短編集(2020~2024)

星来香文子

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春が来た(2021.3.10)/現代ドラマ

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「やっとよ、やっと来たのよ!」
「何が?」


 昼近くに起きて来た姉は、いつも突拍子もないことを言う。
 弟の俺ですら、理解に苦しむことがあるのに、この調子じゃぁ家族以外の人間には何も理解できないだろう。

 まず、主語がないのだ。

 今日もそうだ。
 土日の2日しか存在しない一週間の休みをのんびり、まったり過ごしたい俺と違って、姉は慌ただしく階段を降りて来たかと思うと、リビングにいた俺を見て発した第一声がそれだった。

「春よ!!!」

 だからなんだと言うんだ。
 春なんて、冬が終われば勝手にやってくるだろう。

「やっと走れるのよ!!」
「は?」
「買いに行かなきゃ……!!」
「何を?」
「スニーカーに決まってるでしょ?」

 わかんねーよ。

 本当に、この姉と会話が普通にできる人間なんて、この世に存在しないんじゃないかと思う。
 社会人何年目だよ、よくそれでやっていけるな……と、まだ学生の自分を棚に上げため息をつく。

「去年買ったやつは? ダイエットするって言って買ったくせに、3日も持たなかったじゃないか。それでいいだろう? 俺は忙しいんだよ」
「何言ってるの、おねぇちゃんは、今年こそ本気なのよ? 本気でダイエットして、彼氏を作るのよ!! ついて来なさい!!」
「いや、どこに?」
「買い物に決まってるでしょうが!!」
「はぁ!?」

 俺は家でのんびり、まったり休日を満喫したいのに、また始まった。
 この姉は本当に、社会人何年目なんだよ。
 一人で買い物に行けばいいのに、なぜ弟の俺がついて行かなきゃならないんだ。
 それにあれだろう?
 スニーカーだけじゃなくて、余計なものも買って、どうせ後から後悔するんだろう?
 わかりきっていることなのに、どうしてこうも……

「ねぇ、ねぇ早く! 一緒に行こうよーぉ」

 もうこれじゃぁどっちが上かわからない。
 俺が弟だったはずなのに、なぜ甘えられなきゃならんのか……

「……わかったって。その猫なで声やめろ。気持ち悪りぃから」
「失礼な、ロリ声と言え」

 そうして、結局この姉に振り回されて、俺の土曜日はないものとなった。
 翌日、新品の赤いスニーカーを履いて、新品のトレーニングウェアで朝から家をでて、本当に走りに行った姉の姿を見送った俺は、どうせまた3日で飽きるのだろうと、なくなった土曜日を取り戻すかのように、日曜日をまったり、ゆったりと過ごした。



 ところが、俺の予想を、あの姉が裏切った。

 普段なら、出勤時間ギリギリまで起きてこない姉が、1ヶ月経っても、早朝のランニングをまだ続けている。
 去年も、春頃に同じようなことがあった時は、早起き自体が続かずに終わったというのに、どうやら姉は本気のようだ。

 ついに社会人らしく、まともになったのかと思えば、朝走り出してさらに2ヶ月が過ぎたある日の土曜日。

「やっとよ、やっと来たのよ!」
「何が?」

 のんびり、まったり残りの夏休みを過ごしたいと思っていた俺に、また主語のない姉がそう言った。

「春よ!!!」

 何言ってるんだ……今何月だと思ってるんだ、この姉は。

「……夏の次は春じゃなくて、秋だろ」
「違うわよ! そっちの春じゃないの!!」
「じゃぁ、何?」

 姉はダラシのない顔でにへらっと笑うと、咳払いを1つして、言った。


「結婚します」


「はぁあああ!?」


 け……結婚!?
 いや、その前に、彼氏は!?

 って、待てよ。
 また主語がない。
 姉のことじゃないかもしれない……

「……誰が?」
「私に決まってるでしょ?」

 こうして、また、この姉のせいで俺ののんびり、まったりな土曜日がなくなった。

「買いに行くわよ!」
「何を?」
「ゼクシ◯」
「一人でいけよ!!」

 早朝のランニングで出会った男と、そういうことになったらしい。
 結婚に向けて、走り出した姉を、誰も止めることはできない。

 来年、また春が来たら、俺はこの突拍子もない姉から解放される。
 本当に良かった。
 少し、ほんの少しだけ、さみしい気もするけど。

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