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2 オメガの矜持
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エルフの国へ行くのは、リッカの他に七人の年若い、番のいないオメガたちと決まった。
十四から十六の、妊娠・出産に適した年齢の少年たちには、リッカが直接告げに行った。
家族で暮らしている者もいれば、国の援助を受けて共同生活を送っている者もいる。彼らは皆、喜びと不安でない交ぜになった表情を浮かべて、恭しく令状を受け取った。
オメガにとっての至上の喜びは、アルファと番い、子孫を繁栄させることである。子どもの中に、オメガやアルファ因子を持つ者が産まれれば、なおよい。
待ちに待った機会に恵まれたのは嬉しいことだが、エルフの国に嫁いだ前例はない。彼らは先日の舞踏会にはいなかったが、列席していたオメガ族がひどく侮辱されたことは噂で聞いていた。自分たちがどんな風に扱われるのか、怖がるのも仕方がない。
「エルフの国って、どんなところなんでしょうね」
初めての嫁取りということもあり、今回は王族のアルファ因子を持つ者と番わなければならない。そのため、オメガ王族からも派遣することになっていた。
白羽の矢が立ったのは、アンジュだ。
弟は十五で、適齢期だ。虎や獅子の獣人族との縁談が持ち込まれていたが、母王はすべて断っていた。おそらく、エルフが動くという算段がその時点であったのだろう。
オメガ国防衛のために雇っている傭兵たち(無論、アルファ因子を持たない)の中には、獣人族も多い。アンジュは彼らの鍛錬に混ざり、汗を流すのが日課であった。
リッカが手渡したタオルで顔や首筋を拭きつつ、「向こうでも、こうやって運動する時間があるだろうか」と、不安そうにしている。
「エルフの国は、広大な森の中にあるそうだよ。ほら、お前の好きなクルミもたくさん取れるらしいから、一緒に取りに行こう」
寝ていた彼の猫耳が、ピンと立つ。同じく垂れていた尻尾も。目を驚きと喜びに輝かせ、アンジュはリッカに飛びついた。
「リッカ兄上も、一緒に行かれるのですかっ?」
オメガの王族としての責務に押しつぶされそうな顔が、兄からの愛情を信じてやまない可愛い弟の顔に変じるものだから、リッカも思わず笑った。彼の頭を撫でてやると、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
「もちろん。お前ひとりで、エルフの国への旅を引率するのは不安だろう?」
「やった! 兄上と一緒だ!」
途端に、向こうに着いたらあれもしたい、これもしたいと好奇心一杯に語り始めるものだから、リッカは一度、アンジュを止めた。
「アンジュ。わかっているとは思うけれど、遊びに行くのではないからね」
自由奔放なのは弟の魅力のひとつだが、いつまでも子どもでいさせてやることはできない。
アンジュはほんのわずかに唇を尖らせた。それからすぐに、王族としての真面目な顔になる。
「わかってますよ。それに、もしかしたらそのひとが、僕の運命の番かもしれない」
運命の番。
オメガの一族の間で、古くから信じられている伝説だ。一目見た瞬間から惹かれ合い、愛し合うと定められている相手。そのアルファを手にしたオメガは、無上の幸福を死ぬまで享受できるという。
