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07.お出かけ01

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 火曜日のお茶会は、ドレスコードがある。そう遊利から言われていた、康平は土曜日の夜になってから必死にクローゼットを漁った。
 大学の入学式用に買ったスーツは残念ながら実家に送っていたらしく、見付けられたのは革靴と適当に仕舞った所為でヨレヨレのワイシャツだけだった。ドレスコードに見合う服は、悲しいかな一着も無い。一張羅はヴィンテージもののジーンズがあるが、ネットで見たところあまりドレスコードを求められる場では相応しくないという。
 悩みに悩んで翌昼前。康平は二人分のバーガーセットを手に、遊利の部屋を訪ねた。
「ドレスコード的にオッケーな服、買いに行くぞ」
「……ん、え? い、行ってらっしゃい……?」
「お前がいねーと服わかんねーじゃん」
 渡された全国チェーン店のハンバーガーの包みを丁寧に剥がしていた遊利が、目を瞬かせる。
 康平としては、そもそもドレスコードの程度も、見合う服がどういうものかも分からない。ついでに芸能人ウケのいい見栄えする服を探したいところだった。そうなると近所の大型ショッピングモールで良いのかは疑問で、そもそもその手の服を買う店には明るくない。
 だったら詳しそうな遊利に案内させるのが手っ取り早いだろう。そういう結論に達して、康平はわいろの昼飯を持ち込むことにした。
「でも、あの、僕あんまり出歩きたくなくて」
「そーんなに気にしなくても平気だって。あれじゃん、あの服着てけよ。スーパーとかコンビニ結局あれで行ってんだし」
「そうだけど……」
 あれ、というのはユキの時の服だ。
 康平に知られてからも、遊利はユキの姿で度々買い物に行っている。普段なるべく通販を使ってはいるようだが、時には食料の買い足しもあるし、一切出ないというわけにはいかなかった。康平がなんだかんだと用をつけては遊利の部屋へ来て、食事をたかっている所為でもある。
 康平が買い物に付き合ったことはないが、今のところ騒ぎにはなっていないようで、ネットではSNSにある以上の噂はない。
「それ食ったら行こうぜ。あんま高いとちょっとキツイからぁ、それなりの感じで……どこらへんが良いんだ? ブランドって言ったら、銀座とか……銀座の店はやばくないか?! でも子供っぽいのはダメだ」
 バリバリと雑に剥いたバーガーに齧りつきながら康平が言う。ううんと唸る遊利は諦めたように、小さな口で、康平を真似るようにバーガーに齧りついた。

 あまり乗り気でなさそうだったが、身支度を整えた遊利は堂々としていた。
 スーパーで会った時のユキとは違う落ち着いた女性物の服と、柔らかく甘いメイク。何度か直しながら完成した遊利の女性装は、男であるのが惜しいくらい康平の好みの姿をしていた。
「やる気じゃん」
「挙動不審だと逆に目立っちゃうんだもん」
 そう語っていた通り、マンションを出てからの遊利は遊利らしからぬ落ち着いた顔だった。すっと伸びた背筋と、都心を歩きなれたような表情。スーパーに居た時はなんだったのかと思うくらいの姿は、ユキというよりもまた違う人に見えた。
 最寄りの四ツ河駅を避けて、一駅隣から電車に乗る。二人が向かったのは、駅に隣接している大型の百貨店だった。
 ハイブランドがのひしめき合う場所ではなかったことに安堵したが、それでも康平が普段服を買う店の並びとは少し雰囲気が違う。全国に幾つもあるショッピングモールのような雑多な並びではなく、ゆったりとした空間。そこで落ち着いた様子で服を見ている客を見て、康平はちょっとだけプリンになってきている頭を隠すように被った帽子を直した。
「うんと、お堅い集まりじゃないから、ホテルのドレスコードを抑えていれば全然問題はないと思うし……ジャケットがあればいいと思うんだ」
「あー……オレの一張羅ヴィンテージのジーンズなんだよなあ」
「じゃあ、パンツも見てみよっか。うん、行こ、康平くん」
 ふわふわと笑いながら、遊利が店舗の案内図を見て頷く。淡い桃色のカーディガンをふわりと翻してはしゃぐ後ろ姿に、康平はコンビニで下ろしたてのお金が詰まった財布を、ぎゅっと握り締めた。
 遊利の先導に従って辿り着いたのは、見た目は割合カジュアルな店舗だった。とはいえ並んでいる秋冬物は康平の基準としては大変お上品な様子で、ちょっと腰が引ける。ショートブーツの足音を立てないように店頭のジャケットへ近付くと、ネイビーのジャケットにつけられた値札が見えて、康平はびしりと動きを止めた。
「……高い?」
「い、う、おぉ……いや、デート服にもなる、と思えばイケる」
 それなりにオシャレには気を遣っているものの、康平は金がない。だから、普段は雑誌に載っているようなブランドものではなくて、似たデザインの大量生産品をそれらしく着回すようにしている。一張羅のヴィンテージのジーンズは、成人の時に親から貰った。
 その基準で見ると、今目の前にある薄っぺらくて柔らかいジャケットはかなりのインパクトがある金額をしている。なんせそれ一着で、いつもお世話になっている大手ファストファッションが毎年出してくれる真冬の温かダウンより高いのだ。薄いのに。
 とはいえ買えないレベルではなく、雑誌で見るような金額とデザインは、康平の脳裏にモテそうという言葉を過ぎらせた。
「う、ぐ……どう、すっかな」
「何かお探しですか?」
「あ、ええとッ。んん」
 軽く店舗を見回した康平に、店の服を纏った店員が声を掛けて来る。咄嗟に少し高い声へと切り替えようとして失敗したのだろう。遊利が誤魔化すように咳払いして康平の肩へ手を置いた。
 助けを求めるような仕草に軽い優越感を覚えつつ、康平はえっとお、と少し大きめの声を出した。店員の意識が康平の方へ向く。
「ちょっといい店でも変じゃねー感じの服を探してんですけど、デートでも着れるジャケットとかがいーのかなーみたいな状態でえ」
「なるほど。そうですね、それでしたら今ご覧になっているジャケットはレディースでも似たデザインが出ておりますよ。お二人で合わせることも出来るかと」
「へ……」
 妙に納得した顔の店員が、生温かな微笑みを浮かべる。
 レディースでも。康平は一瞬きょとんとしてから、言われた言葉を思い返して慌てながら手を横へ振った。
「あー違うんすよ! んはは、こいつはダチでして!! そういうんじゃないっす!」
「それは……大変失礼いたしました」
「あ、あはは」
 さあっと気まずそうな顔をして、店員が頭を下げる。ケラケラと笑う康平と店員を見比べてから、遊利は勘違いされていた意味に遅れて気付いたらしい。今度はちゃんと出た少し高い声で、康平に合わせるように笑った。
 複雑な顔をした店員が遊利の方を見て、康平を窺う。
 そんな店員からさらに目を逸らした遊利に袖を引かれ、康平はそちらへ顔を寄せた。
「なんだよ」
「あー、あの、他のお店も見てみよ?」
「そりゃそのつもりだけど」
「康平くんお願い、あとであの、お礼するから……」
「わーったよ」
 くい、と遊利がもう一度袖を引く。康平の背に隠れるように立つ横顔が、スーパーで見かけた時のように困った顔に変わりつつあるのを見て、康平はすんなりジャケットを戻した。
「すんません、ちょっと色々見てイメージ固めて来ますわ」
「お、お待ちしております」
 康平が言うと、にこりと営業スマイルへ切り替えた店員が、申し訳なさそうにもう一度頭を下げた。
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