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ルームメイト
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入学式、ホームルームが終わると、生徒は全員帰寮する。
貢は子どもたちに惜しまれて、今朝の今朝まで粘って施設にいたため、学生寮に入るのはこれが初めてだ。普通の生徒は、入学式の一週間前から徐々に入寮を進めていたらしい。
談話室や廊下で、すでにワイワイと盛り上がっている新入生たちを見ると、出遅れた感があって焦る。出来上がっているところに首を突っ込んで交流をすることに抵抗はなくとも、今は背負った大荷物を下ろしたい気持ちでいっぱいだった。
自分に割り当てられている部屋を探し、怪談を上る。
「三階かぁ……」
エレベーターが欲しいな、と、若さのかけらもないことを考えながら目的の階へ。きょろきょろと部屋番号を確認しながらさまよっていると、ドシン、と人にぶつかってしまった。
「あ、すみません!」
慌てて謝る貢に、相手は反応を示さなかった。こちらを一瞥すると、そのままいなくなってしまう。青白い顔で、幽霊のようだった。
すでに私服姿の彼は、入学式に関係のない上級生だ。それにしても、夢も希望もない辛気臭い顔だった。
二年、三年と上がるうちに、自分もあんな暗い穴みたいな目になっていくんだろうか。
想像して、ぶるりと冷えた。いやだいやだ。高校を卒業したって、まだ二十歳にもならないのだ。今からそんなんじゃ、社会人になったらもう、死ぬしかなくなるじゃないか。
辿り着いた部屋の扉をノックする。もしかしたら、同室者は不在で、談話室で友情を深めているのかもしれないと思ったが、すぐに「はい」と返事があって、安心した。
ゆっくりと扉を開け、「お邪魔します」と早口に言う。柄にもなく、緊張している。
「こんにちは。初めまして」
同い年の男にしては、少々高い声だった。アニメに出てくる「男の子」の声というとしっくりくる。のんびりとした口調で、
「お邪魔しますじゃなくて、これからは『ただいま』だからね」
と笑った。
ひとまず荷物を置いて、事前に送ってあった私物を確認する。大したものはないのでチェックはすぐに終わり、貢は再び、同室者と向かい合った。さっきは向こうから話しかけてくれたし、自己紹介は自分からしようと口を開く。
「初めまして。一年A組、明日真貢です」
「うん。僕はB組の、花井文也っていうんだ。よろしくね。文也でいいよ」
差し出された手に応じると、あまりのふんわりむっちり感に思わず離してしまった。
「あっ、手汗かいてた? ごめんね」
ぽっちゃり体型の文也は、汗っかきを自認している。違う違う、と慌てて貢は否定した。勘違いさせて悪かった。
「ち、違うんだ。その、文也の手が」
こんなことを言ってもいいものかどうか。逡巡する貢に、「手が?」と、追撃をしてくるから、おずおずと口を開いた。
「文也の手があまりに柔らかくて、驚いたんだよ」
彼は頬肉に埋もれた目を瞬かせて、それから細くした。人好きのする顔と雰囲気だ。
「よく言われるよ。僕の手、赤ちゃんの頃から変わってない、クリームパンみたいだって」
クリームパン?
貢は想像した。てのひらが大きくて、なのに五つに分かれた指は、それに見合うだけの長さがない。ふかふかと脂肪に覆われ、皺ひとつなくパンパンだ。
「あっ、は」
まさしくクリームパンとは言いえて妙で、貢は噴き出した。腹を抱えて大笑いすると、文也はしばらく驚き固まっていたが、一緒になって笑い転げた。
失礼だと怒られても仕方ないのに、彼は頓着しない。
箸が転がっても、という古い言葉は若い女に対して言うようだったが、現代では若い男もまた、意味のないことで笑うものである。
ひとしきり笑って、貢は目の端に浮かんだ涙を指で拭った。両親が死んでから、こんなに笑ったのは初めてだ。
児童養護施設は、乳幼児から十五歳までの子どもが暮らしていた。中学三年、十五歳。一年に満たない期間しかいられない貢はイレギュラーそのもので。同世代のコミュニティに入るのは今更だったから、子どもたちの世話を買って出た。せめて職員の歓心を買いたかったのである。
もともと、父親の仕事の都合で転々としていたから、親しい友達ができることもなかった。なので、文也とこんな風に、当たり前の顔で笑えたのが心から嬉しかった。
貢は夕食の時間まで、文也といろいろなことを話した。その中で、上級生たちの話も出た。
「あー。僕は一週間前から寮で暮らしてるんだけどね」
「うん」
曰く、二、三年生はほとんど自室から出てこないのだという。学校以外は、風呂と食事とトイレのときだけ。誰とも喋らずに、目を合わせないようにして早足で廊下を移動しているのが上級生らしい。
ぶつかった相手のことを思い出した。確かに、目が合わなかった。あのひとりが特別だったわけじゃなく、先輩たちみんながああだとすると、少々気になる。
「来年になったら、俺たちもそうなっちゃうのかな」
「えー? 絶対そんなことないよ。たまたまだよ」