無論、おとぎ話の類いに過ぎない。リッカは一度たりとも、運命の番が見つかったという話を聞かない。
そもそも「無上の幸福」とはなんなのか。曖昧なことを言って夢を見させるだけの、おためごかしではないか。
それでも、弟の言葉を否定しなかったのは、「運命の番」という単語を出すことで、彼が自分自身を鼓舞しようとしているのが、伝わったからだ。
「そうだね」
ふと、夕焼け色の目をしたエドアールのことを思い出した。彼に手を引かれてたどたどしく踊った、ダンスのことも。
何度足を踏んでも、エドアールは笑って許した。リッカに恥をかかせないよう、巧みにリードしてくれた。
アルファ因子を持つ者がすべて、善良ではない。国内では、横暴な番から逃げてくるオメガも、ちらほらいた。「嫁ぐならこんなひとがいい」「こういうのはやめておけ」と、あれこれアドバイスをしてくる傷ついたオメガ。
彼らの言う理想のアルファとは、ああいう男のことを言うのではないかと、リッカですら思った。
そういえば、アンジュはあの日、すぐに退席してしまっていたから、エドアールとはまともに顔を合わせていない。
もしもあの人が、弟の番になってくれたら。
リッカはそんな風に考えて、アンジュの元を離れた。
「どこへ?」
「騎士団の人と、エルフ国へ向かう旅についての相談さ」
「失礼します」
エルフの一団は、基本的には都の高級宿に宿泊している。例外はエドアールで、王族の彼だけは、王宮の客間に泊まっていた。
用意していた小さな会議室には、今回派遣されてきた騎士団の団長であるエドアールと、副官のキルシュ。それからリッカの三人で、オメガの少年たちを無事にエルフ国に迎え入れるための話し合いをする。
「……やはり、地図の精度が全然違うのですね」
中央の大机に広げられた騎士団の持つ地図は、オメガ国側が用意できるものとはまったく異なっていて、リッカは嘆息した。
それもそのはず、騎士団は自分たちの力に加えて地の利も活かして自国の領土を、国民を守らなければならない。
オメガ族は攻められたときのために傭兵を雇ってはいるが、常駐の騎士団は存在しないため、国防意識が希薄である。
この世界唯一の希望であるオメガ族を独占しようとする国もかつてあったが、他国から総攻撃を受けて滅んだ。その後は牽制しあって、いわばこの国は、不可侵領域となっている。
自前で騎士団を用意できないのは、オメガは妊娠・出産・子育てを繰り返すため、戦うことができないからだ。
大陸東端のオメガ国から、中央の森に位置するエルフ国までは、それほど険しい道のりではない。ふたつの人間の国と、獣人族の自治領が間にあり、それぞれ太い街道で繋がっている。本格的な冬になると、雪で立ち往生する可能性もあるが、今はまだ秋のはじめ、旅にはよい季節だ。
「あとはこの辺で、盗賊が出ることもありますが」
「盗賊!?」
恐ろしい単語に、ぶるりと震えた。キルシュは慌てて、「大丈夫です。必ず我々が、オメガの皆様をお守りいたします」と付け足す。
「ちなみに、どのくらいの日程で着きますか?」
リッカが行ったことがあるのは、隣の人間族の国だけである。それも一度だけ。
オメガは基本、派遣先の国に住み着くが、王はオメガ国内で子を産み、育てる。王子がアルファ因子を持っていれば父方に送られ、オメガなら手元に。どちらでもなければ、長じてから自分の生きる道を選ぶ。
「ええと」
キルシュは言い淀み、腕を組んで地図を眺めているエドアールに視線を向けた。
「一ヶ月だ」
「は」
一ヶ月?
