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第七章 祭壇
53話 絶望
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その少し前、闇の森の上空。
イリナが錫杖を握りしめた、その同じ刻——
激しい雨が、闇の森を叩きつけていた。
雷が雲の中を荒れ狂い、無造作に森に突き刺さる。
閃光、そして遅れて轟音。
『ババ様……』
魔の森の民が、震えながら上空を見上げた。
地上の彼らにも、暴風と豪雨が魔の森の民を叩きつけていた。
『限界じゃ、もし』
『ぬあああッ!! もう持たんッ!! もしい!!』
古竜猿から吸い取る影は底が知れなかった。
どれだけ吸っても、まだ湧き水のように溢れてくる。
黒い塊も、ババ様も、もう限界だった。
黒い塊の吸い込む影の容量が、ついに限界を迎えた。
これ以上、影を吸い込めなかった。
制御しきれない膨大な影に、針を維持する力が保てない。
わずかに、針が古竜猿の体から押し戻される。
『最後の一撃じゃ!! もし!!』
『厳しいじゃろな、もし』
ババ様は吸い取った影のすべてを古竜猿にぶつけようとした。
ババ様の体から影が黒い奔流となって飛び出す。
それは竜猿に向かって一直線に伸びていく。
『縛り上げるぞな!! もしい!!』
『ほれ見い、も……』
その言葉が終わる寸前だった。
古竜猿の首筋に突き刺さっていた針が、内側からの莫大な圧力で吹き飛んだ。
その瞬間、古竜猿から爆発的な力が全方位に弾けた。
何が起きたのか、誰にも分からなかった。
ババ様の放った影が一瞬で消し飛んだ。
圧縮された大気が壁となって、ババ様の羽猿を木の葉のように吹き飛ばした。
遅れて咆哮が響き、眼下の闇の森の木々が根こそぎ浮き上がった。
地面が割れ、巨木が次々となぎ倒れていく。
『グアアア…… ワアアア……ァアア!!!』
その衝撃と咆哮で、豪雨が一瞬にして止んだ。
重たい雨雲が吹き飛ばされていた。
西に傾いた赤い陽が、再び古竜猿を照らした。
『ももももも……』
『あばばばば……』
ババ様と黒い塊は、巌窟寺院に向かって回転しながら吹き飛んでいった。
その進行方向に、金色に輝く竜猿が飛んでいた。
『ハネピー!! 巌窟寺院だ!!』
眼下の巌窟寺院の広場に、巨大な光のドームが出現した。
『結界だ! マオルカの術だ!』
オムカの声に安堵が滲んだ。
『ホーガイがやっと来た!』
オムカが叫んだとき、羽ピーの背後にも衝撃波が襲いかかった。
『グアッ!!』
空気の壁がハンマーのように羽ピーを叩きつけた。
羽ピーが巌窟寺院の門を捉えた時だった。
制御を失った羽ピーは吹き飛ばされ、巌窟寺院に向かって飛び込んでいった。
その巌窟寺院の前の広場では豪雨の中、重い祭壇を引いてホーガイ隊が寺院に向かっていた。時折、古竜猿の恐ろしい怒声が雨音を切り裂く。
『恐ろしや…… なんということ……』
ホーガイが馬車の中で頭を抱えてうずくまった。
聖戒の文言を震えながら唱える。
メガネの小人とマオルカが巌窟寺院前の広場の端に着いた時、馬車を止め、ありったけの力で光を放ち、結界を張ったのだ。
闇のもの——鉄騎軍の死兵をも巻き込んだこの結界は、光の中に影となる異物を抱え込んでいる。
やがてその影は結界の中に亀裂を生み出し、内側から破られてしまうだろう。
それがいつになるかは、誰にも分からなかった。
『これは、小人の結界?』
『助かった……?』
広場で戦っていたグラン隊から安堵の声が上がった。
グラン隊はまばゆい光の中に包まれ、一時的に敵兵を見失う。
それまでにグラン隊は鉄騎軍、死兵を同数までに減らしていた。
『まだ戦いは終わっていない!!』
豪雨の中、副長が声を張り上げる。
『狼狽えるな! 祭壇の運搬を手伝え!!』
