クライン工房へようこそ!【第15部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第15部

第八章 二人の未来⑧

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 その大歓声は、VIPルームにもよく響いていた。
 興奮した面持ちのレナが、パチパチパチッと拍手をする音もよく響く。
 ラゴウは、視線を伏せていた。
 そして、ゴドーはしばしの間、沈黙していたが、

「……よく頑張ったな。シェーラ君」

 静かな声で彼女の奮闘を讃えた。

「見事な戦いだった。だが、サーシャちゃんの方がより最後まで足掻いていたか」

「……確かにな」

 アッシュが呟く。

「最後まで、サーシャは考え続けていた。自分に何が出来るのか、相手の闘技は一体どんなものなのか。諦めずに、ずっと考え続けていた」

 それはとても誇らしく。何より嬉しく思う。
 サーシャは弟子として、アッシュの教えを信じ抜いてくれたのだ。
 あそこまで素直な子はいないだろう。

「まあ、勝負は、俺の可愛い弟子の勝ちってことだな」

「……ぬう」

 その事に関しては、ゴドーも渋面を浮かべる。
 アッシュは「はん」と鼻を鳴らすと、おもむろに立ち上がった。

「これで用は終わったな。行こうぜ。レナ」

「あ、うん」

 アッシュにつられて、拍手を止めてレナも立ち上がった。
 ゴドーは未だ仏頂面だ。
 アッシュは、ソファから少しだけ離れたところで、ゴドーの顔を見やり、

「……おっと。そういや一番大事な俺の用件がまだだったぜ」

 そう呟いた。同時に、ポンとレナの背中を押し出した。

「アッシュ?」

 レナが、少し前に出て振り向いた瞬間だった。
 ――ズドンッッ!

「……え?」

 大きく目を瞠る。
 いきなりアッシュが、ソファに座るゴドーの横顔を殴りつけたのだ。
 直撃すれば、人が飛んでいくアッシュの剛拳だ。
 それは、ゴドーであっても例外ではない。《黒陽社》の長は勢いよく吹き飛ばされて、ワインバーにまで叩きつけられた。

「――貴様ッ!」

 それに顔色を変えたのは、ラゴウだった。
 懐から、儀礼剣を抜き放つ。
 アッシュは、静かな眼差しでラゴウを見据えた。
 レナも表情を険しくして、短剣を抜く。と、

「……ああ~、待て待て」

 ワインバーの中から、ゴドーが立ち上がっていた。
「……つつつ」と呟いて、殴られた頬を指先で撫でている。
 全身には大量のワインを被り、口元から血も流れ落ちている。
 しかし、アッシュの拳を受けても、ゴドーはしっかりとした足取りだった。

「……まったく。いきなり殴るとはな」

「うっせえよ」

 アッシュは「ふん」と呟き、双眸を細めた。

「俺が今回、てめえの誘いに乗ったのは、全部てめえをぶん殴るためだ」

 言って、拳をかざしてゴキンと鳴らす。
 アッシュは、凶悪な眼光でゴドーを睨み据えた。

「よくも、オトを痛めつけてくれたよな。てめえだけは絶対に許さねえ」

 それは、先日のことだった。
 この男は、アッシュの留守中に工房へ訪れて、オトハに重傷を負わせたのだ。
 たまたまその場に出くわしたミランシャとシャルロットが、オトハを助けてくれたが、彼女たちのタイミングが少しでも遅かったらと思うと、今でもゾッとする。
 敗北したオトハは攫われて、さらに最悪の状況になっていただろう。サクヤと再会してなお、オトハを離したくないと思ったのも、そのことが強い要因となっていた。

 オトハの怪我は、すべてユーリィが直してくれた。
 もう負傷の痕跡もない。

 けれど、オトハを二度目に抱いたあの時。
 アッシュの腕の中で、彼女はほんの少しだけ震えていたのだ。

『……大丈夫。大丈夫だから』

 オトハは微笑み、気丈にもそう告げた。
 そんな彼女の髪を何度も撫でつつも、自分自身にどうしようもなく腹が立った。
 いま、目の前にいる男に、明確な殺意を抱いた。
 この男だけは、断じて許せなかった。

