唇は赤ければ赤いほど赤い

ヘルスメイク前健

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文豪

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 二〇一五年ーー。世間では芸人初の芥川竜之介賞を受賞した又吉直樹が言祝がれていた。

 東京都内のアパートメントの一室でその模様をテレビ視聴していた壮年の美男は訝しげな眼差しだった。煙草に火をつけて、ひっきりなしに吸う。

「今回受賞した芸人……どこか僕と面持ちが似てはいないか……?」

 壮年の男の名は芥川龍之介。昭和二年に薬物を大量に摂取して自殺した、大正時代を代表する作家である。何故に彼が平成の世に存在しているのか。その理由は、本人はもちろん他の者も知らない。しかし芥川は現世で小説を書いて日々を過ごしている。この現象に対して、タイムトリップであるとか死者が蘇ったとか理屈をこねても仕方がない。無粋というものであろう。

 芥川は机上にある原稿用紙に再び向かおうとして、ふと気づいた。

「今日は木曜日だ」

 原稿の横に置いてあるスマホを手にし、カレンダーアプリを開くと確かに木曜日だった。芥川は先刻まで抱いていた名状し難い「ぼんやりとした不安」が消え、むしろ喜びの感情が湧き出てきた。同時に若干の緊張。

 身なりを整えて部屋を出る。隣の部屋のドアをノックする。

「どうぞ」

 荘重・端厳な声が中から聞こえた。部屋に入る。声の主は入口のドアに向かい卓を前にして胡座をかき、芥川を迎えた。声の主は、口髭を生やした中年男だった。夏目漱石である。明治から大正時代にかけて活躍した日本を代表する大文豪だ。そして芥川の師でもある。

「漱石先生、本日は木曜なのでお邪魔いたします。貴重な面会日にこのようなご報告をするのは大変心苦しいのですが……どうやら現代社会においては、芸人さえも文学賞を受けるなどという事態になっているらしいのです」

芥川は折り目正しく、しかし神経質気味に言った。漱石は答える。

「別に良いじゃないか。私は寄席に通うのが好きだし、別に芸人が文学賞を穫るのは一向に構わないどころか面白く思う。歓迎だ。まあ自分のこととなると話は別だがね。賞を貰うとか勲章などは一切御免蒙る」

 やや不機嫌そうであった。持病の胃潰瘍が悪化しているに違いなかった。

「あの……漱石先生。もしかして。僕の名を冠した賞が妙に権威を持ってしまったので、怒ってますか?」

「んな、こたぁ、ない!」

 漱石の癇癪玉が破裂しそうになったまさにその時、いきなりドアが大きな音を立てて開き一人の酒臭い男が乱入してきた。

「うおおう!今回も……! 今回も芥川賞を貰えなかったああっ!」

 男は絶叫していた。あまつさえ泣いていた。

 太宰治だった。学生時代から芥川に心酔し、芥川賞欲しさが過ぎて選考委員に脅迫文を書いたり懇願の手紙を送り付けたりした少しイタい『人間失格』でお馴染みの作家だ。

「太宰君、漱石先生のお部屋で失礼だよ」

 芥川が諫める。

 泥酔している太宰も、尊敬してやまない芥川の言葉を受けて少しだけ大人しくなった。

「でも……芥川先生……俺は誰よりも先生を敬愛しているんです……! 学生時代、ノオトを『芥川龍之介』という名前で埋め尽くすほどに……。写真を撮る時も先生の真似をして顎に手を添えるポオズをとったりするくらい大好きなんです……! キモいですか? 俺、ちょっとキモいですか?」

 ちょっとどころか物凄くキモい、と芥川は思った。が、何も言わなかった。何となく視界に歯車が現出した。頭痛がし、腹具合も悪くなってきた。またもや「ぼんやりとした不安」。

 太宰は明らかにラリっていた。

「……もしかして太宰君、また麻薬をやっているのかい? この何かと規制の厳しい平成の世で」

 芥川が問う。太宰は悪びれる様子もなく答えた。

「ちょっとヤってます。父親が貴族院議員なんで少しくらいなら警察に怒られないという方程式ですかね!」

 芥川と漱石は苦虫を噛み潰した様な顔で、天下の奇観のごとく太宰を見つめた。

 太宰は己の語りを止めない。独白は彼のお家芸だ。

「昨晩は六本木界隈で飲んでいたんスよ。いまどきはそこにいる女を『女給』なんて呼びませんよ。『キャバ嬢』です。新聞社の入社試験に落ちて、かなりブルーだったんです。適当な女と一緒に心中自殺しようとしたんですがね、これが驚き。こちらは割と本気なのに、キャバ嬢たちは全然まともに相手をしてくれないんですよ! 仕方ないから吉原に行ってみたら、どの店にもなぜか風呂があってこれも驚きましたねえ。あ、女と入水自殺するにはもってこい、と思ったんですけど、これも上手くいかなくて……」

