員の頂点、数少ないΩ+の一人が彼。両手の指で数える程も居ないその存在が彼女の前に二人も存在していた。そんな機会は生きていてもそうはない。
「司祭はその運命を呪われてる。君はどうだい?司祭ではない君は」
どうだろうか。彼女は呪われていると言えるのだろうか。この体になってから、あの海坊主が現れるようになってから彼女には碌なことが起きていない。少しも救われていない。それでも、彼女が居たことで今も生きている命がある。
運命は彼女をどうしたいのか、それは誰にも分からない。
「呪われてはいますけど、それでも蹴っ飛ばすだけです。そんな運命」
「なるほど、足がない私にはできないことだ」
「……蹴っ飛ばすことが運命に含まれていたら、流石にお手上げですけどね」
その言葉を聞いてバークは笑顔を浮かべる。それは会話の中で粳部がどういう人間なのかを理解したということなのだろう。権能を使わなくとも、バークは他人を理解することができる。そういう意味では藍川よりも上手かもしれない。
彼が両目を閉じた。
「さて、時間がない。権能を使うとしよう」
「ヒントくらいはあると良いんだがな」
『祭具奉納、巻き上げる波間の向こう』
祝詞、それは司祭が司祭たる由縁。権能を行使する為に必要な道具。あらゆるものを拒絶する概念防御、そして祭具。この二つがあるからこそ、司祭は人間に優位性を持っている。彼は戦わないが、その権能は正にΩ+の等級だった。
彼の掌の上に片方だけの靴が現出する。
『Deep blue』
この靴が彼の祭具なのだ。弱点として下半身を奪われた司祭の祭具が靴だというのは、余りにも皮肉の効いた残酷な話だろう。
彼女を見つめる彼の瞳が白く染まり、全てを見透かすように視線は強まる。だが、分析し理解する為に伸びたその手は、強張るようにして動きを止めた。その瞳に、黒い誰かが映っている。
そして、彼は目を逸らした。
「君に憑いている怪物が『正体不明』であることしか分からない」
「そうですかあー正体不明……はいっ!?」
「ノリ良いな」
「そもそも本質が存在しないんだ……これは一体」
見た物を全てを理解する権能である『Deep blue』でも何も分からない。それは完全な異常事態であり前例のないことであった。彼は全てを知ることができるが故にΩ+の等級を与えられている。そんな彼が、何も分からないと言うのだ。
粳部達が口を開ける中、バークは必死に思考を巡らせる。
「理解がそもそもできない存在か……そうか……そういうことか」
「あのー何も分からないんすけど」
「分かった!いや分からない!」
「いやどっちですか!」
本質が存在しない。そんな生き物がこの世に存在するのだろうかという疑問が粳部の脳裏に浮かぶ。概怪は生き物を殺すことを本質とした生き物だ。常識を凌駕した化け物ですらそんな本質があるというのに、何故海坊主だけは分からない。
粳部はいつだって無知だった。
「君は『無』なんだ。だから答えはない、そして無は全てでもある」
「もっと分かりやすく!」
「例えるならば可能性さ。海坊主の強さはゼロでもあり百でもあるわけだ」
「要するに、起こり得ることは全て起こせる……ってことか?」
「そう。ネズミに負けるほど弱ければ、太陽を握り潰せる存在でもある」
可能性というのは良い例えだ。海坊主は今まで全てがランダムであった。相手に全くダメージを与えられない攻撃をすることもあれば、どんな硬い概怪や司祭をも容易に貫通する攻撃をすることもある。彼は弱くもなれば強くもなれる、無能にして万能の存在なのだ。
「海坊主はこの世の存在じゃない……恐らく、別次元からやってきたんだ」
「別次元って、司祭を作った存在とかが居る場所ですか?」
「いや、それよりもっと高次元だ……想像できないほどに高次のね」
海坊主の正体は誰にも分からない上に存在していない。海坊主にできないことはなく、無から鉄を作るだけでなくその気になれば死者だって蘇らせられるだろう。海坊主が作った物は自然消滅しないのだ。粳部は邪魔になれば自分の意思でそれを消すが、飛び散った銃の薬莢はどこに?今も現場に残っているのだ。
「その力には気を付けた方が良い……今のは君は神や悪魔より危険だ」
