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第七章 祭壇
52話 慈愛
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巌窟寺院の外では、豪雨となっていた。
稲光が門から弾け、ドーム内を激しく照らす。
雨音のカーテンを切り裂き、月の民の不気味な呪言がドーム内に満ちていく。
巌窟寺院の中央に陣取った月の民の一団から、濃厚な影が湧き上がっていく。
五匹の鬼猿は原型を留めてはいなかった。
影に蝕まれ、肉体は崩れ、影だけがかろうじて形を保っている。
それでも、棍棒を振るい、何度も立ち上がり続けた。
その混戦の中、グランはジムニーに向かって走っていた。
『イリナ法王猊下!』
グランはジムニーの助手席のドアを開けた。シートによじ登りながら叫ぶ。
「グラン……」
未来と碧は運転席で、恐怖に身体を固くしていた。
『グラン様……』
『こちらが法王の証し、錫杖と封印でございます!』
グランが封印と錫杖を後部座席のイリナに手渡す。
白銀に輝く錫杖がイリナの手に触れると、淡く輝き出した。
『すごい…… これは…… 法王猊下の御霊の力……』
おののく手で錫杖の温かな光を受け止める。
『まずいよ、イリナ…… 早くあの呪言を止めないと』
モーイが焦燥の声を上げた。
「ああーッ!!」
田崎の絶叫が、雨音を貫いて響きわたる。
『クッ!』
リューシャの紋様からも、どす黒い影がこぼれ落ちていく。
イリナの結界に守られた車内は、呪言の影響からは辛うじて守られていた。
使い手の呪言にさらに力がこもっていく。
それに呼応するように、田崎とリューシャの紋様から影が奔流のように流れ出した。
田崎が握りしめていた剣が、手から滑り落ちた。
田崎が先ほど叩き潰したはずの鬼猿が、影をまとって起き上がった。
田崎の紋様から濃密な影が湧き出し続けていた。
それは田崎の命を吸い出しているかのようだった。
田崎の膝ががくりと崩れる。
目の前が真っ暗になる。
「未来……」
怒りに囚われ、薄れゆく田崎の意識にその顔がよぎる。
「碧…… リューシャ…… ケイ……」
名前を呼ぶことで、かろうじて意識をこの世に繋ぎ止めるかのようだった。
トクン……
未来の心臓が跳ねた。
ヘッドライトの先で鬼猿が、ぬらりと立ち上がった。
その手に握りしめられた禍々しい棍棒が振り上げられる様は、どこか遠い世界のことのように見えた。
田崎の背後に迫る。
すでに原型を留めていない肉と影の塊。
それでも、田崎を殺すのには十分だった。
「圭一っ!!」
震える手で、反射的に未来はギアをローに繋いだ。
——考える余裕はない。
アクセルを床まで踏み込む。
エンジンが唸りを上げた。
「碧…… つかまってなさい」
「ママ?」
『グラン! つかまれ!』
モーイが何かを予期し叫んだ。
サイドブレーキを解除すると、ジムニーは弾丸のように飛び出した。
「ママっ!」
碧が未来にしがみついたまま叫んだ。
『うわっ!』
グランが慌てて助手席にしがみつく。
「わんわん!!」
リーが驚いて吠え立てた。
そのままジムニーを鬼猿に向けて走らせる。
タイヤが空転し、白煙と排気ガスが立ち込めた。
「ケイイチーッ!!」
未来は叫びながら、そのまま鬼猿をフロントで派手に吹き飛ばした。
鈍い音が響き、フロントバンパーがベコっと凹み、激しい衝撃が車内を襲う。
キキーッ!!
