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第6話 梅香馥郁たり
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丹の柱も鮮やかな高殿で、仙花は宝座にぬくぬくと納まり、宮女に王勃の詩を朗詠させ、自身は昼間だというのに酒肴に箸を伸ばしている。
床には、酒令(注1)で散々罰杯を飲まされた別の宮女が頬を染め、膝を崩してへたり込んでいた。
そこへ、宮女と宦官がどやどやと踏み込んできた。幾たりかは長槍や縄を携え、物騒ないでたちをしている。酔っているのは酒のせいか、それとも馥郁《ふくいく》たる梅の香りのせいか、力なく誰何する仙花はとろんとした眼を上げた。
「無礼千万であろう、何事というのか」
しかし、酔いは次の瞬間に醒めた。
「仙月、なぜ――」
人の群れの中央にいる姉は、いまは軽侮の眼差しをもって、身分が上の筈の妹を傲然と見下ろしていた。
「崔才人、全ては明らかになっております!先ほど皇后様の御膳に毒を持ったという女が捕縛され、取り調べの結果、崔才人の命により罪を犯した、と申しております。また宮外の、恐れ多くも皇后様を弑しまつらんとする官人どもと、あなた様が密かに通じているとも。さあ、才人にもご事情をお聞きせねばなりませぬゆえ、疾く席をお立ちくださいますよう」
驚愕に眼を見開いた仙花は、後苑の紅梅よりもなお顔を赤くした。
「いやしくも、聖上の寵愛を受ける私に対し、宮女ずれが何を申すか!聖上に……」
仙月は妹の繰り言をぴしゃりと遮った。
「これは皇后様の御命令です!」
仙花はわななきながら姉を見やった。彼女はすでに宦官達の手により宝座から引きずり降ろされ、宮女達の手により金の歩揺(注2)や翡翠の腕輪、上着や裳さえも引きはがされてしまった。みな恐るべき手際の良さであった。
「そなたは私を陥れ、殺すつもりか……それはまさしく皇后の意か」
姉は平然と妹を見返した。
「殺す?とんでもない。……もはや私が手を下さずともよいのです」
仙月はつかつかと空の宝座に歩み寄り、いとおしそうにその手すりを撫でた。
「皇后様は、謀反の企てに決して容赦することはありませぬ。かつて長孫無忌や上官儀らを破滅に追い込み、また返す刀で姪の賀蘭氏や、ご一族の武惟良をも葬り去った。赫々たる勲功を誇る大官や、権勢を振るう外戚といえども逃れられなかった運命を、たかだか一人の成り上がり者が、お目こぼしで救われることなどありましょうか?」
指一本動かすことなく、あなたがやすやすと手に入れたその地位を今度は私が手に入れる。わかったかしら?泥沼を這いずり回り、犬どもと互いに牙を立て、血を流してきた私が褒美の骨としていただくのよ――。
***
注1「酒令」…酒席で行う遊び。負けたものは罰杯を飲む。
注2「歩揺」…歩くたびに揺れる飾りがついた簪。
床には、酒令(注1)で散々罰杯を飲まされた別の宮女が頬を染め、膝を崩してへたり込んでいた。
そこへ、宮女と宦官がどやどやと踏み込んできた。幾たりかは長槍や縄を携え、物騒ないでたちをしている。酔っているのは酒のせいか、それとも馥郁《ふくいく》たる梅の香りのせいか、力なく誰何する仙花はとろんとした眼を上げた。
「無礼千万であろう、何事というのか」
しかし、酔いは次の瞬間に醒めた。
「仙月、なぜ――」
人の群れの中央にいる姉は、いまは軽侮の眼差しをもって、身分が上の筈の妹を傲然と見下ろしていた。
「崔才人、全ては明らかになっております!先ほど皇后様の御膳に毒を持ったという女が捕縛され、取り調べの結果、崔才人の命により罪を犯した、と申しております。また宮外の、恐れ多くも皇后様を弑しまつらんとする官人どもと、あなた様が密かに通じているとも。さあ、才人にもご事情をお聞きせねばなりませぬゆえ、疾く席をお立ちくださいますよう」
驚愕に眼を見開いた仙花は、後苑の紅梅よりもなお顔を赤くした。
「いやしくも、聖上の寵愛を受ける私に対し、宮女ずれが何を申すか!聖上に……」
仙月は妹の繰り言をぴしゃりと遮った。
「これは皇后様の御命令です!」
仙花はわななきながら姉を見やった。彼女はすでに宦官達の手により宝座から引きずり降ろされ、宮女達の手により金の歩揺(注2)や翡翠の腕輪、上着や裳さえも引きはがされてしまった。みな恐るべき手際の良さであった。
「そなたは私を陥れ、殺すつもりか……それはまさしく皇后の意か」
姉は平然と妹を見返した。
「殺す?とんでもない。……もはや私が手を下さずともよいのです」
仙月はつかつかと空の宝座に歩み寄り、いとおしそうにその手すりを撫でた。
「皇后様は、謀反の企てに決して容赦することはありませぬ。かつて長孫無忌や上官儀らを破滅に追い込み、また返す刀で姪の賀蘭氏や、ご一族の武惟良をも葬り去った。赫々たる勲功を誇る大官や、権勢を振るう外戚といえども逃れられなかった運命を、たかだか一人の成り上がり者が、お目こぼしで救われることなどありましょうか?」
指一本動かすことなく、あなたがやすやすと手に入れたその地位を今度は私が手に入れる。わかったかしら?泥沼を這いずり回り、犬どもと互いに牙を立て、血を流してきた私が褒美の骨としていただくのよ――。
***
注1「酒令」…酒席で行う遊び。負けたものは罰杯を飲む。
注2「歩揺」…歩くたびに揺れる飾りがついた簪。
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