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第六章 集結
43話 合流
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オムカは鳩猿に乗って夜の闇の森を飛んでいた。
森からは猿たちの咆哮、悲鳴が上がり、闇を切り裂いている。
濃厚な血と獣の脂の臭いが立ち昇り、夜気に満ちていた。
オムカは思わず顔をしかめ、鼻を覆った。
——こんな臭い…… 初めてだ……
かつてないほどの不穏な空気が、闇の森に漂っていた。
それは壊れ始める世界の予感に、猿たちが呼応するかのようだった。
『ケイ…… 危ない…… 今、猿たちに襲われたら……』
——ケイの”絶望”の紋様がもし、猿に喰われたら……
オムカはケイたちが乗った羽猿が竜猿に変貌を遂げていく有様を見ていた。
もし凶暴な鬼猿が”絶望”を喰ったら、何が生まれるか分からない。
その想像は、オムカの背筋を凍らせた。
——それに”希望”の紋様……
自分が忘れていた”希望”のカケラ……
タサキの娘…… アオ……
オムカの紋様が、強く青く光る。
碧の”希望”の光を、感じる。
——近い…… もうすぐだ。
もう、誰も失わせない……
『早く…… 二人のもとに……』
オムカの乗った鳩猿は、木々の間を縫って滑空していった。
*
森が軋んでいた。
見えない殺気が物理的な力となって押しよせる。
猿たちの唸り声、争う叫び声が、じりじりと近づいてきていた。
「ケイ兄ちゃん? ……なんなの? 何が起こってるの?」
碧が不安げに羽ピーの背中にしがみついている。
『猿たちが、おかしい……』
ケイは地面に降り立ち、横たわる羽ピーを見上げた。
その体は、すでに羽猿のものではなかった。碧とケイより少し高かったその体躯は二倍ほどに膨れ上がっている。
臀部の尾羽は抜け落ち、太く逞しい、鱗に覆われた尾が生え始めていた。
長い首から胸部、腹部にかけても、硬質な鱗が皮膚を覆っていく。
翼もところどころ羽毛から鱗に変わりかけ、すでに鳥のものではない。
『竜猿の子ども……?』
『ギャ……』
羽ピーは墜落の衝撃で胸部から腹部にかけて深い傷を負っていた。
鱗が剥がれ、痛々しく黒い影のような粘り気のある血が流れ出していた。
『ハネピー…… ありがとう…… ボクたちを助けてくれたんだね……』
ケイは少し躊躇い、左手の紋様を傷口に押しつけた。湧き上がる影が傷に吸い込まれ、黒い血が噴き出る傷を強引に塞いでいく。
「ケイ兄ちゃん? ……何か来るよ……!」
碧がか細い悲鳴を上げた。
がさりと茂みが揺れた。
強烈な腐臭とともに、猿の群れが木々の向こうに黒く蠢く。
血走った無数の赤い目が、暗闇に浮かび上がる。
『アオ…… ハネピー…… ボクが守る……』
ケイは懐から小刀を取り出した。その整った顔が不安と緊張に強張る。
震える指先を抑えるように、両手で小刀を構えた。
『ガアアア!!』
一匹の豹猿が暗闇から飛び出した。狂った赤い目が一直線にケイに向かって襲いかかる。その後ろから、無数の赤い目が唸り声を上げ視界に飛び込んできた。
「きゃああ!!」
『くッ!』
ケイは反射的に体を斜めに開き、切っ先を突き出す。
——間に合え……!