「……元の体には戻れないんですか?」
「海坊主次第だろう。全ては彼の気分だ」
彼女が目的を果たせるかどうかはこれで分からなくなってしまった。少しだけ眉をひそめる粳部であったが、すぐに彼女は別のことを考えて切り替える。今の彼女は自分のことだけを考えて生きているわけではない。
だが、そんな彼女を見つめる藍川の表情は酷く暗かった。
「……悪夢だな」
長い長い廊下を進んで行く粳部と藍川。時々すれ違う白衣の職員は皆が軽く会釈し、彼は手で粳部は頭を下げて反応する。この空間は相当に広いのか二人だけでなく誰かの足音が反響して響き渡り続けていた。概怪を捕獲して封印する施設だけあって人員は相当の数が配置されている。
粳部はガラスの向こう側の概怪を眺めながら歩く。
「物凄い数の概怪ですね……」
「もしここの封印が解けたら世界の終わりだな」
蓮向かいは犯罪を犯した制御できない司祭と、ありとあらゆる概怪を拘束して基地まで運んでいる。司祭の数と比較して概怪の方が数が多いものの、司祭と異なり全く制御できない彼らは活用できることが限られていた。契約や監視で制御できる一部の司祭はまだ使い道があるものの、存在自体が不安定な概怪は研究にしか使えない。
ガラスの中では防護服を着た職員が何らかの器具を操作していた。
「概怪は死ぬとどこかに再出現する。拘束すれば安全に管理できるわけだ」
「またクジラみたいなのが世界に現れたらおしまいですからね……」
「管理は激務だぞ。奴らは存在が不安定だから職員が常に監視してる」
「二十四時間営業ですか?」
司祭の封印ではそんな手間は必要としないが、概怪の場合は話が変わる。無限に増え続ける概怪を常に監視し続けるコストは高く、職員の殉職率が高い蓮向かいでは人員不足という問題もあった。封印に必要なスペースや監視員の拘束費は膨らみ続け、最終的には地球よりも大きくなってしまう。
二人が代り映えのない景色の中を進んだその果て、辿り着いた壁で藍川はカードキーを差し込んだ後に指紋と網膜をカメラ等で確認される。そして重い金属製の扉がゆっくりと開いていくと、先を行く彼を追って彼女も進んでいく。
「ここは……?」
「この奥だ。驚くぞ」
区画と区画を繋ぐ場所に二人が入ると自動的に扉が閉まっていく。ロックする音が響いた後に大きな音を立てて何かが稼働した。彼女はその音からこれが大きなエレベーターであることに気が付く。二人を乗せてエレベーターは下に下っていき、暫くして前方の扉がゆっくりと開いた。
前に進む二人はガラスの奥で厳重に保管されているあのクジラを見る。
「あっ!あのクジラ!」
「もうバラバラで原型ないがな。ここは六舌を封印してる場所だ」
六つの部屋の内、五つの部屋に概怪が収められ封印されている。その一つでは記憶に新しいクジラが鎖に繋がれ、体にお札を貼られて完全に凍結されていた。粳部に砕かれてバラバラになった体を繋いで辛うじて生命維持をしているものの、もう大暴れできるだけの余裕は残っていなかった。
「あっ、あの四本腕だ。あれのせいで俺と谷口はずっと弱ってた」
「えっ?六舌と戦って怪我してたんですか!?」
「ああ。お前と再会した時の怪我はこいつの時の傷だよ」
「そ、それじゃあ……あれだけ弱体化してたのも頷けますね」
そもそも、藍川や谷口は普通の司祭や概怪に苦戦するような人物ではない。それでも粳部に致命傷を負わせてしまう程に隙があったのは、谷口と二人だけで六舌と戦った代償であった。つまり、単純に時期が悪かったのである。
「私が死にかけた理由ですかこれ……」
「六舌は、世界の基礎である六つの概念を持った存在だ」
「だから強いんですか?」
「いや……全員が強いわけじゃない。強さとは無関係だしな」
彼らは世界の基礎である概念を保有しているだけであって、その強さを保証されているわけではない。クジラと四本腕は天井とも呼べる強さだったが、他の六舌はそれと比べて遥かに弱かった。
藍川が置物のようになった六舌達を見上げる。
「ウチが保有してるのはこれで五体……あと一体でコンプだ」
「……こいつら、何の為に存在してるんでしょう」
