鬼さんの推しごと~ご利益はお夜食で~

葉咲透織

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第二話 雨音と迷子

第二話 ①

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 外が静かだと思ったら、雨が止んでいた。

 六月半ばになってから、天気が優れない日が続いている。世間はこれを「梅雨」というらしい。この時期、爽やかな初夏しか知らない私にとって、初めての経験だ。

 まず、じめじめしているから洗濯をしに行くのが厄介だ。シェアハウスにも洗濯機は二台あるのだけれど、乾燥機はない。干す場所も限られているので、下着は手洗いをして毎日部屋の中に干し、他はまとめてコインランドリーに行っている。アパート時代よりも近場にあるとはいえ、これが結構面倒くさい。せっかく洗って乾かしても、帰りに雨に降られたら、台無しになってしまう。

 また、私は癖毛なので、毎朝きちんと整えてから学校なりバイトなりに行くんだけど、午前中だけでもう、爆発し始める。特にバイトは接客業なので、清潔感が大切だ。学校終わりに走ってバイト先に向かい、髪の毛をきれいにセットし直す時間を確保しなければならないのが、面倒くさい。

 同じシェアハウスに住むマリアに、「縮毛矯正でもしたら?」と提案されたが、学割クーポンを使ったって、まだまだ高い。そのためのお金を払うなら、作画ソフトで新しい有料素材を買いたいし、漫画をたくさん買いたい。

「んん~ッ!」

 明日提出の課題はできていたが、個人的にはまだまだ直したりない。ギリギリまで完璧を狙って作画にこだわって……そろそろ集中力が切れていた。

 大きく伸びをして立ち上がり、窓を開けた。雲は分厚いが、その向こうに淡く、月が光っている。水気を含んだ風がひんやりと頬を撫で、眠気を覚ましていく。

 涼しさを堪能してから窓を閉め、私はそっと部屋の外へ。吹き抜けになっている一階を見下ろすと、電気は消えていて、今日は誰もいないみたいだ。

 シェアハウス・鬼百合荘には、クリエイターが集っている。私は漫画家志望の専門学校生で、同じく漫画描きの先輩から、この家を紹介してもらって、一ヶ月以上がいつの間にか過ぎている。

 住民たちの個性が強すぎて、いっそのことこのまま漫画にしてやろうかな? なんて思ったりもする。

 なんてったって、口と態度が悪すぎる絶世のイケメンに、迷子のぽっちゃりリーマン、ギャル漫画描きにBL小説書きの上品なおばあちゃまである。なんだか私だけが平凡だけど、そこはまあ、主人公に据えちゃえばいい。語り部っていうのは、いつだって読者に寄り添うべき存在なのだから。

 一階には、食堂として使われる共有スペースがある。ここで作業をすることも多い。それから台所。冷蔵庫が二台と、別に冷凍庫。

 現在冷凍庫には、うちの実家から送られてきた北海道産素材を使ったジェラートがたくさん詰まっている。

 私は冷蔵庫を開けた。今日、スーパーで買ってきたばかりの炭酸水を手にして、中央にでんと陣取った皿を見やる。

 ラップがきれいにかけられているが、誰かが開けて食べたのは間違いない。今日は、キュウリとハムのサンドイッチだった。パンの耳はきっと、明日あたりラスクになって出てくるだろう。もう、ある程度の夜食のローテーションは見抜いている。

「……」

 いつ何が夜食として提供されるかを知っているということはすなわち、私が毎日のようにこの美味しい食事に手を伸ばしているということで……。

「……」

 部屋着のキャミソールは短く、そこからはみ出たお腹を摘まんだ。明らかに、太った。実家にいるときよりも、絶対。

 地元は車社会で、どこに行くのも親の車だ。街まで連れて行ってもらわなきゃ、友達と遊ぶこともできないのだ。だから、都会に出てきて駅まで歩き、駅から目的地まで歩き、と運動量が格段に増えたため、インドアの漫画描きである私でも、少しスリムになっていたというのに。

 鬼百合荘に来てから、ぶくぶくと肥えている。気のせいじゃない。あの失礼男の猫目ねこめ樹たつきが、全身をじろじろと上から下まで観察して、「なんか、丸くなったか?」と、歯に衣着せずに、なんでもないことみたいに言ってきたのを思い出して、ぐっと思いとどまる。

 時刻は午前二時。これからもうひと踏ん張りするには、もう遅い時間だ。七時半には起きて支度をしないと、学校の授業に間に合わない。

 炭酸水を一口飲んで、ちらりと開けたままの冷蔵庫を見る。

 ……これって、私が食べなかったら、どうなるのかな? 捨てちゃうのかな? 勿体ないよな……。

 そっと手を伸ばす。ひとつだけでも、食品ロスを減らすことの貢献になるだろう。うん、一個くらいなら、いいよね。

 さっと取って、ひょいっと食べる。誰も見ていないのに、夜中の食事って、どうしてこうも、背徳感があるんだろう。

 冷蔵庫を急いで閉めた。肝心のサンドイッチは、キュウリがしっかりと水切りしてあって、べちゃべちゃしていない。水切りヨーグルトを使っていて、若干カロリーもセーブされている。ブラックペッパーが全体を引き締めまとめていて、美味しい。ペットボトルを戻すのに冷蔵庫を開けるとき、魔が差してもう一個食べちゃった。

 この夜食を用意しているのが誰なのか、私は知らない。少なくとも住人ではない、ということだけは知っている。

「ごちそうさまでした」

 手を合わせて言うのは、台所の開かずの扉だ。ここを開けた人間は、必ずこのシェアハウスを出ていくはめになり、今後のクリエイター活動もままならなくなるという。私たちにとっては、致命的な呪いである。

