類を惹く

星来香文子

文字の大きさ
23 / 49
第四章 美しい毒

美しい毒(3)

しおりを挟む
 家族の誰も知らなかった、兄の意外な一面。
 実家で暮らしていた間は、少なくとも読書家ではなかった。
 父と同じで小説より漫画派であったあの兄が、全ての本に宛名がしっかり入ったサイン本を持っていた。
 それも、全て同じ作者の作品。
 あの髪の毛のことがあったせいで、すっかり忘れていたが、私はあれらの本を夏休みの間に読もうと思っていた。

 宛名入りということは、兄はその作者の熱心なファンであったに違いない。
 それとまったく同じ本が、なぜこんなところに置いてあるのか……従業員の私物だとは思うが、少なくとも私の位置から見えている本の背表紙には全て同じ作者の名前が書かれている。
 それも、一冊ではなく、同じ本が数冊ずつ。

 スーパーには雑誌を置いているところもあるが、普通の書籍が置かれているのは見たことがない。
 ここで売っている商品の在庫というわけでもなさそうだ。

「女性と一緒に来店されたなんて話も、聞いたことはありませんか?」
「ええ、僕が知る限りでは、ないですね。もしそんなことがあれば、それこそ大騒ぎになっていたはずですから」
 古住弁護士と店長さんの会話を聞きながら、私はずっとその本のことが気になって仕方がなかった。
「そうですか、わかりました。……陽菜さんは、他に何か聞きたいことはありますか?」
「え? 私ですか?」

 突然話を振られて、焦ってしまったけれど、店長さんに直接聞いてみた方がいいと判断し、指を指して訊ねてみる。

「あの本は、なんですか? 商品じゃないですよね?」
「本?」

 店長さんは後ろを振り返り、棚の上の本を確認すると、こちらに向き直ることなく答えた。

「ああ、これですか。僕の身内がこの本の作者なんです。読んでみれば面白い小説なんですが……あまり話題にはならなくて、ちょっとでも皆さんに知ってもらおうと、ここに置いているんです。まぁ、それでも全く誰も手に取ってくれないので、ずっとそのままなんですが」
「身内の方が……?」
「ええ。今は体調を崩してしまって、執筆も、普通の生活すらできていないですが————」

 その時、店長さんがどんな表情をしていたのか、私には見えなかっが、こちらに向き直した瞬間、無理に笑顔を作っていたように見えて、なんだか悪いことを聞いてしまったような気がしてしまった。
 普通の生活ができないということは、そうとう体調が悪いのだろう。
 もしかしたら、入院しているかもしれない。
 それ以上、この店長さんから兄について新しい情報を得ることはできなかった。


 他の従業員からも話を聞いてもらって構わないとのことで、私たちはその時出勤していた従業員のほぼ全員に何か知らないか訊ねたが、大した話は出てこない。
 兄の死の後、辞めて行ったアルバイトの話や、中には家近さんのように兄が何を買って行ったか事細かに覚えている人もいて、もう勘弁してほしいと思った。
 それを、さも誇らしげに、なんでもないことかの様に語られてしまって、呆れるしかない。

 兄の名前を知ったのも、ポイントカードを作らないかと勧誘し、そこから個人情報を得た店員が自慢気に皆に広めていたそうだ。
 兄の誕生日には、本人がいないのにも関わらず、その日出勤した従業員みんなでケーキを買ってお祝いした————なんて話もあって、会社で起きていたことと同じ様な異様なことが、ここでも起こっていたのだと知った。


 最後に話を聞いた、兄がこのスーパーに来店する様になる前から働いているという兄と同じ年くらいの男性店員は、その様子を迷惑そうにただ見ているだけだったらしい。
 彼はとても冷めた表情で言った。

「殺された人を非難したいわけではないです。でも、申し訳ないけれど、真面目に働いていた人間からすると、迷惑でしかなかったですね。飛鳥さんでしたっけ? あの人が来ると、みんな人が変わった様に目で追うんですよ。従業員だけじゃなくて、小さな子供を連れて来ているお客さんとか、子供が泣いているのとか関係なしで、見てるんです。正直な話、俺はさっさと帰って欲しいなって、いつも思ってました」
「それは……兄がご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 思わず頭を下げてしまった。まともな人間からしたら、本当に兄のあの美しさは迷惑でしかない。

「いやいや、妹さんが謝ることではないですし、あの顔に生まれたのだって————……お兄さん、整形してないですよね?」
「してないです」
「それなら、やっぱりお兄さんの責任でもないです。別に犯罪を犯したわけじゃないですし、悪いのは、お兄さんに妙な恋心というか、ファン心?を抱いた人達ですから。いい歳した大人が、仕事中に勝手に騒いでいただけですから。それより、犯人の女子大生のことなんですけど」
「……え? 何か知っているんですか?」
「逮捕された映像とか、ネットで出回ってる写真とか見ましたけど、俺がストーカーだと思っていた女と、顔が違う気がするんですよね」

「え……?」

「俺、結構、お兄さんが来店していた時間帯にシフト入ってることが多くて、その時見たんですよね。閉店間際に————」

 男性店員さんは、レジの向こう側の窓を指差して続ける。

「あのサッカー台とサッカー台の間にあるカゴのところ。あそこのガラスに張り付いて、ずっとお兄さんのレジが終わるのを見ていたんです。髪の長い女が、なんというか……うっとりとした表情で」
 

 彼はその女を見て、一瞬、幽霊かと思ったらしい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

処理中です...