楽観的な文也の表情を見ていると、確かにこの顔がどんよりと曇って、目の下に黒い陰ができるとは考えづらかった。文也にはずっと、クリームパンの手の持ち主でいてもらいたいものだ。
「あ、そういやさ、B組ってことはなんだっけ、新入生代表の……」
「三日月くん?」
「そうそれ。同じクラスなんだろ? どんな感じ?」
話題を変えたくて出した名前に、文也は食いついた。やっぱり皆、あの少年には何かしら、関心を寄せるものらしい。自分だけじゃなかったことに安堵した。何せ、男相手に「もっと彼のことを知りたい」と思うのは初めての経験であったから。
文也は目をキラキラさせて、指を組んで乙女のポーズだ。男のやる仕草ではないが、なんとなく許されるような気がしてしまう。文也と知り合って、まだ数時間しか経っていないが、貢は彼と仲良くやっていけそうな予感があった。
「もうね、本当にかっこいいよ! 僕の隣を通りかかったんだけどね、いい匂いがした!」
「へえ」
「三日月くん、なんかおうちで用事があったらしくて先に帰っちゃったんだけど、その後みんなで、さすがノブレスォーガだよねって話をしてて……」
ノブレスォーガ。入学式でも聞いた単語だった。あのときは聞けなかったけれど、今なら遠慮はいらないし、文也ならばこちらの知識不足を馬鹿にしたりせず、快く教えてくれるに違いない。
「なぁ、文也。それって……」
言いかけた貢を、ピンポンパンポーン、というレトロなチャイムが遮る。
『夕食の準備ができました。繰り返します。夕食の準備ができました……』
「今日僕たち、Aグループだからご飯もお風呂も最初だよ! 行こう!」
もう、お腹ぺっこぺこ!
ぶるん、と腹の肉を揺らして、思いのほか俊敏に彼は立ち上がった。勢いに驚いて、貢は仰け反りかける。
「お、おう」
やれやれ、聞きそびれてしまった。食堂で夕飯を食べながら尋ねてもいいのだが、そこはふたりきりの空間ではない。この調子だと、ノブレスォーガ(=三日月天嗣?)とは、自分が知らないだけで皆の共通認識である可能性が高い。
不用意に人前で「それって何?」と聞いたら、「お前、そんなことも知らないのかよ!」と、嘲笑されてしまう。
そんなことで注目を浴びるのは嫌だな、と思った貢は、「今日は入学式でおめでたいから、ちらしずしなんだって!」と、はしゃぐ文也の後に、おとなしくついていった。
貢は子どもたちに惜しまれて、今朝の今朝まで粘って施設にいたため、学生寮に入るのはこれが初めてだ。普通の生徒は、入学式の一週間前から徐々に入寮を進めていたらしい。
談話室や廊下で、すでにワイワイと盛り上がっている新入生たちを見ると、出遅れた感があって焦る。出来上がっているところに首を突っ込んで交流をすることに抵抗はなくとも、今は背負った大荷物を下ろしたい気持ちでいっぱいだった。
自分に割り当てられている部屋を探し、怪談を上る。
「三階かぁ……」
エレベーターが欲しいな、と、若さのかけらもないことを考えながら目的の階へ。きょろきょろと部屋番号を確認しながらさまよっていると、ドシン、と人にぶつかってしまった。
「あ、すみません!」
慌てて謝る貢に、相手は反応を示さなかった。こちらを一瞥すると、そのままいなくなってしまう。青白い顔で、幽霊のようだった。
すでに私服姿の彼は、入学式に関係のない上級生だ。それにしても、夢も希望もない辛気臭い顔だった。
二年、三年と上がるうちに、自分もあんな暗い穴みたいな目になっていくんだろうか。
想像して、ぶるりと冷えた。いやだいやだ。高校を卒業したって、まだ二十歳にもならないのだ。今からそんなんじゃ、社会人になったらもう、死ぬしかなくなるじゃないか。
辿り着いた部屋の扉をノックする。もしかしたら、同室者は不在で、談話室で友情を深めているのかもしれないと思ったが、すぐに「はい」と返事があって、安心した。
ゆっくりと扉を開け、「お邪魔します」と早口に言う。柄にもなく、緊張している。
「こんにちは。初めまして」
同い年の男にしては、少々高い声だった。アニメに出てくる「男の子」の声というとしっくりくる。のんびりとした口調で、
「お邪魔しますじゃなくて、これからは『ただいま』だからね」
と笑った。
ひとまず荷物を置いて、事前に送ってあった私物を確認する。大したものはないのでチェックはすぐに終わり、貢は再び、同室者と向かい合った。さっきは向こうから話しかけてくれたし、自己紹介は自分からしようと口を開く。
「初めまして。一年A組、明日真貢です」
「うん。僕はB組の、花井文也っていうんだ。よろしくね。文也でいいよ」
差し出された手に応じると、あまりのふんわりむっちり感に思わず離してしまった。
「あっ、手汗かいてた? ごめんね」
ぽっちゃり体型の文也は、汗っかきを自認している。違う違う、と慌てて貢は否定した。勘違いさせて悪かった。
「ち、違うんだ。その、文也の手が」
こんなことを言ってもいいものかどうか。逡巡する貢に、「手が?」と、追撃をしてくるから、おずおずと口を開いた。
「文也の手があまりに柔らかくて、驚いたんだよ」
彼は頬肉に埋もれた目を瞬かせて、それから細くした。人好きのする顔と雰囲気だ。
「よく言われるよ。僕の手、赤ちゃんの頃から変わってない、クリームパンみたいだって」
クリームパン?