藍川はその答えを知っているもののまだ言うことができず、物言いたげな目で彼女を横目に見つめていた。いつだって彼は彼女に秘密を隠している。それは等級上話せないという意味もあったが、殆どは彼女に不要なことで悩んで欲しくないからだ。
しかし、その過保護も終わろうとしている。部屋の端にある扉へと彼が向かい、粳部もそれを追って付いて行く。
「で、これから本題に入るわけだ」
隣の廊下を二人で進み、人気のない空間に硬質な足音だけが反響していく。藍川は扉に貼られた数字を何度も確認し、長い散歩の果てにある特定の番号を発見して足を止める。そして彼は六回ノックをすると中から三回ノック音が帰ってきた。彼はそれに返事をするように四回ノックしてドアノブを引いた。
二人が部屋の中に入っていく。
「よお」
その先にあったのはシックな内装の広い部屋だった。
「バーク、まだ生きてるな」
自分の目を疑いたくなるような怪現象を前に、案外冷静でいる自分に驚いている粳部だった。もう驚きの連続で慣れてしまったのだろう。この状況は普通ではないが一日に何度もすれば嫌でも慣れる。
そして、粳部は部屋の奥のベッドで待ち構える誰かに視線が行った。
「やあ藍川、君にしては元気そうだ」
「皮肉は勘弁してくれ」
「……グレイマンのことは謝罪したいと」
「それはいい」
二人の話す専門的なことは何も分からない粳部だったが、目の前の人物が只者ではないことは確かに分かっていた。医療用のベッドに横たわる謎の白人男性、その容姿は若いようにも初老にも見える。その脇には何らかの医療器具が置かれていた。
彼は一体何なのか、粳部は気になって仕方がなかった。
「君たちを待ってた。中々、予定が合わなくてね」
「お前は厳重警備対象だからな。コネを使ってこれだ」
「あの……この人誰っすか?」
「バーク・ウェスト司祭だ。コイツなら海坊主の正体を調べられる」
「便利な権能なんでね。おかげで、安全の為にここにずっと縛られてるよ」
ずっと何も分からなかった彼女のことを調べられる存在。藍川が心を見つけることができなかったあの海坊主を、調べられる存在。司祭というのはいつだって常識を凌駕している存在だ。あまねく全ての概念すらも。
バークはボタンを押してベッドの角度を制御する。
「私の権能は分析、何だろうとどんな物だろうと分析する」
「じゃあ、私のことも!」
「私がそれを理解できるかは別の話。現に、私は概怪を完全に解説できない」
「……思い通りにはならないってことさ」
それは彼女がどうなっているのかは、完全には分からないかもしれないということだ。彼女からすれば何とももどかしく腹立たしいが、それが世界というものだ。悪足掻きは何にもならない。
二人は入口からバークを見つめる。
「例えば概怪について説明しよう。君はΩ-だろう?」
「え、ええまあ」
「概怪は概念の守護者。概念が滅びぬ限り何度も蘇りそれを守り続けるのさ」
「それは何となく分かります。でも、それで何故人を襲うんです?」
概怪は人を殺さずにはいられない。力を持たないモノも皆同様に殺意を抱いており、自分の意思で殺さないことを選んでいるわけではない。彼らはどうしようもない程に人類の敵である。
それは何故なのか。
「……あらゆるものは概念が先で、実態は後から生まれてくる」
「……」
「太古の概怪はまだ概念の世界に居て、通常の世界に姿を現すことはなかった」
そんな遠い時代のことですらバークには分かってしまう。彼の権能がもたらす知識は膨大で、常人ではその全てを受け止めることができない。これは彼だからこそできる芸当なのだ。
「でも人が進化の中で概念を認知した時、別の次元の存在が司祭を作り始めた」
「それが司祭の始まりですか……?」
「ああ。概念の守護者である概怪はその別次元の存在を恐れたのさ」
「だから、司祭になれる人間を殺す存在になったと……」
「概ねそうだね。彼らは認知を持つ生物を殺す存在となった」
それが概怪の歴史。謎だらけな生物の謎がようやく明らかとなったが、これが彼らの全てではない。バークが分かる範囲で読み取って解釈した結果がこれなのだ。それでも、概怪が人類の敵であることに変わりない。