思わずリッカは、復唱した。
「馬鹿な。そんなにかかるわけありません。皆さん、こちらに来られたときは何日かかったんです? 一ヶ月なわけがないでしょう」
隣の国には、少し急げば日帰りで行き来できる。もちろん、性急に事を進める必要はないが、それでも一ヶ月は長すぎる。だいたいその間の旅費は誰が持つのだ。オメガ国だって、半分負担するのに。
「十日ほどで……」
言いづらそうなキルシュの告白に、「でしょう?」と、リッカは重ねた。
エルフ側だって今回、騎士団だけではなく、旅慣れない文官も一緒だった。それでも十日だ。人数が増えたところで、せいぜい二週間見積もればじゅうぶんだ。
リッカの主張に、エドアールは難しい顔をしている。キルシュは隣でハラハラし通しだった。
「殿下」
情けない副官の声に、エドアールは腕を下ろし、溜息をついた。
「オメガ族は、その、身体が弱いだろうから気を遣った」
「はぁ?」
エルフ至上主義の文官たちが聞いたら、不敬だと罵られそうな反応をしてしまう。たった一言の応答で、リッカが気分を害したことを敏感に察知したエドアールは、どう少なく見積もっても二百歳以上のくせに、唇を尖らせた。
「だって」
「だって?」
言い訳する仕草がアンジュと変わらない。オメガ族年齢に換算すると、もしかしたら弟と同じくらいなのかもしれなかった。
「ダンスをしたとき、君があまりにも軽かったから……」
舞踏会のクライマックスは、エドアールに身体を持ち上げられた。そのときに何やら不思議そうな顔をしていたから気になっていたが、まさかそんなことを考えていたなんて。
「鳥の羽のようだったぞ」
「それは勘違い、言い過ぎです」
今年二十歳になる男として、子ども扱いをされるのはいただけない。
ムッとしたのを隠さず態度に表せば、エドアールはしょんぼりする。
リッカは「僕の体重がエルフの方々より軽いのは置いておきまして」と、エドアールの説得にかかる。
「殿下は、僕たちオメガ族のことを、どれくらいご存じで?」
オメガ族には発情期があり、子を宿すことができる。
これは他国の庶民の間でも通じる、オメガ族の最低限の認識である。これから嫁ぐ相手先の、しかも王族。それだけの知識では困る。
「オメガ族は各国に嫁ぎ、その土地で暮らします。そして子どもが産まれ、オメガだった場合は、十歳になる年に、全員オメガ国へと集められるのです」
十歳という年は、発情期が訪れる直前だ。オメガ国に迎えられ、彼らは教育を受ける。
純粋に生まれも育ちもこの国であるのは、王族くらいだ。
オメガの子どもが他国で何も知らずに成長するのは、辛いことだ。
誰にも理解されない発情期の苦しみ。フェロモンによって誘引されたアルファ因子の男は、理性を失い襲いかかる。項を噛まれれば、オメガの意志に関係なく番関係を結ぶ羽目になる。
事故や事件が絶えないことを憂慮した祖先が定めた制度であった。
無論反発もあったが、オメガ王は皆、他の国に身を捧げ、尊い血筋を繋いでやったという歴史がある。今後オメガを嫁がせないと言えば、渋々従うようになった。
「その後、十三、四歳までの間にオメガとしての教育を受け、我々は他国へ嫁ぐのです。もちろん、希望があれば聞き入れます。故郷に戻ることも、そのままオメガ国民として過ごすことだってできますし、誰とも番いたくないという気持ちも尊重します」
子を産む能力があっても、出産は義務ではない。それに、オメガとしての幸福を切望しても、叶えられない者もいる。
「たかが二週間の旅でどうこうなる訳がないのです。十の子どもの頃に、経験済みですから。エルフの国よりも遠いところから来ている子もいるのですよ、エドアール殿下?」
畳みかけ、自分の身体の丈夫さを誇るべく胸に手を当てたリッカのことを、しかしエドアールは、いまだ不安に揺れる目で見つめる。