タイヤが石床を擦る高い音が響く。
「ダメだッ! ミクっ! ジムニーじゃあいつらに勝てない!」
モーイが座布団にしがみついたまま叫んだ。影には物理攻撃は効かない。
未来の目が、ドーム中央にいる月の民を睨みつけていた。
呪言が耳障りに響き渡る。
モーイの制止の声に、未来の声が苛立つ。
「じゃあどうするのよ!!」
「ママ……」
碧の目に涙が浮かんだ。
「ママまでおかしくなったら嫌だよ!」
「碧……」
その潤んだ瞳を見つめる。
「羽ピーが助けてくれるもん」
未来の顔のこわばりが、ふっと溶けていく。
怒りに任せて使い手を跳ね飛ばそうと考えたことを、未来は恥じた。
「そうね……」
未来が碧を強く抱きしめた。
「ごめん……」
そのとき、未来の紋様が柔らかく光り出した。
その光は車内を満たし、あたり一面に広がっていく。
イリナの持つ錫杖が、その光に共鳴するように反応した。
それに気づいたイリナは、静かに聖戒の言葉を唱え始める。
「光を集め、増幅する聖戒の言葉……」
モーイがつぶやく。
冷え切った車内が、暖かな春の日差しのような空気に包まれていく。
「イリナお姉ちゃん……?」
そのとき、碧の手が熱を帯びた。
見ると、小さな手の甲で紋様が輝いている。
碧の紋様からもまばゆい光が溢れ出した。
『アオ……?』
イリナが驚きの声を上げた。
イリナが集めた光は、田崎とリューシャの紋様から湧き出る影を中和し、溶かしていく。
紋様に干渉するように、影が急速に収束していった。
「……うずきが、止まった……?」
田崎の視界に光が戻ってくる。
呼吸が楽になる。
田崎は痛む腹部を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
一気に痛みと疲労が押し寄せてくる。
激しいめまいとふらつきが田崎を襲う。
「圭一! 無理しないで!」
「未来……」
田崎が振り返ると、目の前にジムニーが止まっていた。
田崎はジムニーが、自分を救うために鬼猿を突き飛ばしていたことにも気づかなかった。
はっとして周囲を見回すと、ハンクはまだ孤軍奮闘していた。
ジムニーから降りたグランも、そのうちの一匹に切りかかった。
リューシャも立ち上がり、鬼猿に果敢に切りかかっている。
「……この光でも、鬼猿は止められない?」
田崎の希望を込めたつぶやきは、口の中で消えた。
ドーム内の一角を光が照らし出すが、その光を押さえつけるように、呪言がさらに濃い闇で閉ざそうとする。
外では雷が響き、雨足はますます強くなっていた。
光に照らされた鬼猿は影を放出しながらも、棍棒を影の手に掴み、恐ろしい勢いで振り回している。
「あいつを倒さないと」
田崎の視線の先には、使い手の一団がいた。
手に持つ剣が鉛のように重い。
ふらつく足を一歩踏み出す。
そこに、ジムニーに跳ね飛ばされた鬼猿が、またしてもゆっくりと立ち上がる。
『早く! イリナの光で、あの影を! 祓って消して!』
モーイが切羽詰まった声で叫んだ。
『まだです。今、光を使ったら紋様の刻印も一緒に、消えてしまう……』
イリナが苦しげに答える。紋様が消えれば、彼らの命も危うい。
月の民の呪言は止むことを知らないようだった。
『チョーローの祭壇は、間に合わないっ!』
モーイの声が悲壮を帯びた。
『なにか受け皿がないと、命まで持って行かれてしまいます……』
イリナが目をつぶり、首を振った。
『……この車はッ?! 器ならあるッ!』
間髪容れずにモーイが叫んだ。
ダッシュボードの上で地団駄を踏み、杖を振り回した。
『このジムニーはッ? 受け皿になる?』
イリナの目が驚きに開いた。
「タサキッ! このジムニーを! ジムニーを祭壇の代わりにしても! いいか?」
モーイは窓の外にいる田崎に大声で問いかけた。
「……モーイ?」
振り返った田崎の背後に、鬼猿が立ち上がった。
「ジムニーを…… 祭壇に?」
田崎の頭が真っ白になった。
それは、つまり——ジムニーをこの場所から永遠に動かせない?