 そして、この夜食を作っているのは、この扉の奥にいる「誰か」であると、私は思っている。姿を見たことはない。人の気配は……するようなしないような? そもそもうっかり開いちゃったらと思うと、密着して中の音を聞こうだとか、そういう気にもならない。

「……あの、ですね。残ったお夜食って、どうなってるんでしょう? 次の日の朝見たら、なくなってるから……もしも捨ててるなら、勿体ないから予約制とかにした方がいいと思う……なぁんて」

 誰もいるわけがない。だからこの言葉は、誰も聞いていない。単なる独り言だ。

 私はなんとなくいたたまれない気持ちになって、そそくさと自分の部屋へと戻った。





『もうね、お腹いっぱいだわ』

 あ、これ夢だ。

 すぐにわかったのは、全然知らない子がいたから。きれいな着物を着て、黒い髪を、現代では信じられないくらい長く伸ばしている。平安時代か、そのくらいかな。もうちょっと時代は後かも? お姫様なんだろうな。生地の質がよさそうだ。

 私が知っている着物って、成人式の振袖(時代劇でよく出てくるのも振袖? わっかんない!)か平安時代の十二単か、時明治大正期の女学生が着ている袴か。間がごそっと抜けているから、いまいち時代はわからない。

 私が昔のお姫様になっているわけじゃない。なんというか、映画を見ているみたいな感覚だ。お姫様は、残した食べ物を持って、こそこそと外に出る。とんだお転婆姫だなあ、と思った。

 人目を避けて、屋敷を抜け出す。私はその後ろを追いかける。勝手に場面転換をしてくれるわけじゃなくて、お姫様に引っ張られているみたい。オバケになった気分で彼女についていくと、辿り着いたのは、小さな祠だった。太いしめ縄が巻かれた木が二本立っていて、その間にちょこんと鎮座している。

 お姫様は、自分の食べ残しを祠に捧げた。そして、しめ縄を巻いた木の陰に隠れる。私のピントがお姫様に合っているせいで、祠はまったく見えなくなってしまった。

『ごめんなさいね。いつも私が残したものしか持ってこられなくて』

 彼女は悲しそうな顔で謝った。まぁ確かに、本当にそこにいるのが神様なら、人間の残したものを食べさせるなんて、祟りが起きても不思議ではない。

 私には聞こえないが、彼女にはどうやら、祠のヌシの声が聞こえているらしい。顔を見てはいけないというルールなのだろう。パッと嬉しそうに、「ふふ、ならよかった」と言うわりに、振り向いたりしないのだ。

『でも、そうよね。勿体ないわよね……うん。あなたが食べてくれるからいいけれど、私、もう一度きちんと、お父様と話し合ってみます』

 食事のことで、父親と行き違いがあったのかもしれない。晴れ晴れとした表情で、彼女は祠の前に進み出て、両手を合わせてから、膳を回収していった。

 ……なんだろう、この夢。

 いや、夢なんだから、どんな不可思議があっても理不尽があってもおかしくはない。夢は願望だったり、眠る直前に考えたことや常に頭の中で考えていることが表れることがあるというが、そうではないように思う。

 誰かが何らかの意図によって、私に見せている。そう感じた。なんでだかはわからないけど。ひょっとして、このお姫様の漫画を描けってこと? 和風モノなんて、描いたことないから無理だよ……。

 と、思っていたら、目が覚めた。アラームはまだ鳴っていない。スマホをつけたら、起床時刻の十分前だから、二度寝をすることもできない。

 大きなあくびをしながら、起き上がる。髪の毛は爆発している。十分前行動をしたら、いつもよりもしっかりヘアセットできるかな?

 洗面所へ向かい、顔を洗って歯を磨く。昨日、サンドイッチを食べてしまったから、朝ご飯は抜きだ。帳尻を合わせないと、また太っちゃう。

 身支度を整えて、昨日作った漫画をプリントアウトした。むき出しにしておくのも恥ずかしいから、封筒に入れて見えないようにする。

 鬼百合荘の変なルールのひとつ、神棚に自作品を捧げるべし、の実行だ。出来立てほやほやの原稿を、神棚にお供えすることになっているのだ。

「はい、出来立てほやほやですよ~」

 言いながら神棚に封筒を置こうとして、「あっ」と叫んでしまった。

「おわっ! どした?」

 寝ぼけ眼のマリアが、驚いて声をかけてくる。すっぴんのギャル、顔が全然違っててそれはそれで怖い。

「あ、いや、なんでもない!」

 心臓がバクバク言っている。再び私は、神棚を見やった。なんで気づかなかったんだろう。

 夢の中に出てきた祠は、この神棚とそっくり。いや、まったく同じものに見える。もちろん、長い年月を経て、こんなにきれいな造りのままなはずががないから、修繕やら新しく作り直したりはしているだろう。でも、おんなじものだと私の勘が告げている。

 いったい、どういうこと? あの夢はなんだったの?

 心を落ち着け、とりあえずいつも通りを心がけよう。神棚に供えて、手を二回叩く。これをしているのは私だけなんだけど、一応、ね。

 インスタントのコーヒーを淹れる。カフェオレにすることが多いけれど、今日はブラックだ。頭をすっきりさせたい。樹が起きてくる前に飲んでしまわないと、「無理すんなよ」って鼻で笑われる。

 ふと、この間買ったヨーグルトが目に入った。四個つながったパックが、あとふたつ。

「……」

 私はひとつ取り出して、神棚にあげた。漫画原稿を入れた封筒の隣に置く。

 祠の中には、お姫様が食事をやっていた、「ナニカ」がいる。今ももしかしたら、きっと。ヨーグルトも食べるかな。わからない。

 起きてきた面々に、それとなく確認してみたけれど、お姫様の夢を見たことがあるのは、私だけだった。

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