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預言者

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 私が数年前、とある災害を発生の一年も前に予言した、という逸話は、私に近しい者たちの間では、あまりにも有名である。惜しむらくは、誰一人として私の言うことを信じなかった事実だ。

 酒の席であった。酔っ払いの与太話など、信じる方がおかしい、というのが常識的見解なのだろう。

 だが私の場合は、さにあらず。

 予言というものは、精神が恍惚状態において発せられる言葉であるから、直ちに一般人に了解されにくい。……あの時、私は確かに事代主神の憑依を受けていた。これを皆に理解させられなかったのは私の不徳の致すところだが。

 もはや、はっきり言ってしまおう。私は、千年に一度出現する「預言者」である。超越神によって示された世界の意味・救済の意味などを人々に述べ伝え、神の召命を受け主政を厳しく批判する立場なのだ。私の残す書物は、いわば神託の集録である。

 こんなこと言うと世間の人達は、私を「精神状態が社会通念に照らして、著しく逸脱している人間」とみなす。困ったものであるが、受難は預言者の宿命である。

 私は、この現代社会において大いなる奇跡をもたらすであろう。昔の預言者は、神から「十戒」などを授けられたが、私にいわせれば、その内容は厳しすぎたのではないか。「特に姦淫禁止」や「偽証禁止」、「貪婪禁止」などは。少なくとも、我が国でこれを忠実に守っているものがどれほどいることやら。

 私は、安いウヰスキーを飲んで、神からの二十一世紀の託宣が下りて来るのを待った。

 下りてきた。次に記す。「十奨」だ。

一、 多神仏神礼拝


二、 偶像崇拝

三、 神仏名乱唱

四、 安息日倍増

五、 父母への依存

六、 殺人はさすがに怖いね

七、 姦淫奨励

八、 盗奪ってたまにあるよね

九、 偽証って普通

十、 貪婪ドンドン

 普段、自分が「こうだったらいいのに」と思っていることが、そっくりそのまま神から下りてきた。驚くべき結果だ。もしかして私は「神」? いや、違う。この傲慢は許されない。飽くまで謙虚な姿勢が、私には求められる。千年に一人の預言者として。

 それにしてもこの「十奨」はヒンドゥー教と融合した後期密教に通底しているように思える。

 後期密教とは、民衆に根強い性力(シャクティ)信仰を取り入れ、女(般若)と男(方便)が合体する没我の境地を体験する瞑想を強調している。

 没我の境地はともかく、性交の喜びを謳う現世利益の祈りは、素晴らしいではないかと思った。

 これを広く世界に世界の人々に述べ伝えねばならぬ。大事業だ。社会の多勢に白眼視されるだろう。命さえ狙われるやも知れぬ。大受難だ。ふふ。やはり、私は本物だ。

 ……来た! 一瞬間に閃光のごとく神からの託宣。人類に伝えねば! 使命なり!

 この託宣は、きちんと言語化し、わかりやすく伝えねばならない。まずは家族に話してみよう。血を分かち合った仲なら、理解してくれるであろう。

 一階のリビングルームでテレビ鑑賞をしていた両親に、私は大音声で言を発した。

「DEFENCE YOU! 玉ぞ散りける、知る人もなし! ICH BIN! TELL ME! 吉田照美! 西方浄土!」

 一気呵成にまくし立てたので、かなりの息切れが私を襲った。

 年老いた両親は、寂しそうな顔を私に向けていた。
(なぜに自分たちの息子は、駄目になってしまったんだろう……)

 ……そんな目で見つめていた……。


 受難だ。
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