「……分かりやすく言うとこうだね」
「そんなこと言ったって、潰さないといけないことに変わりないだろ」
「それはそうさ……しかし藍川、君の運命は奇妙と言う他ないな」
藍川が怪訝な表情をする。バークが何を言いたいのかを理解できない彼は権能を使っていない。そうでもしない限り人の心など分からない。それが彼という人間だ。
「彼女は数か月前までただの友人だったんだろう?今は何の因果か人外で同業者だ」
「……ロマンも何もない運命っすよ」
「運命はつくづく生物と相性が悪い。常々そう思うよ」
「お前が言うと説得力があるな」
彼女には藍川の返しの意味が分からない。だが、すぐにそれを理解することになる。
「そうだ君、この布団の下に何があると思う?」
「え?」
そう言うとバークは掴んだ布団を投げ、見えなかった足まで露出させる、筈だった。普通であればそうなる筈なのだ。だが、それはなかった。彼女は思わず自分の目を疑ったが、現実は見た通りだった。彼の下半身は綺麗に全て失われている。複数のチューブを差し込まれ、ベッドに縛り付けられている。
粳部は一瞬恐怖した後、その体の理由を考える。
「何もない、それが答えだ」
「な、何でこんな……!」
「司祭は必ず弱点がある。こいつの場合、下半身がないことが弱点だ」
弱点、藍川の場合は権能の反動。生活するのに不便なものだという認識は余りにも甘いものだ。その認識は改めなければならない。まともに動くことすらままならない弱点も、この世には存在するのだ。司祭になった瞬間に死ぬケースもある。
「医者の司祭がその場に居なかったら、私は司祭になった瞬間に死んでた」
「Ω+の司祭でもあっさりとな」
「えっ!?ウェストさんΩ+なんですか!?」
「言っておくけど私に戦闘能力はないからね。あくまで希少価値だよこれは」
蓮向かいの職員の頂点、数少ないΩ+の一人が彼。両手の指で数える程も居ないその存在が彼女の前に二人も存在していた。そんな機会は生きていてもそうはない。
「司祭はその運命を呪われてる。君はどうだい?司祭ではない君は」
どうだろうか。彼女は呪われていると言えるのだろうか。この体になってから、あの海坊主が現れるようになってから彼女には碌なことが起きていない。少しも救われていない。それでも、彼女が居たことで今も生きている命がある。
運命は彼女をどうしたいのか、それは誰にも分からない。
「呪われてはいますけど、それでも蹴っ飛ばすだけです。そんな運命」
「なるほど、足がない私にはできないことだ」
「……蹴っ飛ばすことが運命に含まれていたら、流石にお手上げですけどね」
その言葉を聞いてバークは笑顔を浮かべる。それは会話の中で粳部がどういう人間なのかを理解したということなのだろう。権能を使わなくとも、バークは他人を理解することができる。そういう意味では藍川よりも上手かもしれない。
彼が両目を閉じた。
「さて、時間がない。権能を使うとしよう」
「ヒントくらいはあると良いんだがな」
『祭具奉納、巻き上げる波間の向こう』
祝詞、それは司祭が司祭たる由縁。権能を行使する為に必要な道具。あらゆるものを拒絶する概念防御、そして祭具。この二つがあるからこそ、司祭は人間に優位性を持っている。彼は戦わないが、その権能は正にΩ+の等級だった。
彼の掌の上に片方だけの靴が現出する。
『Deep blue』
この靴が彼の祭具なのだ。弱点として下半身を奪われた司祭の祭具が靴だというのは、余りにも皮肉の効いた残酷な話だろう。
彼女を見つめる彼の瞳が白く染まり、全てを見透かすように視線は強まる。だが、分析し理解する為に伸びたその手は、強張るようにして動きを止めた。その瞳に、黒い誰かが映っている。
そして、彼は目を逸らした。
「君に憑いている怪物が『正体不明』であることしか分からない」
「そうですかあー正体不明……はいっ!?」
「ノリ良いな」
「そもそも本質が存在しないんだ……これは一体」
見た物を全てを理解する権能である『Deep blue』でも何も分からない。それは完全な異常事態であり前例のないことであった。彼は全てを知ることができるが故にΩ+の等級を与えられている。そんな彼が、何も分からないと言うのだ。