 太宰の与太話を聞いているうちに芥川は頭痛・幻覚がひどくなってきた。漱石は漱石で胃の痛みに耐えきれなくなり、ついに癇癪は爆発した。大音声を発する。

「向上心のないやつは馬鹿だ!」(『こころ』)

 芥川も続けて言い放った。

「いかに一芸一能に秀でても人としての五常をわきまえねば地獄に落ちるほかない」(『地獄変』)

 太宰は一瞬怯んだかのように見えたが、いきなり哄笑。

「二人とも本当は俺のことが好きなくせにぃ! 好きじゃなかったら、俺を部屋に入れませんよぉ!」

 勝手に闖入してきてこの戯言。

 彼の態度は、本気なのか道化の虫の成せる業なのか判然とせぬ。本人もよく分かっていないのではないか。高笑いは止まる気配がない……。

 そんな太宰を無視して、漱石は気を取り直し、芥川に話しかける。

「そうだ。新聞社といえば、最近は我々のところに朝日新聞の社員が来ないな。私は未完の『明暗』を再開する準備は整っているのだが……」

「漱石先生が朝日新聞の連載なら、僕は毎日新聞の連載ですかね」

 芥川も気を取り直して答えた。

 そこへまたもや絶叫する太宰が。

「朝日新聞? 毎日新聞? な……何ですか! 立派に優秀な成績で帝大を出たお二人に比して、卒業さえできず、新聞社の入社試験に落ちた俺の前でそんな話をこれ見よがしにするなんて! 俺はどうせ恥の多い人生を送って参りましたよ! 生まれてすみません! すみません!」

 あまりにも面倒くさい言動に芥川はさすがに厳しい口調で言い放った。

「その『生まれてすみません』というフレーズ、寺内寿太郎という詩人の遺書からの盗用だろう?」

「す……すみません……!」

 しかしラリっている太宰は豹変。尊敬する芥川に対して、いきなり食ってかかる蛮行に出た。

「でも! 芥川先生の作品って結構な割合で『今昔物語集』などからパクってますよね? 小説ってやっぱりオリジナルで勝負するべきだと思うなあ!」

 今度は漱石が激高した。

「馬鹿者! 君の作品だって女性の日記を借りて、ほとんどそのままの形で発表したものがあるじゃないか! 恥を知れ!」

「あ! 何スか? モテないオッサンの僻みですか? みっともねえなあ。厭だなあ。キレる中年ってやつですかね。眼科で見かけた女が自分と結婚したがっている、なんて妄想しまくるオッサンってキモすぎ~!」

 太宰の狼藉に血糖値が上がり、ストレスが極限まで高まった漱石は胃潰瘍が最悪の状態になってしまった。

 ぷしゃああああっ!

 漱石、大量吐血。頭が後方に倒れ、思い切り壁に当たった。ドン、と鈍い音がした。

「漱石先生!」

 芥川は青ざめた顔で、師である漱石にわなわなと近づいた。意識が遠のいてゆく中、漱石は弟子に尋ねた。

「芥川君……。これが今、流行っている『壁ドン』という代物かね……?」

 芥川は即座に冷静になって答えた。

「違います」

 太宰もトドメを刺すかのように言う。

「てか、ちょっと古いッスよ」

 漱石は何だかよく分からないうちに絶命した。享年百四十八ーー。

 芥川は漱石の葬儀の受付を務めた。参列した森鴎外から名刺をもらった。鴎外は軍服を着ていたが、折しも日米安保法制の議論で揺れる二〇一五年において、彼は何らかの過激な政治思想を持っている人物とみなされて誰も近づかなかった。唯一、西武デパートで買ったインチキ軍服を身に纏った三島由紀夫だけが「絶対崇拝しています」と話しかけていた。会場が変な雰囲気になった。

 ーー後日談。

 芥川は芥川だけあって、芥川賞に縁があるらしい。第百××回芥川賞を受賞した。選考委員の村上龍による講評によると「限りなく芥川に近いブルーな小説」であることが選定理由だった。当の芥川本人は、ぼんやりとした不安を抱えながら執筆を続けようとしたが、マスコミュニケーションにて「芥川龍之介のそっくりさん」、「芥川龍之介のコスプレ芥川賞作家」などと面白おかしく過剰に取り上げられて完全に神経は破綻。「ぼんやりとした不安」云々という遺書を残して自殺した。

 太宰治は、相も変わらず酒に溺れ女に狂っている。芥川賞が欲しくて欲しくてたまらないが、今後も絶対に受賞しない。

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