貢は想像した。てのひらが大きくて、なのに五つに分かれた指は、それに見合うだけの長さがない。ふかふかと脂肪に覆われ、皺ひとつなくパンパンだ。
「あっ、は」
まさしくクリームパンとは言いえて妙で、貢は噴き出した。腹を抱えて大笑いすると、文也はしばらく驚き固まっていたが、一緒になって笑い転げた。
失礼だと怒られても仕方ないのに、彼は頓着しない。
箸が転がっても、という古い言葉は若い女に対して言うようだったが、現代では若い男もまた、意味のないことで笑うものである。
ひとしきり笑って、貢は目の端に浮かんだ涙を指で拭った。両親が死んでから、こんなに笑ったのは初めてだ。
児童養護施設は、乳幼児から十五歳までの子どもが暮らしていた。中学三年、十五歳。一年に満たない期間しかいられない貢はイレギュラーそのもので。同世代のコミュニティに入るのは今更だったから、子どもたちの世話を買って出た。せめて職員の歓心を買いたかったのである。
もともと、父親の仕事の都合で転々としていたから、親しい友達ができることもなかった。なので、文也とこんな風に、当たり前の顔で笑えたのが心から嬉しかった。
貢は夕食の時間まで、文也といろいろなことを話した。その中で、上級生たちの話も出た。
「あー。僕は一週間前から寮で暮らしてるんだけどね」
「うん」
曰く、二、三年生はほとんど自室から出てこないのだという。学校以外は、風呂と食事とトイレのときだけ。誰とも喋らずに、目を合わせないようにして早足で廊下を移動しているのが上級生らしい。
ぶつかった相手のことを思い出した。確かに、目が合わなかった。あのひとりが特別だったわけじゃなく、先輩たちみんながああだとすると、少々気になる。
「来年になったら、俺たちもそうなっちゃうのかな」
「えー? 絶対そんなことないよ。たまたまだよ」
楽観的な文也の表情を見ていると、確かにこの顔がどんよりと曇って、目の下に黒い陰ができるとは考えづらかった。文也にはずっと、クリームパンの手の持ち主でいてもらいたいものだ。
「あ、そういやさ、B組ってことはなんだっけ、新入生代表の……」
「三日月くん?」
「そうそれ。同じクラスなんだろ? どんな感じ?」
話題を変えたくて出した名前に、文也は食いついた。やっぱり皆、あの少年には何かしら、関心を寄せるものらしい。自分だけじゃなかったことに安堵した。何せ、男相手に「もっと彼のことを知りたい」と思うのは初めての経験であったから。
文也は目をキラキラさせて、指を組んで乙女のポーズだ。男のやる仕草ではないが、なんとなく許されるような気がしてしまう。文也と知り合って、まだ数時間しか経っていないが、貢は彼と仲良くやっていけそうな予感があった。
「もうね、本当にかっこいいよ! 僕の隣を通りかかったんだけどね、いい匂いがした!」
「へえ」
「三日月くん、なんかおうちで用事があったらしくて先に帰っちゃったんだけど、その後みんなで、さすがノブレスォーガだよねって話をしてて……」
ノブレスォーガ。入学式でも聞いた単語だった。あのときは聞けなかったけれど、今なら遠慮はいらないし、文也ならばこちらの知識不足を馬鹿にしたりせず、快く教えてくれるに違いない。
「なぁ、文也。それって……」
言いかけた貢を、ピンポンパンポーン、というレトロなチャイムが遮る。
『夕食の準備ができました。繰り返します。夕食の準備ができました……』
「今日僕たち、Aグループだからご飯もお風呂も最初だよ! 行こう!」
もう、お腹ぺっこぺこ!
ぶるん、と腹の肉を揺らして、思いのほか俊敏に彼は立ち上がった。勢いに驚いて、貢は仰け反りかける。
「お、おう」
やれやれ、聞きそびれてしまった。食堂で夕飯を食べながら尋ねてもいいのだが、そこはふたりきりの空間ではない。この調子だと、ノブレスォーガ(=三日月天嗣?)とは、自分が知らないだけで皆の共通認識である可能性が高い。
不用意に人前で「それって何?」と聞いたら、「お前、そんなことも知らないのかよ!」と、嘲笑されてしまう。
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