粳部達が口を開ける中、バークは必死に思考を巡らせる。
「理解がそもそもできない存在か……そうか……そういうことか」
「あのー何も分からないんすけど」
「分かった!いや分からない!」
「いやどっちですか!」
本質が存在しない。そんな生き物がこの世に存在するのだろうかという疑問が粳部の脳裏に浮かぶ。概怪は生き物を殺すことを本質とした生き物だ。常識を凌駕した化け物ですらそんな本質があるというのに、何故海坊主だけは分からない。
粳部はいつだって無知だった。
「君は『無』なんだ。だから答えはない、そして無は全てでもある」
「もっと分かりやすく!」
「例えるならば可能性さ。海坊主の強さはゼロでもあり百でもあるわけだ」
「要するに、起こり得ることは全て起こせる……ってことか?」
「そう。ネズミに負けるほど弱ければ、太陽を握り潰せる存在でもある」
可能性というのは良い例えだ。海坊主は今まで全てがランダムであった。相手に全くダメージを与えられない攻撃をすることもあれば、どんな硬い概怪や司祭をも容易に貫通する攻撃をすることもある。彼は弱くもなれば強くもなれる、無能にして万能の存在なのだ。
「海坊主はこの世の存在じゃない……恐らく、別次元からやってきたんだ」
「別次元って、司祭を作った存在とかが居る場所ですか?」
「いや、それよりもっと高次元だ……想像できないほどに高次のね」
海坊主の正体は誰にも分からない上に存在していない。海坊主にできないことはなく、無から鉄を作るだけでなくその気になれば死者だって蘇らせられるだろう。海坊主が作った物は自然消滅しないのだ。粳部は邪魔になれば自分の意思でそれを消すが、飛び散った銃の薬莢はどこに?今も現場に残っているのだ。
「その力には気を付けた方が良い……今のは君は神や悪魔より危険だ」
「……元の体には戻れないんですか?」
「海坊主次第だろう。全ては彼の気分だ」
彼女が目的を果たせるかどうかはこれで分からなくなってしまった。少しだけ眉をひそめる粳部であったが、すぐに彼女は別のことを考えて切り替える。今の彼女は自分のことだけを考えて生きているわけではない。
だが、そんな彼女を見つめる藍川の表情は酷く暗かった。
「……悪夢だな」
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ヒナは決意する。異世界で極めた国宝級の【補助魔法】と【回復魔法】をフル活用して、現代社会で大金を稼ぐことを。 ただし、魔法は自分自身には使えないし、中学生が目立つと色々面倒くさい。 そこでヒナがビジネスパートナー(手駒)に選んだのは――
公園で絶望していた「リストラされた冴えないおっさん」と、 借金取りに追われる「ワケあり最強美女」!?
おっさんを裏から魔法で強化して『カリスマ社長』に仕立て上げ、 美女をフルバフで『人間兵器』に変えてトラブルを物理的に粉砕。 表向きはニコニコ笑う美少女中学生、裏では彼らを操るフィクサー。
「さあ善さん、リオちゃん。稼ぎますよ。すべては私の平穏な老後のために!」
精神年齢おばあちゃんの少女が、金と魔法と年の功で無双する、痛快マネー・コメディ開幕!
やがて最強に至る弾丸付与術士の成り上がり
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2035年の日本では、多数出現したダンジョンを探索する探索者という職業が大きな注目を集めていた。ダンジョンを探索することは大きな危険も伴うが、地球では本来手に入らない希少な資源を入手することができるため、日本を含め世界各国はダンジョン資源の獲得に力を入れていた。
そうした世界の中で平均的な探索者として活動していた加賀優斗は、親友である木場洋輔から突然パーティを追放されてしまう。優斗は絶望し失意の底に沈むが、不治の病に侵された妹を助けるために行動を開始する。
これは、実力も才能もない一人の青年が努力と工夫によって世界最強へと上り詰めるまでの物語。
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