『グワッ!』
浅い手応え。間一髪、体を回転させて爪の一撃をかわす。
鼻先を切り裂かれた豹猿は、顔から血を流したまま、なおも殺意を漲らせてケイに向き直った。
その時、その豹猿の横っ腹に、羽ピーが太くなった尾を叩きつけた。
『グアッ!』
豹猿がボールのように吹き飛ばされる。
手負いとなり動きが鈍った豹猿に、後続の猿たちが群がった。断末魔の叫びとともに、たちまちのうちに同族に喰われていく。
凄惨な光景に息を呑む暇もなく、周囲は猿たちに包囲されていた。
『グワアアア!!』
羽ピーが威嚇の咆哮を上げて、よろめきながら立ち上がった。
胸部からはまだ黒い血が滲んでいる。
猿たちが警戒したように足を止めた。
狂った猿たちの重低音のような息遣いが、森の空気を震わせる。
『ハネピー! 立っちゃダメだ! 傷が開く!』
「羽ピー…… 怖いよ……」
碧は羽ピーにしがみついたまま恐怖に身を縮ませていた。
その紋様の光は、風前の灯火のように消えかかっている。
じりじりと、包囲は確実に狭まって来ていた。
『くそっ…… ここまでか……』
ケイの視界が暗く歪んだ。
ケイの心に”絶望”の冷たい影が忍び寄る。
体が震える。小刀が、小刻みに揺れる。
冷たい汗が手のひらを濡らし、柄が滑る。
心も体も”絶望”に飲み込まれていく。
鬼猿が一歩を踏み出し、近寄ってくる。
『アオ…… 羽ピー……』
小刀を握る力が、抜けていく。
————ごめん、アオ…… トオサン……
ケイが目をつぶった。
そのとき、頭上から凛とした声が響き渡った。
『聖なる光よ! 闇を遠ざけよ!』
まばゆく温かな光が、頭上から降り注ぐ。
光はカーテンのように広がり、猿たちの目を焼き、その体を焦がした。
『ケイ! アオ!』
光の中から一匹の鳩猿が舞い降りる。
『結界を張った! もう大丈夫!』
『オムカさん!』
——助かった……
全身から、力が抜けていく。
ケイは、その場にへたり込んだ。
『よく頑張ったね! ケイ』
オムカは鳩猿から軽やかに宙返りして降り立つ。
「そして、ハジメマシテ、アオちゃん」
ほがらかに笑って、三角帽子を取ってちょこんとお辞儀をした。
「……日本語?! あなたは誰? ……碧たち、助かったの?」
碧の光は、また輝きを取り戻しつつあった。
「ボク、オムカ。チョーローから、スコシ、ベンキョー。ニホンゴ」
オムカが片目をつぶって笑う。
「……オムカさん?」
「タサキ。チカク、イル」
「……パパ!」
碧の目から大粒の涙が溢れた。
「……どこにいるの? 早く行こうよ!」
オムカは首を振った。
「キケン。サル、タクサン」
「パパは大丈夫なの?」
「モーイいる。ダイジョブ」
オムカは碧を安心させるように微笑むと、黄金色に輝く羽ピーを見上げた。
『……羽猿から進化した竜猿。……この子は闇のものじゃないね』
『グアグアッ……』
『でも、光のものでもない……』
オムカが独白のようにつぶやいた。
ケイは羽ピーの開いた傷口に再び影を与えている。
その影は前より、さらに濃密さを増していた。
ケイの顔に暗い陰が漂う。
『闇でも、光でもない…… じゃあ、何?』
『分からない。でも、アオの光が闇に落ちるのを防いでいる』
『……均衡』
『そう、アオの光だけだったら、この子はとっくに死んでいるはず』
『……アオ』
『この子は、これだけ影をあげたら大丈夫』
オムカは木々の隙間から空を見上げた。
『もう休もう。明日はもう…… 満月』
オムカの声が、わずかに緊張を帯びた。
*
闇の森に朝日が差した。
結界を解いたジムニーが光を浴びて輝いた。
昨夜、オムカの影伝いで「碧たちを保護した」という連絡が届いていた。
最悪の事態が免れたことに安堵したが、田崎一行は眠れぬ夜を過ごしていた。
「もう、猿たちは光に隠れて、森の奥に帰ったみたい」
モーイがほっとした声を出す。
イリナはまだ寝袋にくるまったまま、ぐったりと寝ていた。