『タサキッ!!』
リューシャが鬼猿と戦いながら叫ぶ。
リューシャも別の鬼猿に押され、限界だった。
田崎の後ろにも鬼猿の影が落ちる。
「リューシャッ!」
——この車は帰るために必要……
それでも、命には変えられない。
「分かった! やれ! 構わない!!」
『イリナ! やるんだ!』
イリナは錫杖を両手で強く握りしめた。
手が震えている。
——この車を、祭壇に……
イリナの胸にも、十二年前のジムニーの冒険が——そして自分たちを乗せて走った記憶が、朧げに、しかし温かく浮かんだ。
深く息を吸い込んだ。
『分かりました…… やります!』
イリナの目に、迷いのない決意の光が宿った。
稲光が門から弾け、ドーム内を激しく照らす。
雨音のカーテンを切り裂き、月の民の不気味な呪言がドーム内に満ちていく。
巌窟寺院の中央に陣取った月の民の一団から、濃厚な影が湧き上がっていく。
五匹の鬼猿は原型を留めてはいなかった。
影に蝕まれ、肉体は崩れ、影だけがかろうじて形を保っている。
それでも、棍棒を振るい、何度も立ち上がり続けた。
その混戦の中、グランはジムニーに向かって走っていた。
『イリナ法王猊下!』
グランはジムニーの助手席のドアを開けた。シートによじ登りながら叫ぶ。
「グラン……」
未来と碧は運転席で、恐怖に身体を固くしていた。
『グラン様……』
『こちらが法王の証し、錫杖と封印でございます!』
グランが封印と錫杖を後部座席のイリナに手渡す。
白銀に輝く錫杖がイリナの手に触れると、淡く輝き出した。
『すごい…… これは…… 法王猊下の御霊の力……』
おののく手で錫杖の温かな光を受け止める。
『まずいよ、イリナ…… 早くあの呪言を止めないと』
モーイが焦燥の声を上げた。
「ああーッ!!」
田崎の絶叫が、雨音を貫いて響きわたる。
『クッ!』
リューシャの紋様からも、どす黒い影がこぼれ落ちていく。
イリナの結界に守られた車内は、呪言の影響からは辛うじて守られていた。
使い手の呪言にさらに力がこもっていく。
それに呼応するように、田崎とリューシャの紋様から影が奔流のように流れ出した。
田崎が握りしめていた剣が、手から滑り落ちた。
田崎が先ほど叩き潰したはずの鬼猿が、影をまとって起き上がった。
田崎の紋様から濃密な影が湧き出し続けていた。
それは田崎の命を吸い出しているかのようだった。
田崎の膝ががくりと崩れる。
目の前が真っ暗になる。
「未来……」
怒りに囚われ、薄れゆく田崎の意識にその顔がよぎる。
「碧…… リューシャ…… ケイ……」
名前を呼ぶことで、かろうじて意識をこの世に繋ぎ止めるかのようだった。
トクン……
未来の心臓が跳ねた。
ヘッドライトの先で鬼猿が、ぬらりと立ち上がった。
その手に握りしめられた禍々しい棍棒が振り上げられる様は、どこか遠い世界のことのように見えた。
田崎の背後に迫る。
すでに原型を留めていない肉と影の塊。
それでも、田崎を殺すのには十分だった。
「圭一っ!!」
震える手で、反射的に未来はギアをローに繋いだ。
——考える余裕はない。
アクセルを床まで踏み込む。
エンジンが唸りを上げた。
「碧…… つかまってなさい」
「ママ?」
『グラン! つかまれ!』
モーイが何かを予期し叫んだ。
サイドブレーキを解除すると、ジムニーは弾丸のように飛び出した。
「ママっ!」
碧が未来にしがみついたまま叫んだ。
『うわっ!』
グランが慌てて助手席にしがみつく。
「わんわん!!」
リーが驚いて吠え立てた。
そのままジムニーを鬼猿に向けて走らせる。
タイヤが空転し、白煙と排気ガスが立ち込めた。
「ケイイチーッ!!」
未来は叫びながら、そのまま鬼猿をフロントで派手に吹き飛ばした。
鈍い音が響き、フロントバンパーがベコっと凹み、激しい衝撃が車内を襲う。
キキーッ!!