副長が的確に指示を飛ばし、隊をまとめていく。
『あの光……』
その時、ホーガイの馬車の中でチョーローがハッと顔を上げた。
寺院の中から、イリナが光の術を発動しようとするかすかな兆候を捉えていた。
ジムニーを祭壇の器にするための、光の術だった。
チョーローのその顔がさっと青ざめる。
『いかん! まだ早い! イリナ!』
——一人では使い手には、敵わぬ……
紋様の解放は無理だ……
チョーローは窓を開け、幌の上にいた鳩猿を呼んだ。
飛び込んできた鳩猿の背中に、身軽に飛び乗る。
『祭壇の搬入を急ぐんじゃ! ホーガイ!』
馬車の中にいるホーガイと小人たちを横目で見た。
ホーガイはハッと顔を上げた。
マオルカとメガネはお互い寄りかかり、ぐったりと目を閉じていた。
その時、チョーローは空の異変を感じる。
『待て…… 古竜猿と魔女の戦いが終わった……?』
——嫌な予感がする……
紋様の解放と影の再封印。
慎重な綱渡りが必要だった。
その綱が切れたら…… すべてが終わる……
『すまぬの。寺院で待っとるからの』
馬車に残されたホーガイと小人に声をかける。
結界を出ると、チョーローの乗った鳩猿は西に傾く太陽の光を正面から受け止めた。
一直線に巌窟寺院に向けて飛んでいった。
*
巌窟寺院のドーム。
外では、いつの間にか雨が上がっていた。
使い手の呪言は、ますますドームに満ち満ちていく。
一度は光で疼きが止まった田崎とリューシャ、ケイの紋様が再び激しく脈打ち始めていた。
そこに紋様を開放するイリナの光が放たれた。
ドームは一瞬、神聖な光に包まれた。
紋様が沈黙し、光の中に溶け込むように浮かび始めた。
しかし、次の瞬間、濃密な闇が光を飲み込んでいく。
浮き上がった紋様は再び刻まれ始める。
イリナの渾身の光は、使い手の操る圧倒的な影の中に閉じ込められた。
神々しく輝いていたジムニーのボディから光がふっと消え、再び薄汚れた鉄の塊に戻っていった。
使い手の口元が歪む。
薄く笑う。
『今宵は満月。もうじき日が暮れる。我らの力が最大化される……』
その目がケイの左手に宿る”絶望”の影を捉えた。
『まずは”絶望”から頂くか……』
使い手の足元から、大蛇のような太い影がゆっくりと伸びていった。
『……違う。こんなはずでは……』
イリナは肩で息をしていた。
その顔がみるみる白くなっていった。
そのイリナが声を振り絞って叫んだ。
『それより、ケイを! ケイを守って!』
「ケイ兄ちゃん!!」
碧が叫ぶ。
その声にグランが、ケイを狙った鬼猿に切りかかる。
剣は影をすり抜ける。
その剣に手応えはない。
影になった鬼猿は、もはやどんな物理攻撃も効かないようだった。
ハンク、リューシャ、田崎もじりじりとジムニーまで後退していた。
『ケイ、私の後ろに!』
リューシャがケイを背後に庇い、剣を構えた。
五匹の実体のない鬼猿に包囲される。
その後ろから、黒く禍々しい大蛇が這い出した。
「きゃあ!」
「羽ピー!! 助けて!!」
未来が悲鳴を上げ、碧が絶叫した。
グランの剣が、ハンクの鉄槌が鬼猿に振り下ろされる。
リューシャが大蛇に向けて剣を振り下ろす。
しかし、鬼猿にも大蛇にも打撃は一切効かなかった。
剣が、鉄槌が影を切り裂くが、煙を払うかのように手応えがまるでなかった。
『イリナ! 武器に光の加護を!』
イリナは後部座席で荒い呼吸を繰り返していた。
必死に杖を掲げる手が震えている。
『そ、そんな……』
モーイの顔が恐怖に歪んだ。
「ケイ……」
田崎がケイの前で剣を構えた。
鬼猿が棍棒を構える。
そして大蛇がケイに向けて鎌首をもたげた。
『……母さん、アオ…… ごめん……』
ケイの顔に絶望の色が浮かんだ。
影の大蛇が、田崎を突き飛ばす。
「パパッ!! ケイ兄ちゃん!!」
碧の悲痛な叫びが響いた。
「羽ピー!! 早く来て!!」