あれから一度も目を覚まさず、深い眠りについている。
そのイリナを守るように、リーが丸まっていた。
「巌窟寺院は、もうすぐそこなんだな?」
「何事もなければ、昼には着きそうだよ」
田崎は点検を終えたジムニーのボンネットを閉めた。
その手つきには、隠しきれない焦りが混じる。
「碧の光は感じる?」
「感じるけど、まだ動いてない」
ジムニーの足回りを点検していた未来が、車体の下から顔を出した。
顔にはオイルの汚れがついているが、その瞳は強い光を宿している。
「巌窟寺院の近くで落ち合おうってさ」
『ケイ…… 待ってて』
リューシャが手入れの終わった小弓をベルトに下げた。
「じゃあ、行くよ」
未来がジムニーのキーを回す。
エンジンの始動音が、静寂を取り戻した朝の森に響いた。
助手席に座ったリューシャがうなずく。
モーイの杖の指す方へ、ジムニーは走り出した。
決戦の地、巌窟寺院へ向けて。
森からは猿たちの咆哮、悲鳴が上がり、闇を切り裂いている。
濃厚な血と獣の脂の臭いが立ち昇り、夜気に満ちていた。
オムカは思わず顔をしかめ、鼻を覆った。
——こんな臭い…… 初めてだ……
かつてないほどの不穏な空気が、闇の森に漂っていた。
それは壊れ始める世界の予感に、猿たちが呼応するかのようだった。
『ケイ…… 危ない…… 今、猿たちに襲われたら……』
——ケイの”絶望”の紋様がもし、猿に喰われたら……
オムカはケイたちが乗った羽猿が竜猿に変貌を遂げていく有様を見ていた。
もし凶暴な鬼猿が”絶望”を喰ったら、何が生まれるか分からない。
その想像は、オムカの背筋を凍らせた。
——それに”希望”の紋様……
自分が忘れていた”希望”のカケラ……
タサキの娘…… アオ……
オムカの紋様が、強く青く光る。
碧の”希望”の光を、感じる。
——近い…… もうすぐだ。
もう、誰も失わせない……
『早く…… 二人のもとに……』
オムカの乗った鳩猿は、木々の間を縫って滑空していった。
*
森が軋んでいた。
見えない殺気が物理的な力となって押しよせる。
猿たちの唸り声、争う叫び声が、じりじりと近づいてきていた。
「ケイ兄ちゃん? ……なんなの? 何が起こってるの?」
碧が不安げに羽ピーの背中にしがみついている。
『猿たちが、おかしい……』
ケイは地面に降り立ち、横たわる羽ピーを見上げた。
その体は、すでに羽猿のものではなかった。碧とケイより少し高かったその体躯は二倍ほどに膨れ上がっている。
臀部の尾羽は抜け落ち、太く逞しい、鱗に覆われた尾が生え始めていた。
長い首から胸部、腹部にかけても、硬質な鱗が皮膚を覆っていく。
翼もところどころ羽毛から鱗に変わりかけ、すでに鳥のものではない。
『竜猿の子ども……?』
『ギャ……』
羽ピーは墜落の衝撃で胸部から腹部にかけて深い傷を負っていた。
鱗が剥がれ、痛々しく黒い影のような粘り気のある血が流れ出していた。
『ハネピー…… ありがとう…… ボクたちを助けてくれたんだね……』
ケイは少し躊躇い、左手の紋様を傷口に押しつけた。湧き上がる影が傷に吸い込まれ、黒い血が噴き出る傷を強引に塞いでいく。
「ケイ兄ちゃん? ……何か来るよ……!」
碧がか細い悲鳴を上げた。
がさりと茂みが揺れた。
強烈な腐臭とともに、猿の群れが木々の向こうに黒く蠢く。
血走った無数の赤い目が、暗闇に浮かび上がる。
『アオ…… ハネピー…… ボクが守る……』
ケイは懐から小刀を取り出した。その整った顔が不安と緊張に強張る。
震える指先を抑えるように、両手で小刀を構えた。
『ガアアア!!』
一匹の豹猿が暗闇から飛び出した。狂った赤い目が一直線にケイに向かって襲いかかる。その後ろから、無数の赤い目が唸り声を上げ視界に飛び込んできた。
「きゃああ!!」
『くッ!』
ケイは反射的に体を斜めに開き、切っ先を突き出す。
——間に合え……!
