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第12部

第八章 小鳥は羽ばたく⑥

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 パカパカ、と。
 ほぼ同時刻。木々が生い茂る森の中。
 アッシュとユーリィは、ララザに乗って、ある場所に向かっていた。
 元々、この森に来た目的の場所だ。
 森の中を進んでいくララザ。
 すると、不意に視界が大きく開ける。

 日差しが差し込む。
 そこは、大きな広場だった。


「ああ。やっぱここは開発中止になったんだな」


 その場所は、荒れ果てた地だった。
 元々は別荘でも造る予定だったと思うが、現在は明らかに放置されている。
 地面には亀裂が走り、中には巨大なクレーターまである。
 これでは、開発しようもなかったのだろう。


「………」


 ユーリィが、キュッと唇を噛んだ。
 アッシュは、そんなユーリィの頭を撫でた。


「……大丈夫か? ユーリィ」

「……うん」


 ユーリィは頷く。
 ここは、かつて聖骸化したユーリィとアッシュが戦った場所だ。
 彼女にとっては忌まわしい場所である。


(……ユーリィ)


 何故、ユーリィがここに来たがったのか。
 それは、アッシュにも分からなかった。
 ともあれ、アッシュはララザから降りる。
 次いで、ユーリィも降ろした。
 ユーリィは数歩ほど、前に進んだ。
 そして、広場の景観を静かな眼差しで見つめていた。
 アッシュもまた沈黙していた。
 静かにユーリィの背中を見つめている。と、


「……アッシュ」


 おもむろに、ユーリィは振り向いた。
 そこには、柔らかな笑みがある。


「……あのね、伝えたいことがあるの」

「おう。何だ?」


 アッシュが尋ねる。と、ユーリィは笑った。


「……私ね。アッシュのことが好きなの」

「おう。そっか」


 アッシュも笑う。


「俺も好きだぞ」


 それは、家族としての愛だった。
 ユーリィは「違う」とかぶりを振る。


「家族じゃない。私は女の子としてアッシュが好きなの」

「……え」


 アッシュは目を丸くする。
 それは、本当に驚いた表情だった。
 ユーリィは、アッシュの瞳を真っ直ぐ見据えた。


「ずっと、ずっと好きだったの」

「……ユーリィ」


 アッシュは察する。
 ユーリィの言葉が、本気であることを。
 だからこそ、グッと拳を固める。


「……ユーリィ。俺は……」


 これは考えたこともなかった。
 アッシュにとって、ユーリィは最も守るべき者だ。
 妹のように、娘のように想ってきた。
 そんな彼女が、異性として自分に想いを寄せていたとは……。
 だが、その想いに応えることは――。


(……すまねえ)


 アッシュは数秒ほど、瞳を閉じた。
 そして決意し、口を開こうとした時だった。
 おもむろに、ユーリィが片手を前に突き出してきたのだ。
 彼女はかぶりを振った。


「アッシュの困惑は分かっている」

「……え」

「……ホントのところ」


 ユーリィは、微苦笑を浮かべた。


「私にも、よく分からない」

「……分からない?」


 アッシュは眉根を寄せた。
 ユーリィは、視線をクレーターの方に向けた。


「アッシュとは、ずっと家族だったから。だから、私のこの想いが、恋なのか、それとも家族としての愛なのか、まだよく分からない」

「……ユーリィ」

「だから、待って欲しい」


 ユーリィはキャミソールを揺らして、再び視線をアッシュに戻した。


「私が、十六歳になるまで」

「……十六歳だって?」


 眉をひそめるアッシュに、ユーリィは静かに頷いた。


「うん。十六歳。その時にまでに、私のこの想いが本当に恋なのか、家族愛なのか、それをはっきりさせるから。だから、その時に想いに応えて欲しい」

「………ユーリィ」


 アッシュは少し茫然としていた。
 ――が、しばらくして「そっか」と呟く。


「ああ。分かったよ。そん時には答えてやる。ゆっくり考えろよ」


 アッシュは笑う。
 ユーリィは「うん」と頷くが、すぐに、


「それよりも抱っこして」


 そう言って、両手をかざすように前に出した。


「……おいおい」


 アッシュは苦笑する。
 恋なのか、家族愛なのか。
 よく分からないと言った傍から甘えるとは。
 ユーリィは、やはりまだまだ子供だった。


「仕方がねえな」


 アッシュは、ボリボリと頭をかいて歩き出した。
 そしてユーリィの元に行き、彼女の腰を掴もうと前屈みになった時。
 不意に。
 すうっと、ユーリィに両頬を押さえられたのだ。


(……ん?)