その時——
『グアッ! グアッ!』
轟音とともに、巌窟寺院の修復された壁が吹き飛んだ。
金色の竜猿がドームに飛び込んできた。
イリナが錫杖を握りしめた、その同じ刻——
激しい雨が、闇の森を叩きつけていた。
雷が雲の中を荒れ狂い、無造作に森に突き刺さる。
閃光、そして遅れて轟音。
『ババ様……』
魔の森の民が、震えながら上空を見上げた。
地上の彼らにも、暴風と豪雨が魔の森の民を叩きつけていた。
『限界じゃ、もし』
『ぬあああッ!! もう持たんッ!! もしい!!』
古竜猿から吸い取る影は底が知れなかった。
どれだけ吸っても、まだ湧き水のように溢れてくる。
黒い塊も、ババ様も、もう限界だった。
黒い塊の吸い込む影の容量が、ついに限界を迎えた。
これ以上、影を吸い込めなかった。
制御しきれない膨大な影に、針を維持する力が保てない。
わずかに、針が古竜猿の体から押し戻される。
『最後の一撃じゃ!! もし!!』
『厳しいじゃろな、もし』
ババ様は吸い取った影のすべてを古竜猿にぶつけようとした。
ババ様の体から影が黒い奔流となって飛び出す。
それは竜猿に向かって一直線に伸びていく。
『縛り上げるぞな!! もしい!!』
『ほれ見い、も……』
その言葉が終わる寸前だった。
古竜猿の首筋に突き刺さっていた針が、内側からの莫大な圧力で吹き飛んだ。
その瞬間、古竜猿から爆発的な力が全方位に弾けた。
何が起きたのか、誰にも分からなかった。
ババ様の放った影が一瞬で消し飛んだ。
圧縮された大気が壁となって、ババ様の羽猿を木の葉のように吹き飛ばした。
遅れて咆哮が響き、眼下の闇の森の木々が根こそぎ浮き上がった。
地面が割れ、巨木が次々となぎ倒れていく。
『グアアア…… ワアアア……ァアア!!!』
その衝撃と咆哮で、豪雨が一瞬にして止んだ。
重たい雨雲が吹き飛ばされていた。
西に傾いた赤い陽が、再び古竜猿を照らした。
『ももももも……』
『あばばばば……』
ババ様と黒い塊は、巌窟寺院に向かって回転しながら吹き飛んでいった。
その進行方向に、金色に輝く竜猿が飛んでいた。
『ハネピー!! 巌窟寺院だ!!』
眼下の巌窟寺院の広場に、巨大な光のドームが出現した。
『結界だ! マオルカの術だ!』
オムカの声に安堵が滲んだ。
『ホーガイがやっと来た!』
オムカが叫んだとき、羽ピーの背後にも衝撃波が襲いかかった。
『グアッ!!』
空気の壁がハンマーのように羽ピーを叩きつけた。
羽ピーが巌窟寺院の門を捉えた時だった。
制御を失った羽ピーは吹き飛ばされ、巌窟寺院に向かって飛び込んでいった。
その巌窟寺院の前の広場では豪雨の中、重い祭壇を引いてホーガイ隊が寺院に向かっていた。時折、古竜猿の恐ろしい怒声が雨音を切り裂く。
『恐ろしや…… なんということ……』
ホーガイが馬車の中で頭を抱えてうずくまった。
聖戒の文言を震えながら唱える。
メガネの小人とマオルカが巌窟寺院前の広場の端に着いた時、馬車を止め、ありったけの力で光を放ち、結界を張ったのだ。
闇のもの——鉄騎軍の死兵をも巻き込んだこの結界は、光の中に影となる異物を抱え込んでいる。
やがてその影は結界の中に亀裂を生み出し、内側から破られてしまうだろう。
それがいつになるかは、誰にも分からなかった。
『これは、小人の結界?』
『助かった……?』
広場で戦っていたグラン隊から安堵の声が上がった。
グラン隊はまばゆい光の中に包まれ、一時的に敵兵を見失う。
それまでにグラン隊は鉄騎軍、死兵を同数までに減らしていた。
『まだ戦いは終わっていない!!』
豪雨の中、副長が声を張り上げる。
『狼狽えるな! 祭壇の運搬を手伝え!!』
副長が的確に指示を飛ばし、隊をまとめていく。
『あの光……』
その時、ホーガイの馬車の中でチョーローがハッと顔を上げた。