タイヤが石床を擦る高い音が響く。
「ダメだッ! ミクっ! ジムニーじゃあいつらに勝てない!」
モーイが座布団にしがみついたまま叫んだ。影には物理攻撃は効かない。
未来の目が、ドーム中央にいる月の民を睨みつけていた。
呪言が耳障りに響き渡る。
モーイの制止の声に、未来の声が苛立つ。
「じゃあどうするのよ!!」
「ママ……」
碧の目に涙が浮かんだ。
「ママまでおかしくなったら嫌だよ!」
「碧……」
その潤んだ瞳を見つめる。
「羽ピーが助けてくれるもん」
未来の顔のこわばりが、ふっと溶けていく。
怒りに任せて使い手を跳ね飛ばそうと考えたことを、未来は恥じた。
「そうね……」
未来が碧を強く抱きしめた。
「ごめん……」
そのとき、未来の紋様が柔らかく光り出した。
その光は車内を満たし、あたり一面に広がっていく。
イリナの持つ錫杖が、その光に共鳴するように反応した。
それに気づいたイリナは、静かに聖戒の言葉を唱え始める。
「光を集め、増幅する聖戒の言葉……」
モーイがつぶやく。
冷え切った車内が、暖かな春の日差しのような空気に包まれていく。
「イリナお姉ちゃん……?」
そのとき、碧の手が熱を帯びた。
見ると、小さな手の甲で紋様が輝いている。
碧の紋様からもまばゆい光が溢れ出した。
『アオ……?』
イリナが驚きの声を上げた。
イリナが集めた光は、田崎とリューシャの紋様から湧き出る影を中和し、溶かしていく。
紋様に干渉するように、影が急速に収束していった。
「……うずきが、止まった……?」
田崎の視界に光が戻ってくる。
呼吸が楽になる。
田崎は痛む腹部を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
一気に痛みと疲労が押し寄せてくる。
激しいめまいとふらつきが田崎を襲う。
「圭一! 無理しないで!」
「未来……」
田崎が振り返ると、目の前にジムニーが止まっていた。
田崎はジムニーが、自分を救うために鬼猿を突き飛ばしていたことにも気づかなかった。
はっとして周囲を見回すと、ハンクはまだ孤軍奮闘していた。
ジムニーから降りたグランも、そのうちの一匹に切りかかった。
リューシャも立ち上がり、鬼猿に果敢に切りかかっている。
「……この光でも、鬼猿は止められない?」
田崎の希望を込めたつぶやきは、口の中で消えた。
ドーム内の一角を光が照らし出すが、その光を押さえつけるように、呪言がさらに濃い闇で閉ざそうとする。
外では雷が響き、雨足はますます強くなっていた。
光に照らされた鬼猿は影を放出しながらも、棍棒を影の手に掴み、恐ろしい勢いで振り回している。
「あいつを倒さないと」
田崎の視線の先には、使い手の一団がいた。
手に持つ剣が鉛のように重い。
ふらつく足を一歩踏み出す。
そこに、ジムニーに跳ね飛ばされた鬼猿が、またしてもゆっくりと立ち上がる。
『早く! イリナの光で、あの影を! 祓って消して!』
モーイが切羽詰まった声で叫んだ。
『まだです。今、光を使ったら紋様の刻印も一緒に、消えてしまう……』
イリナが苦しげに答える。紋様が消えれば、彼らの命も危うい。
月の民の呪言は止むことを知らないようだった。
『チョーローの祭壇は、間に合わないっ!』
モーイの声が悲壮を帯びた。
『なにか受け皿がないと、命まで持って行かれてしまいます……』
イリナが目をつぶり、首を振った。
『……この車はッ?! 器ならあるッ!』
間髪容れずにモーイが叫んだ。
ダッシュボードの上で地団駄を踏み、杖を振り回した。
『このジムニーはッ? 受け皿になる?』
イリナの目が驚きに開いた。
「タサキッ! このジムニーを! ジムニーを祭壇の代わりにしても! いいか?」
モーイは窓の外にいる田崎に大声で問いかけた。
「……モーイ?」
振り返った田崎の背後に、鬼猿が立ち上がった。
「ジムニーを…… 祭壇に?」
田崎の頭が真っ白になった。
それは、つまり——ジムニーをこの場所から永遠に動かせない?
『タサキッ!!』
リューシャが鬼猿と戦いながら叫ぶ。
リューシャも別の鬼猿に押され、限界だった。
田崎の後ろにも鬼猿の影が落ちる。
「リューシャッ!」
——この車は帰るために必要……
それでも、命には変えられない。
「分かった! やれ! 構わない!!」
『イリナ! やるんだ!』
イリナは錫杖を両手で強く握りしめた。
手が震えている。
——この車を、祭壇に……
イリナの胸にも、十二年前のジムニーの冒険が——そして自分たちを乗せて走った記憶が、朧げに、しかし温かく浮かんだ。
深く息を吸い込んだ。
『分かりました…… やります!』
イリナの目に、迷いのない決意の光が宿った。
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