「……ああ。そういうことか」

 ゴドーは、苦笑いを浮かべた。

「こればかりは、反論も出来んか。俺がオトハを傷つけたことは事実だしな。俺とてお前の立場なら同じことをする」

「……主君」

 ラゴウが、ゴドーを守るために前に立つ。

「お下がりを。この男は吾輩が相手をします」

「まあ、待て。ラゴウ」

 ゴドーは、片手で腹心を制して前に出た。

「俺と戦うつもりなら、一緒に決勝戦の観戦などせん。最初から一撃だけ喰らわせるつもりだったのだろう?」

 ゴドーの指摘に、アッシュは「ふん」と鼻を鳴らした。

「正直に言えば、てめえは今すぐ塵にしてやりてえ。だが、てめえと戦うとなると、てめえと一緒に、そこの《九妖星》の野郎も相手する必要がある。そうなってくると、この大会をぶっ壊しかねねえ……」

 それは、サーシャの努力を無にしてしまうことだ。
 それに加えて重要なのは、この場に居合わせてしまったレナのことだ。
 レナの身の安全を考えると、今回出来ることといえば――。

「……ふん」

 ゴドーは頬を擦り、鼻を鳴らした。

「オトハを傷つけたことは詫びよう。この一撃も甘んじて受け入れてやろう。もうオトハは傷つけんよ。次はベッドの上で可愛がって俺の女にすることにしよう」

「……まだ殴られ足んねえのか? てめえはよ」

 アッシュの両眼が、剣呑さを帯びる。
 レナが短剣を逆手に構えて、ラゴウが再びゴドーの前に出る。
 アッシュは、一歩前に踏み出した――が、

「……アッシュ。やるのか?」

 その時、レナが問いかける。
 その声は劇的だった。アッシュはピタリと足を止めて、

「……………いや」

 長い、長い沈黙の後、大きく息を吐いて、思い留まった。
 この男と戦うと被害は甚大だ。時期と状況を見極めなければいけない。
 守るべき者レナの声を聞いて、改めてそれを思い出した。

「……今日はここまでだ」

 アッシュは、背中を向ける。
 一見すると、完全に無防備な背中だった。
 しかし、その全身から湧き上がる怒気に、ラゴウであっても踏み込めなかった。
 アッシュは、レナの傍にまで寄ると、彼女の肩をポンと叩いた。
 レナは、こくんと頷いて、エレベーターに向かうアッシュの後に続いた。

「……いいか。よく聞け」

 アッシュは、一瞬だけゴドーの方に振り向いた。

「二度とオトに手出しはさせねえ。俺の女に触れさせねえからな」

 一拍おいて、

「次は塵にしてやる。楽しみにして待っていろ」

 そう告げて、アッシュはレナと共に、エレベーターを乗り込んだ。
 青年と少女の姿は、扉の奥に消えていく。
 VIPルームに残ったのは、ラゴウとゴドーの二人だけになった。

「……申し訳ありません。主君」

 ラゴウが頭を垂れる。

「吾輩がついていながら、主君にお怪我を負わせるとは……」

「……まあ、気にするな」

 ゴドーは、軽く口角を崩した。

「本気で牙を剥くあの男相手に、無傷で済むと思うほど、俺も自惚れていない。この程度の怪我は想定内だ」

「……本当に申し訳ない」

 ラゴウは眉をしかめて、舞台に目をやった。

「主君をお守りしきれなかったこともですが、シェーラ=フォクスについてもです」

 今の騒動の間に、選手たちはすでに控室に戻ったようだ。
 舞台には、すでに鎧機兵の姿もなく無人だったが、観客たちの興奮は全く冷めやらぬようで、大歓声と喝采は今も鳴り響いていた。
 ラゴウは、小さく息を吐いた。

「あの娘は本当によくやりました。彼女の敗北は、偏に吾輩の指導力不足です」

「……いや、それもお前の責任ではないと思うのだが」

 やはり生真面目すぎる《金妖星》に、ゴドーは苦笑を浮かべるだけだった。

「……主君」

 ラゴウは、主君に進言する。

「彼女の様子を見てこようと思います。決勝戦は明らかに限界を超えていました。あれでは相当重い症状が発症していると思われますので」

 生真面目な男は、弟子の心配もしていた。
 ゴドーは、ますます苦笑を深めた。

「いや。それには及ばんさ」

「……それは」

「無論、シェーラ君のことを心配していない訳ではない。ただ、俺やお前が行くのは、野暮と言うものだ」

「……野暮、ですか?」

 ラゴウは眉根を寄せた。
 すると、ゴドーは大仰に肩を竦めて。

「俺は、アランという男をよく知っている」

 そして、ニヤリと笑った。

「俺たちが気をもまずとも、シェーラ君は救われているさ」
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