「まだ何か?」
「その、オメガ族は、長くは生きられないと聞いた」
リッカは言葉を失う。そういうことばかり、よく知っているものだ。呆れる。
確かにオメガ族の寿命は、ほとんど性質の変わらない人間族と比べても、短い。人間族が七十年生きるとすれば、オメガ族は四十年ほどで、命の灯が尽きることが多い。
言いづらそうに、「国王陛下も、伏せっていらっしゃるし」と言うものだから、カッとなった。
母はもう、三十七歳だ。
「そりゃあ、あなた方エルフに比べたら、僕らオメガの命なんて、一瞬でしょうよ。だからといって、馬鹿にしないでもらいたい」
「そんな。俺は馬鹿になんて……」
「いいえ、馬鹿にしてます。僕らはそんなに弱くない。守られるだけの厄介な存在じゃないんだ」
大机を平手で打った。じん、と痺れる痛みに理性を取り戻したリッカは、指を二本立てた。
「二週間。二週間で、エルフ国に行けます」
そのつもりで準備の程、よろしくお願いします。
いまだカッカと燃え上がる怒りを鎮めて、リッカは頭を下げ、会議室から出た。
十四から十六の、妊娠・出産に適した年齢の少年たちには、リッカが直接告げに行った。
家族で暮らしている者もいれば、国の援助を受けて共同生活を送っている者もいる。彼らは皆、喜びと不安でない交ぜになった表情を浮かべて、恭しく令状を受け取った。
オメガにとっての至上の喜びは、アルファと番い、子孫を繁栄させることである。子どもの中に、オメガやアルファ因子を持つ者が産まれれば、なおよい。
待ちに待った機会に恵まれたのは嬉しいことだが、エルフの国に嫁いだ前例はない。彼らは先日の舞踏会にはいなかったが、列席していたオメガ族がひどく侮辱されたことは噂で聞いていた。自分たちがどんな風に扱われるのか、怖がるのも仕方がない。
「エルフの国って、どんなところなんでしょうね」
初めての嫁取りということもあり、今回は王族のアルファ因子を持つ者と番わなければならない。そのため、オメガ王族からも派遣することになっていた。
白羽の矢が立ったのは、アンジュだ。
弟は十五で、適齢期だ。虎や獅子の獣人族との縁談が持ち込まれていたが、母王はすべて断っていた。おそらく、エルフが動くという算段がその時点であったのだろう。
オメガ国防衛のために雇っている傭兵たち(無論、アルファ因子を持たない)の中には、獣人族も多い。アンジュは彼らの鍛錬に混ざり、汗を流すのが日課であった。
リッカが手渡したタオルで顔や首筋を拭きつつ、「向こうでも、こうやって運動する時間があるだろうか」と、不安そうにしている。
「エルフの国は、広大な森の中にあるそうだよ。ほら、お前の好きなクルミもたくさん取れるらしいから、一緒に取りに行こう」
寝ていた彼の猫耳が、ピンと立つ。同じく垂れていた尻尾も。目を驚きと喜びに輝かせ、アンジュはリッカに飛びついた。
「リッカ兄上も、一緒に行かれるのですかっ?」
オメガの王族としての責務に押しつぶされそうな顔が、兄からの愛情を信じてやまない可愛い弟の顔に変じるものだから、リッカも思わず笑った。彼の頭を撫でてやると、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
「もちろん。お前ひとりで、エルフの国への旅を引率するのは不安だろう?」
「やった! 兄上と一緒だ!」
途端に、向こうに着いたらあれもしたい、これもしたいと好奇心一杯に語り始めるものだから、リッカは一度、アンジュを止めた。
「アンジュ。わかっているとは思うけれど、遊びに行くのではないからね」
自由奔放なのは弟の魅力のひとつだが、いつまでも子どもでいさせてやることはできない。
アンジュはほんのわずかに唇を尖らせた。それからすぐに、王族としての真面目な顔になる。