『グワッ!』
浅い手応え。間一髪、体を回転させて爪の一撃をかわす。
鼻先を切り裂かれた豹猿は、顔から血を流したまま、なおも殺意を漲らせてケイに向き直った。
その時、その豹猿の横っ腹に、羽ピーが太くなった尾を叩きつけた。
『グアッ!』
豹猿がボールのように吹き飛ばされる。
手負いとなり動きが鈍った豹猿に、後続の猿たちが群がった。断末魔の叫びとともに、たちまちのうちに同族に喰われていく。
凄惨な光景に息を呑む暇もなく、周囲は猿たちに包囲されていた。
『グワアアア!!』
羽ピーが威嚇の咆哮を上げて、よろめきながら立ち上がった。
胸部からはまだ黒い血が滲んでいる。
猿たちが警戒したように足を止めた。
狂った猿たちの重低音のような息遣いが、森の空気を震わせる。
『ハネピー! 立っちゃダメだ! 傷が開く!』
「羽ピー…… 怖いよ……」
碧は羽ピーにしがみついたまま恐怖に身を縮ませていた。
その紋様の光は、風前の灯火のように消えかかっている。
じりじりと、包囲は確実に狭まって来ていた。
『くそっ…… ここまでか……』
ケイの視界が暗く歪んだ。
ケイの心に”絶望”の冷たい影が忍び寄る。
体が震える。小刀が、小刻みに揺れる。
冷たい汗が手のひらを濡らし、柄が滑る。
心も体も”絶望”に飲み込まれていく。
鬼猿が一歩を踏み出し、近寄ってくる。
『アオ…… 羽ピー……』
小刀を握る力が、抜けていく。
————ごめん、アオ…… トオサン……
ケイが目をつぶった。
そのとき、頭上から凛とした声が響き渡った。
『聖なる光よ! 闇を遠ざけよ!』
まばゆく温かな光が、頭上から降り注ぐ。
光はカーテンのように広がり、猿たちの目を焼き、その体を焦がした。
『ケイ! アオ!』
光の中から一匹の鳩猿が舞い降りる。
『結界を張った! もう大丈夫!』
『オムカさん!』
——助かった……
全身から、力が抜けていく。
ケイは、その場にへたり込んだ。
『よく頑張ったね! ケイ』
オムカは鳩猿から軽やかに宙返りして降り立つ。
「そして、ハジメマシテ、アオちゃん」
ほがらかに笑って、三角帽子を取ってちょこんとお辞儀をした。
「……日本語?! あなたは誰? ……碧たち、助かったの?」
碧の光は、また輝きを取り戻しつつあった。
「ボク、オムカ。チョーローから、スコシ、ベンキョー。ニホンゴ」
オムカが片目をつぶって笑う。
「……オムカさん?」
「タサキ。チカク、イル」
「……パパ!」
碧の目から大粒の涙が溢れた。
「……どこにいるの? 早く行こうよ!」
オムカは首を振った。
「キケン。サル、タクサン」
「パパは大丈夫なの?」
「モーイいる。ダイジョブ」
オムカは碧を安心させるように微笑むと、黄金色に輝く羽ピーを見上げた。
『……羽猿から進化した竜猿。……この子は闇のものじゃないね』
『グアグアッ……』
『でも、光のものでもない……』
オムカが独白のようにつぶやいた。
ケイは羽ピーの開いた傷口に再び影を与えている。
その影は前より、さらに濃密さを増していた。
ケイの顔に暗い陰が漂う。
『闇でも、光でもない…… じゃあ、何?』
『分からない。でも、アオの光が闇に落ちるのを防いでいる』
『……均衡』
『そう、アオの光だけだったら、この子はとっくに死んでいるはず』
『……アオ』
『この子は、これだけ影をあげたら大丈夫』
オムカは木々の隙間から空を見上げた。
『もう休もう。明日はもう…… 満月』
オムカの声が、わずかに緊張を帯びた。
*
闇の森に朝日が差した。
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昨夜、オムカの影伝いで「碧たちを保護した」という連絡が届いていた。
最悪の事態が免れたことに安堵したが、田崎一行は眠れぬ夜を過ごしていた。
「もう、猿たちは光に隠れて、森の奥に帰ったみたい」
モーイがほっとした声を出す。
イリナはまだ寝袋にくるまったまま、ぐったりと寝ていた。
あれから一度も目を覚まさず、深い眠りについている。
そのイリナを守るように、リーが丸まっていた。
「巌窟寺院は、もうすぐそこなんだな?」
「何事もなければ、昼には着きそうだよ」
田崎は点検を終えたジムニーのボンネットを閉めた。
その手つきには、隠しきれない焦りが混じる。
「碧の光は感じる?」
「感じるけど、まだ動いてない」
ジムニーの足回りを点検していた未来が、車体の下から顔を出した。
顔にはオイルの汚れがついているが、その瞳は強い光を宿している。
「巌窟寺院の近くで落ち合おうってさ」
『ケイ…… 待ってて』
リューシャが手入れの終わった小弓をベルトに下げた。
「じゃあ、行くよ」
未来がジムニーのキーを回す。
エンジンの始動音が、静寂を取り戻した朝の森に響いた。
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