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ただ、それだけ。(2021.3.8)/現代ドラマ
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あの人が死んだのは、2020年の初夏だった。
この年の初め頃から、世界的に流行り出したウィルスのおかげで、ステイホームだのおうち時間だの、人々の暮らしは様変わりし、不要不急の外出も控えるようになり、マスクやアルコール、除菌シートは品薄状態で、入荷してもすぐに売り切れる。
ドラックストアは開店前からマスクを求める行列ができ、スーパーでも食料の買だめが起きて、三密を避けろと散々テレビで報道しているにも関わらず、営業している店は常に人で溢れていた。
そして、あの人も、同じようにその中で働いていた。
ステイホーム、おうち時間を充実させるためにと、近所で唯一空いていたその雑貨屋に人が集まるようになる。
「ねぇ、マスク作るのに、ちょうどいい生地はある?」
「ねぇ、お一人様一個までってことは、うちは5人家族だから、5個までいいのよね?」
「どうして売ってないんだ!! ここにあるって聞いたぞ!!」
「店員さん、これの在庫は?」
大きなショッピングモールに入っている同じ系列店は、ショッピングモール自体が短縮営業や休業となっていて、テーマパークやアミューズメント施設も緊急事態宣言下でどこもかしこも閉まっていたせいだ。
いつもより客足が伸びることは、それは売り上げとしては嬉しい話だが、現場で働いている人間からしたら、不特定多数の人と接することになる。
中には、マスクもせずに来店する客もいるし、店内でわざわざマスクを外して大きな声で通話する客もいた。
そして、客は電話で問い合わせもして来る。
「マスクって入荷した?」
「今日は営業時間何時まで?」
「次の入荷いつよ? 取って置いて」
こんな事態になる前に、辞めていったスタッフもいたため、人員は明らかに不足していたのに、本社の人間は売り上げがいいからと、休業も時間短縮も検討してはくれなかったそうだ。
いつも元気で、明るかったあの人も、いつもと違う仕事の量と感染への恐怖で目に見えて疲弊していった。
「いいよね……おうち時間なんて言ってられる奴は」
長蛇のレジ対応が終わった後、すれ違ったあの人は、小さな声でそう言った。
「私には、ステイホームも、おうち時間もない」
世間は、緊急事態宣言の下、家の掃除をしたり、趣味を楽しんだりしているという。
おうち時間をどう楽しく過ごすか、なんて特集が各メディアで取り上げられる。
それを見て、自分もやってみようと、そのおうち時間を楽しむための道具を買いに、この雑貨屋に来る人がまた増えるそうだ。
その一方で、感染の恐怖に怯えながら、いつもよりどっと疲れて帰宅することになり、掃除も趣味の時間も楽しめない人がいる。
あんなに明るくて、おしゃべりで、毎日楽しそうに挨拶をしてくれたあの人の顔から、笑顔が消えた。
そして、日々は過ぎ、緊急事態宣言も解除され、客足も落ち着いてきた頃、あの人はもう別人になっていた。
「私もステイホームしたかった。おうち時間が欲しかった……ただ、それだけですよ」
きっと、僕が心配していたのが顔に出ていたのだろう。
会社がリモートワークになり、このステイホーム期間中も、いつものようによく買い物に来ては、あの人と話をしていたから、そう話してくれた。
それから、数日後、あの人の姿を見ることがなくなった。
だから別の若いスタッフの子に聞いたんだ。
あの人は、どうしたんですか?って。
その子はこう言ったよ。
「先日亡くなりました。コロ●鬱だったようです」
どうして?と、尋ねるとその子は僕の顔をなぜか睨みつけた。
「あなたが、毎日毎日、マスクもつけずに来るからですよ。私たちのようなただのスタッフには、お客様にマスクをつけろなんて、強制できませんからね」
この年の初め頃から、世界的に流行り出したウィルスのおかげで、ステイホームだのおうち時間だの、人々の暮らしは様変わりし、不要不急の外出も控えるようになり、マスクやアルコール、除菌シートは品薄状態で、入荷してもすぐに売り切れる。
ドラックストアは開店前からマスクを求める行列ができ、スーパーでも食料の買だめが起きて、三密を避けろと散々テレビで報道しているにも関わらず、営業している店は常に人で溢れていた。
そして、あの人も、同じようにその中で働いていた。
ステイホーム、おうち時間を充実させるためにと、近所で唯一空いていたその雑貨屋に人が集まるようになる。
「ねぇ、マスク作るのに、ちょうどいい生地はある?」
「ねぇ、お一人様一個までってことは、うちは5人家族だから、5個までいいのよね?」
「どうして売ってないんだ!! ここにあるって聞いたぞ!!」
「店員さん、これの在庫は?」
大きなショッピングモールに入っている同じ系列店は、ショッピングモール自体が短縮営業や休業となっていて、テーマパークやアミューズメント施設も緊急事態宣言下でどこもかしこも閉まっていたせいだ。
いつもより客足が伸びることは、それは売り上げとしては嬉しい話だが、現場で働いている人間からしたら、不特定多数の人と接することになる。
中には、マスクもせずに来店する客もいるし、店内でわざわざマスクを外して大きな声で通話する客もいた。
そして、客は電話で問い合わせもして来る。
「マスクって入荷した?」
「今日は営業時間何時まで?」
「次の入荷いつよ? 取って置いて」
こんな事態になる前に、辞めていったスタッフもいたため、人員は明らかに不足していたのに、本社の人間は売り上げがいいからと、休業も時間短縮も検討してはくれなかったそうだ。
いつも元気で、明るかったあの人も、いつもと違う仕事の量と感染への恐怖で目に見えて疲弊していった。
「いいよね……おうち時間なんて言ってられる奴は」
長蛇のレジ対応が終わった後、すれ違ったあの人は、小さな声でそう言った。
「私には、ステイホームも、おうち時間もない」
世間は、緊急事態宣言の下、家の掃除をしたり、趣味を楽しんだりしているという。
おうち時間をどう楽しく過ごすか、なんて特集が各メディアで取り上げられる。
それを見て、自分もやってみようと、そのおうち時間を楽しむための道具を買いに、この雑貨屋に来る人がまた増えるそうだ。
その一方で、感染の恐怖に怯えながら、いつもよりどっと疲れて帰宅することになり、掃除も趣味の時間も楽しめない人がいる。
あんなに明るくて、おしゃべりで、毎日楽しそうに挨拶をしてくれたあの人の顔から、笑顔が消えた。
そして、日々は過ぎ、緊急事態宣言も解除され、客足も落ち着いてきた頃、あの人はもう別人になっていた。
「私もステイホームしたかった。おうち時間が欲しかった……ただ、それだけですよ」
きっと、僕が心配していたのが顔に出ていたのだろう。
会社がリモートワークになり、このステイホーム期間中も、いつものようによく買い物に来ては、あの人と話をしていたから、そう話してくれた。
それから、数日後、あの人の姿を見ることがなくなった。
だから別の若いスタッフの子に聞いたんだ。
あの人は、どうしたんですか?って。
その子はこう言ったよ。
「先日亡くなりました。コロ●鬱だったようです」
どうして?と、尋ねるとその子は僕の顔をなぜか睨みつけた。
「あなたが、毎日毎日、マスクもつけずに来るからですよ。私たちのようなただのスタッフには、お客様にマスクをつけろなんて、強制できませんからね」
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