「わかってますよ。それに、もしかしたらそのひとが、僕の運命の番かもしれない」
運命の番。
オメガの一族の間で、古くから信じられている伝説だ。一目見た瞬間から惹かれ合い、愛し合うと定められている相手。そのアルファを手にしたオメガは、無上の幸福を死ぬまで享受できるという。
無論、おとぎ話の類いに過ぎない。リッカは一度たりとも、運命の番が見つかったという話を聞かない。
そもそも「無上の幸福」とはなんなのか。曖昧なことを言って夢を見させるだけの、おためごかしではないか。
それでも、弟の言葉を否定しなかったのは、「運命の番」という単語を出すことで、彼が自分自身を鼓舞しようとしているのが、伝わったからだ。
「そうだね」
ふと、夕焼け色の目をしたエドアールのことを思い出した。彼に手を引かれてたどたどしく踊った、ダンスのことも。
何度足を踏んでも、エドアールは笑って許した。リッカに恥をかかせないよう、巧みにリードしてくれた。
アルファ因子を持つ者がすべて、善良ではない。国内では、横暴な番から逃げてくるオメガも、ちらほらいた。「嫁ぐならこんなひとがいい」「こういうのはやめておけ」と、あれこれアドバイスをしてくる傷ついたオメガ。
彼らの言う理想のアルファとは、ああいう男のことを言うのではないかと、リッカですら思った。
そういえば、アンジュはあの日、すぐに退席してしまっていたから、エドアールとはまともに顔を合わせていない。
もしもあの人が、弟の番になってくれたら。
リッカはそんな風に考えて、アンジュの元を離れた。
「どこへ?」
「騎士団の人と、エルフ国へ向かう旅についての相談さ」
「失礼します」
エルフの一団は、基本的には都の高級宿に宿泊している。例外はエドアールで、王族の彼だけは、王宮の客間に泊まっていた。
用意していた小さな会議室には、今回派遣されてきた騎士団の団長であるエドアールと、副官のキルシュ。それからリッカの三人で、オメガの少年たちを無事にエルフ国に迎え入れるための話し合いをする。
「……やはり、地図の精度が全然違うのですね」
中央の大机に広げられた騎士団の持つ地図は、オメガ国側が用意できるものとはまったく異なっていて、リッカは嘆息した。
それもそのはず、騎士団は自分たちの力に加えて地の利も活かして自国の領土を、国民を守らなければならない。
オメガ族は攻められたときのために傭兵を雇ってはいるが、常駐の騎士団は存在しないため、国防意識が希薄である。
この世界唯一の希望であるオメガ族を独占しようとする国もかつてあったが、他国から総攻撃を受けて滅んだ。その後は牽制しあって、いわばこの国は、不可侵領域となっている。
自前で騎士団を用意できないのは、オメガは妊娠・出産・子育てを繰り返すため、戦うことができないからだ。
大陸東端のオメガ国から、中央の森に位置するエルフ国までは、それほど険しい道のりではない。ふたつの人間の国と、獣人族の自治領が間にあり、それぞれ太い街道で繋がっている。本格的な冬になると、雪で立ち往生する可能性もあるが、今はまだ秋のはじめ、旅にはよい季節だ。
「あとはこの辺で、盗賊が出ることもありますが」
「盗賊!?」
恐ろしい単語に、ぶるりと震えた。キルシュは慌てて、「大丈夫です。必ず我々が、オメガの皆様をお守りいたします」と付け足す。
「ちなみに、どのくらいの日程で着きますか?」
リッカが行ったことがあるのは、隣の人間族の国だけである。それも一度だけ。
オメガは基本、派遣先の国に住み着くが、王はオメガ国内で子を産み、育てる。王子がアルファ因子を持っていれば父方に送られ、オメガなら手元に。どちらでもなければ、長じてから自分の生きる道を選ぶ。
「ええと」
キルシュは言い淀み、腕を組んで地図を眺めているエドアールに視線を向けた。
「一ヶ月だ」
「は」
一ヶ月?