 いつもと違うユーリィの対応に、アッシュが眉根を寄せた。
 その瞬間だった。
 アッシュの唇に、とても柔らかいものが触れる。
 アッシュは両目を見開いた。
 それは、ユーリィの唇だった。
 ユーリィの口付けは、さらに続く。
 頬を押さえる手は緊張でずっと震えている。けれど、拙いながらも必死に相手を求めて舌まで絡めようとするそれは、まごうことなき、愛の証だった。
 アッシュは、ただ茫然として固まってしまった。

 口付けは、およそ十数秒間も続いた。
 そうして――。


「……ん」


 銀色の細い糸を引きつつ、ユーリィは、ようやく唇を離した。
 アッシュは目を見開いたまま、彼女を見つめていた。
 すると、


「……私の想いは、彼女にだって負けない」


 少女は、微笑んで宣言する。



「もう淡い恋なんかじゃない。私もを愛しているから」



「――ッ!?」


 アッシュは唖然とした。


「お、お前、どこでその名前……い、いや」


 アッシュは身を屈めて、自分の口を片手で押さえた。


「お前、なんつうことを……」

「……ふふ」


 ユーリィは、桜色の唇を愛らしく動かして笑う。


「もう遅い。それに言質も取った」

「……は?」


 アッシュは口から手を放して呆気にとられる。

 ユーリィは、とても嬉しそうに語り出した。


「私が十六歳になった時、私が想いをはっきりさせていたら、アッシュは私の想いに応えてくれるって言った」

「い、いや、そりゃあ答えるとは言ったが」


 アッシュが困惑してそう返すと、ユーリィは自分の唇に人差し指を当てた。


「私はと言った。告白の返事が欲しいとは言っていない」


 一拍の間。


「――はァ!? 何だそれ!?」


 愕然とするアッシュの首に、ユーリィはしがみついた。
 そして彼女は告げる。


「これでもう私は確定した。私の気持ちが揺らぐことなんて絶対にないから。十六歳になったらアッシュが私を貰ってくれる」

「お、おい。ユーリィ……」


 アッシュは動揺するが、強かな少女は気にしない。
 再び右手の指先を自分の唇に重ねて。


「けど、もっと早く手を出すのもOK。今の私の体だとまだかなりキツイとは思うけど、頑張って受け入れてみせるから」


 そう告げて、頬を染めつつ、自分の下腹部辺りに両手をそっと添えた。
 その台詞、その仕草が意味するところは明白である。
 流石に、アッシュの鈍感さでも気付く。


「おい!? ユーリィ!?」


 こればかりは叱ろうとするが、ユーリィは最後まで強かだった。


「ん。アッシュ」


 アッシュの名を呼んで近づくと『娘』の親しさでアッシュに頬ずりをする。先ほどまでの過激な宣言とは一転して子供らしい仕草だ。アッシュとしては邪険には出来ない。
 そうして、アッシュが油断したところで、


「……ん」


『女』の強かさを以て、軽めだが、もう一度唇を重ねる。
 またしても、アッシュは固まってしまった。


「ユ、ユーリィ!」


 アッシュが正気に返って、彼女を掴まえようとする前に、その場を離れる。
 ユーリィはそのまま駆け出した。欠伸をしていたララザの元へと。
 そこで、くるりと反転。


「アッシュ。帰ろう」


 微笑みながら、そう告げる。
 アッシュは、その場で茫然としていたが、


(うわあ、やられちまったなあ)


 少女の強かさに、ただただ舌を巻いた。
 ユーリィは、今も微笑んでいる。
 完全に翻弄されてしまった。


『女というのは早熟なんだ。特に心は男よりも成長が早いんだぞ』


 ふと、脳裏にオトハの言葉を浮かぶ。
 まったくだ。
 まったくもって、その通りだった。


(なんか、俺の将来が不安になって来たぞ)


 手招きをするユーリィを一瞥しつつ。
 今はただ、苦笑を浮かべるだけのアッシュであった。
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