寺院の中から、イリナが光の術を発動しようとするかすかな兆候を捉えていた。
ジムニーを祭壇の器にするための、光の術だった。
チョーローのその顔がさっと青ざめる。
『いかん! まだ早い! イリナ!』
——一人では使い手には、敵わぬ……
紋様の解放は無理だ……
チョーローは窓を開け、幌の上にいた鳩猿を呼んだ。
飛び込んできた鳩猿の背中に、身軽に飛び乗る。
『祭壇の搬入を急ぐんじゃ! ホーガイ!』
馬車の中にいるホーガイと小人たちを横目で見た。
ホーガイはハッと顔を上げた。
マオルカとメガネはお互い寄りかかり、ぐったりと目を閉じていた。
その時、チョーローは空の異変を感じる。
『待て…… 古竜猿と魔女の戦いが終わった……?』
——嫌な予感がする……
紋様の解放と影の再封印。
慎重な綱渡りが必要だった。
その綱が切れたら…… すべてが終わる……
『すまぬの。寺院で待っとるからの』
馬車に残されたホーガイと小人に声をかける。
結界を出ると、チョーローの乗った鳩猿は西に傾く太陽の光を正面から受け止めた。
一直線に巌窟寺院に向けて飛んでいった。
*
巌窟寺院のドーム。
外では、いつの間にか雨が上がっていた。
使い手の呪言は、ますますドームに満ち満ちていく。
一度は光で疼きが止まった田崎とリューシャ、ケイの紋様が再び激しく脈打ち始めていた。
そこに紋様を開放するイリナの光が放たれた。
ドームは一瞬、神聖な光に包まれた。
紋様が沈黙し、光の中に溶け込むように浮かび始めた。
しかし、次の瞬間、濃密な闇が光を飲み込んでいく。
浮き上がった紋様は再び刻まれ始める。
イリナの渾身の光は、使い手の操る圧倒的な影の中に閉じ込められた。
神々しく輝いていたジムニーのボディから光がふっと消え、再び薄汚れた鉄の塊に戻っていった。
使い手の口元が歪む。
薄く笑う。
『今宵は満月。もうじき日が暮れる。我らの力が最大化される……』
その目がケイの左手に宿る”絶望”の影を捉えた。
『まずは”絶望”から頂くか……』
使い手の足元から、大蛇のような太い影がゆっくりと伸びていった。
『……違う。こんなはずでは……』
イリナは肩で息をしていた。
その顔がみるみる白くなっていった。
そのイリナが声を振り絞って叫んだ。
『それより、ケイを! ケイを守って!』
「ケイ兄ちゃん!!」
碧が叫ぶ。
その声にグランが、ケイを狙った鬼猿に切りかかる。
剣は影をすり抜ける。
その剣に手応えはない。
影になった鬼猿は、もはやどんな物理攻撃も効かないようだった。
ハンク、リューシャ、田崎もじりじりとジムニーまで後退していた。
『ケイ、私の後ろに!』
リューシャがケイを背後に庇い、剣を構えた。
五匹の実体のない鬼猿に包囲される。
その後ろから、黒く禍々しい大蛇が這い出した。
「きゃあ!」
「羽ピー!! 助けて!!」
未来が悲鳴を上げ、碧が絶叫した。
グランの剣が、ハンクの鉄槌が鬼猿に振り下ろされる。
リューシャが大蛇に向けて剣を振り下ろす。
しかし、鬼猿にも大蛇にも打撃は一切効かなかった。
剣が、鉄槌が影を切り裂くが、煙を払うかのように手応えがまるでなかった。
『イリナ! 武器に光の加護を!』
イリナは後部座席で荒い呼吸を繰り返していた。
必死に杖を掲げる手が震えている。
『そ、そんな……』
モーイの顔が恐怖に歪んだ。
「ケイ……」
田崎がケイの前で剣を構えた。
鬼猿が棍棒を構える。
そして大蛇がケイに向けて鎌首をもたげた。
『……母さん、アオ…… ごめん……』
ケイの顔に絶望の色が浮かんだ。
影の大蛇が、田崎を突き飛ばす。
「パパッ!! ケイ兄ちゃん!!」
碧の悲痛な叫びが響いた。
「羽ピー!! 早く来て!!」
その時——
『グアッ! グアッ!』
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