思わずリッカは、復唱した。
「馬鹿な。そんなにかかるわけありません。皆さん、こちらに来られたときは何日かかったんです? 一ヶ月なわけがないでしょう」
隣の国には、少し急げば日帰りで行き来できる。もちろん、性急に事を進める必要はないが、それでも一ヶ月は長すぎる。だいたいその間の旅費は誰が持つのだ。オメガ国だって、半分負担するのに。
「十日ほどで……」
言いづらそうなキルシュの告白に、「でしょう?」と、リッカは重ねた。
エルフ側だって今回、騎士団だけではなく、旅慣れない文官も一緒だった。それでも十日だ。人数が増えたところで、せいぜい二週間見積もればじゅうぶんだ。
リッカの主張に、エドアールは難しい顔をしている。キルシュは隣でハラハラし通しだった。
「殿下」
情けない副官の声に、エドアールは腕を下ろし、溜息をついた。
「オメガ族は、その、身体が弱いだろうから気を遣った」
「はぁ?」
エルフ至上主義の文官たちが聞いたら、不敬だと罵られそうな反応をしてしまう。たった一言の応答で、リッカが気分を害したことを敏感に察知したエドアールは、どう少なく見積もっても二百歳以上のくせに、唇を尖らせた。
「だって」
「だって?」
言い訳する仕草がアンジュと変わらない。オメガ族年齢に換算すると、もしかしたら弟と同じくらいなのかもしれなかった。
「ダンスをしたとき、君があまりにも軽かったから……」
舞踏会のクライマックスは、エドアールに身体を持ち上げられた。そのときに何やら不思議そうな顔をしていたから気になっていたが、まさかそんなことを考えていたなんて。
「鳥の羽のようだったぞ」
「それは勘違い、言い過ぎです」
今年二十歳になる男として、子ども扱いをされるのはいただけない。
ムッとしたのを隠さず態度に表せば、エドアールはしょんぼりする。
リッカは「僕の体重がエルフの方々より軽いのは置いておきまして」と、エドアールの説得にかかる。
「殿下は、僕たちオメガ族のことを、どれくらいご存じで?」
オメガ族には発情期があり、子を宿すことができる。
これは他国の庶民の間でも通じる、オメガ族の最低限の認識である。これから嫁ぐ相手先の、しかも王族。それだけの知識では困る。
「オメガ族は各国に嫁ぎ、その土地で暮らします。そして子どもが産まれ、オメガだった場合は、十歳になる年に、全員オメガ国へと集められるのです」
十歳という年は、発情期が訪れる直前だ。オメガ国に迎えられ、彼らは教育を受ける。
純粋に生まれも育ちもこの国であるのは、王族くらいだ。
オメガの子どもが他国で何も知らずに成長するのは、辛いことだ。
誰にも理解されない発情期の苦しみ。フェロモンによって誘引されたアルファ因子の男は、理性を失い襲いかかる。項を噛まれれば、オメガの意志に関係なく番関係を結ぶ羽目になる。
事故や事件が絶えないことを憂慮した祖先が定めた制度であった。
無論反発もあったが、オメガ王は皆、他の国に身を捧げ、尊い血筋を繋いでやったという歴史がある。今後オメガを嫁がせないと言えば、渋々従うようになった。
「その後、十三、四歳までの間にオメガとしての教育を受け、我々は他国へ嫁ぐのです。もちろん、希望があれば聞き入れます。故郷に戻ることも、そのままオメガ国民として過ごすことだってできますし、誰とも番いたくないという気持ちも尊重します」
子を産む能力があっても、出産は義務ではない。それに、オメガとしての幸福を切望しても、叶えられない者もいる。
「たかが二週間の旅でどうこうなる訳がないのです。十の子どもの頃に、経験済みですから。エルフの国よりも遠いところから来ている子もいるのですよ、エドアール殿下?」
畳みかけ、自分の身体の丈夫さを誇るべく胸に手を当てたリッカのことを、しかしエドアールは、いまだ不安に揺れる目で見つめる。
「まだ何か?」
「その、オメガ族は、長くは生きられないと聞いた」
リッカは言葉を失う。そういうことばかり、よく知っているものだ。呆れる。
確かにオメガ族の寿命は、ほとんど性質の変わらない人間族と比べても、短い。人間族が七十年生きるとすれば、オメガ族は四十年ほどで、命の灯が尽きることが多い。
言いづらそうに、「国王陛下も、伏せっていらっしゃるし」と言うものだから、カッとなった。
母はもう、三十七歳だ。
「そりゃあ、あなた方エルフに比べたら、僕らオメガの命なんて、一瞬でしょうよ。だからといって、馬鹿にしないでもらいたい」
「そんな。俺は馬鹿になんて……」
「いいえ、馬鹿にしてます。僕らはそんなに弱くない。守られるだけの厄介な存在じゃないんだ」
大机を平手で打った。じん、と痺れる痛みに理性を取り戻したリッカは、指を二本立てた。
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